第15話 Vengeance is mine 復讐するは我にあり
暗い水底を揺蕩う意識が、銃声の響めきに浮かび上がる。
何か、後頭部は温かくて柔らかい感触に沈んでいた。
徐に瞼を持ち上げれば、頬に切り傷を残した金髪の少女が、アメジストの瞳をぼやりと映る。
「あっ、六ちゃん!」
煤に汚れた瓦礫を掴んで、ゆっくりと上体を起こす。
アーケード看板に突き刺さった機械兵に、家屋ごと死体を呑み込む土石流みたいな火災。
ここは廃墟の街……いや、地底の街なのか。
……そうだ。地底の街にマーシャが襲って来て──
「──師匠は!?」
カっと瞼が見開く。
柔らかい膝上から跳ね起きた。
アメジストの瞳へ食い入れば、薄桜色の唇は、ぎこちない吐息に俺の頬を濡らす。
「えっとね……自分の不始末に、決着を付けるって……」
──なぜ追わなかった。
言ってやりたいところだが、アルナは左足を裂傷している。
その上で、無様にも戦場に眠る俺を守っていたのだ。
感謝すれど、責める筋合いはない。
「チッ……あちらに向かったのだな?」
華奢な指先が示す先を睨み上げ、ふらりと地底を立ち上がる。
火の粉に揺らぐ街中目掛けて大地を蹴り上げる──寸前、俺は尻目に、とんび座りするアホ毛を覗いた。
「……その、助かった。貴様は安全地帯に逃げておけ。その足では満足に闘えんだろう」
「……うんっ!あとのことはよろしくね、六ちゃん」
パッと快活な笑みが輝いて、俺へと小さく手を振った。
阿鼻叫喚の形相が、地底の街を絶望の狂想曲に彩っている。
野焼きみたいに黒煙を吐き出す家々。
平和から投げ出された誰彼。
俺は黙々と屋根を跳び移り──やがて、特別な亡骸が、祈るように路上を横たわっている様を見た。
「……師匠」
唇から震える冷え切った声。
すぐさま傍に降り立って、色白い首へと手を触れる。
ひやりと蝋の溶けた残滓だけが、指先を応える。
燃え上がる地底の炎が、よく耳に響く。
もう二度と開かぬ翡翠の半目。
俺は覗き込むように見つめて、いや、今は死体の前で立ち尽くしている暇はないな。早く動け。
これはあくまで師匠を模したロボットだろう。感傷に浸る理由などないはずだ。早く。
「……」
唇を強く噛み締め、大樹の根に絡まれた下半身を踠く。
俺はゆっくりと、項垂れるフードから正面に視界を持ち直して、
血濡れの塀に、力なく崩れ落ちた深紅の瞳を見た。
「……レオナルドッ!!」
縛り付けられた脚が、鎖を強引にねじ切る。
流れる突風に、閉ざされた瞼はピクリと動く。
深紅の瞳は茶色の前髪に覗いて、口元に流れた血糊をひび割る。
「……六月一日、隊長……かい……?」
土色にまみれたその表情は冷たく強張っていて、ほとんど動かなかった。
「ハハ……マーシャと交戦した結果が、この様だよ……」
ごぷりと、暗赤色が口の端を溢れる。
倒れかかった上体を両腕に素早く受け止め、俺は硬質な声を吐く。
「もう喋るな」
これ以上は内臓に障る。
分かっているだろうに、青ざめた唇は火災の影に引き攣る。
「まだ助かるかもしれ、」
「自分のことは、自分が一番分かっている……つもり、だったんだけどね……」
零れ落ちた気休めの言葉は、冷たい戦場に流れ去った。
「……クソッ!!」
瓦礫を粉々と踏み砕く。
──他人の心に触れて、いつか他人の為に闘う──
強者に従って己を磨き上げたはずが、手から零れ落ちるモノは、増えるばかりで、
何故だ……何故俺は強くなっていないッ!!
以前の俺なら淡々と切り捨てられたはずのことに、握り締めた拳が強く荒ぶる。
「はは……意外、だったな……」
僅かに見開く深紅の瞳。
掠れた唇が大きく息を吸って、残された力の全てを注ぎ込む。
「運良くマーシャを追い詰めて……気が付いたよ……」
「僕には、復讐なんて出来ない……未だに、マーシャを妹だと思っているからね……」
結局は、そういうこと。
コイツにマーシャは壊せない。
『殺す』などと、人間に使う表現をしていたこと。
ダミーの死体を見て動揺したこと。
それらから導き出される結論は、容易に想像の付くモノだった。
「いや、違うか……僕は、偽物のマーシャにこそ、それ相応の……」
かひゅりと、頼りない呼吸に目元は緩む。
曇った眼差しが、黒煙を反射した岩壁の人工光を見上げた。
これはきっと、自分から目を背けた果てに待っていた、詰まらない結末。
それでも、レオナルドは最後の最後に本当の自分を見つけられた。
弱さも憎しみも余すことなく曝け出して、心の求む選択へ踏み出した。
コイツはヨルと同じく、真なる意志を貫徹したのだ。
「六月一日、隊長……」
弱々しい衝撃が、肩を響く。
深紅の瞳は縋るように、金色の長髪を映し出す。
「お願い、だ……マーシャを、殺してくれ……」
「構わんのか」
聞くと、それは恨みに濁った瞳ではない。
真摯なる光が、真っ直ぐに俺の心を突き刺した。
「あぁ……僕は、殺せなかったけど……アイツは間違いなく、邪悪……だから」
強者の祈りは、確かに受け取った。
肩に乗る強張った右手を、強く握り返す。
「良いだろう。マーシャは必ず俺が『殺して』やる」
言質を取ったレオナルドは、天使を見たみたいに、本当に小さな嘆息を挟み、
「……ありが、とう……それなら僕も、安心して眠れ……そう、だ……」
その言葉を最後に、夜の世界へと溶け込んだ。
燃え上がる火炎の熱風が、金糸の長髪を揺らして肌を焼き焦がす。
必ず俺の手でマーシャを殺してやる──
誓った言葉に偽りはない。
火の粉が流れる地底の街を、静かに立ち上がる。
「──六月一日隊長!こちら、制圧権を取り返しまし、た……」
脳内を素早く響いた事務的な冷声は、俺の義眼越し光景を映して、言葉の行方を見失った。
屍が眠る街に、緩慢な足音が響く。
俺は極めて冷淡に声を返す。
「……レイ。マーシャの奴は、いま何処に居る」
「しょ、少々お待ちください」
暫しあって、苦渋の混じった返事が届いた。
「……反応がありません。恐らくは、既に脱出したかと」
流石は、悪意の象徴たるマーシャと言ったところか。
アドラのように、戦闘に次ぐ戦闘にのめり込むことはない。
確実に『規格外』を1人殺してこの場を脱したのだろう。
いや、或いはもう1人の『規格外』も、既に。
ミシリと足の筋肉が軋んで、黒煙に曇る地底の街並みを一気に駆け出す。
「ならば俺はアレックスの元へ向かう。今度は奴をどうにかせねばならん」
「この度の一件……やはりアレックスさんが?」
「さぁな」
現世に降臨した地獄に、金糸の髪を靡かせる。
目玉をひしゃげた球状ドローンが俺を追従して、アームから緑色の小瓶を放物線に描いた。
「応急ですが、ナノロボットを」
親指で栓を弾き、一気に呷る。
爽やかな林檎の香りに、隠し切れない金属臭い味わい。
顔を顰めて、異物を吐き出そうとする喉に手を当てる。
やがて辿り着いた工業区との境目には、漆黒の双璧が、穴ぼこだらけの地表に縺れ合っていた。
「……状況は相変わらず、か」
穴の開いた屋上に身を屈める。
密かに地上の様子を俯瞰すれば、ユンジェがアレックスに刀を振り被るほか、雑兵共も包囲網を築いていた。
「どのタイミングで奇襲を仕掛けましょうか」
「貴様は俺をサポートしている暇があったら、アルナをどうにかしてやれ。アイツは片足失った」
「……それが六月一日隊長のご命令とあらば」
壊れかけの球状ドローンは不安定に浮上する。
漆黒の鉄腕が、中二病を紙切れのように吹き飛ばした。
指揮官が、バッと右腕を前へ掲げる。
「今だッ!撃て──」
入れ替わるように火を吹く機関銃。
地表は硝煙に覆われて──兜の赤い目が、妖しく光った。
赤黒い血を滴る2本角が空気を揺るがす。
闘牛の標的となったのは──以前、俺に殴り掛かった青年だ。
「……ッ!!」
青い顔に固まる真っ赤な瞳を──俺は怪盗のごとく、横から掻っ攫った。
「貴様は運が良いな」
突風に吹かれて扇子のように膨らむ、金糸の長髪。
ぽわんと間抜けな顔は大地へ放逐されて、尻餅を着いたまま唇を動かす。
「女神、さま……?」
「貴様らは足手纏いだ。サッサと失せろ」
潰れた工場を囲む雑兵どもへと吐き捨てる。
桃色の瞳が、こちらへ跳ね飛ぶ。
「クックック……試練の地へ舞い戻ったか、星追いの英雄よ」
相変わらずの、高慢な笑みが包帯を巻いた右腕に隠れて、妙なポージングに固まる。
俺はふざけた様子を横目に、巨大な漆黒の鎧を睨み上げる。
「Gu、ガがぁ……!!」
状態は良くないらしい。
漆黒の籠手は兜をギリギリと軋んで呻き声を上げては、興奮状態のイノシシのように大地をのた打ち回っていた。
「……アレックスの奴は、コンピュータウイルスにやられたか」
師匠と、マーシャの偽物と。
最もあり得そうな答えを、誰に言うでもなくポツリと零す。
とすれば、包帯を巻いた指先が、黒い眼帯をゆっくりと開いた。
「……いや、アレはMaggotsだ。あそこまで症状が進めば、もう治らない」
奥底に隠された全く以て正常な桃色の瞳が露となって、忙しなく点滅する赤い目を映す。
Maggotsと言うのが、如何なる病かは知らない。
そして、そのことに精通しているだろう中二病の話を聞いている暇もない。
魔改造された制服の、一歩前に立つ。
「……そうか。ならば為すべきはただ一つ、だな」
ユンジェの握る刀はなまくら。
アルナの再起は見込めず、レイのドローンもポンコツ。
『規格外』を相手取れる者は、もう、俺の他にはいない。
悪魔のような咆哮を上げる漆黒の鎧へと、俺は剣の切っ先を突き付けた。
「来い、アレックス。俺が貴様の旅路を終わらせてやる」
確殺の宣告を解したかのごとく、漆黒の巨体は青い稲妻にとぐろを巻いた。
漆黒の鉄拳が、大地をスイカみたいに叩き割って、俺をスクラップにせんと空気を裂く。
俺は凸凹に縺れぬよう脚を細かく動かし──怒涛の連撃をひらりと躱す。
ヒートソードを振り切り、反撃へと転じる。
キンと、ダイヤモンドのごとき漆黒の鎧に、刃の破片は煌めく。
「ワtasiのノノ……邪魔ヲするナッ!ウsuyoyyoo汚れタ人殺シの弟子がッ!!」
ノイズに乱れた機械音声が、悪い夢に吞まれて怨嗟を吐き出す。
「ふん。ならばコイツはどうだ」
俺はフードの下でハッと鼻を鳴らし、ホルスターから小銃を抜き出した。
狙うは、兜の赤い目玉。
反動に肩を揺らす銃弾は、ことごとく跳ね返される。
ほんの僅かに傷が付いた程度か。
どうやら、銃器による攻撃も現実的ではないらしい。
「であれば……まずはその右腕から潰すか」
漆黒の腕部が空気を叩き潰す。
俺は合わせてヒートソードを両手に握り込み、流星に似た光芒を、籠手の脆い接合部分へと走らせた。
「ム……!!」
カランと、穴ぼこだらけの地面に鳴る硬い音。
「ざまぁないな」
俺はニヤリと口元を歪めながら、今度は左腕へと狙いを定めて、
チュンと、『奇妙な音』が背後から響いた。
「ッ!?」
焼けるような痛みを貫く右肩。
白い光が、空気に残滓を残す。
歯を食い縛って振り返れば──斬り飛ばしたアレックスの前腕が、小型ドローンと化して宙を浮いていた。
「なに……?」
意識を背後に奪われたところ──漆黒の全身鎧が、目前を圧迫する。
「しまっ──」
「死ネ……ッ!!」
重い衝撃が、腹部から身体の内側へと波のように突き抜けた。
「ぐ、ぉ……ッ!!」
丸太で殴られたみたいに、軽々と吹き飛ぶ肉体。
路上に転がる勢いを、指先で地面を抉って殺し切る。
片膝を突いて見上げれば、ガトリング銃口が、手首のない腕部から俺を覗く。
「仲マが、蘇ルのda……ヨる殿モ、蘇る……だkaら──」
「……もう出し惜しみは無しだ。一瞬で片をつけてやる」
残り時間は40秒だろう。
意識の深層へと沈み込む。
そして瞼を見開いた瞬間、漆黒の全身鎧を構成する元素さえもが、透き通る瞳にありありと浮かんだ。
恐ろしい連射速度で飛び出す散弾を、大地をジグザグと蹴飛ばして躱す。
流れでヒートソードを斬り込みたいところが──鉄腕が防御の姿勢に構える。
カンと、光の刃は火花を弾ける。
「ムつつka殿……諦メ、ロ……ッ!!」
勝機に濃く光る兜の赤い瞳に対し、俺は浅く嘆息を零す。
「まぁ……それは既に見えていたことだがな」
回し蹴りの要領で身体を捻り、弾かれた反動を最大限に利用する。
両手にヒートソードを構え直し、大地を抉り飛ばす。
「ぐ……う……!」
チカチカと、額を走る鋭利な痛み。
奥歯に食い縛り、全身の筋肉という筋肉を震わせる。
胴体の継ぎ目へと、俺は戦闘服に頼って必殺の一撃を振り抜き──
「ぜあぁぁああああああッ!!」
──腕を伝う鈍く重い感触に、漆黒の全身鎧を真っ二つに斬り伏せてやった。
「na……二……!?!?」
見事に泣き別れた上半身と下半身が、がしゃんと、路上に木霊する。
大地へ突き刺すヒートソード。
俺は荒く肩を上下させて、完全に動かなくなった漆黒の鎧を見下す。
「勝負……あったな……」
この隙を突いて拘束すれば、或いは、コイツを救う手立てもあるだろう。
思って俺が、未だに居残る背後のモブ共を招集しようとした、その時、
『真っ二つとなった漆黒の鎧』が、宙を浮かび上がった。
「は……?」
唖然と顔を上げて、馬鹿みたいに開く唇。
浮遊する全身鎧は、映像作品か何かみたいに装甲を仰々しく展開していく。
やがて──『漆黒の四つ脚』が、大地を力強く踏み締めた。
「……冗談、だろう……?」
闘いはこれからだ。
そうとばかりに『機甲の狼』は雄叫びを響かせ、以前とは比べ物にならぬ速さで俺へと迫った。
次の投稿日は明日です。
またじわじわ投稿頻度上がって行きます。
それでは、また次話でお会いしましょう!




