第12話 分裂するアイデンティティ
NHスペシャル『ミュンヘンMk-2』
アレックス・ベルトランを構成する特殊なサイボーグ。
籠手に隠されたガトリング砲、足裏のジェット噴射による空中移動、そして味覚細胞の再現と、戦闘から日常までを幅広くカバーする至高のサイボーグだ。
主にエネルギー源は電力。
出力をフルスロットルに引き上げることで、漆黒の全身鎧は青い稲妻を纏う。
切り札も幾つか隠し持っているようだが、これまでの戦闘で使用された気配はないようだ。
その日のインターホンは、常識外れに朝早いものだった。
不意と耳を潜る、間の抜けた機械音。
靄が立ち込めたように薄暗い室内が、ぼんやりと浮かび上がる。
秒針は静寂に時を刻み、午前5時30分を指していた。
こんな早朝に他人の部屋を訪れるとは、あの阿呆はどこまで阿呆なのだろうか。
寝間着の袖に瞼を擦る。
廊下へ足音を引き摺り、扉を強く押し開く。
朝闇に浮かぶ中世の亡霊が、玄関先を圧迫していた。
「六月一日殿、今日も良い朝だな」
全く想定外の訪問者に、暫しぽっかりと開いた唇。
やがて早朝の仄かに冷たい空気が肺底へと流れ込んで、俺は眉間に皺を寄せる。
「貴様……今が何時か分かっているのか?」
「重々承知しているとも。しかし……時間がないのだ」
軽く頭を下げる二本角の兜。
漆黒の右腕部が、サッと紙袋を差し出す。
「今からコレを着て私と出掛けて欲しい」
純白のワンピースと、金髪のカツラと。
突き付けられた紙袋を前に、春の生温い静寂が流れ込んだ。
「どうやら……寝ぼけているらしいな」
俺は即座に、左腕を引き絞る。
辞世の句を、玄関に影を落とした西洋鎧へ訊いてやる。
「いや、昨日から一日中起きっぱなしだ。私の頭は冴え渡っている」
「ならば過労だろう。よし、俺が今から永遠の眠りに誘る」
迷わず左腕を打ち放った。
一撃を受け止める漆黒の籠手。
朝からご近所迷惑な衝撃波が寄宿舎に染み渡り、隣の部屋から、ゴトっと落下音が聞こえる。
「今日は私が男役、六月一日殿には女役を演じてデートしてもらいたい」
まるで不理解な提案に、ずいとアーマープレートへ迫って睨み上げた。
「阿呆を抜擢すれば良いだろう」
「友が求めたのは、限りなく中性的な美しさを持った者なのだ」
「だったら街中でナンパでもするんだな」
「全身鎧の不審物がうら若き女性を捕まえられるとでも?」
まぁ無理だろう。
正常な判断能力を持った大人であれば、こんな謎物体には近寄らない。
言葉の応酬の果てに、二の句に詰まる。
「実現可能性を持っているのは、六月一日殿だけなのだ。重ねて言うが、」
「……良いだろう。そこまで言うのならば、付き合ってやる」
舌を鳴らして、漆黒の籠手から紙袋をぶんどる。
紙袋にはご丁寧に化粧品まで用意されていた。
変装道具を巧みに扱い、昨日受け取った菓子を持って玄関を出る。
金糸の髪を胸上に伸ばした可憐な少女が、漆黒の金属鎧を反射した。
「これ、は……」
チカチカと、信号機のように点滅する兜の赤い光。
籠手の冷たく固い感触が、俺の肩を握り込む。
骨が潰すような力が肩を重く圧し掛かった。
堪らず身を捩ったところで、ふしゅりと白い蒸気が、兜の隙間から吐き出される。
「元の適正もあるのだろうが……中々、堂に入っているのだな」
「昔から少女に変して貴様らのスパイを殺すことがあった」
「なるほど。私はてっきり六月一日殿の趣味かと」
柔く笑う機械声帯。
ガキの母親から受け取った菓子包みを乱暴に胸部へ押し付ける。
「俺を何処へ連れるつもりだ」
「春と決まれば、行く場所は決まっているだろう?」
漆黒の人差し指が、得意げに地底の天井を示した。
朝に漂う寝ぼけた活気が、岩壁の人工光を浴びて少しずつ目を覚ましている。
エレベータから見下ろす地底には、人影が幾つか点在していた。
窓ガラスが岩壁に包まれた頃、事務的な冷声が、知り合いの逢瀬を見たように脳内を戸惑う。
「……む、六月一日隊長。その……それは……」
「アレックスのままごとに付き合っているだけだ。何か用か」
端的に現状を説明したはずが、冷声は脳内を二転三転とひっくり返る。
「わ、私は理人くんのご趣味を否定するつもりはございません、よくお似合いですので。本当の親子のようにそっくりですよ!」
訳の分からんことを滅茶苦茶に口走るレイ。
とうとう、頭までポンコツに錆び付いてしまったのだろう。
「おい、聞いているのか」
キッと、鋭くテレパシーを浴びせる。
とそこで、事務的な冷声は現実に戻って来た。
「……ご報告です。昨晩、廃都市難民の2名が殺害されました」
床板を支える感覚が、凍てつく気配に遠のいた。
受信する2枚の写真。
素早く空間ディスプレイを展開する。
鋭利な刃物で急所を抉られた跡を残して、『彼女』は不可逆に冷え固まっている。
「犯人はまるで掴めていません。本日より、秘密裏に捜索が開始しています」
「そう、か……」
念願だった『彼女』の末路を前にして、しかし心は、ぽっかりと空白に落ち込んだ。
「……六月一日隊長、もう1点ご報告が」
「……まだ、何かあるのか」
硬直した心に鞭を打ち、薄れた床板の感触を強く踏み締める。
「昨日、アレックスさんが『六月一日隊長に頼まれて』と、機械兵の保管庫へ立ち入りを求められましたので……一体、なんの御用だったのかと」
思わず首を傾げる。
そんなことは言った覚えはない。
第一、俺は昨日アイツと会っていないが──
「訓練用に使われるつもりでしたら、是非とも私の試作機を、」
「いや、俺は知らんぞ。そんなことをアレックスに頼んではいない」
目を丸めたような間があって、事務的な声が慌てて頭を下げた。
「わ、私の思い違いだったようです。失礼しました」
一方的に通信が切断される。
何が、どうなっている。
顎に手を当て、暫し思考の海を暫し泳ぐ。
時間切れの声が、エレベータを小さく響いた。
開かれる扉の隙間から、眩い朝日がフードの陰りを照らし上げる。
嗅ぐわう陽気な春風が、胸元に垂れた金髪を掻っ攫う。
「六月一日殿、さぁ、こちらだ──」
そう言ってアレックスは、しおらしくワンピースの前に組まれた手を導こうとして、
「ぐ……うぉ……ッ……!!」
痛苦に痺れた喘ぎが響き、ガシャンと、全身鎧は朽ちた路上を崩れ落ちた。
ムンクを叫ぶ漆黒の兜が、花びらのへばり付いた道路を這いつくばっている。
それは、単なる頭痛では済まされない苦しみ様だった。
すぐさま大地を蹴り上げる右脚。
硬質な背中へ左手を添えれば、じゅわりと、鉄板に触れたみたいに異様な熱が皮膚を焦がす。
「どうした、アレックス!」
漆黒の兜はふるふると、頼りなく首を横に揺らした。
「い、や……なんでも、ない……気にしないでくれ……」
「言っている場合か。すぐにリリーのところへ向かうぞ──」
漆黒の腕部を掴んだところ──暴れ馬のように俺の左手を振り払う籠手。
「待ってくれッ!!私には、『時間がない』んだ……ッ!!」
切羽詰まった声が、春に微睡む廃都市に閑散と響き渡った。
「……時間が、ない?」
震える黒光りした籠手は、空間ディスプレイを叩いた。
浮かび上がったのは、お花見の項目を始めに残された仲間たちの祈り。
振り向いた兜の赤い目は縋るように俺を見つめて……あぁ、そうか。
そうだと言うのならば、もう、仕方がないのだろう。
「……今のは、忘れてくれ……だが、私はまだ──」
「──貴様がそうしたいのならば、そうするべきだろう。向かうのはお花見か?」
春風に金糸の長髪を揺らして、俺は桜色の絨毯へと足を踏み出す。
ローブを揺らして背後を覗けば、やがて、漆黒の籠手は尖った胸を柔く撫でた。
「……恩に着るよ、六月一日殿」
それからは、ひたすらにアレックスに付き従った。
廃都市の丘でお花見をしたり、チャペルに行ったりドライブをしてみたり。
そうこうしているうちに、地底は橙色を帯びていく。
アレックスは仲間の祈りを素早く、しかし丁寧に浄化していく。
いつの間にやら差し掛かった、いつもの住宅路。
ガキ共の影が複数、路上に爛漫と手を振る。
「よろいさーん!!今日はいっしょに遊べ……あっ、デートなんだね!」
「あ、ぁ……」
一日中、突発的な頭痛に悩まされているせいだろう。
中性的な機械声は、風に揺れる蝋燭の炎のようだ。
だのに、大柄な背中はガキ共へ応える。
「そう、だな……少しばかり、遊ぶとしようか」
「良いのか、アレックス」
「……構わないさ。彼らと一緒に居ると……懐かしい気分になるのだ……」
そうして俺もガキ共に囲まれて、恒例の鬼ごっこ。
まずは鬼決め。
皆で円を作って手を出す。
「じゃんけんぽん!あっ、よろいさんが鬼ね──」
見事にアレックスの1人敗け。
ガキ共はキャッキャと叫びながら、住宅路のあちこちへ走り出す。
そして少女が振り返った、その瞬間、
「……へ?」
アレックスは漆黒の腕を振り被り──『少女の身体を、平手に吹き飛ばした』。
何が起こったのかは分からずとも、身体はすぐさま動いていた。
路上を蹴り上げ、吹き飛ぶ影の背後へ回り込む漆黒のローブ。
腕から全身へと、波のように衝撃が突き抜ける。
間一髪で、俺は胸に小さな身体を受け止めた。
「……?」
少女は何が起きたのかを理解していないのだろう。
困惑の表情で、俺とアレックスへと交互に首を振っている。
そしてそれは、俺もほとんど同義であることに変わりない。
「アレックス……何をしているッ!?!?」
思わず目を見開いて、2本角の兜を見上げた。
好んでガキを相手にしている奴が、唐突に振るう暴力。
全く意図が掴めず、中性的な機械音声を求める。
漆黒の全身鎧は、平手を作ったまま展示品みたいに固まっていた。
「ち、違う……私は……なんで……!?」
この世の絶望という絶望が詰め込まれた声。
「まだ時間は……ッ!?!?は、話がちが──」
戸惑う二本角の兜は、素早く遥か岩壁を見上げ──
「ぐァァァああぅおぉおおおお……ッッ!?!?」
地獄を呼び寄せる痛苦が、静寂を破り割った。
……なんなんだ。先ほどから、何が起きている。
不可解な現状に思考のペダルが空転して、たらりと首筋に汗が伝う。
続けて地底の街が火を吹く……火を吹く!?
「今度はなんだッ!!」
聞き覚えのある悪意に満ちた嘲笑が、地底の街中を響き渡った。
「こんにちは~!レジスタンスの皆さん!!マーシャ・ブレグマンだよー♪」
ばくりと、心臓の音が乱れ打つ。
地底を爆ぜる爆音が、不規則に共鳴した。
薄ら寒い空気を払うように首を振れば──住宅区を乱射する機械兵たちが。
その現状が意味するところは、つまり、
「ま、まさか……ッ!!」
「私はもう本部の方まで来ちゃってるので……死にたい人からどうぞ掛かってきてね!」
マーシャがHAF地下アジトに侵入している──
なぜ奴がこの場所を。
いや、それよりも今は防戦に移らなくては。
思い直したところで、手元に武器はない。
おまけにワンピースなんぞ着ているせいで、戦闘服も寄宿舎に置いている始末だ。
「……チッ」
尻目に覗く立ち尽くしたガキ共を前に、ごくりと、生唾を呑み込んだ。
少なくとも、今の俺にガキ共を守る余裕はない。
フードを勢いよく翻し、銃声の響く街に声を飛ばす。
「良いか、よく聞け。貴様らは逃げろ。そして強い奴に寄生しろ」
少女のガキが、ぽかりと唇を開く。
「お、お兄さんなの……? でもよろいさんが──」
「──つべこべ言わずに黙って行けッ!貴様らまとめて死にたいかッ!!」
眉間に皺を寄せて一喝を浴びせる。
ガキ共は狼狽えながらも、混沌とした住宅区を走り去った。
とそこで、獣の呻き声を洩らしていた全身鎧が、緩慢に立ち上がる。
「……アレックス」
言葉に応えるは、青白い稲妻。
漆黒の巨体はスパークを迸って、兜の赤い光を不安定に膨張させる。
ノイズの混じった声が、うわ言のように揺れる。
「ssu済まナい……六月一日、殿……」
次第にその中性的な機械音声は、金切り声へと乱れ狂って、
「だが、wawawa私にiiは……時間が……kikiki規格外を殺せばbabaaaaa、wa,wあ私は──ッ!!」
籠手の内部に隠されたガトリングが展開し、勢いよく火花を散らした。
アレックスが、ゼウス側へと寝返った──
バク転で塀の後ろに身を隠し、鈍い銃声がコンクリート壁を轟く中、俺は未だ暫しの硬直を強いられていた。
機械兵に怯えて、家の中に縮こまる一般人。
窓の向こうに広がる災害の光景を横目に、こうなった以上、やれることはただ1つか。
俺は一直線に寄宿舎へと駆け出す。
ジェットエンジンの黒煙が頭上から落ちて、漆黒の鎧は鬼門を守る番人のように立ちはだかった。
「に、ニがすわけには……いカないのダ……!」
「……クソがッ!!」
戦闘服がなければ、コイツを振り切ることはできない。
ガトリングを躱す策もない。
煙の奥から睨む回転式銃口が、心身を圧迫する。
手足の先から、血の気が一挙に失せて──
「コれで……oわriダ……ッ!!」
──銀色の一閃が、漆黒の鎧へと走り込んだ。
キンと、瞬きの火花を散らす硬質な音。
骸骨のネックレスがキラリと揺れて、桃色の瞳を反射する。
「クハハッ!星追いの英雄よ!!その道化のような姿はなんだ?」
高慢に歪む口元に、眼帯を隠す包帯を巻いた右手。
思わぬヒーローが、硝煙の香る住宅路を踊り出した。
「戦乙女よ、貴行は貴行の道を行くと良いッ!」
ユンジェは何か黒いモノを投げ渡し──俺の戦闘服だ。
助かった。
言う暇もなく、忍者刀の連撃が全身鎧を住宅路の彼方へ押し込む。
これさえあれば移動は問題ない。
炎に吞まれる屋根を跳び移り、煙を颯爽と切り裂いて寄宿舎へと向かう。
「レイッ!聞こえるか──」
脳内電信で応答を求むも、反応なし。
指を振るって空間ディスプレイを展開。
レオナルドは位置情報を拒否している。
まるで息の合わない個人行動だ。
「チッ……」
その一方で、アルナの奴は。
棚だらけの部屋に掛けたいつもの武器を握り込み、巨大なアーチが半ばから崩れ落ちた広場へ急行する。
2つの流星が、機械兵と人間の屍の山に舞っていた。
「あ˝ぅ……!!」
とその一方が、派手に蹴飛ばされる。
薄桃色の星屑はあわや大地へ墜ちかけて──寸前、俺が首根っこを掴んでやった。
「うぇっ!?」と奇怪な声を洩らして、紺色の制服はカエルみたいに大人しく摘まみ上げられる。
「どうやら、苦戦しているらしいな」
「ろ、六ちゃん……!」
斬り傷だらけの顔が、救いを見てパッと輝いた。
瓦礫を踏みしめる硬質な足音が、業火に揺らめく商店区を響く。
蜃気楼の向こうに浮かび上がるのは──フードに隠れた翡翠の半目だ。
「……師匠」
鉄製の轡に縛られた唇は答えない。
やはり、もうやるしかないな。
俺はヒートソードを腰部から重く抜き出して、横目にアメジストの瞳を覗く。
「俺が手を貸してやる。2人で一気に叩くぞ」
「……うんっ!!」
その言葉を最後に俺は大地を蹴り上げ、アルナと共に師匠へ襲い掛かった。
ストック切れたので毎日投稿は今日で一旦終了します……すみません。
なので次回の投稿日は9月13日の土曜日です。
それでは、また次話でお会いしましょう!




