第10話 Re.そのクロガネは悪魔であるか
電磁砲『ドラゴンブレス』
マーシャの秘密兵器である飛行艇のメインウェポン。
巨大な主砲から強烈な電磁波を放ち、周囲に特殊な磁場を作り出す。
戦闘服とのコネクトを著しく阻害するのが主な効果だ。
船舶側面の追撃砲。主砲の下部に備え付けられたレーザー砲。そして、飛行艇を機能させるだけの燃料。
金に糸目を付けずに創り上げられた鋼鉄の飛行艇は、まさしく、規格外を追い詰めるに相応しい艦船だ。
「六月一日隊長!……六月一日隊長っ!!──り、理人くんっ!!」
悲痛に乱れた冷声が、気泡ように脳内を響いている。
爆発の熱波に吞まれた全身は、微細な棘で刺されたみたいに赤い痺れを余韻した。
ヒリヒリと皮膚を貫く激痛。
細かい灰に激しく咳き込み、唇をゆっくりと動かす。
「いつから……気安く名前で呼べる仲になった……」
俺は空を舞う漆黒の浮遊物にしがみ付いたまま、仄かに眉間へ皺を寄せた。
視界を喰らう黒煙を颯爽と切り裂く。
汚染ガスに侵された大荒野の空気さえもが、清涼に肺底へと染み渡る。
上空を遊覧する漆黒の物体を見つけて、球状ドローンは一気に冷声を弾ませる。
「ご無事でしたか!」
「まぁ、な……」
脱出の帰結は、そう難しいものではない。
遠くハッチを見つけたその時、兜が赤い目を光らせた。
ロケットの如く飛び立つアレックスの肩を掴み──なんとか、爆発の中核から逃れたのだ。
尤も、全身鎧が廃車みたく、ボコボコと凹んでいることに変わりはない。
「……六月一日、殿……もう、残された電力が──」
プツリと、掠れた機械音声が消失する。
兜の赤い目は失せて、足裏と背中のジェット噴射がぷすりと空回りした。
髪はぶわりと冷たい上空へ引っ張られ──空高くから、一気に落下する。
「む、六月一日隊長!」
焦ったように響く脳内電信。
しかし、この距離ならば問題ない。
漆黒の鎧を両腕に抱きかかえ、廃ビルの屋上へと着地。
盛大な衝撃が足裏から骨を突き抜ける。
顎を上げて砂煙に覆われた灰色の空を睨めば、エアカーが1車、共栄都市へ向かって宙を飛んでいた。
アレに乗り込んだマーシャは、共栄都市へと戻って行くらしい。
となれば、今の俺達が取るべき行動は、ただ1つ。
「レイ、撤退するなら今だ。急ぐぞ」
「承知しました」
俺は早足に廃都市を駆け抜けて装甲車へ乗り込み、HAF地下アジトへと引き返した。
今は捨てられた海峡トンネルが、ヘッドライトに照らされて遺跡のように苔むした姿を浮かべている。
程あって、暗がりの世界は一気にセピア色へ染め上がった。
燃える赤色が、地平線を沈んでいく。
「わっ!綺麗な夕陽だね!!」
帰還までの道中は、最悪の一言だった。
『彼女』と、ユンジェが廃都市の何処からか助けた浮浪者の計2名。
彼らを乗せているせいで、車内は狭苦しい上に生臭い。
地獄の苦痛に鼻がもげそうになって、堪らず装甲車の屋根上に逃げ出した。
はずが、このアホ毛はひょこひょことヒヨコのように俺の後を付けてきたのだ。
「……貴様もサッサと車内に戻ったらどうだ」
アレックスとレオナルドは車内でダウン。ユンジェは絶賛献身中。
コイツさえ消えれば、平和な帰路が実現する。
思って隣に目を向けるも、阿呆は何の返事も寄越さない。
珍しく、薄桜色の唇は固く結ばれている。
思わず横目に覗き見ると、長いまつ毛がぱちりと開いて、上目に右眼の義眼を映し出した。
「……六ちゃんってさ、廃都市のお姉さんと、どんな関係だったの?」
ぐいと、胸倉を掴みかかられた気がした。
──『彼女』との関係性。
それを話すとは詰まるところ、苦々しい記憶を振り返るという意味であり、
「……そんなことは、貴様の気にすることではない」
前を向いてぶっきら棒に返す。
「じゃあお姉さんから聞いちゃうもんねっ!!」
乳白色の頬が、夕陽を受けてタコみたいに膨らんだ。
忘れていたが、コイツは『規格外の阿呆』だった。
浅いため息が、装甲車の繰り出す突風に流れる。
翡翠の義眼はただ茫然と、荒れた野原に続く轍の行方を映す。
「アイツは……俺の心を利用し、廃都市に生き延びた……それだけだ」
「じゃあ……六ちゃんが女の子嫌いなのって、そういうことなの……?」
装甲車が風を切る音だけが、俺と阿呆の間に流れた。
車内に居れば悪臭地獄。
屋根上に昇れば阿呆地獄。
どうやら、この世界に天国というものは存在しないらしい。
コイツを追いやるのが一番だな。
思った俺が口を尖らせた──その瞬間、
柔らく小さな両手が、俺の右手をさらりと包み込んだ。
「でも大丈夫だよ!今度はわたしが、六ちゃんの安心できる場所になるからね!!」
眩しいほどに真っ直ぐな笑みが、夕陽に明るい影を落とす。
ふわりと、しゃぼん玉に閉じ込められたような感覚。
ストロベリーブロンドの髪の一本一本が、突風を浴びて絹糸のように揺らめき輝く。
ほわほわと快活に輝くアメジストの瞳に──世界が、再凝縮する。
「……」
コンマ一秒の間があって、俺は華奢な手を軽く振り払った。
「……やはり貴様は鬱陶しいな。ここから突き落とすぞ」
「……え˝!?!?」
あわや屋上から転げ落ちそうなほどに仰け反るアルナ。
そのまま荒原に捨ててやろうか。
思いつつも、俺はフードを揺らして正面の西日を見据えて、
困惑に揺れるアホ毛を尻目に、夕陽に温もった口元を覆い隠した。
すっかり三日月が傾いた頃、藍色の空に廃墟の街が影を帯びた。
格納庫へ到着し、ぷしゅりと後方ハッチは口を開く。
人型ロボットが慌ただしく担架を2つ持ってきて、ダウンした2名を運び去っていく。
「ろ、六ちゃんはどこ行くの?」
「任務の報告だ」
「……独りじゃ怖いよね?わたしも行くよ!」
「馬鹿が。貴様は連れ帰った浮浪者をどうにかしていろ」
すり寄る子犬を蹴飛ばし、エレベータへ。
眠る地底を巡回する警備ロボットを見下ろして、赤いライトが交錯する堅牢な基地へと足を向ける。
気が進まない足に鞭を打つ。
廊下の最奥に待ち受ける上質な木の扉を、手の甲で叩く。
「入るぞ、ジャック」
香木の煙が、落ち着いた室内を雲海のように沈殿していた。
「ひとまずは、お疲れ様といったところかな?」
空間ディスプレイの書類に吞まれた灰色の双眸が、ニマニマと細みを帯びる。
「一応、君の口から聞いておこうか。ミッションはどうなったんだい?」
まるで小馬鹿にしたような笑みに、俺は舌打ちを零した。
「……失敗だ。まともに闘うことすらできなかった」
「潜入を見破られたのはこちらの落ち度だけれど……まぁ、任務で成果を挙げられなかったのは事実だねぇ」
ねっとりとした口調が、耳奥に余韻を残す。
「任務を達成できなかった以上は、私もキミ達になんらかの制裁を加えないといけない」
任務失敗の罰──
果たしてそれは、地獄の戦闘訓練か何かか。
太くゴツゴツとした指先が、ヤスリで削るような音を顎ひげに響かせる。
「そうだねぇ……他のメンバーが復帰次第、誰もが嫌がるミッションを1つこなしてもらおうか」
まったく、面倒なことになったな。
俺は浅くため息を吐きつつ、カーキ色のオールバックから目を伏せる。
「報告は以上かな?」
「……戦闘服が機能不全になった。どこに修理を頼めばいい」
「それならナランくんに頼むと良いよ。作ったのも彼女だ」
「そうか。ならばこちらからは以上だ。奴らの万全が整えば連絡する」
俺はローブを翻し、人気のない廊下を辿った。
眠らずの工房が、深夜に静まる闇中を華々しく輝いている。
扉を開ければ、ペンチを握ったナランが、汗の吹き出す額を褐色の腕に拭っていた。
「おっ、六月一日隊長!試作品の調子はどうだったよ!!」
「クソだ。有効射程距離が終わっている。危うく死にかけたぞ」
ネジをまき散らした作業台へ、戦闘服を勢いよく叩きつける。
そのまま工房を発とうとした矢先──点滴みたいに巨大な電気プラグを幾つも突き刺された、漆黒の全身鎧を見つける。
ちょうど良い機会だ。
工房の湿った床の中央へ、軋み音を鳴らす。
「おい、アレックス」
ほわんと、兜の眼窩が赤い光を灯した。
「……六月一日殿か。今日は助かったよ」
「構わん。それより、1つ訊かせろ」
「クロガネの悪魔とは、なんだ」
火花の散る溶接音だけが、蒸れた工房を響いた。
鉄を打つ音が染み渡る工房。
程あって、中性的な機械音声が、兜の奥からポツリと零れる。
「六月一日殿は……いや、何から話すべきなのだろうな……」
「もう……10年と昔のことだ。私はあの廃都市に目覚め──4人の友と共に、生き延びていた」
やはりか。
絶望夕刊に見た情報から、ある程度その可能性は考慮していた。
アレックスも俺と同じように、死の荒野で生きていたかもしれない、と。
「やはり、とは?」
「俺も同じくだ。3年ほど前、死の荒野に目覚めて廃都市での生活を余儀なくされた」
赤い目が、濃く光った。
「ならば話は早い!廃都市には数か月に一度、クロガネの悪魔が来ていただろう?」
「悪いが、それについては知らん。俺は半年ほどで共栄都市に戻る機会を得たからな」
淡々と答えを返す。
仄かな沈黙を置いて、固く強張った声が、工房の蒸気に霜を下ろす。
「……そうか。クロガネの悪魔と言うのはな……数か月に一度、共栄都市から現れる殺戮者のことだ」
ぐっと、胸が詰まるような感覚に後退った。
何せ、つまりはそれは──アドラの指示する『仕事』の1つ。
廃都市に生きる浮浪者共の駆除を意味するのだから。
となれば、コイツの言うクロガネの悪魔とは、
「黒いローブに流れる金髪。何より、フードの奥に見えるクロガネ色の瞳……」
「時を経て大人に成熟していたが、間違いない。アレはクロガネの悪魔そのものだッ!!」
荒れ狂う中性的な機械音声が、ぐいと、兜を持ち上げる。
「確か……六月一日殿は、奴を『師匠』と呼んでいたな……?」
血だまりのような赤い瞳が、二本角の兜からぐっと見上げた。
古より続く憎しみの亡霊が、兜の底を赤く光っている。
クロガネの悪魔の正体は、師匠だった──
予想の斜め上から飛来した解答に、思わず立ち尽くす身体。
震える唇は声を振り絞ろうとして、しかし、対話の主導権は、既に漆黒の籠手が握っていた。
「さて、六月一日殿、そろそろあの発言の真意を聞かせてもらうか」
「……待て。まだ、師匠がクロガネの悪魔と決定したわけでは、」
「それでは、この映像で判断するといい」
矢継ぎ早に言葉が帰る。
アレックスから映像を受信した。
ファイル名は『〇6ー3』。
奇妙な題目の映像だ。
今も昔も変わらぬ、継接ぎされた布生地みたいな廃墟の街。
少年少女が燃え上がる瓦礫の中で、悲鳴を上げながら赤い花を咲かせている。
それを実行しているのは──今よりは格段に小さな、漆黒のローブを纏った少女だ。
フードが風に揺れて、無機質な冷たい美形に翡翠の半目を映し出した。
「……私は仲間に逃がされて、炎の中に身を隠した。そこでクロガネの悪魔は、私が死んだものだと勘違いしたらしい」
やがて赤が映像を覆い尽くして、面影のある姿は陽炎に消える。
「では、答えをいただこうか、六月一日殿」
見上げる兜の赤い瞳が、俺を逃さずに捉えた。
もはや、誤魔化すことはできない。
俺は喉奥に詰まった言葉を、フードの底に吐き出した。
「……言っただろう。俺には、共栄都市に戻る機会があったと」
「それが何か?」
「俺を……廃都市から救い出してくれたのは、」
「クロガネの悪魔……だったと……?」
小さく頷く。
信じられないとばかりに、兜の赤い光がチカチカと点滅した。
「では……六月一日殿は、クロガネの悪魔の──」
憎き仇の弟子が、すぐ、目の前にいる。
そうと分かったアレックスは、一体どのような暴挙を出るのか。
微かに強張るこの肉体。
瞬間、赤い目が強く光り──フッと、小さく笑声を零した。
「──安心してくれ。六月一日殿の未来を奪うつもりはないさ」
当然とばかりに返る、澄み切った機械音声。
俺は思わず唇を開いて、コンセントに繋がれた漆黒の鎧を覗く。
「き、貴様がレジスタンスに所属したのは……クロガネの悪魔を討つ為ではないのか?」
「……初めはそうだったのだがな。憎しみは時を経るにつれて風化する。気が付くと、私に残ったのは仲間の祈りだけだったよ」
漆黒の籠手先が宙を叩く。
空間ディスプレイに展開するは、友人が残しただろう夢の数々。
toDOリストに纏められた項目数も、残りあと僅かといったところだ。
「悪魔の後始末は、弟子に任せるとするさ」
漆黒の鎧を反射する輝きに、矮小なる心は岩屋の影に潜んだ。
「……礼を言おう、アレックス」
フードを深く被り直して、ポツリと唇を震わせる。
もう夜は深い。
俺は翻り、工房の出入り口を目指す。
「……ふふっ。本当に変わられたな、六月一日殿は……」
「未来を見て、歩き…………私、は…………」
ジジッと火花の音に紛れて、掠れた声色が弱々しく響く。
「……なんだ、アレックス」
振り返れば、漆黒の肩部は微かに動いて、ぎこちなく兜を横に振った。
「……いいや、なんでもない……なんでも、ないんだ……」
次回の投稿日は9月6日の土曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




