第9話 亡霊鎧は友を尊ぶ
コンピュータウイルス『Maggots』
MC及び機械兵を一網打尽にするために、人類が生み出したコンピュータウイルス。
奴らが情報を共有するネットワークに侵入することで、連鎖的な自壊を目論んだ。
人類が必死で機械兵の一体に『Maggots』を打ち込んだその時、MCは既にセキュリティ対策を整えていた。
結局のところ、人類はAIの叡智に追いつくことはできないのだ。
その日、人類は崖上に見た希望から後ろ足で蹴落とされた。
薄闇を照らす神の鉄槌が、薄気味悪い空から機械兵どものどてっぱらを貫いている。
その一方的な浄化の有り様を、俺は暫し唖然と見上げた。
やがて機甲の天使は路地裏を降り立って、残兵へと羽音を威嚇する。
「六月一日隊長、ご無事でしたか」
事務的な冷声が、3日ぶりに脳内を和らげる。
その懐かしさに、自然と、フードの底から吐息が洩れ出す。
だが、なぜ連絡の繋がらなかった貴様がここにいるのか。
訊くよりも早く、レイは未来を先回りした。
「事の発端は、数日前より共栄都市の同志との連絡が途絶えたことでした。それを不審に思ったジャック総統が、私たちを動かしたのです」
どうやら、マーシャがスパイを根絶したことは仇となったらしい。
「しかし……六月一日隊長が機械兵ごときに追い詰められるとは、」
「戦闘服が使い物にならんくなった。飛行艇の発射した電磁波が原因だ」
「なるほど。道理で脳内電信が上手く繋がらなかったわけですね」
合点いったとばかりに、ドローンは軽く降下した。
「後発組はパワードスーツを問題なく利用できています。電磁波は持続性に欠けるかと」
「分かっているとは思うが、戦闘服頼りのレオナルドは不味い」
「そちらはユンジェさんが既に」
「ならば、貴様は電磁砲へ圧力を掛けに行け」
「それが六月一日隊長のご命令とあらば。すぐに、代わりの武器をお持ち致しますので」
状況共有を終えるや否や、3体の球状ドローンは路地裏を急浮上し、それぞれの方角へと弾け飛んだ。
見送ってから、鉄クズに塞がれた小路を掻き分ける。
蜂の巣を叩いたかのように、機械兵は瓦礫の向こうから次々と溢れ出して、一斉に手のひらの銃口を覗かせた。
が、無数の弾丸が俺の身体を抉ることはない。
「ここからは私が護衛しよう」
黒光りした金属鎧が、包囲網をゴールネットのようにぶち破った。
カツンと硬質な音に、弾丸は歯を砕かれる。
キュオンと、青い光が足裏にあたるサハトンを発する。
スケートリンクを滑るみたいに、ゴツゴツとした背中は朽ちたコンクリートを超スピードに蛇行した。
「量産品め。スペックの違いを思い知らせてやる」
青い稲妻が、機械兵を廃ビルへ叩き伏せる。
2メートル近い巨躯による押し潰し。
それは単なる物理の暴力に過ぎぬが、耐えられる機械兵がいるはずもない。
赤い単眼は紙屑みたいに潰れていく。
瓦礫に塗れたスクラップ工場は、焦げ臭い黒煙だけを残した。
「六月一日殿、無事でよかった」
廃ビルの壁面へと最後の機械兵を圧壊し、2本角の兜が、赤い軌跡を残して振り返った。
漆黒の籠手は尖った胸部をどんと叩いて、中性的な機械音声を響かせる。
「これが、『規格外のサバイバー』の実力だ」
この鋼の肉壁がいれば、少なくとも、レイが装備品を届けるまでの時間は稼げるだろう。
「ふん……思ったよりもやるな」
思った俺が、安堵に口元を緩めたその瞬間、
『金色を靡いた漆黒』が鮮やかに迫って、隕石の如く俺の腹部をめり込んだ。
「が……ぁ……!?!?」
唐突に骨を響いた鈍痛は、瞬く間に、俺の世界を揺らぎ崩した。
ぐんと吹っ飛ばされる肉体。
不可抗力に、唇から唾が零れる。
俺は歯を食いしばりつつ、尖った瓦礫を肉に食い込みながら路上を転がる。
──敵襲!マーシャが来やがったかッ!!
オセロをひっくり返したみたいに意識は完全な戦闘モードへと張り詰める。
俺は即座に路上を立ち上がって、
「何者だッ!!」
──ぶわりと揺れる漆黒のローブを、廃都市に見つめた。
「…………は?」
図らずも、疑問が零れ落ちる。
朽ちた路上を落ちる、長い人影。
フードの底に光る、翡翠の半目。
身体を構成する細胞という細胞が、春の息吹に打ち震える。
「し……!」
間違いない。あれは──
「──師匠!!」
俺は臨戦態勢を放り投げて、静寂を佇む漆黒のローブへ駆け寄った。
だが──俺は確かに、暗い地下施設で師匠の亡骸を抱えたはずで。
頭の片隅を浮かび上がる微かな疑問。
いや良い。
師匠が生きているならそれでいい。
アレはアドラの演出に過ぎなかったのだ。
俺は遊園地ではぐれた保護者を見つけたみたいに、とうとう、長身の影を踏む。
色白い右腕は──俺の頬骨を、鋭く抉り込んだ。
「ぐ……ぉ……!?!?」
背中から路上を倒れ込む身体。
残響する痺れに、頬へと手を当てる。
訳が分からず、俺は目を見開いて見上げる。
「し、師匠……?」
「グゥゥゥうう……!!」
廃都市を轟く獣の唸り声が、バラ色の世界を凍り付かせた。
よく見ると、鉄製の轡か何かが、フードの底の半分を覆っている。
轡は絶えず粘性のある鍔を滴って、地面を暗く濡らした。
腕をだらりと脱力し、無意味に腰を大きく曲げては、師匠は漆黒のローブを緩慢に揺らす。
「グァ……?グ、ググ……」
野蛮。下劣。猛獣的。
冷静沈着で先見の明に輝く師匠の有り様とは真逆。
理解の及ばぬ事態に、小刻みに震える手を伸ばす。
「し、しょう……? 俺だ──」
「ガァぁぁあああア!!」
漆黒のローブが、両手の爪を立てて俺へと飛び掛かった。
──やられるッ!!
思った瞬間、俺は反射的に右拳を突き出す。
とそこに、青い稲妻を纏う鎧が強引に身体ごと割り入った。
「……クロガネの、悪魔か……」
冷え切った機械音声が振り下ろす漆黒の籠手。
躱す形で、師匠は大地を後方へ蹴る。
ピシャリと稲妻が地表を貫いて、黒い焦げ跡を残す。
「まさか再び、相まみえる時が来るとは……」
深く震えた大声が、赤と青に輝く兜の奥から洩れ出した。
「であれば、為すべきはただ1つ……仲間の無念を晴らさせてもらうぞ──ッ!!」
瞬間、稲妻を纏うアレックスが、何重にもブレて見えた。
「ッ!?」
全身鎧は軽やかに宙を舞って、丸太のように太い脚に蹴りをぶちかす。
師匠は揺らぐ影のように一撃を逃れる。
「躱すか!ならばッ!!」
前腕に隠されたガトリングが火を吹いた。
瓦礫の山へと退く師匠。
闘牛みたいに、2本角の兜が粉塵を舞い上げる。
「決して逃がしはしないぞッ、クロガネの悪魔ッッ!!」
怪獣が暴れ狂ったような形跡を残して、アレックスと師匠は、廃都市の奥深くへと縺れ合った。
路上に尻餅を着いたまま、暫しの静寂に答えのない疑問が流れる。
事態を上手く解せぬ中、ふらりと立ち直ったところで、空から魔法の武具が降り注いだ。
「六月一日隊長、お待たせしました」
レイが俺の武器を調達してきてくれたらしい。
路上に散らばるヒートソード、小銃。順番に拾い集める。
そして最後の1つは──
「そちらは私の戦闘服になります。是非、使って頂ければと」
「まぁ……ないよりはマシか」
胸部に巨大な余白の生まれた戦闘服を纏って、薄気味悪い雲に覆われた上空を睨む。
飛行艇を牽制する球状ドローンは、随分とその数を減らしていた。
もはや現状、飛行艇を撃沈する手段はこちらにない。
となると、今の俺達がとるべき行動は。
「レイ、ここは撤退するぞ」
苦渋の決断を脳内に告げる。
とすると、言い淀むような一瞬の躊躇いを置いて、事務的な冷声が苦々しく返った。
「それは可能ですが……あ、アレックスさんが飛行艇に連れ去られました……!」
この状況で考えられる限り最悪の知らせが、脳内を木霊している。
「連れ去られた、だと……?」
言っている意味を、理解したくない。
現実を突き付けるように、球状ドローンは目玉を光らせて空間ディスプレイを浮かべた。
「こちらを……ご覧ください」
空中に浮かぶ映像を覗く。
兜から光を失せた漆黒の鎧が、傷一つない師匠の手によってエアカーへ運び込まれている。
「六月一日隊長……これは、一体」
「レイ。アレックスの奴はまだ生きているな?」
「……は、はい。生きたまま飛行艇に連れ去られたかと」
ならば、奪還するより他ない。
廃ビルへと跳び乗り、上空に浮かぶ飛行艇を目指して駆け出す。
しかし、ジャンプして届く距離でもない。
どうする。
突風にフードを靡かせながら、思考が空転する。
「私のドローンを足場に飛行艇まで跳んでいけますか?」
「可能だ。よし、その作戦で行くぞ」
白亜の球体が、万里の長城のように飛行艇へと連なった。
ぐしゃりと空き缶を踏み潰すような感触が、足裏を不安定に沈む。
亡霊のように足先を纏わりつく突風。
絶妙なバランスを保って、俺は道なき空を跳ね飛ぶ。
「何をコソコソとしてるのかなぁ?」
飛行艇まであと半分となったところで、邪悪なる笑声が響いた。
「チッ……!!」
飛行艇の側面から飛び出すミサイル群。
赤い弾道が俺へ迫り──しかし、直前で爆散する。
「クハハッ!星追いの英雄よ!!ここは我に任されよ!!」
バズーカを肩に構えた中二病が、地上で奇妙なポーズを決めていた。
「……礼は言わんぞ」
ポツリと口の中で零し、温かな粉塵の中を切り裂く。
硬い甲板が足元に安定した。
搬入口から侵入すれば、狭苦しい通路の各所から、慌ただしく足音が雪崩れ込む。
「ふん。雑魚共が寄って集って俺の邪魔をするなッ!」
借り物とは言え、既にパワードスーツを着た状態。
今度は機械兵が束になろうと敵ではない。
百人組手を踏破する勢いで粉砕する。
眩い一閃が、固く施錠された扉を溶かし斬った。
「おい、アレックスの反応はどこだ」
「進行ルートを表示します」
義眼に浮かぶ青い矢印に従う。
飛行艇は強風に左右へと揺れる。
俺は壁を蹴り飛ばしながら湾曲した道筋を進み──開けた中央ホールへ繰り出して、
漆黒のローブが、巨大な支柱に足枷を嵌められた有様を認めた。
白く引き締まったくるぶしが、冷たい拘束具に縛り付けられている。
鳥籠に囚われた隼を前にして、ピタリと、慌ただしい足音は硬直した。
「……師匠」
心身が、飛行艇の中央ホールを静寂に立ち尽くす。
けれど、それも一瞬のことだ。
右手は颯爽と、ホルスターから小銃を取り出す。
「り、理人くん……? なにを為されるつもりですか……?」
なにゆえか、混沌と惑う事務的な冷声。
黙れ。これはチャンスだ。
みすみす逃すわけにはいかない。
返事をするまでもなく、冷徹にトリガーへと力を込める。
だのに、項垂れた漆黒のフードが、朦朧と翡翠の半目を見上げる。
「ぃ……ぃお……」
その言葉にならぬ呼び声は、ピタリと、緩やかに動くはずの指を凝り固めた。
かちゃかちゃと、足枷から精一杯藻掻く色白の腕。
目の当たりにした瞬間、冷たい意志で覆ったはずの頭は、たったの1つの感情に支配されてしまう。
「く……そ……!」
木板の床へと力なく落ちる、構えたはずの小銃。
ふらりと、身体は漆黒のローブへ導かれる。
俺を目指して精一杯伸びるか細い腕へと、俺は応えるように手を伸ばして、
「し、師匠──!」
気が付くと、小さな足裏が視界を覆い尽くしていた。
「──油断大敵♪」
「がぁ……!?!?」
鼻頭を叩き伏せる一点集中した衝撃。
あわや背中から床へと激突しそうになったところ──宙を返り、片手を地面に突いて着地する。
鉄錆の香りを吐き捨てながら顔を上げる。
邪悪に歪む赤い唇が、くすりと息を鳴らした。
「ここは敵の本拠地だよ?あれあれぇ?どこ見てたのかなぁ??」
「貴様……!!」
耳障りな幼子の声が、耳奥をおちょくってすり抜ける。
プチリと、血管の千切れる感覚が脳内を充血する。
が、状況自体は悪くはない。
拘束された師匠は戦闘に復帰不可だ。
深紅の瞳へと向けて、ヒートソードをどっしりと構える。
「今度こそ叩き伏せてやるぞ……!」
口の端から洩らした炎と共に、俺はスッと意識を清涼に閉ざそうとして、
けれど、マーシャは黄色いエプロンドレスを翻して、師匠の顎をふっくらとした手に撫でた。
「んー……A006とこの子は相性悪いねぇー。やっぱり『生前の感覚』が染み付いてるのかなぁ?」
……せい、ぜん……?
戦闘に澄み切ったはずの意識は、途端にドブ色へと濁り澱んだ。
「そうだよー?だってA006も見たでしょ?クロの生首♪」
綺麗なほどにニコニコと緩む、ふっくらと赤い唇。
真冬の泉にでもぶちこまれたみたいに手先が冷え込んでいく。
俺は夢の中を歩くみたいに、木板の床を映してぼんやりと零す。
「…………だ、だが……師匠は、そこに…………!」
握り込んだ柄の感覚が薄れる。
明るい茶髪のツインテールの影が、その手に空の注射器を握って嬉々と揺れている。
いや……違う!!
見上げて飛行艇の窓枠に首を振れば、みるみるうちに落ちゆく窓外の雲。
揺れているのは、マーシャではない──
「あっ、やっと気づいてくれたの?飛行艇は絶賛墜落中です!安全装置のないアトラクションをどうぞお楽しみに!!」
絶望的な一言に、黄色いエプロンドレスはくるりと回った。
スタンガンのようなものが、師匠の細い首にピシャリと稲妻を弾ける。
力なく崩れる漆黒のローブ。
マーシャは「うんしょ」と、銀行強盗が大金を抱えたみたいに師匠を引き摺る。
先に出会った獰猛なる師匠とはまるで異なる様子に、唇が荒っぽい声を響かせて、小さな背中へ手を伸ばす。
「……待てッ!師匠に何をした!!」
くるりと深紅の瞳が翻って、小さな両手に、芝居がかった身振りを込めた。
「それはねぇ……A006がその目で確かめて……迷って!答えを出してっ!!」
舞台上みたいに張り上がる声。
「それで最後に──」
とそこで、マーシャは不自然にふっくらとした唇を閉ざし、
「──絶望することだよ?」
真夜中の日本人形が、無感情にこてんと首を傾げた。
冷たい予感が、ゾクリと心臓を握り込んだ。
「じゃあねぇ~、キャハハッ!!」
深紅の瞳は嫌に歪んで、再び背を向ける。
もはや身体は上手く動かない。
それでも、その無防備な背中を前に、一瞬のせめぎ合いを惑う。
「……」
師匠が動けない今なら、間違いなく、マーシャを破壊できる。
俺にはその自信がある。
けれど──その間に、『脱出するまでの時間』がなくなってしまったら?
たらりと、額に汗が伝った。
「六月一日隊長!」
「……分かっているッ!!」
義眼に表示された進行ルートを駆ける。
コクピットの扉を潜った。
漆黒の全身鎧が、操作盤らしき機械の横で沈黙している。
「おい、何を寝ているッ!」
反応はない。
巨大な肩部を激しく揺らす。
舌打ちを響かせて、巨大な全身鎧を背負う。
「急いでください!こちらです──」
命のない機械兵どもは容赦なく行く手を阻む。
股下を走り抜ける焦燥の感覚。
俺は全身鎧を押し付けるように通路を駆け抜ける。
息を切らしてハッチの輝きへと手を伸ばす。
……駄目だ。間に合わない。
「む、六月一日隊長!もう時間が──」
悲痛に軋む声が脳内を響く中、とうとう飛行艇は荒野に墜落し──派手に地上へ業火を吹き上げた。
次回の投稿日は9月5日の金曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




