第6話 鏡の中の物語
宗教法人『人世学会』
共栄都市における人類連合軍の隠れ蓑。
表向きには宗教活動に勤しみつつ、秘密裏にスパイ行為や人員勧誘を行っている。
曰く、かつて人類を窮地に陥れたMCは今も現存している。
曰く、共栄都市は人類を管理するために生み出されたものである。
共栄都市設立3年後に勃興したその団体は、信教の自由を盾に、共栄都市の批判を長く続けている。
その刺激的な思想もあってか、世間から傍迷惑な目を向けられつつも、密かに教徒となる者は後を絶たない。
あなたは今日も下らないデモ活動を見て、井戸端会議の話題にウンザリと挙げることだろう。
彼らはニコニコと笑ってあなたに話を合わせながら、その後ろ手を血が滲むほ強く握り締めていることも知らずに。
──不味いことになった。
問題のレベルで言うと、かなり具合が悪い。
そういう種類のトラブルが、いま、『俺たち』を襲っている。
萎れた薄桃色のアホ毛を、入念に手入れしてやっていた最中のことだ。
唐突に扉は動き出し、古びた青いシュシュを廊下に映し出した。
「あれあれ~?もしかして、愛の巣にお邪魔しちゃったかなぁ?」
ふっくらと幼い手が赤い唇を覆い隠して、深紅の瞳をいやらしく歪ませる。
俺は即座に、柔らかい感触を突き放す。
「黙れ。殺すぞ」
「ぁ……」
ふらりと後方に揺れる華奢な身体。
俺を求める乳白色の右手を尻目に冷たく睨んでやって、マーシャへと向き直る。
「あと2日で命が終わっちゃう状況だもんねぇ~。吊り橋効果で2人がくっつくことには私も満足だなぁ!だってその後の絶望が際立つから!!」
黄色いエプロンドレスが、上機嫌に両手をパシンと打ち鳴らした。
「そんなことより、出血大サービスだよ!今からお兄ちゃんの居場所を共有してあげまーす!!」
手のひらサイズの丸い端末が、落ち着いたスイートルームに放物線を描いた。
パシッと、手のひらに固い感触を握り込む。
凡人の現在地と思しき地図情報が、第二区画の郊外に点滅している。
くるくると回る明るい茶髪のツインテールを、俺は鋭く見据える。
「……何が目的だ」
「え?そんなのとびっきりの絶望を味わってもらうことに決まってるじゃん!」
邪悪な笑みに歪んだ幼気な童顔。
弾む声色を最後に、マーシャは扉を閉めた。
スイートルームに取り残された静寂。
アメジストの瞳と翡翠の瞳が、お互いを映し合う。
とそこで思い出したように、深紅の瞳が隙間から秘密を覗き見る。
「あっ、忘れてた忘れてた。絶望夕刊4号をどうぞ!」
差し出された封筒をひったくるように受け取り──ピタリと、腕が硬直する。
思えば、俺は『絶望夕刊3号』を受け取っていない。
コイツが4号とは、一体どういうことなのか。
「タイムリミットは明日の正午だからね。そこんとこだけよろしく!」
疑問が両足を絡み付いているうちに、今度こそ、扉が閉まる音が余韻する。
絶望夕刊三号を受け取った可能性があるのは……日中、ここに居た──
静寂が満ちる間を置いて、俺はフードの底からアメジストの瞳を鋭く睨んだ。
「貴様、絶望夕刊3号をどこへやった」
乳白色の頬が凍えて、硬く声を落とした。
「……六ちゃんは気にしなくていいよ」
「見せろ」
「ヤダ。もう捨てたもん」
ストロベリーブロンドの髪が背後へ揺れる。
あからさまな嘘つきだ。
一歩迫って問い詰めるも、捨てたの一点張りである。
「それより……今回の内容は何かな?ちゃんと確認しないとだよね!!」
振り向いたアメジストの瞳は、お手本のように話を逸らした。
ふざけるなよ。サッサと絶望夕刊3号を見せろ──
言ってやりたいところだが、これ以上追及して、面倒モードの阿呆と対面したくはない。
深々と肩を落として、封筒を破る。
「えーっと……『パルジャック』カルト教団少年少女洗脳事件?」
ピンク色の指先が、記事にギッシリと並ぶ文字列をなぞった。
青少年の洗脳。
カルト教団の巻き起こした殺傷。
記事が綴る内容は、まるで俺達に関係のない概要だ。
けれど、俺達が釘付けにならざるを得なかったのは、
「アレックス・ベルトランって……レックスちゃんのことだよね?」
被害者の1人が、『規格外のサバイバー』である全身鎧と同姓同名である点だった。
「これって、どういうことなのかな?」
「……さぁな。だが、今はアイツのことなんぞ考えても仕方あるまい。明日に向けて体を休めるぞ」
それでタイムリミット2日目は終わり。
シャンデリアが闇色に吞まれる。
柔く沈み込むベッドで目を瞑る。
「……六ちゃん。まだ起きてる?」
なのに澄んだ囁き声は、まだまだ活力に満ちて耳元に手を伸ばす。
目を開くと、当然のごとく、薄桃色の髪が隣のベッドを転がっていた。
「……サッサと寝ろ」
寝返りを打って瞼を閉ざす。
断続的に、ツンツンと指先の感触が肩を触れた。
二度と戻らぬようにへし折ってやろうか。
つくづく思いながら、けれど夜色が部屋を濃く落ちるうちに、意識は深くへと潜り込んで、
気が付くと翌朝を迎えた俺達は、朝っぱらから第二区画へとタクシーを走らせた。
橙色に浸る環状壁のトンネルを抜けると、そこは清廉と陽を差す第二区画だった。
青空を水面に揺らす田園風景。
高速道路を転がる無数の地上車たち。
レオナルドの現在地に近しい通りで、タクシーを降り立つ。
「六ちゃん六ちゃん!あの商店街寄ってこうよ!!」
通り道だとばかりに、紺色の制服は妙なクマのイラストが描かれたアーチへ吸い込まれた。
零れ落ちるため息が、香ばしい匂いが滝のように溢れる表通りへ吞まれる。
雑踏に騒がしい周囲を見渡せば、人混みに紛れて、警備ドローンや警備ロボが蠢いていた。
「アルナ、この近辺は異常に警戒が厚い。何か匂うぞ」
「お惣菜の匂いかな?」
あまりのアホさ加減に言葉も出ない。
古い機械は叩けば治るというから、一度ぶん殴ってみるか。
無言で拳を振り上げる。
アホ毛は堪忍したようにちょこんと丸まった。
「じょ、冗談だよ!!レオくんがやられるかもしれないってことだよね!?」
唇から洩れ出す吐息と共に、振り上げた拳から力を抜いた。
「それもそうだが──この端末機が罠だという可能性は大いにある」
「……これが偽物の位置情報ってこと?」
或いはレオナルドが既にやられて、俺達が誘き出されているという場合も考えられるだろう。
謝意とばかりに差し出された本家コロッケを咥えつつ、軽く頷く。
「あくまで可能性だがな。ここからは挟み撃ちの形で行くぞ。貴様は一直線にレオナルドを追え」
「うん。任せて!」
仄かに起伏した胸部は、薄桃色の唇にコロッケの衣を化粧しながら堂々と張った。
「六ちゃんは大回りしてくれるの?」
「当然だ」
この作戦ならば、一番に奇襲を受けるだろう矢面を阿呆に任せることができる。
俺にとっては、何よりも素晴らしい作戦だ。
赤色のアーチを越えて、俺たちはそれぞれ別な住宅路へ。
花壇を飾る赤いチューリップに、リードを繋がれたメカ犬。
俺は通行人に紛れて住宅路を進み──ピタリと、鳥もちに掴まる。
アメジストの瞳が、その両手に買い物袋をぶら下げていた。
「~♪」
こちらを気にした様子はない。
整った小鼻は上機嫌に何かの歌を鳴らし、路上を弾んでいる。
どうやら目を離した隙に、どこぞでショッピングを楽しんでいたらしい。
淡いベージュのパーカーに、ロングスカート。
服装まで変わっていやがる。
別世界に迷い込んだような硬直に縛り付けられた末に、俺は華奢な影を強引に踏み躙った。
「……貴様、何をしている」
くるりと、アメジストの瞳が軽く俺を見上げる。
「……はい?」
「何をしていると聞いている」
「えっと……どちら様でしょうか?」
華奢な人差し指は乳白色の頬を撫でて、気まずそうに微笑みを作った。
まるっきりの他人行儀。
中々の名演技だ。
或いは先ほどのように、軽いジョークで俺をおちょくっているのか。
眉間がピクピクと、脈打つ音が聞こえる。
「……いい加減にしろ。分かっているとは思うが、これは遊びではないんだぞ」
「……んふふ。新手のナンパですか?私、こういうのは初めてなので嬉しいですけど……」
この期に及んで、アメジストの瞳は嫋やかに緩んだ。
もう、コイツの演技に付き合うのも飽き飽きだ。
今度こそ分からせてやるつもりで、俺が問答無用に拳骨を振り上げて──瞬間、
赤い警報が、街中を震撼した。
「──緊急速報。緊急速報。第二区画Cエリアにて殺人事件が発生しました」
「なに……ッ!?!?」
その大音量は、呼吸を奪うかのように体内を響き渡った。
昼下がりに眠る小鳥たちが、街路樹から空へと飛び出す。
俺は素早くフードを左右へ揺らす。
共栄都市の青空に、巨大なホログラムが出現した。
「容疑者はレオナルド・ブレグマン。しかし複数犯である可能性が高く、防犯ロボットが容疑者及び協力者拘束の為に動いています。市民の皆様は注意してください。繰り返します──」
「その手で来やがったか……ッ!」
思わず路上を踏み抉って、舌を鳴らす。
つまりは、レオナルドを暴走させて、それを口実に共栄都市のルール内で俺達を圧殺する作戦だ。
曲がり角のカーブミラー越しに強行する数多の防犯ロボども。
ここに居続けるわけにはいかない。
青白く染まった小顔へ、一声を浴びせる。
「逃げるぞアルナッ!!」
俺は早速住宅路を蹴り上げようとして、しかし、アメジストの瞳は赤く染まった空に取り残された。
「え……?な、なにが──」
「……何をしているッ!?」
足踏みしている間に、曲がり角から警官帽子を被った防犯ロボが踊り出す。
無数のテーザー銃がこちらを覗いて、瞬く間に弾幕を迫り来る。
「……クソがッ!!」
「……きゃっ!?!?」
手段は選んでいられない。
虫唾が走る心身を握り潰して、華奢な身体を横抱きする。
路上を蹴り上げ、一気に住宅の屋根上へと登る。
「ふん。ガラクタ如きが追い付けると思ったか?」
俺は屋根板をジグザグと鳴らして、余裕にドローンの降らす非殺傷弾の雨を躱す。
そして、腕の中で突風に靡くアホ毛を冷たく見下ろす。
「おい。そろそろ自分の脚で走ったらどうだ」
アメジストの瞳は、胸元で白黒と大きく見開いた。
「ちょ……なんですかそのスピード!!というかどうして防犯ロボに追われてるんですか!?!?」
それはまるで、本気で動揺しているかのような素振りだった。
俺は思わず目を丸め──思えば、『昨日とは何処か違う肌触り』。
……あり得ない。
俺は冷たい風を纏いながら、抱きかかえた少女を義眼で精査する。
嫌な予感というのは、どうしてか最悪の時に的中するものだ。
俺の知る阿呆と比べて、コイツは身長やらが僅かに大きい。
何より抱き心地が違う──
「さ、さっきからなにが──」
「六ちゃん!レオくん回収したよ!でもこっちはちょっと厳しくって……合流できそうかな!!」
──澄んだ高声が鏡のように重ね合わさって、脳内を完璧にシンクロした。
アメジスト色の世界が、ぽっかりと唇を開いた間抜けな俺を、浮かび上げている。
伸ばした指先は暫し宙を泳いで、空間ディスプレイにポイントを打ち込んだ。
「…………合流地点を設定した。空間ディスプレイを併用してそこまで来い」
「……あ˝っ!?もしかしてあなた犯罪者の仲間なんですか!?離してください!!」
今更になって藻掻き暴れる薄桃色の髪。
屋根上を勢いよく蹴り飛ばしつつ、眉を顰めて唾を飛ばす。
「ええい、暴れるな!走り辛いだろう!!」
「なんでこんなことになってるんですか!!」
そんなのは俺の聞きたいことだった。
「私は犯罪者の言うことなんて聞くつもりはありません!」
乳白色の頬は、プイと気丈にそっぽを向く。
俺は背後に大量の防犯ロボとドローンを引き連れて、前方を見据えながら淡々と吐く。
「そんなことは貴様の好きにしろ。だが、この状況で放り投げて無事でいられる自信があるか?」
くいと、アメジストの瞳は目下の住宅路を映し出す。
華奢な両腕が──薄いベージュのフードを深く被った。
「で、出来れば地上の……それも安全な場所に下ろしてくださいッ!!」
偽物でも神経のずぶとさは変わらないらしい。
思わずため息が零れて、お誂え向きに広々とした公園へと行き先を定める。
「注文の多い奴だ。しっかり掴まっていろ──」
踏み壊すつもりで蹴り上げる屋根上。
ふわりと、ロングスカートは風船のように宙を膨らむ。
「……え˝!?ちょ、ちょっと──」
安全地帯を求めて、華奢な腕は俺の首裏へと纏わりつき──
「じゅ、銃……!?!?」
共栄都市の青空に、乾いた音が鳴り渡った。
凍り付く華奢な腕。
黒煙を吹いたドローンと共に、見る見るうちに乾いた土色が迫る。
金属バッドに打たれたような衝撃が、足裏から脳天を突き抜けた。
「す、すごい……」
首筋を伝う感嘆の吐息。
俺は公園に着地した余韻も早々に、即座に偽アルナを引き剥がした。
「……どうやら、俺の人違いだったらしい。死にたくなければサッサと失せろ」
肩先を揺れるストロベリーブロンドの髪に、アメジストの瞳。乳白色の肌。
尻目に映るその姿は何をどう見ても阿呆にしか思えんが、身体的特徴には差異が見られる。
或いは、阿呆の双子なのかもしれない。
華奢な手が、翻った俺の背中へ縋り付く。
「人違い、ですか……?でも私の名前──」
「さぁな」
「ま、待ってください!」
そんな余裕はない。
舞い上がる砂煙が、遊具のない公園を覆い尽くす。
津波のごとく背後から迫る防犯ロボを相手に、俺は鬼ごっこを再演した。
次回の投稿日は9月2日の火曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




