第5話 ロンリーウォーリーミステリー
次回の投稿日は9月1日の月曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!
『消えた天才少年ボクサー 双葉玲也』
アンダー・ジュニア小6の部で優勝した双葉選手。
昨年の小5の部でも優勝を果たしており、UJでは大会二連覇となる。
的確な判断力。鋭い左フック。
何より、相手と距離を詰めるフットワーク。
大人顔負けの技術力には、プロの世界からも注目が集まっていた。
同選手は、2113年1月のインタビューにて、以下のように答えている。
Q. 来年の冬大会にて小5、小6、中学部門の三連覇が見えてきたわけですが、双葉選手の意気込みを聞かせて下さい。
A. 自分よりも強い人達の研究を続け、そこから学び、勝利へと繋げる。
これまで通りのやり方を加速させて、着実に勝ち上がっていきたいです。
以上のように、しっかりと受け答えをしていた双葉選手。
しかし、8月末頃を境に、一切の音信不通となった。
一体、彼の身に何が起きたのか。
専門家は以下のように語る──
────
「な、んだ……これは……?」
それは、身に覚えのない犯罪の証拠を胸元に突き付けられているような感覚だった。
白い落雷が、脳天を貫く。
ぐわりと歪む世界の中、上ずった疑問が、フードの底から迷い込んだ。
「……寄越せッ!!」
「わっ……!」
間隙あって、華奢な手が掴む雑誌を奪い取る。
乱暴にページを捲る音を鳴らした。
ボクシングジムで訓練に励む可憐な少年が、雑誌の至る箇所を飾っている。
青みのある黒髪に、漆黒の瞳。
何より──強きに従い、強きを学び、そして強きを挫く。
その確固たる価値観が、インタビューの受け答えには見受けられる。
このガキは、俺そのものだ。
妙な確信がばくりと跳ね上がる心臓に染み渡る。
それでも、目前の雑誌を信じ切れぬのは──
「……六ちゃんってさ、本名じゃなかったの?」
──天才少年ボクサーの名前が、双葉玲也とされていること。
俺は……六月一日理人だ。師匠が名付けてくれたのだ。
となると、雑誌に映る俺は、『何かに巻き込まれて』荒野に目覚める以前。
つまりは、俺は元々共栄都市で生活を、
──お気の毒ですが、あなたは殺処分の対象に選ばれました──
「ッ……!!」
頭の核に鋭利な亀裂が走った。
床を開く暗い大穴。
足元がふらついて、背後へと引き摺り込まれていく。
「どう、なっている……」
ソファに沈んで額の汗を触れたところで、インターホンの音が返事を寄越した。
「あ~あ、それ明日の夕刊にしようと思ってたんだけどなぁ~」
「マーシャ……ッ!」
深紅の瞳が嫌に細みを帯びて、ソファに項垂れる俺を映す。
例にもよって、臨戦態勢に立ち上がる者が一名。
しかし、流石に昨日で学習したらしい。
剥き出しの犬歯は、鋭い威嚇を突きつけるのみだ。
ふっくらと幼い手が、成金みたいに封筒をひらひらと揺らした。
「はいはい皆さんお待ちかねの今日の絶望夕刊だよ!よ~く読んでたっぷり絶望してねー!」
相変わらず、趣味の悪いガキだ。
が、今は情報が必要だ。
ともすれば、記憶喪失に関する記事が内封されているかもしれない。
危険ドラッグに縋る廃人を見たように、ふっくらとした唇がニマリと歪む。
「キャハハッ!!じゃ、また明日~!!」
明るい茶髪のツインテールが扉の向こうへ消えた瞬間、俺はすぐさま封を破る音を響かせた。
封筒の中から現れたのは──公文書らしき、1枚の紙切れ。
「『規格外処分システム』……?」
共栄都市に適応される絶対的ルールが、そこには記載されていた。
規格外処分システム。通称I・D・S。
全ては、より良い遺伝子を繋ぐために。
時は2090年。共栄都市は規格から外れた人間を処分するシステムを構築したらしい。
内容は単純明快、規格から外れた人間の除外。
そこから読み取れるに、俺は、
「処分されただとッ!?」
釣り針で引き揚げられたみたいに、ソファに沈んだ身体が吹き飛んだ。
何故、この俺が規格未満のガラクタとして扱われたのか。
まるで理解できない。
記憶にはないが、俺は天才少年ボクサーだったのだ。
明らかに、そこらの一般人よりは優れた才能を持っていて、
「I・D・Sは思想や素行も評価対象に含めているからね。六月一日隊長はそこに引っ掛かったんじゃないかな?」
「……当然、だ……俺が劣等など……あり得んッ!!」
自分に言い聞かせるようにして、荒く息を吐き出す。
四方から混沌と入り乱れる思考に、頭の中は毛玉みたいに縺れ合っていた。
「六ちゃん……晩ごはん食べないの?」
「……貴様らで先に食っていろ」
豪勢に皿を並べた食卓から覗くアメジストの瞳。
手のひらを額に当てたまま、動き出せない。
身体がソファに張り付いて、乾いた唇が震える。
結局その晩、俺は1口も食事が喉を通らぬまま、赤い絨毯と向かい合った。
布を擦れる囁きに、浅く揺蕩う意識はすぐさま瞼を開いた。
世界を焼き付ける眩い白光が、春霞に曇った青空から降り注いでいる。
ぼやりと窓枠を浮かぶ、背伸びしたビル群。
華奢な手のひらが、毛布の上から俺の肩を揺らす。
「六ちゃん、起きて!大変なのっ!!」
どうせ、朝食に出された肉が培養産だったとか、そんな下らん話だろう。
俺は鼻から盛大に息を吐き出し、世界を重くを閉ざしたまま寝返りを打って、
「レオくんが出て行っちゃった!!」
「なんだとッ!?」
アホ毛に投げつけるつもりで、被った毛布を思い切り吹き飛ばした。
フードを左右に激しく揺らす。
スイートルームに深紅の瞳は見当たらない。
眠り落ちたソファの端には、置手紙が挟み込まれている。
『第二区画にマーシャがいるはずなんだ。3日目には戻るから、心配しないでほしい』
「貴様が行くから不安なのだ……!」
思わず口先に零して、しかし、レオナルドはもうここに居なかった。
「わたしもさっき起きたばっかりで、それで……!」
「手分けしてあの馬鹿を探すぞ!!」
ワゴンカーに湯気立つ朝食を乗せた荷台とは真逆に廊下を走り出す。
ホテルを出て右手を俺が。左手をアルナが。
ガラス張りのビル群が巨人のように闊歩する街中を闇雲に駆け回る。
空間ディスプレイに釘付けとなった通行人に肩をぶつける。
電動キックを利用する者と並走する。
熱い吐息を短く吐き出しながら、画一的なストリートを彩る店々の間で首を振る。
しかしなにぶん、アイツは存在そのものが周囲の景色と同化しているような奴だ。
せめてレイがいれば正確な位置情報が。
いや、無い物ねだりか。
『人世学会第三区画支部』
横目に映る仰々し石看板。
レジスタンスが共栄都市で隠れ蓑に利用している宗教団体だ。
俺はそこを境に来た道を引き返して、ぽつんと俯くアホ毛を見つけた。
「貴様も外れだったか」
歩道を重なり響く足音に紛れて、ポツリと訊く。
返事はない。
萎れたままのアホ毛へ、淡々と人差し指を向ける。
「ならば、次はあちらへ──」
しかし言い終える前に、アルナは顔を伏せたまま小さく声を震わせた。
「……ごめん。わたし、ちょっとホテルで休むね……」
それだけ残して、紺色の制服は頼りなく人混みに消えた。
意味は分からないが、やるべきことは変わらない。
まだ探していない歩行者天国へと走り出す。
青空の頂点が輝いた頃、俺はひとまずの見切りを付ける。
「……まぁ、明日に帰ってくるのならば良しとするか」
街中に居る限りは、おいそれとは襲われないだろう。
俺はローブを翻し、中心街を走り回った中で見つけた有意な道草を食った。
春の小風が街角を駆け抜ける。
街路を彩る桜色の香りが春霞を揺らいで、芝生の海の果てに、ガラス張りの図書館を浮かび上げた。
木板の道を踏んで両開きの扉を抜ければ、緩やかな球形を天井に描いた真っ白な世界が広がる。
見渡す限りの本棚たちは、入館者へと情報の暴力を静寂に叩き込んだ。
俺は目的を果たす為に、迷わず閲覧室へ立ち入る。
空間ディスプレイを四方八方に展開し、海底みたいに青い光を浴びる。
どうして、『規格外処分システム』などというルールが共栄都市でまかり通っているのか。
それは平和の維持の為だ。
凶悪犯罪を未然に防ぐ為だ。
共栄都市の検索エンジンは体のいい言葉ばかりを寄越す。
果たして市民はそんなにも平穏を愛しているものなのだろうか。
「記憶さえあれば……その実感も湧くのだがな」
ルールの根底に触れる情報を求めて、記事を捲ってはまた次の記事へと斜め読みを繰り返す。
とその最中、とある記事が釣り竿をヒットする。
「ロボット三原則……か」
人間へ危害を加えぬこと。
命令に服従すること。
以上2点を除き、ロボットは自己防衛すること。
この規定のお陰で、万が一にも、AIは人民を危機に晒すことはできないのだろう。
と考えれば──『規格外処分システム』。
それは、荒野への追放という形で直接的な危害を回避しているということだろうか。
「……なるほどな」
指先で顎を撫でながら、深くローブを縦に振る。
アドラが俺や師匠にレジスタンスの破壊を委任していた理由もスッキリとした。
アドラ自身は、人民に手を出せなかったのだ。
1つ疑問が残るとすれば──アドラはなぜ、俺を攻撃できたのか。
……或いは規格外と認定されたソレは、もう人間未満として扱っても良いということなのかもしれない。
「まぁ……こんなものだろう」
共栄都市のネットワークは当然の如く、レジスタンスについて一切の言及していない。
閲覧室の扉を潜り、図書館を発つ。
西日に浸る街影をすり抜け、最後に、妙に落ち込んだ阿呆の向かった方へと足を伸ばしてみる。
「なぁ、お前ワクチン打ったか?」
「面倒だけど打たなきゃだよなぁ」
白亜の巨塔が聳え立つ通りまで歩いたところで、俺はそこが至って普通の道筋であることに思い知った。
「……チッ」
どうやらあの阿呆は、捜索作業をサボりたかっただけらしい。
今頃は、お菓子パーティーでも開いている頃だろう。
帰路へと着いて、ドアノブに手を掛ける。
俺は深々と息を吐きながら、勢い強く扉を引いて、
暗く澱んだアメジストの瞳が、布団の闇に蹲る様子を見た。
ストロベリーブロンドの髪先が、純白のベッドをゴミ屋敷みたいに散乱している。
微かに洩れる嗚咽だけが、薄暗がりの個室を沈み込んだ。
俺はドアノブに手のひらを掛けたまま、ぽっかりと、唇を開く。
「お、おい……貴様……」
喉奥を引き攣る大きな戸惑いに、ピクリと、華奢な身体は震えた。
「……ろ……六ちゃぁん……!!」
布団の闇から漆黒のローブを覗く、揺れたアメジストの瞳。
乳白色の華奢な右腕が溺れた闇の中から這い出して、俺の胸元へと縋り付く。
酷い金切り声が、身体の内側に溜まった混沌を吐き出した。
「ねぇ……何も思い出せないの! いっつも暗い場所で寝て、起きて……やだ……ッ!!」
「……落ち着け」
短く声を返すも、阿呆は聞く耳を持たない。
胸倉を掴み掛かる馬鹿力は痛いほどに力を帯びていく。
背筋を貫く悪寒はその度に、皮膚の下に蛆虫が蠢くような感触を増す。
「わたしは誰なの?昔はどんな子だったの??誰か教えてよッ!!」
「落ち着けと言っているだろうッ!」
思わず、狂乱するアルナの腕を強く押し退けた。
まるで魂の抜けた身体は、呆気なくベッドへ吹き飛ぶ。
アメジストの瞳は尻餅を突いたまま、漆黒のローブを怯えに映した。
「わたしじゃない誰かがわたしに混じって、溶けて混ざって!?独りはやだ……やだやだやだやだ──」
乳白色の素足が、一歩、2歩と、毛布を頭に被ったまま後ろの窓へふらつく。
死神は細く微笑んで、妖しく光る非常脱出口へとアルナを手招きする。
闇中を泣き腫らす迷子を前にして、こういう時、何をしてやればいいのか。
そんなことは1つとして知らない。
けれど、他人の心へ手を伸ばす為に、俺が取るべき行動とは、
「ぁ……ぇ……?」
戸惑いに満ちた掠れ声が、薄桃色の毛先と共に俺の耳元を擽った。
溢れ出す喉元のえずき。
グッと呑み込み、人肌の温かさを身体に寄せ付ける。
萎れたアホ毛を、わしゃわしゃと、いつかのように模倣する。
「……記憶がないからどうした。思い出せずとも、今ある貴様も俺も変わらんだろう」
間隙、アホ毛は石化の魔法に掛けられたみたいに動かなかった。
程あって、おずおずと、胸元から覗き上げる。
「六ちゃんは……怖く、ならないの……?」
「ならん。だから……一度、深呼吸をしろ。下らん悪夢には目を瞑れば良い」
すべすべとした紺色の制服越しに、背中を柔く叩く。
その温和なリズムに、アメジストの瞳は弱々しく長いまつ毛を伏せていく。
「……うん」
背中に腕が触れる気配があって、胸元に、温かくて柔らかい感覚が埋まった。
……何も思い出せないと言っている辺り、この阿呆も、規格外システムに処分されたのかもしれん。
俺はいま目の前で起きている出来事から意識を逸らすべく、明日の計画に思いを馳せた。




