第4話 そして絶望の種は撒かれた
汎用型AI搭載ロボット『ピクロス』
ビッグデータにより人間を模倣したロボット。
ただし、人間と違ってクオリアを有さない。
時に同僚として、時に友人として、彼らは街の至る所で人と共存している、
かつてアニメ大国と謳われた島国では、キャラクター達に次元の扉を開かせた。
けれど彼らがMCと共に銃を握った時、その扉は再び閉ざされたのだ。
黄色いエプロンドレスの裾をかぼちゃみたいに揺らす影が、メルヘンチックに廊下を踊っている。
玩具の宝石に輝く小さな靴。
明るい茶髪のツインテール。
薄汚れた、青いシュシュ。
スイートルームの扉を1枚挟んで、おとぎの国との境界線が、現世に降臨する。
「あっれ~? みんな反応鈍いなぁ」
くるりと丸い深紅の瞳が、上目にシャンデリアを映し出した。
それは、見る人が見れば、つい屈んで可愛がりたくなる姿だ。
けれど──真っ白な歯の奥から滲み出す悪意。
薄ら寒い予感が、ローブの下に隠した小銃を腕に掴ませる。
と同時に、くすぶる火種が背後を燃え上がった。
「……マーシャッッ!!」
「わぁ!おにーちゃんからの熱烈な歓迎だぁ!」
狂い上がる赤い咆哮。
俺は腕を伸ばして、勢いづいたカーディガンを掴む。
紺色の制服が、時を同じくしてもう片方の右腕を絡め取る。
鎖に縛り付けられた深紅の瞳はバッと振り返り、猛烈な敵意をこちらにさえ浴びせる。
「何をするんだ!マーシャの殺害は僕たちの任務だろう!!」
「人工知能を無策で破壊できると思っているのか!」
「街中で騒ぎを起こしちゃったら、向こうの思う壺だよ!!」
負けじと盲目なる馬鹿へ唾を飛ばす。
俺はフードの底に皺を寄せて、後ろ手を組む深紅の瞳を睨んだ。
「貴様……ホテルにわざと空き部屋を作ったな」
「とーぜん!私は今や共栄都市唯一の管理者だよ?都市のすべては手のひらの上なのです!」
ドレスを纏った平たい胸が、ピンと偉そうに自己主張する。
俺達の会話。動き。全てがコイツに筒抜け。
その上で圧殺作戦を仕掛けて来ないとなると、どうやら戦力が整っていないというのは本当の話らしい。
僅かな情報から密かに疑問を解消する。
「そんなことよりさ、みんなには『絶望夕刊』をプレゼントしに来たんだよ!」
「……ぜつぼーゆーかん?」
飴をくれる不審者と出会ったみたく、薄桃色のアホ毛は奇妙な単語へと引き寄せられた。
「はい、どーぞ!」
肩に下げられた鞄は、一枚の封筒を吐き出す。
華奢な手先は無条件に受け取った。
用が済んだとばかりに、ツインテールは翻る。
「ま、待て……ッ!!」
ゴキブリみたく足元を這いつくばる凡人が、小さな背中を捕えんと手を伸ばす。
マーシャは気にも留めず、おとぎの国へと帰っていく。
「それじゃあ、たっぷり絶望して終わりの時を迎えてね~!」
その甲高い不協和音は邪悪に一室を木霊して、いつまでも耳を余韻した。
重々しい沈黙が、扉を揺らしたままのスイートルームを響き渡っていた。
暫くはマーシャに追い縋ろうと藻掻いたレオナルドも、次第に正気を取り戻して安静化。
憎悪の炎が風に消えて、消沈と牛革のソファにもたれ込む。
「とりあえず『絶望夕刊』読んでみようよ!何か分かることがあるかもしれないし!!」
いつもどこでも能天気なアホ毛は、澱んだ静寂を我が物顔でぶち破った。
無音の世界を、とてとてと駆けるスニーカー。
ほわほわと快活な笑みが、明らかに罠な封筒を勢いよく千切る。
「馬鹿!貴様──」
カチリと起爆音が鳴って、黒く弾ける封筒。
と思われたが、黒煙の代わりに肺を流れ込んだのは、独特な紙の匂いだった。
一枚の切り抜き記事が、茶色い封筒から顔を覗かせる。
「……ブレグマン家惨殺事件?」
アメジスト色の瞳が、白黒記事の写真を映した。
構成的に家族だろうか。
父、母は事件により刺殺。妹は頭部への打撃により死亡。
兄……まだ幼さを残したレオナルドだけが生き残ったと、記事は綴っている。
華奢な指先が、それぞれ写真の兄と妹を示す。
「これって……レオくんとさっきの子だよね?」
静寂に響く時計の音が、世界を過去へと巻き戻した。
「……簡単に言えば、あの人工知能は、僕の妹に扮していたんだ」
紛れ込むような一言を吐いて、ソファに沈む深紅の瞳は深々と伏せる。
裏の記事を見てみてよ。
レオナルドに言われ、裏返す。
桜ヶ峯行方不明事件。
更に数年前の事件だ。
行方不明者は、ブレグマン家の妹。
となると、凡人が言う成り済ましとは──
「妹は、そっちの事件で行方不明になったんだ。それで、数日後に発見された妹は……」
「──既にマーシャが成り代わっていた、と」
確信を以て目をやる。
ソファ上で、握り締めた拳が強く震えた。
「あぁ。僕らは何一つ気が付かずに過ごしていたさ。奴が……両親をずたずたに引き裂くまでは、ね」
深紅の瞳は一度、煮え滾るモノを腹の底へ鎮めるように世界を閉ざす。
「中学校から帰って来た僕は腰を抜かしたよ。なにせ、両親の死体と血濡れの包丁を握る妹がそこに居たわけだ」
「それから、アイツは盛大な種明かしをしてくれたさ。自分は行方不明の妹に成り代わったこと。妹が既に死んでいることも……なッ!!」
床を激しく踏み鳴らす音に、蝋燭を模した明かりが不安定に影を揺らした。
「必ずアイツは僕が殺してやる……ッ!!」
憎悪に黒く焼け焦げた、深紅の瞳。
それは曲がりなりにも、数年を過ごした家族へ向ける目ではない。
凡人はソファから立ち上がり、スイートルームの外へと真っ直ぐに足を進める。
誰が見ても分かる危うい姿に、思わず手を伸ばす。
「おい、何処へ行くつもりだ」
「少し夜風に当たって来るだけだよ。それぐらいは自由だろう?」
パタリと、扉の閉まる音が響いた。
……まったく、面倒な奴を任務に連れてきてしまったか。
暗い窓枠に輝く街灯りを眺めて、俺は浅く息を吐いた。
朝陽が遥か青空から降り注いで、スイートルームを淡く照らしている。
控え目にノックが響いて、ホテル用アンドロイドが朝食を運び込んだ。
落ち着いた一室で健康的に陽の光を浴びながら、各々は木目の食卓に着く。
「やっぱり本物のお肉ってすっごい美味しいね!!」
「その分、ここはお高いホテルなんだけどね……」
かちゃかちゃと皿を鳴るナイフの音に、穏やかな声が花を咲かせた。
俺は紅茶を熱く喉に流し込み、茶葉の香りを鋭く吐く。
「貴様ら、呑気に話している場合か。タイムリミットはあと2日だぞ」
現状、俺達は脱出ルートを見つけ出し、且つマーシャの暗殺を企てねばならない。
「まずは、本当に出入り口が封鎖されているかどうか確かめようか」
「諜報部の人たちが何処かに隠れてないかも気になるよね!居てくれたら脱出ルートとかもあるかもしれないし!!」
フリスビーみたいにパンを咥えて、薄桃色の髪を揺らす子犬。
阿呆の割には上等な意見だ。
熟成した赤身の肉を口の中に溶かし、軽く頷く。
少なくとも本日のところは、出入り口の確認と生き残り探しに専念するべきだろう。
「それなら、僕にも覚えのある拠点があるよ」
「よし。そうと決まれば出るぞ」
朝食を終えてホテルを発つ。
薄着の羽織を纏った誰彼が、朝の冷たい春風に震えて身体を抱き締めている。
行き交う人混みの流れに逆らって、ロータリー前のタクシーに立ち入った。
「どちらまで向かわれますか?」
「正門前だ」
窓の外を過ぎゆく、お洒落な店の看板たち。
空間ディスプレイをながら歩きする通行人が、早送りに流れる。
車線を並走する地上車は、太いトラック道へと移行するにつれて姿を消した。
段ボールを持ち上げる作業ロボットと物資輸送用の倉庫がひっそりとたち並び始めた頃、俺たちは共栄都市環状部へと到着する。
「わっ……壁って大きいんだね」
灰色の守護壁が、地上に影を落として世界を圧迫していた。
見上げれば、その巨壁は次第に鬱蒼とした森林へと変じていくが──それはさておき。
「やっぱり……外壁をよじ登るのは難しいだろうね」
「……強行突破もちょっと難しいかな?」
「機械兵如きはどうとでもなるが、問題は門の方だ。アレの開け方は俺も知らん」
地獄の門番が徘徊するは──固く閉ざされた、鋼鉄の大扉。
正規に共栄都市を出入りする手段は、あそこを通る道ただ一つだ。
「じゃあ……門を壊してみるとか?」
無理だろう。
そも、今は弾薬も満足に補充できない状況だ。
機械兵と交戦するには──
「……いや、待てよ」
不意と頭を浮かんだ一手に、指先で顎を撫でる。
『あそこ』に戻れば、多少は状況もマシになるか。
マーシャが抑えてさえいなければ、共栄都市を脱出するルートにも1つ心当たりがある。
「どうかしたの、六ちゃん?」
「……これ以上突っ立っていても仕方がない。次は拠点へ向かうぞ」
「了解だよ。僕が案内しよう」
兎にも角にも、門からの脱出は難しそうだ。
俺達はタクシーに乗り込み、清廉と鮮やかな街並みが広がる第三区画中央へと舞い戻った。
辿り着いたスパイの隠れ家は、極めて凡庸なマンションだった。
ゴミ捨て場に取り残された袋を、カラス達は器用に啄んでいる。
レオナルドがエントランスで暗号を打ち込み、通過。
104号室の前で、再び暗証番号を入力する。
「……あれ?鍵もう開いてるよ?」
嫌な予感と共にドアノブを引き──かすかに残った鉄錆の香り、廊下に拭き取られた血痕。
薄暗い部屋は、通信機だけを残して静かに眠っていた。
「やはりもの抜けの殻か」
「……クソッ!マーシャの奴め……ッ!!」
大きくも小さくもない拳が、遠慮なく廊下の壁を叩き鳴らす。
今すぐにでも行方も知らぬマーシャを追って、何処かへ駆け出しそな様子だ。
「焦っても仕方がないだろう。外との通信は出来ないのか?」
深紅の瞳はハッと硬直する。
翻って、部屋に取り残された通信機の電源を入れた。
ピロリと、機械音が静寂に溶ける。
青いライトが室内を深海みたいに満たす。
キーボードを叩く音はリズミカルに響き、しかし、途中でピタリと止んだ。
「……完全に都市側の管理に置かれている。こうなったら、もう無理だよ」
「そうか」
マーシャもそう簡単に、俺達に尻尾を掴ませるつもりはないらしい。
分かってはいたことだが、それでも両肩は僅かに落ちる。
昼下がりに、埃臭い住宅マンションを発つ。
青空に恵まれた住宅路には、身体の一部を義体にした高齢者が、呑気に偽物の平和を散歩していた。
「レオナルド。他に知っている拠点はあるか」
「僕は第二区画担当だったからね。第三区画のことは、これ以上は」
ゆっくりと、目に掛かった明るい茶髪が横に揺らぐ。
「ならば、ひとまずは終わりか」
くるりと、アメジストの瞳が太陽のような輝きを帯びた。
「自由行動の時間!?お買い物しても良いかなっ??」
俺はため息を吐き鳴らし、アホ犬の手綱を放す。
「……好きにしろ。しかし、必ず時間通りに返って来い」
「やったー!!」
紺色の制服は両手を空に投げ出して、表通りの人混みへと消えた。
最悪アイツは迷子になっても良い。
寧ろそのまま共栄都市に永住して、二度と俺にその面を見せないでくれ。
同じく翻るベージュのジャケット。
しかしその背中には、きっちりと釘を刺しておく。
「マーシャと接触したなら、すぐさま連絡しろ。決して無謀なことは起こすな。良いな?」
「……分かっているよ」
深紅の瞳は渋々伏せて、別な方向へと住宅路を消えた。
各々自由に過ごしたのち、スイートルームに帰還。
午後6時になっても全員が集まらなければ、残りの連中でソイツを探しに行く。
そういう約束だ。
スイートルームの古時計が、午後6時を知らせる。
ソファに座り込むのは──凡人だけだ。
「……まさか、本当に迷子になったわけではあるまいな」
俺は安楽椅子から重い腰を上げて、捜索に移ろうとしたところで、
「六ちゃんただいまっ!」
阿呆が大量の買い物袋を両手に、扉をガチャリと開け放つ。
素早く時計を見上げる。
時計の長針は、既に頂点から3つ分動いていた。
「遅いぞ。集合時刻は守れ」
「ご、ごめんね六ちゃん!でも代わりにすっごいお宝見つけてきたんだよ!!」
どうせそのお宝とやらは、共栄都市の店々で爆買いしたガラクタのことだろう。
「みんなの分のパジャマも買って来たんだけどね、これ本物のブランド品で──」
買い物袋はあれこれと商品を吐き出す。
それを手にとってははしゃぎ倒す阿呆を、フードの底から睨む。
やがて、一冊の雑誌が、華奢な手に選び抜かれる。
「じゃじゃーん!今日の目玉商品!!」
タイトルは、『消えた天才少年ボクサー双葉玲也について』。
ばくりと、心臓が胸から飛び出す勢いで跳ね飛んだ。
「……ッ!」
まるで見覚えのない雑誌
だのに、表紙から目が離せない。
反射的に雑誌へ手を伸ばす。
気が付いたほわほわと快活な笑みは俺に向き直って、無遠慮に表紙の少年を指差した。
「これってさ……六ちゃんがちっちゃい頃の写真だよね!」
雑誌の表紙を飾るのは、確かに『俺の輪郭を持つ何者か』だった。
次回の投稿日は8月31日の日曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




