第3話 悪意が射す
共栄都市 file2
第一区画、第二区画、第三区画。各区は円状の壁に囲まれ、共栄都市の内部で3つに分かれている。
施設や都市構造の差異はほとんど見られない。
しかしながら、第一区画には富める者が住まい、第三区画には貧しき者が住まう傾向にある。
あまねく労働がロボットにより実現した結果、人類は職業という概念から解放されるはずだった。
けれど、人と労働とは決して切り離せぬものだ。
職業は趣味として成立し、職業を通じて名声を集めることこそが、彼らのステータスとなっている。
春に舞い散る殺戮の飛沫が、平和に揺蕩う世界を赤く染め上げている。
水面に堕ちたトンボみたいに、死体はビクリと痙攣する。
突如として踊り出した血染めの機甲人形に、各人が取った行動は様々だった。
「……ッ!!」
緋色の瞳を見開いて直立する凡人。
奇怪な声を発して、薄桃色の横髪を揺らす阿呆。
すぐさまローブの内側に右手を伸ばし──颯爽と小銃を構えた俺。
「何をボケっとしている!サッサと周囲の索敵をしろッ!!」
額から伝う一筋の汗粒。
何が何だかよく分からんが、状況は最悪だ。
案内人であるモブ以下のスパイが殺された。となれば、俺達の動向は既に──
「キャハハッ!バレちゃってるよねぇ?A006♪」
白亜のアンドロイドはぎこちなく頬を歪めて、嬉々と金切り声を弾ませた。
──コイツは、何か、不味い。
ゾクリと、悪寒が背筋を囁く。
俺は唆されるがままに、右手に握った小銃のトリガーを引く。
「流石に良い腕してるなぁ~」
くるぶしを撃ち抜かれた汎用型ロボットは、コンクリートにのっぺりと白い片膝を突いた。
俺は漂う硝煙の向こうに、無機質な眼窩を見下す。
「さて、貴様からは色々を聞き出させてもらうおうか」
白亜のアンドロイドはあっさりと立ち上がり、血濡れの右腕に手招きする。
「どっちが上の立場か分かってないのかなぁ?ま、取り敢えず荷台から出て来なよ!」
「……」
導かれる形で、俺は薄闇から降り立った。
会談の舞台は、街外れの丘陵だった。
黄色いHマークが並ぶドローンの発着場には、巨大な倉庫だけが佇んでいる。
敵影は見えない。
フードを左右に揺らして、音のない静寂を確かめる。
「……鳥籠のカナリアとは、随分と粋がったことを言ってくれたな」
人工的な流線を描いた指先が、固い頬をあざとく撫でた。
「別に、大言壮語しているつもりはないよ?もう共栄都市の出入り口は抑えたわけだし?」
ふざけた言動は癪だが──つまりは潜入は開始時点から、俺達の動向はゼウス側に把握されていたということ。
何者が目前のアンドロイドを操っているのかは、断定できない。
しかし、機械音声越しでも分かる幼げな話し方から察するに、コイツは。
「ふん。にしては俺達を殺しに来る余裕はないらしい」
「ご明察~!いまは出入り口の警備を固めるので精一杯!カナリアさん達には戦力が整うまでの3日間の猶予が残されてるよ~!」
──3日間。
それが、俺達に与えられた脱出までのタイムリミットだった。
地面から生えた薄ら寒いモノが足先に纏わりつく。
振り落とすように軽く足を動かした。
光のない眼窩が、俺とアルナを交互に映し出す。
「それに……うん。ちゃんとお招きしたかった人達も来てくれたみたいだしね~」
それからおまけとばかりに、玩具の目玉はギョロリと凡人を覗いて、
真っ白な唇が、悪意混じりに白いガスを洩らした。
「あとは……ついでにお兄ちゃんも?」
「……ッ!」
烈火の如き視線が、機甲人形へと躊躇なく小銃をぶっ放した。
春先の空気が銃声に弾けて、耳奥を鋭利に切り裂く。
銃口から飛び出した弾丸は、瞬く間に、白亜の胸部を食い破った。
風穴に貫かれた機甲人形が、パタリと仰向けに倒れ込む。
乾いた静寂が肺底を満ちるだけの間を置いて、俺はローブを背後へ翻す。
「……貴様ッ!せっかくの情報源を──」
が、幸か不幸か。
それは芝居に過ぎなかったらしい。
痛みを感じぬ鋼鉄の身体は、ゾンビみたいに人間の関節の動きを無視して立ち上がる。
ニヤリと、白い頬が歪に緩んだ。
「もう、相変わらず手が早いなぁ、『お兄ちゃんは』」
「やっぱりお前なんだな……マーシャッ!!」
──やはりか。
平均的な唇が飛ばした唾に確信する。
この度の任務における標的、第3の人工知能『マーシャ』。
アンドロイドを操っている者の正体は、影の魔王だった。
「それじゃあ、カナリアの皆さんには絶望の3日間を!」
機甲の両足が大きくバネを刻む。
カエルみたいな跳躍が、一挙に配達倉庫の屋根へと消えていく。
「待てッ!!」
煮え滾った叫び声が、機甲人形を掴むことはない。
代わりとばかりに口を開くは、大型倉庫。
赤い単眼が闇の中を無数に光って、扉の底からネズミの群れみたいに雪崩れ込んだ。
「……えっ!?戦力はまだ整ってないんじゃないの!?」
「敵の言葉を真に受けてどうするッ!」
街から離れた立地を活かして、機械兵は遠慮なく銃撃音を轟かせた。
素早く腰へ手を伸ばすも、伝う感触は空虚だ。
路上を蹴飛ばしてトラックの運転席に駆けるも──やられた。ギターケースごと、光剣がひしゃげている。
振り返って臨戦態勢に腰を落とす。
目に掛かった茶髪が、風に飛んだ紙幣を掴むように屋根上の影へと追い縋っている。
「逃がすかぁッ!マーシャッッ!!」
流れる銃弾にも気が付かぬ無我夢中っぷりだ。
俺は浅く嘆息を吐き出し、グイと、後ろから腕を掴んでやる。
暴れ狂う猪は、俺を強引に振り払った。
「僕は……ッ!僕がマーシャを殺すんだッ!!邪魔をするなッッ!!」
一点に盲した深紅の瞳は、まるで昏く濁り切っていた。
今のコイツは危険だな。
思ったが吉日、即座に凡人を押し倒す。
路上に組み伏せた深紅の瞳を見下し、淡々と吐き付ける。
「ぐぁ……!?」
「そんなことは貴様の好きにすればいい。だが、どう考えてもアイツは本体ではないだろう。今はこの場を切り抜けることだけ考えろ」
とそこで、レオナルドはようやく自らの愚行を理解したらしい。
いや、俺という障壁により、欲望のままに動くことが阻まれることを悟ったのだろう。
地面に擦り切れたb頬がみるみるうちに歪んで、振り上げた拳をアスファルトに打ち鳴らした。
「……クソッ!!」
「アルナ!丘陵を降りるぞ!奴らも街中で暴れることは出来ん!!」
「りょーかいっ!」
薄桃色の髪が肩先に揺らめいて、機械兵の陣に銃声を響かせながら蝶のように舞う。
万が一がないよう、凡人の腕を掴んで丘陵を逃走。
都会の喧騒が大きくなるにつれて、機械兵たちは木立から引き上げた。
土と緑の香りに転がり落ちれば、網目構造の幹線道路が、囲碁のように視界を開ける。
やがては、上空を飛ぶエアカーの影が地上に落ち、行き交う人々やアンドロイドが米粒のように思える巨大な街が俺達を呑み込んで、
「わっ!ホントに青空の下に街があるんだね!!」
共栄都市第三区画の中心街へと、俺達は命からがら迷い込んだ。
魚群のごとき配達ドローンが、街路樹の林冠を整然と走り抜けている。
無音に風を切る地上車。
化粧品の広告を映すビルのホログラム。
人為的に清浄された空気が街へと流し込まれて、爽やかに鼻腔を浸す。
その清廉とした有様が──共栄都市第三区画、その中心街。
しかし、それらの光景に見覚えはない。
俺が住んでいたのは、薄汚い歓楽街だからだ。
「ねねっ、これからどうするの?」
ふわりとストロベリーブロンドの毛先が、茜色を浴びて黄昏に馴染む。
見慣れぬ街中を行ったり来たりしているうちに、狭苦しい空は懐かしさを帯びた。
石灯籠のように浮かび上がる道端の街灯が、ローブの影を歩道に落とす。
「ホテルで一晩を明かすぞ。奴らも街中で暴れることは出来んからな」
共栄都市の根幹は、平和にこそある。
秩序を統制するゼウス側は、街中で物騒なことをしでかせない。
食える時は食えるうちに、休める時は休めるうちに。
人の多い中心街を拠点にするのは、正しい選択だろう。
「異論はないな?」
「ないよっ!」
薄桃色のアホ毛が、器用にもぺこりと大きく頷く。
コイツは良い。
問題は──先ほどから、人生の賭けに負けたみたいに項垂れている凡人だ。
「……」
この状況で最も困るのは、個人による独断と暴走。
今それをしかねないのは、レオナルドの方だった。
「貴様も構わんな?」
「……あぁ。それで良いと思うよ」
燃え尽きた線香花火みたいに、深紅の瞳は弱々しく伏せた。
うぃんと流暢に開くホテルのエントランスドア。
大理石の床を乱れ響く硬質な足音に、カウンターに立つ受付のアンドロイド嬢がにこやかに頭を下げる。
「ようこそ、共栄ホテルへ。ご予約様でしょうか?」
「一泊したい。部屋は空いているか」
ホテルの共用空間ディスプレイが出現する。
個室が3つと、スイートルームが1部屋。
奇妙なほどに、お誂え向きに空き部屋が用意されていた。
俺は個室の3つへと指を滑らせる──はずが、『目前を割り込む薄桃色の髪』。
「スイートルームにしよっ!」
そう言ってピンクの爪先は、素早くスイートルームの項目を叩いた。
ふぉんと軽快な音が、空間ディスプレイに最終確認の項目を浮かべる。
黄金比に端正な顔つきが、ニコリと、カウンターの向こうから首を傾げた。
『こちらでよろしいですか?』
良いわけがないだろう。
OKボタンへ触れんとする華奢な指先。
へし折るつもりで握り込んで、キャンセルボタンを叩かせる。
「あだっ!?」
耳障りな痛苦が目前を騒ぐ。
間隙あって、薄桃色の髪がぶわりと頬を撫でた。
「……なんでキャンセルするの!!」
ロビーを響き渡る喚き声に、多種多様な目線が、一様に奇怪な色を寄越した。
ホテルに来るまでの道中も、そうだった。
コイツが道行く一般人やアンドロイドにほわほわと喋り掛けるせいで、何度不審の目を向けられたことか。
その度にそそくさと街中を入り組み、まるで暴れ犬の散歩でもしている気分である。
「各々個室を借りれば良いだろう」
「ヤダ!独りは寂しいもんっ!!」
「それが普段と変わらん生活だが」
フードの底から溢れた嘆息を切り払うように、ムっと膨らんだ乳白色の頬が迫る。
「どうされますか?お客様」
「スイートルーム!!」
「……僕はどっちでも構わないけど」
「スイートルーム!!!」
駄目だ。
これ以上、この場で妙な注目を集めたくはない。
「…………スイートルームで構わん。案内しろ」
「承知いたしました」
「わーいっ!!」
強引に全てを勝ち取ったアルナは、案内ロボットに先立ってエレベータに乗り込んだ。
そのまま閉まった扉が棺桶として機能して、永遠の封印ついて欲しかった。
舌打ちを零してエレベータに乗り込み、上階へ。
案内ロボットに続いて赤茶色のカーペットに足音を吸わせ、最奥にある淡いヒノキの扉を潜る。
夜景を望む大きな窓が、ビル群の隙間に沈む夕陽を見つめていた。
「……なるほど。悪くはないな」
過ごすには十分な環境だ。
個室のベッドルームに、リビングを飾る2対の寝具。
室内を走り回るハムスターを横目に、仮初の安寧を吐き出す。
「これで少し、気が休まるね」
間接照明に落ち着いたソファへと、背を預ける凡人。
俺は安楽椅子に腰かけてから、低く声を飛ばした。
「貴様、マーシャとはどういう関係だ」
「あっ!それわたしも気になるな!お兄ちゃんって呼ばれてたし……レオくんの妹なの??」
ピクリと、カーディガンを羽織った肩が応じた。
天井から床までを押し潰すような静寂が、レオナルドを硬直させる。
やがて、人混みに紛れれば区別の突かない顔が、般若のようにきつく歪んだ、その瞬間のことだ。
「それについては私からお答えしましょう!」
ロックされたはずの扉が意気揚々と大口開けて、明るい茶髪のツインテールを揺らす童女の登場を飾った。
次回の投稿日は8月30日の土曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




