第12話 エンドラインの向こう側
「どうやら、お前以外にも格付けするべき『規格外』がいるらしいな……A006!」
猛禽類の瞳が、赤く煮え滾る十字路から彼方の廃ビルを睨み上げている。
すらりと妖艶なる脚の傍には、うつ伏せに崩れる漆黒のローブが。
沈黙の弾丸に右胸を貫かれた俺は、闇に隠れた漆黒の銃口を、ただ見上げていた。
──なぜ、意識外の狙撃が失敗したのか──
考えている暇はない。
傷だらけの軍服が、悪魔の狙撃が行われた廃ビル群へと向き直る。
右手が衝動的に、揺れる緋色のポニーテールを追い掛ける。
「ま、待て……!俺はまだ、敗けていないぞ……ッ!!」
ひゅんと、光の刃が俺に応えた。
「ぐ……がぁ……ッ!?」
途端に脹脛を抉る激痛。
筋繊維を無理やり引き千切られた感覚に、両手はセミの抜け殻みたいに脚を抱え込む。
「暫しそこで蹲っていろ」
舞い上がる砂煙が、汗ばんだ頬をへばり付いた。
アドラは続く跳弾を回避し、遥か遠くの廃ビルへと疾走する。
「ク、ソ……ッ!」
まだ敗けていない。勝つのは俺だ。
瀕死の身体を命一杯引き摺り、路上で燃焼する木片を掴む。
そして俺は迷わず──燃え盛る木片を、傷に強く押し当てる。
「ぎぃ……ぁぁ……ッ!!」
じゅわりと、流血が気泡を上げて沸騰した。
堪らず、聞かん坊みたいに路上をのた打ち回る。
思わず、燃え盛る木片を傷口から剥がしそうになる。
だとしても──俺は瓦礫を握り締めて耐え忍ぶ。
「ぐ……ぅぅ……!!」
やがて、肉の焦げた香りが鼻腔を抜けた。
傷口は赤く焦げ爛れつつも、強引に塞がる。
両手を震わせて立ち上がる。
俺は老人のように不確かな足取りで、薄暗い廃都市を彷徨う。
「何処へ、行きやがった……」
鋭く目つきに力を込めて首を振ったところ──夜空を照らす青の閃光。
あちらへ向かったか。
俺は爆発の音源地へと足を引き摺り、そして見つけたのは、
左腕を失って、血だまりに沈んだ銀髪だった。
全身を滲む暗赤色。
ボロ絹みたいな戦闘服。
垣間見える肌は、青白く冷め切っている。
何より決定的だったのは──腹部から背中を貫く、大きな風穴。
力なく血池に落ちた青白い瞳は、白みつつある夜空を見上げて、薄い胸を深く上下させていた。
「……ヨル」
ポツリと唇が震える。
アドラはどこへ行ったのか。
或いは斃したのか。
何がどうなって、貴様は死にかけているのか。
聞き出さねばならぬことは、湯水のように脳裏を溢れ出す。
だのに、真っ先に口の端を零れたのは、やり場のない震えた声だった。
「……何故だ……何故、狙撃をわざと外した……ッ!!」
──分からなかった。
どうしてヨルは、必中の狙撃を外したのか。
その結果が、自らの死を招くと知っておきながら。
焼け爛れた路上を落ちる人影を、霞んだ月光の瞳が微かに映した。
「理、人……ごめ、ん…………逃げ、られた……」
「そんなことは聞いていないッ!答えろ、ヨルッ!!」
血だまりを踏んで声を荒げる。
真っ白なまつ毛は微かに開くばかりだ。
その未来を見通す水晶のように薄れた瞳を見ていると、なぜだか、身体が酷く竦む。
澄み切った静寂が、レーザー砲に焼け溶けた周辺に満ちた。
「……ねぇ、理人……」
「ずっと、疑問だった……アンタがなんで、独りでいるのか……」
──それは、最期の独白だった。
これまでに何人もの命を奪って来た俺には直感的に分かった。
血色の悪い唇が白昼夢を泳ぐ。
ポツポツと、冷たい声を浮かべる。
「アタシは、『力』に振り回される自分が嫌いで……でも、ようやくわかった……アンタは『他人が怖い』のね……」
「ッ……!」
「自分が食い物にされるんじゃ、ないかって……酷く怯えてる……だから……他人の優位に立とうとして……」
「や、めろ……ッ!!」
言葉の銃口を、胸元へと突き付けられている。
俺が必死に積み上げてきた砂城を台無しにされる予感──
思わず後退って、けれど、ヨルは俺を食い潰すでも脅かすでもない。
温もりを宿した青白い瞳で、慈愛に満ちた声を震わせる。
「だけど、大丈夫……大丈夫よ……アンタが思っている以上に……人は他人のことを、想っている……」
「だって、ほら……そうだった、でしょ……?」
そう言ってヨルは、血の気が引いた顔に小さく緩んだ。
コイツは着実に不可逆な死へと進んでいる。
一方で、俺は傷付きながらもその身体に生気が満ちている。
だから、死にゆくヨルはこの世の敗者で。
生き残った俺はこの世の勝者で。
であればこそ、俺はひたすらに強さを追い求め、安寧を手にして、なのに、なのに、
どうして今この瞬間、俺は俺が、こんなにも惨めに思えるのだろうか。
確かに死に瀕したヨルが、俺の目を焼いた師匠のように強く輝いて見えるのだろうか。
「……ち、違うッ!!」
激しくフードを横に振るう。
思考が深みに嵌まる。
光が眩しく、羨ましく見えるような深海へと溺れていく。
俺の根底を為す価値観とは、真逆の現実。
心は誤魔化し切れぬほどに混濁として──とうとう、両膝が血だまりに浸かった。
「なぜ、だ……俺は……!!」
何者にも脅かされぬ強さを得て、確かに強くなったはずなのに──
俺を守る強さの外殻が、胸底に嫌な軋み音を立てて崩れ落ちる。
とそこに、死神が終わりを告げに来た。
「けほ……!け、ほ……!!」
薄い唇が夥しい吐血に濡れる。
思わずぐっと覗き見た。
血濡れの右手が震えて、仄かに持ち上がる。
「アンタは、死神に憑りつかれたアタシとは……違う……手を伸ばすことが、許される……」
氷塊のように冷たい声が、か細く掠れ、途切れていく。
俺はその手を掴めぬまま、愕然とヨルの傍で震えている。
「だから……アタシがそうしたかった、ように……他人の心に……手を伸ばして……」
持ち上がった華奢な手は、いつしか、俺の頬へと微かに触れて、
「そして、いつかアンタも……誰かの為に……戦え……る……よう…………に…………」
蝋が溶け入る。
ふらりと、真っ白な腕が地へ墜ちる。
そして血だまりに弾ける寸前──俺は反射的に、白く冷たい腕をすくい上げた。
「待ってくれ……ヨル……!」
廃都市を生きた臆病者が、ありのままの姿で、消えゆく炎に縋りつく。
「強さとは、なんなんだ……!?俺は……貴様に──」
刹那、青白い瞳が、僅かに見開いた。
鼻筋を撫でる、深い嘆息。
月光が、緩く地平線に沈んでいく。
「あぁ……才能、なんて……いらな……かった……」
「だって……手を伸ばせば……こんなにすぐ、傍に…………」
それが最後。
声が消え失せた。
青白い手は力なく血だまりに落ち込む。
ピシャリと飛び散る血が、雪のようなまつ毛を汚した。
「……ヨ、ル……」
返事はない。
二度と開かぬ瞼は、その表情を安らかに作っている。
それは生前、冷たい表情を振りまいていたヨルからは想像も出来ぬほどに、柔らかい笑みだった。
冬の冷たい夜風が、業火を鳴らす廃都市を吹き抜ける。
涙はない。
怒りもない。
後悔もない。
ただ、脳裏には強く輝いたヨルの姿が繰り返される。
俺の思う強さは間違っていたのか。
ヨルの見せた強さは正しかったのか。
いずれにしても、その答えが簡単に見出せるものでないことだけは明白で。
けれど、1つ確かなことは、ヨルは祈りを残してこの世を去ったということだ。
強きに従え、強きを尊べ、そして強きを挫け。
なればこそ──ヨルの祈りに従え。
その果てに、俺の憧れた強さが待っているはずだから。
「……行く、か……」
頬に触れた僅かな熱へと伸ばした手を、ゆっくりと剥がす。
血だまりから続く血痕の末路。
暗い路地裏を睨む。
乾いた血痕は、いつしか真新しい血液へ。
ヒートソードを杖代わりに、不規則な打音を木霊する。
やがて追い付いた昏い路地の果てには──右肩を抑えてふらつく薄汚れた白シャツが、闇を浮かんでいた。
「A006……ッ!!」
右肩の先には、あるべき腕がなかった。
猛禽類のような黄色い瞳が、闇中を振り返る。
奴はヒートソードを握っていない。丸腰だ。
しかし無手での格闘術に優れていることは忘れない。
ゴミすら捨て置かれない朽ちた路地裏の中、俺は静かに、突き立てたヒートソードを握り込む。
「ヨルは、強かっただろう……?」
「ヨル……?あぁ、あの狙撃手か」
傷だらけの割に、まだ余裕を残した勝気な表情。
「確かに強かったが……最後に勝ち残ったのは、この私だ」
「弱者に死を、勝者に生を。私たちにはそれ以上もそれ以下もないだろう?」
ニヤリと歪む赤い唇に、漆黒のフードは小さく頷いた。
「……そう、だな……」
心から、思う。
なればこそ──未熟な過去を乗り越えるために。
この目を焼いた一等星を、汚さないために。
俺はヒートソードを地面から抜き出し、黄色い瞳を鋭く見据えた。
「アドラ……これは、過去との決別だ……!俺が貴様と闘うのは、他でもない俺自身の為だ……ッ!!」
ヨルは言った。他人の為に戦えるようになれ、と。
けれど、今は分からない。
アドラと対峙するに、敵討ちといった感情は1つも湧き出ない。
弱者に死を、勝者に生を。
俺の価値観は、コイツに影響されている部分があるのだから。
故にこそ──今の俺を形作ったアドラを、ここで倒す。
この戦いこそが、俺が俺の為だけに闘う最後の時間となるのだ。
「フッフッフ……その擦り切れた身体でまだ吠えるか……!!」
猫目がジットリと獲物を見据え、隻腕を緩慢に構える。
闇中から覗く猛獣の笑い声に、心臓はきつく締め上がる。
「分かっている……分かっているぞ。お前が『力』を行使できる時間は、残り僅かなのだろう?」
「……どうだかな」
「あと20秒か?或いはもう時間が来てしまったか?えぇ?」
ごくりと、喉を押し通る生唾。
今にも途切れそうな綱を手繰り寄せるように、意識を深く集中させる。
艶やかな右脚が、路上の闇に塵の吹雪を捲き上げた。
「焦るよなぁ、A006!!しかし勝ち目のない闘いに挑んだお前が悪いのだッ!!」
猛獣のごとき疾走が、緋色のポニーテールを何重にも揺らいでいる。
堰を切って路上を蹴り上げたアドラは、俺まで3歩距離を残したところで、大きく足を踏み込んだ。
身体を発条のように捩る。
顎を狙って鋭く解き放たれる三日月蹴りだ。
「これで終わりだ──」
懐に飛び込む形で回避する。
輝く足先が、風をひゅんと斬り裂いた。
俺は両手に構えたヒートソードを──軍服に主張する豊満な胸部へ貫く。
「取った……ッ!!」
勝利へ一直線の一撃。
確信を以て声を弾ませたはずが、ヒートソードが、微塵も動かない。
「そう上手く行くと思ったか?」
見下ろすと、血濡れの左手が、俺の手首を掴んでいる。
骨の軋む音が、路地裏を強く響いた。
「ぐぉ……ッ!」
堪らず顔を歪めてヒートソードを手放す。
強引に腕を振り払った。
カシャンと、路地裏に音を鳴らす光剣。
ヒールが容赦なく踏み潰して、ガラスが砕けるような高音と共に、ヒートソードは半ばから破損する。
「さて、どうする?もうお前に武器はないぞ?」
獰猛に歪む赤い唇。
短く息を吐き出し、『スーパーゾーン』に頼って宝石の光る拳を見切る。
返すように裏拳を鼻柱に喰らわせ、とここで残り0秒。
無意識的に、『スーパーゾーン』が途切れる。
世界が急速に彩度を失った。
全身の動きが鈍る。
高飛車に端正な顔が、勝利の輝きを帯びる。
「勝った──ッ!!」
と、アドラは砕かれた鼻から血を流しながらも、俺の顔面へと左腕を真っ直ぐに振るって、
けれど、俺は首を傾げて拳を躱し、逆に前蹴りを鋭く浴びせて奴を吹き飛ばした。
「な……ッ!?!?」
ほつれた軍服が大きく仰け反る。
間髪入れずに飛び込んで横蹴り。
躱されて肘打ちが迫った。
右手に受け止め、左ジャブでもう一度鼻柱を挫いてやる。
「ぐ……ぉ……!!」
逃がしはしない。
肘を掴んだまま顔面に次々と拳を浴びせる。
アドラは水牛のように全身を使って暴れ狂った。
俺は路地裏の壁面へと吹き飛ばされて、背中を叩きつける固い感触に唾を飛ばす。
まだだ。
無心で崩れた壁面から起き上がる。
黄色い瞳があり得ないものを見たように、ポツリと零す。
「お、おい……お前、まさか──」
だが、アドラが言い終えるよりも早く、ソレは訪れた。
「──ぐ……がぁぁぁぁああああああッッッッ!?!?!?」
熱い。暑い。
アツイアツイアツイ──
反射的に両手が、発火した頭を抱える。
脳をミキサーでぐちゃぐちゃと掻き乱されているような感覚に、喉奥が、言葉にならぬ絶叫を溢れる。
意図的な時間超過による代償──
俺は冷たい路地裏に崩れ落ちて、堪らず、額をコンクリートへと打ち付けた。
「ぐぁいぃ……ッ……がぁあっぅい……ッ!!」
「どうやら……お前もここまでらしいな」
ドロドロと喰らい尽くされる意識の核。
鐘のように頭を響く痛みが消えない。
全身の筋肉という筋肉が、身体を飛び出す勢いで痙攣している。
嫌だ。もう立ち上がりたくない。
痛い。苦しい。
意識を手放したい。
それでも──唇を噛み締め、喉に流し込む鉄の味。
「な、に……ッ!?!?」
大きく見開く猛禽類の瞳。
ありったけの執念を込めて、オーバーヒートした脳内を酷使する。
「ぐぉ……ぎぃぁ……あぁあああッッ!!」
俺は震える足で立ち上がり──狂熱に揺れる朧げな視界に、鮮明に映るアドラを睨み上げた。
「長くは、もたない……すぐに終わらせてやるぞ、アドラ……ッ!!」
「い、イカれているのか……?お前は……ッ!?!?」
禁断の100秒間を超越した『スーパーゾーン』──
俺は痛みを置き去りに、路上を抉り飛ばす。
強張る勝気な顔が、微かに後退る。
決着の時は、もうすぐ傍まで迫っていた。
両腕に振り絞った一撃が、容赦なく妖美な頬を歪ませる。
強張る黄色い瞳も束の間のこと。
キッと鋭さを取り戻して、返すように拳を振り絞る。
腹部を揺らす衝撃。
せり上がる酸味を歯に食い縛り、緋色のポニーテールを握り込む。
逃がしはしない。白く柔らかい首筋に遠慮なく齧り付く。
「ご、このケダモノがァ……ッ!!」
痛苦の喘ぎが耳元を撫でた。
至近距離から頭突きをぶち込まれる。
意識が白く染まって、気が付くと、顔面に何度も拳を落とされている。
熱く澱む鼻頭。
止めとばかりに拳が大きく振り上がった瞬間──右脚で軍服を吹き飛ばす。
宙を返った手負いの猛獣が、必死の形相で路地裏を蹴り上げる。
「「アァァァァあああッッ!!」」
応えるように開いた口から叫び上げる。
泥沼のドッグファイトを繰り広げる。
初めは互いに速さを伴って繰り出した連撃。
しかし次第に速度を失い、その癖に重鈍な音を路地裏に反響させた。
どちらが先に倒れてもおかしくない、一進一退の殴り合いが続く。
故にこそ勝負を分けたのは、単純な手数である。
お互い回避する力など残っていない。
愚直なぶつかり合いだ。
俺の右ストレートを、妖艶な左手が握り潰す。
とすると、右腕を失ったアドラに、俺が全体重を乗せて放つ左ストレートを防ぐ術はない。
「アドラァァァァアアッッ!!」
「ッ……!!」
銃弾のごとき鉄拳が、頬骨を砕く鈍い感触を震動した。
「あるふぁ……ゼロゼロ、しっくす……っ!!」
ふらりと、焦点を彷徨う黄色いの瞳。
緋色のポニーテールは後方へとよろけ──仰向けに、路地裏を倒れ込む。
俺はすかさず駆け寄る。
つもりが、視界がぐらりと霞む。
酔っ払いの如く左右に蛇行しながら、一歩一歩噛み締めるようにして奴へと迫る。
「ア、ドラ……!」
欠けたヒートソードを、地面に崩れ落ちながら拾い上げる。
逆手に構えて、軍服の上体へと跨った。
とそこで、奴は自らの末路を悟ったらしい。
高飛車な顔が、みるみるうちに蒼白へと染まる。
そして最後に残ったのは──困惑の色。
「何故、だ……私は、上位種だぞッ!何故……ッ下等生物なんぞに──」
きっとそれが、暴力を価値観に据え続けた者の末路。
憐れみはない。
が、思うところがないわけではない。
きっと、今のアドラの末路は、未来の俺でもあったから。
「今度こそ、さようならだ……アドラ」
微かな白い嘆息は、夜空へと消え入る。
半壊したヒートソードを思い切り振り被る。
最後まで大きく見開いた猛禽類の瞳は──やがて、光を失った。
「……俺の……勝ち、だな……」
勝利を確かめるように、洩れ出す熱の混じった吐息。
だのに、以前のような優越感は少しも湧き出ない。
朝日はどこに見えるだろうか。
額に突き付けたヒートソードから両手を離し、薄暗い路地裏から白んだ空を仰ぐ。
それでも光はまだ見えず……あぁ、限界だな。
頭の天辺からつま先までを狂熱に侵された俺は、眠るように闇中へと倒れ込んだ。
次回の投稿日は8月26日の火曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




