第10話 ファーストショットは喋らない
死神纏い
泣く子も黙る恐怖の象徴。
狙撃手ヨル・シュミットの異名である。
決して、死神に近づいてはいけない。
奴は同胞を平気で撃ち抜く悪魔だ。
その美貌に気を許せば最後、次の戦場で散るのは、あなたとなる。
無数の赤い単眼が、運がを流れる灯籠のように廃都市を覆い尽くしている。
月光に影を落とす漆黒のローブが、閑寂なるビル群の屋上を跳んだ。
敵影に満ちた地上を移動する理由はない。
血池のように光るオイル溜まりを目下に、廃都市の林冠を疾走する。
「ヨル、ポイントには着けたか」
「おかげ様で、滞りなく到着したわよ」
屋上に振り返れば、巨大な狙撃銃が、数多とある廃ビルで夜闇と同化している。
「きちんと射線まで誘導しなさいよね」
「あぁ。では、始めるか」
目的の十字路は、檻のような火炎が音を立てて燃え盛っていた。
冷風を浴び、付近に着地。
地上をゆっくりと漂う黒煙を切り裂き、弾ける炎へ接近する。
「これで、貴様との格付けも終わりだな」
緋色のポニーテールは風に靡いて、ヒートソードを大きく振り被っていた。
黒の外套を揺らす背中は、こちらを振り向かない。
チャンスだ。
瓦礫の裏から大地を蹴り上げ──ヒートソードを静かに構える。
「──む」
残り5m地点。
黄色い瞳が、闇に弧を描いた。
ぎゃりんと、刃と刃が斬り合う音が十字路に鳴り響く。
激しい火花が、剣戟の合間を散らした。
互いの力押しが拮抗して、金の刺繍を刻んだ外套は背後へ跳ぶ。
俺の振り切ったヒートソードはそのまま道路を抉り、凸凹な突起をその場に造り出した。
「……そう上手くはいかないか」
手応えのない攻防に確信する。
どうやら死角に入るだけでは、アドラの隙を作り出せはしないらしい。
後から気が付いてはどうしようもない状況──もっと速度を出せるモノこそが、奴を仕留める最大の武器になるはずだ。
「ようやくお出ましか、A006」
額から高い鼻筋へと伝う鮮やかな赤。
黒のハイソックスを撃ち抜かれたような染み。
妖魔のような肉体が纏う軍服は、所々がほつれている。
何か、ここであったのか。
俺はボロボロと崩れそうなコンクリートを踏み締め──とそこで、気が付いた。
「ろ、六ちゃん……!」
灰と擦り傷に汚れたボロ雑巾が、すぐ足元を転がっていることに。
処刑を控えた囚人が、燃え盛る十字路を這いつくばっている。
萎れた草花のようなアホ毛に、泥で汚れた乳白色の頬。
見ていると爽やかな空気が胸を透き通って、自然と口元が緩む。
すると何を思ったのか、華奢な腕はぎこちなく俺へと伸びた。
「ん、へへ……助けてくれて、ありがと……」
「馬鹿が。貴様はすっこんでろ」
紺色の制服の横腹を思い切り蹴り上げた。
ストロベリーブロンドの髪が、宙を舞って闇の彼方へと消える。
瓦礫にバウンドする硬質な音が、遠くから鈍く響いた。
アドラは阿呆の消えた方角に首を向けて、大きく肩を竦ませる。
「おいおい、仮にも仲間だろう?もう少し丁重に扱ってやったらどうだ」
「これから始まる素晴らしい戦いに邪魔だったというだけだ」
「素晴らしい闘いになるとは到底思えないがな」
「それもそうか。これから貴様は一方的に破壊されるのだからな」
殺戮の火ぶたを待ち望む応酬。
殺意に満ちた軽口を叩き合って、戦闘ボルテージを高めていく。
左手にヒートソード。右手に小銃。
後は、作戦通りに進めるだけだ。
「既にお前との格付けは済ませたが……やる気であるのならば、相手をしてやるとしよう」
猛獣の足取りが静かに響いて、ぞくりと、鳥肌を逆撫でた。
火柱の崩れる音が、やけに鋭敏に耳を貫く。
「……最後に1つ、聞かせてもらうぞ」
「冥途の土産が必要か?」
「死に際になって、まさかその身体はスペアだとでも抜かすんじゃないだろうな」
コイツはどこまで言っても人工知能だ。
いま目の前で軍服を風に靡かせるアドラが、ただのコピー品だという可能性は捨てきれない。
とすると、俺がここでコイツを殺しても真なる平穏は訪れない。
何かしら、別の方策を探らねばならないだろう。
凛々しい眉が、深い渓谷を作った。
「馬鹿にしているのか?『私たち』とて貴様らと同じだ。命は1つずつ、イーブンな条件で生きている」
言質を取った俺は、ニヤリと、口元を歪めた。
「そいつは安心した。しかし、機械が人間をよく語るな」
「減らず口を……まぁ、良い。どうせ貴様は処分の対象だ。私たちの計画の先には存在しまい」
「……計画?」
「追々話してやろう。と言っても──」
とそこで不自然に途切れた低声は、瞬間、冷気に爆発して、
「私に殺された後にだがな──ッ!!」
アドラはコンクリートを抉り壊し、隼のように身体を捩じってヒートソードを振り切った。
鋼鉄の切っ先が、首の骨ごと筋繊維を噛み千切らんと顎を開く。
「──ッ!」
気が付くと、猛禽類のような瞳は目前にまで迫っていた。
俺は生唾を吞んでヒートソードを合わせ──腕を貫く、重い痺れ。
風を斬る音が耳元に残る。
打ち負かされる形だが、なんとか、アドラの一撃を耐え凌ぐ。
「間一髪だったな?」
「チィ……ッ!」
やはり、人間と機械とでは根本的なスペック差が酷い。
近距離戦では、瞬く間に致命の一撃を貰うことだろう。
歯を食い縛って舌を鳴らしつつ、銃弾を豆まきみたいにばら撒いて後退。
追うアドラとは中距離を保つ。
十字路の縁を周回するように駆け回る。
「フッフッフッ!A006、どうした?『力』を使わねば私を殺すことなど叶わんぞ!!」
「ソイツはどうだろうな?」
ある程度距離を取ったところで、獰猛と歪む口元を正面に見据えた。
疾走の余韻に温まった身体で、余裕に笑い返す。
颯爽と銃口を突き付ける先は──奴からは大きく外れた虚空だ。
連続して火を吹く反動が、右腕を暴れ狂った。
黄色い瞳を外れて過ぎ行く弾丸に、宝石を輝く手先は、やれやれとばかりに額を抑える。
「何をしている。腕が鈍ったか?それとも恐怖に震えたか?」
などと嘲笑うアドラは、『やはり』気が付いていないのだろう。
しかしそれも仕方のないことだ。
15秒のラグを埋められると言っても、所詮は視覚頼りの情報。
奴に分かるのは、銃弾がどう自分に向かうかまで。
ソレが背後でどんな結果をもたらすかを知ることはできない。
なればこそ、アドラの高慢さは、決定的な隙だった。
撃ち尽くした弾丸は──十字路の一角、炎上するビルを支える剥き出しの柱を削り切る。
廃ビルは最後の支柱を失った。
夜空に昇る炎の柱が不吉な壊滅音を轟いて、倒壊したビルを中心に、土石流の如き衝撃波が周囲を呑み込む。
「残念だったな。私がビルの下敷きになることを期待したか?」
土煙に視界の曇った世界で、颯爽と飛び退く人影。
アドラの姿は見えない。
どこからともなく響く冷笑に後退って、倒壊した廃ビルの固い感触がひやりと背中を伝う。
が、追い詰められているわけではない。
足元には、最初に造った『本命の仕掛け』が用意されている。
「A006。私はここだぞ?」
ぶわりと、土煙を切り裂く緋色のポニーテール。
海底に捲き上がる泥の中、アドラは肉食魚のごとくヒートソードを振り抜いて──
──ヒールのつま先を、凸凹と抉れた地面に引っ掛けた。
「な、に……ッ!?!?」
視認性の悪い環境下でのみ通用するトラップ──
思惑通り、罠は作動した。
俺はヒートソードを刺突に構え、ニヤリと、見開く黄色い瞳へ口元を歪める。
「人間の真似事なんぞしているから隙が生まれる──機械は機械らしく、理にかなったボディを創るべきだったな」
「う……ぉぉおおおおッ!!!」
赤い唇が炎の轟音を爆ぜる。
アドラは握った光剣を力強く地面に突き立て、そこを軸に、なんとか身体を捻った。
深々と、白いシャツの上から左肩を貫く一撃。
飛び散る鮮血が、炎に音を鳴らして蒸発する。
俺は素早くヒートソードを肩から抜き出し──心臓へと振るう。
「そのまま死ね」
一瞬速く、尖ったヒールが前蹴りを繰り出した。
「ぐぅ……!」
腹部の芯を澱む重い衝撃。
俺はあっという間に、土煙の外へと吹き飛ばされる。
「貴様ぁ……ッ!!ふざけるなよッ、下等生物の分際で──ッ!!」
黄色い瞳が業火を纏って、土煙から跳び出した。
怒号と共にヒートソードが俺の脳天へと振り下ろされ──今が、勝負どころだ。
「ここからは全力で行かせてもらうぞ、アドラ」
俺は短く息を吐き出し、迷わず『力』を解き放った。
閉ざした瞼の深層で、意識が瞬く間に深海へと溶け込んでいく。
やがて瞳に光が走って、100秒間の『スーパーゾーン』が始まった。
上段から迫り来るヒートソードが、闇に光の粒子を残す様子までもが鮮明に映し出される。
刃を合わせて迎え撃ち。
そのまま剣を滑らせて胴薙ぎ。
大地を蹴って身体を横に逃がしたアドラは、彫の深い顔を苦々しく歪める。
「小癪な……!」
「時間を食い潰させはせんぞ!」
すぐさま大地を蹴って間合いを詰める。
緋色のポニーテールが頬を撫で──2人で舞踊を踏むようにして、剣を振るう、振るう、振るう。
軍服の横腹に血が弾ける。
自らの肩に鋭利な熱が走る。
互いの体液が飛び散って炎に焼かれ、血生臭い香りが周囲を満たしていく。
「下等生物が……神に勝てると思い上がるなよッ!!」
「ふん。造り物の知能に神は務まらんだろうッ!」
掠り傷を与え合うだけの不毛な剣戟が続く。
タイムリミットはあと50秒。
しかし焦りは一切ない。
熱を帯びた身体に反して、心は凪のように静やかだ。
やるべきことはただ1つ。
狙撃の射線が通るポイントへと、アドラを誘導すること。
ヨルはそのタイミングでトリガーを引く。
そしてアドラは、頭蓋を撃ち砕かれて機能を停止する。
簡単な仕事だ。
勝利の女神は、俺のすぐ傍で微笑んでいる。
「いい加減に鬱陶しいぞッ!A006ッッ!!」
激しい斬り結び合いの末、お互い後方へ弾き飛んだ。
呼吸を置く間はない。
鬼気迫る黄色い瞳が、ブレるほどの速度でこちらへ突っ込んだ。
気が付くと金切り音が鳴って、突風の余韻に吹かれながら鍔迫り合いに火花を散らす。
良いタイミングだ。
身体を斜め右へとずらし、そのまま前方へと抜ける。
あと45°の回転。
その先に、勝利の光が掴める。
痛いほどに伸縮を繰り返す心臓に、それでも思わず笑みが零れた、その瞬間、
「……ごめんなさい、理人」
ふと、歯切れの悪い冷声が脳内を響く。
何か、イレギュラーが起きたのか。
俺は反射的に遥か廃ビル群を見上げ──
──夜を切り裂く黒の弾丸が、『別なポイント』からアドラの背後へと忍び寄りつつある真実を知った。
「な──ッ!」
完全なる、予定調和外の一撃。
稲妻が突き抜けて、身体中を縛り付ける。
何も知らぬアドラは無論、俺とて、今さら避けられるはずもなく──
「「ぐ……ぁ……ッ!?!?」」
沈黙の弾丸はアドラの左耳を噛み千切ると同時に、俺の胸をも喰い破った。
次回の投稿日は8月24日の日曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




