第9話 夢喰い少女と夜明けの狼煙
NHスペシャル『月読命』
ヨル・シュミットの為に造られた特注品。
一言で言えば歩く大砲。
自立駆動型ロボットをも撃ち抜く火力を有する。
対物狙撃ライフルという属性上、重量、大きさ共にとても1人で扱えるものではない。
凡庸がトリガーを引けば、反動により肩がミキサー状に粉砕されることだろう。
パワードスーツの着用を前提に造られたソレはまさしく、『規格外のスナイパー』に相応しい代物だ。
いつか、師匠と歓楽街を歩いた日があった。
黒いローブに身を包み、亡霊のように雑踏をすり抜ける背中。
俺は見失わないように、同じく黒いフードを被って人と人の合間を縫っていく。
雑多で、下劣で、物騒で。
毒々しい空気が澱む灰色の街とは、まるで真逆の世界。
師匠に拾われて数か月と経たない俺にとって、人声と店々の音楽が縺れ合う歓楽街は、まだまだ目新しい光景だった。
「ん?なんだァありゃ……」
黒づくめの師匠と俺を好奇の目で見つめる者は多い。
人攫いか、それとも盗人か。
いずれにしても、他人は危険な存在だ。
路肩で煙草をふかす連中へと、フードの底から一瞥くれてやる。
とすれば、奴らはネズミみたいにそそくさと道を譲った。
「……」
買い出しを終えて、ねぐらに帰る。
玄関扉を潜ると、師匠は黒のローブを揺らした。
眠たげな翡翠の瞳が、フードの底から俺を見下ろす。
「理人……誰彼構わず殺気を向けるのは、よくないことだ……」
「……殺気?」
重たい瞼が、微かに持ち上がった。
「自分で気が付いて、いないのか……?」
色白い指が、滑らかな顎を撫でる。
ジッと、探偵のような翡翠の視線が、俺の頭のてっぺんからつま先までを見回す。
「……ふむ」
何かに気が付いたような頷き。
師匠は不意と、俺に『ソレ』を訊ねた。
「理人……強さとは、なんだと思う……」
「力だ。強きを挫く圧倒的な暴力こそが強さだ」
俺は九九を唱えるように即応した。
権力、暴力、財力。
力の種類は問わない。
力こそが他者を圧倒する。
中でも暴力は良い。それは王者の刻印だ。あらゆるモノに屈する必要がなくなる。
師匠もそう考えたからこそ、圧倒的な暴力を身に付けているはずで、
だのに、桜色の唇は微かに緩んだ。
「……理人の言うことも……間違っては、いない」
「だが……それは物理的な一面に、過ぎない……本当の強さとは、『他人を許容する力』なのだ……」
まるで意味の分からない答えだった。
──脳裏を過る廃都市での苦渋。
俺はもう二度と、弱者に戻りはしない。王者へと至ってみせる。
静かに目を伏せて、右眼の奥から溢れる闇に、自らの思想の密度を高める。
とそこに異物を捻じ込むかの如く、陽だまりの感触が、くしゃりと俺の髪を鳴らす。
「ふふっ……理人にも分かる時が、来るだろう……」
そっと、レモネードの香りが世界を抱擁する。
心の闇が、酷く慄いていた。
軽く背を叩かれる度に、伝わる人肌の温もりが闇を縮めていく。
耳元を囁く優しい冬の声に、抱え込んだもの全てを手放したくなってしまう。
「だから……怯える必要は、ない……」
「他人は……私たちが思っている以上に、温もりに満ちた隣人なのだから、な……」
──また、嫌いな夢を見ていた。
闇色に落ち込む床材が、ぼんやりと浮かぶ。
抱えた膝から顔を上げて、穴開きの天井に夜空を仰ぎ見た。
青い月明かりが、雨風に汚れた床に生える草花を見つめている。
『──だから……怯える必要は、ない……』
耳奥に残響する、懐かしい冬の声。
「……違うッ」
俺は怯えてなどいない。
他者を許容することこそが真の強さであるわけがない。
強さとは──力を以て他者の上に立つこと。
強者であることだけが、この世界を安寧に生きる唯一の道なのだ。
分かっている。
だというのに、あの悪夢を見ると、いつも脳裏に過ることがある。
俺は果たして本当に、弱者から脱することが出来たのだろうか──
「俺は……間違っていないッ!!」
思わず喉奥に叫んだ声が、闇に浸された廃ビルを震わせた。
粉々と瓦礫が砕け散る。
衝撃に痺れる拳を握り締める。
とかく、環境が良くない。
廃都市なんぞで一晩を明かしているせいだ。心身が弱者として虐げられた過去を思い出しているのだ。
一刻も早く、廃都市を立ち去らねば。
そしていつものように、自らの暴力で他者との優位性を再認識しなければ。
そうすれば、こんな迷いも──
──孤独の廃ビルが、侵入者の足音を静かに響かせた。
「……ッ!!」
反射的に瓦礫の奥へと身を潜める。
敵が迫っている。疑いなく思う。
胸底で暴れる心臓を抑え込むように、ヒートソードの柄を強く握り込む。
正体不明の足音は、着実に俺へと近づいていた。
抑え込んだはずの心臓が乱れて、荒い吐息が闇を混じる。
やがて、俺の平穏を奪う怪物は、ぬっと階下の闇から這い出て──
──瓦礫から飛び掛かって剣を振り抜いた矢先、俺はその姿を認める。
悪魔の影の正体は、角のように伸びた狙撃銃だった。
「……貴様か」
深々と、息を吐き鳴らす。
闇中から覗く青白い瞳は、時が止まったかのように愕然と立ち尽くす。
「な、なによ……過剰反応ね」
振り絞られた言葉に返事はしない。
迷いなく首筋を狙った剣刃の矛先を収め、適当な瓦礫に腰を下ろした。
晩冬の夜風が、割れたガラス窓を走り抜ける。
「……アンタ、昔は暗殺者でもやってたの?」
「アドラの下で、貴様らレジスタンスの構成員を殺していた」
「……は?そんなの初めて聞いたわよ──」
「それより、こんな夜更けになんの用だ」
「……ただ、眠れなくて散歩してただけ……いつか殺した仲間を思い出して、ね」
薄い唇が、引き攣った形に固まる。
死者のことなど、考えても仕方がないというのに。
死はいつだって弱者から喰らう。
なればこそ、生き残るためには強者であり続けろ。
強きに従い、強きを尊び、そして強きを挫く。それだけが答えだ。
……どうにも思考が夢に引っ張られている。
良くない傾向だ。持ち直せ。思考を堰き止めろ。
ひび割れた闇色の床と、ジッと向き合う。
「ねぇ……アンタは、何が怖いの?」
海に溺れたような気がした。
反射的に頭上の月明かりを掴む。
息は吸えた。
冷たい空気が肺をいっぱいに満たしている。
それでも、手を打ち返す動悸はいつになく激しい。
俺は浅く呼気を零す。
「……俺に恐れるものなど、ない」
「アンタ、そんな酷い顔でよく言うじゃない」
月に濡れた青白い瞳が、錆び付いたナイフのように心臓を抉る。
やめろ。見るな。
心が反射的に溢れ出して、思わず目を逸らす。
「アタシは……死神に憑りつかれた自分が、嫌いで……」
闇を切り裂く足音は、導かれるようにすぐ傍まで手を伸ばして、
「アンタは何を、そんなに恐れているの……?」
そこが境界線だった。
「2度も言わせるなッ!俺は何者にも怯えてなどいないッ!!」
不意の大声。
自然と臨戦態勢に立ち上がる。
突如として絶叫を浴びせられたヨルは、ビクリと、その場に硬直する。
しかし次の瞬間、雪のようなまつ毛の下に、青白い瞳が大きく見開いた。
何か、確信のような色がそこに浮かび上がる。
か細い右手が、緩く俺へと伸ばされる。
「アンタ……もしかして……──」
その右手は、無遠慮にも俺の奥底へと踏み入ろうとしていた。
腰が引けて、石つぶてを踏む音が鳴る。
コイツは、危険だ。
震える指先は衝動的にホルスターへと触れて、刹那、
カッと、月明かりを掻き消す眩い光が、廃都市を包み込んだ。
それは、世界を焼き払うような熱量のある光だった。
「ッ!!」
堪らず腕で目元を覆い隠し──空を破る轟音、震える大地。
欠けた支柱が、嫌な音を鳴らす。
程なくして、皮膚を刺す光は消え失せた。
「……何が起きた?」
寝返りを打った後みたいに、ゆっくりと静まる大地の胎動。
俺はひび割れた床に突いた手を放し、窓辺へと駆け──
──赤黒く焼け爛れた更地が、廃都市を真っ二つに横断していた。
「な……ッ!?」
真夏のグミみたいに溶解した廃墟。
廃都市にとぐろを巻いて業火を吐き出す火竜。
地獄の光景を、隣に立つ青白い瞳が呆然と反射する。
「なに、よ……これ……」
MC側の強襲に決まっているだろう。
焼け焦げた苦い匂いを吸いながら言ってやったところ、別な廃ビルが青い光を地上へ解き放った。
義眼をよく凝らして伺うと──巨大な砲口が、遠い廃ビルの外壁に偽装している。
「──廃ビルに扮した固定砲台か。やってくれる」
その背後には巨大駆動型ロボット『タイプC』。
赤い目を整然と並べて大行進する機械兵の群れ。
狂気的にまで揃った足音が、ピアノの不協和音のように廃都市へと雪崩れ込んでいた。
「撃て!撃てェ!!」
地上を響き渡る人間の怒号に、廃ビルの窓辺から視線を落とす。
ハサンを中心に固まる輸送隊が、火の粉に紛れて数多の機械兵に追い詰められている。
「弾幕を集中させろ!怯まずに撃ち続けるのだ!!」
必死の抵抗は虚しい。
次々と倒れる黒煙に吞まれる雑兵たち。
『規格外」でもない限り、待つのは死のみだろう。
「……アイツら──」
耐えかねたように地獄絵図に向かったスナイパーライフルを、グイと引っ張る。
切れ長の青白い瞳が、胡乱げに鋭さを帯びる。
「貴様はアドラが出現するまで一切スコープを覗くな」
「……僅かにでもアタシの存在を悟らせない為?でも、アドラが現れるまではどうするのよ。それに、あそこの輸送隊は?」
捲し立てて俺へと迫る、薄い唇。
どれも問題ないだろうというのが、実直な意見だ。
頬に触れた銀髪を払い除けて、クイと、親指を窓の外へと向けてやる。
鋭い一閃が、輸送隊を囲む機械兵を背中から両断した。
「クハハッ!我が召喚に馳せ参じた!もはや憂うことはないッ!!」
真っ先に救援へ駆け付けたのは、桃色の瞳を瞬く中二病だ。
滔々と機械兵を斬り伏せる刀一本。
時折、美術館の彫刻のように妙なポーズを取る余裕っぷりである。
レイが操作する球状ドローンも輸送隊のサポートに続く。
「……どうやら問題はなさそうね」
「暫くはここで身を潜めるぞ。万が一の時は俺が貴様を守ってやる」
窓辺の陰りを叩いて導けば、くすりと、真っ白な手のひらが口元を覆い隠した。
「あら。顔に似合わず、随分と男らしい言葉じゃない」
ここ最近からは考えられない柔い反応だ。
どういう風の吹き回しか。微かに眉を顰める。
身を潜める廃ビルは小舟の如く、地上で繰り広げられる激闘の余波に揺れた。
俺たちは隣り合って緩慢な時間を過ごす。
いつかを思い出して、気分は最悪の底を突き破った。
「──『俺の敵は全て挫く』。アンタ、前に言ってたでしょ?」
「……それがどうした」
「その敵は、いつになったらアンタの中から居なくなるの?」
思わず言葉に詰まる。
それは、俺が世界の王者になった時であって。
けれど、アドラを破壊したとして、今のままでは。
地上から注ぐ戦争の光に、割れた窓枠の影が落ちる。
隣で片膝を抱えたヨルは、月影に濡れた銀髪を揺らした。
儚くも孤高に凛とした小顔が、鼻先を触れるほどに近づく。
「アタシは、アンタの敵じゃ、」
とそこに、事務的な冷声が割り入った。
「──六月一日隊長。アドラが現れました。現在、アルナさんと交戦中の模様です」
アドラの居場所と思しきポイントが表示されたマップを受信する。
「でかしたぞ、レイ。偶には役に立ってくれるな」
それだけ言って、俺は早々に脳内電信を切断した。
「どうやら標的が現れたらしい」
「……いよいよ、作戦始動ってわけね」
どこか強張った表情を作るヨル。
共に、破れた天井から跳び出す。
澄んだ夜空が、青い月明かりを全身に降り注ぐ。
ようやく、アドラが死んでくれる時が来たのだ。
そのビジョンは脳裏にありありと浮かび上がり、ニヤリと、口元が歪んだ。
明日からは安らかに熟眠ができそうだ。
機械兵の屍が積み重なる廃都市の中央。
燃え上がる炎の塵に紛れて、アメジストの瞳と、猛禽類の瞳が火花を散らす。
「フッフッフ……派手に暴れ回っている奴がいるかと思えば……」
「わたし怒ってるんだからね!六ちゃんのことばっか虐めて!!」
大袈裟に頬を膨らませるアルナの両手には、それぞれ色の違う小銃が。
どことなく真剣な表情を浮かべるアドラの右手には、金色のヒートソードが。
「ここでお前と争うつもりはなかったが、私の邪魔をし過ぎだ。少々、躾をしてやろう」
「それはこっちの台詞だもん!六ちゃんの代わりに取っちめてやるんだから!!」
お互い啖呵を切った言葉が合図となり、2つの流星が夜明けの遠い廃都市に衝突した。
次回の投稿日は8月23日の土曜日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




