第5話 酔いどれ射手は夜に囁く
『機械兵』
二足歩行型の殺戮兵器。
かつてのMC反乱で人類に悪夢を見せた。
体高はおよそ1.8m。白く塗装された鋼鉄の身体に、赤く光る一つ目が特徴だ。
足裏にタイヤを搭載したり、或いは腕の内部に機関銃を埋め込んだりと、カスタマイズ性に優れた量産型である。
鬼火のような赤い一つ目は、凶星のように闇を照らす。
睨まれたら最後、奴らは仲間内で情報を共有し、確実にあなたの生命活動を停止させるだろう。
闇底を漂う意識が、荒れ狂う海面へ浮上した。
ドロドロと、脳みそが病熱に爛れ溶ける。
思わず額へ手のひらを当て、そのはずが、汗に蒸れた腕は動かない。
「ぅ……!」
膿んだ熱が、口の端から微かに零れ落ちた。
ぼんやりと見上げる先は、黒の天井。
自動に回転するハンドル。
轍の土手道がフロントガラスを揺らいでいるあたり、ここは、装甲車だろうか。
「ヨルちゃん!石油タンクの狙撃ありがとね!!」
「……」
「ヨルちゃんのお陰でスムーズに動けたんだよ!!」
「……そ」
「よかったら今度一緒に遊ぼうよ!」
「ごめんなさい。それは──」
「──あっ、六ちゃん!」
喜色を弾けるメガホンが、鼓膜に答えを叩きつけた。
ロケットのごとく、後部座席を吹っ飛ばす薄桃色の髪。
たったの数歩で肩を上下させる大袈裟っぷりだ。
乱れた呼気が、清涼な空気を汚している。
「気が付いたの?だ、だいじょうぶ??」
俺は荒く呼気を鳴らして、ゆっくりと舌打ちを響かせた。
「……頼むから、黙っていろ……気分が一層、悪くなる……」
「ろ、六ちゃん気分悪いんだって!どうしよ!?」
「迅速に地下アジトへ戻ってます。もう暫く……もう暫くお待ちください!」
2色の大声が、異国の拷問みたいに脳内を締め上げた。
とにかく、今は身体を休めなくては。
朦朧とした視界を闇に閉ざす。
けれど寸前、高慢な笑みが世界のブラックアウトを阻止する。
「クックック……鼠も哀れむ醜態というやつだな……」
「なん……だと……?」
聞き捨てならぬ台詞に、俺は重い瞼をこじ開けて装甲車後方を覗いた。
キラリと、胸元に光る骸骨のペンダント。
漆黒の戦闘服に包帯を巻いた右腕が、不敵な仮面を被る。
「大言壮語の割には……クックック……他の星々と手を結ぶのも、また選択──」
「だ、まれ……!雑魚共が、吠えるなよ……ッ!」
肌を刺す冷気が、車内をきつく引き締めた。
極々当たり前のことを吐き出したはずだが、辺りを漂う僅かな沈黙。
桃色の瞳は小さく鼻を鳴らし、天井を見上げる。
次に蹴飛ばす相手は阿呆かと思っていたが、どうやら先に格付けを済ませておいた方が良い奴がいるらしい。
操縦席から立ち上がり、不敵な仮面を叩き割る。
ことが出来るはずもなく、身体はセメントで固められたみたいに操縦席を動かぬ。
「クソ、が……ッ!!」
俺は歯を食い縛り、アジトへの到着を待った。
轍の土手道を走り抜ける装甲車は、とうとう壊れた球状ドームへと辿り着いた。
急停車にガタリと揺れる車内。
「六月一日隊長!到着いたしました。担架をお持ちしますのでもう少々──」
無視して、崩れ落ちるように座席を這う。
壁に手を当て、一歩ずつ出口を目指す。
「六ちゃん、支えよっか?」
肩を触れた悪寒を、思い切り振り払う。
純粋に憂慮を宿したアメジストの瞳へ、酸味の混じった吐き気を飛ばし捨てる。
「この程度、1人で行ける……ッ!!」
「……独りは寂しいよ?」
「いい加減に、しろ……貴様の能天気に付き合ってる余裕はない……!」
白い吐息に狂熱が混じる。
また身体が震え出した。
壁沿いに鉛色の格納庫をふらつくも、最後の一滴が零れ落ちる。
冷え切った床に、狂熱を澱む額がかち割れた。
「ろ、六ちゃん!!」
見かねたように駆け寄る紺色の制服。
今度は腕を振り払う力も絞り出せない。
ほわほわと、快活な笑みが覗き込む。
「じゃあさ、六ちゃん助けてあげたお礼って形で、わたしの言うこと聞いてよ!」
「な、に……?」
「それなら六ちゃんも文句ないでしょ?」
悪魔的な言動の一連に、返る言葉は暫し行方を見失った。
まぁ、こんな阿呆にいつまでも借りを与えておくのは不安だ。
「これで……貸し借りは、なしだぞ……」
「うんっ!医務室まで連れてってあげるね!」
骨を抜かれたように脱力した身体を引き摺られる。
もはや、夢を生きているのか現実を見ているのかよく分からない。
気が付くと、白衣の女が真っ白な壁紙に同化していた。
「うわ。これまた派手にやられた子が……やられた……?君、怪我人じゃないよね?」
思考が纏まらない。
どこか遠くで、アルナが必死に俺の容態を説明する声が聞こえる気がする。
「医者なら、早く……治しやが、れ……」
「無茶を言ってくれるなぁ……」
呆れたようにため息を吐く白衣の女。
ベッドへ放り込まれた衝撃に、意識の糸はブチリと途絶えた。
ツンと、消毒液の匂いが、肺底を過剰に浄化している。
紛れて、体内を侵す野暮ったい煙。
絶妙に不味い空気に、自然と瞼が持ち上がる。
深いクマを刻んだ下瞼が、ベッドに沈む刈り上げの短髪を見下ろしていた。
「お加減はどうかな、眠り姫くん?」
落ち着いた声が、卵色の壁紙を溶け込む。
どうやら俺は、医務室で失神していたらしい。
あれから何がどうなったのか。
見上げれば、ひび割れた指先が葉巻を遊ばせた。
「君、かなり酷い状態だったね。身体の傷はともかく、脳のところが」
白衣の女は自らの頭を小突く。
とそこで、俺は俺の身体の軽さに気が付く。
きちんと力の伝わる手足。
南の海のように澄み渡る視界。
あれほど酷かった頭痛は一切ない。
思わず手のひらを握ったり開いたりして、身体の具合を確かめた。
「一応言っておくと、私はここの主治医だよ。リリー先生って呼んでね」
天井のライトに照らされて、乾いた黒髪が僅かに紫がかる。
「君は無茶するタイプみたいだし、長い付き合いになるのかな?それとも次は無いのかな?」
ニコリと緩む表情筋に対して、黒い双眸は少しの笑みも浮かべていない。
暫くは大人しくしていろ。
深いクマが放つ言外の圧力に、鳥肌が逆立った。
「……善処する」
「よろしい。じゃあ、この3日の間にあったことを報告しようか」
医務室を立ち上る紫煙が、小皿にくしゃりと鎮火する。
空間ディスプレイが、俺の横たわるベッドに展開した。
浮かび上がる映像は──『規格外』とジャック、そしてハサンと呼ばれた太っちょ幹部どもの集う一幕だ。
「──A006の奴はアドラを逃したッ!人工知能を破壊できない特殊部隊に存在意義はないでしょうッ!!」
いの一番に画面を叩き割るは、荒々しく野太い声。
複数人の幹部が同意するように頷く。
対するジャックは、オールバックに垂れたカーキ色の前髪を弄る。
「私が指令したミッションは、あくまでもF14拠点の奪還だからねぇ」
「そんなことは我々でも充分に成し得ることですッ!」
「君、散々言われてるね」
くすりと、乾いた唇が新たな紫煙を纏って緩んだ。
鬱陶しいが、今は相手にする必要もない。
『力』を使えば問題なくアドラと闘える。
それは今回でハッキリとしたことだ。
必要なのは、奴が最後に見せた奇妙な点についての検討。
それさえ済めば、もはやアドラは敵ではない。
「今回は彼らも成果を上げた。アドラとのセカンドゲームは突発的なものだ。それは事実だろう?」
分かり易く伏せる、灰色の瞳。
ハサンは苦しげに眉を顰める。
それでもなお、俺を追放するための口実を口走ろうとした──その瞬間、
「──いい加減にしつこいわよ、アンタたち」
刺々しい冷声が、会議室を張り詰めた。
思わぬ乱入者の登場だ。
俺は図らずも画面越しに瞬きを挟む。
会議室の壁面に腕を組む氷像は、切れ長の青白い瞳に連中を見据えた。
「特殊部隊を解体する意味、分かっているのかしら? アタシが、アンタらの部隊の何処かに配属されるってことよ」
怨霊が封印された祠を前にしたみたく、会議室は重い沈黙に浸された。
浅い吐息を残して、真っ白な腕はさらりと短い銀髪を払う。
迷いなき足取りが会議室の扉へと向かう。
「よ、ヨルちゃん!助けてくれてありがと!!」
沈黙を破るアホ毛の一言に、ヨルは銀色の横髪を耳に掛けながら扉を潜った。
「……別に。この部隊の方が、やりやすいってだけだから」
パタリと扉の閉まる音が鳴って、映像はプツリと途絶えた。
「状況説明は以上だよ。会議があったのは2日前だってさ」
「そうか。これ以上の報告はないな?」
「うん。私が総統から受け取ったのはこれだけだね」
寝たきり3日というのは不味い。
すぐさま鍛え上げた肉体を取り戻さねば。
ベッドから降り立ち、卵色のスライドドアを引く。
「またね、眠り姫くん」
2度と来るか。
俺は医務室を発ち、ロボット兵が巡回する夜間の基地へと繰り出した。
立ち入った訓練場は、夜の孤独に寝静まっていた。
天井が照るナイター灯。
滑り止めの効いた床材に、足音が短く鳴る。
時間が時間だ。
今日は身体を慣らすだけで良い。
かごの中から、雑多に投げ込まれた訓練用の狙撃銃を取り出す。
「……コイツにするか」
遥か向こうに見える案山子を狙い撃っては、環境を次々と変えていく。
狙撃銃の反動を身体に染み込ませ、砥石にあてがうように鈍った感覚を研ぎ澄ましていく。
とその最中、冷たい声が、背後から手を伸ばした。
「──アンタ、随分とこの訓練場が好きなのね」
振り返ると、銀髪の女が、トレーニングウェアを纏って佇んでいる。
ほんのりと赤い顔が、足音を近づけた。
果実酒の名残りが、輪郭の薄い唇から吐き出される。
「貴様、アルコール臭いぞ」
「うるさいわね……アルナと食事した後なのよ」
「よくあんな奴と一緒に居る気になれるな」
今すぐに、この場を立ち去れ。
話を合わせつつ、眉間に皺を寄せる。
しかしヨルは猫の耳飾りを弾くばかりで、訓練場を発とうとはしない。
「……何の用があってそこに居座る」
眉を顰めて訊けば、雪のように白いまつ毛が、ゆるりと閉ざされた。
青白い瞳は真摯な色を宿し、黒と翡翠のオッドアイを映し出す。
「アンタはどうして、孤高の強さを追い求めるの?」
「それが俺にとっての生きる価値だからだ」
それ以上でもそれ以下でもない。
強者に従い、強者を尊び、そして強者を挫く。
常に王者であり続けることこそが、この世で平穏を許される唯一の条件なのだから。
「ま、その訳わかんない価値観のせいで、アンタは3日前に隊員全員を敵に回したんだけれど」
流れる口調に、真っ白な腕は迷いなく練習用の対人ライフルを掴む。
氷像のような顔つきが、ジッと、俺を見据える。
「理人、アタシと勝負しましょ。どっちの狙撃が優れているか」
酔っ払いの戯言が、クイと、遥か前方の案山子を指差した。
なるほど。沽券の問題だったか。
俺は再び狙撃体勢に移り、即答する。
「断る。結果は火を見るよりも明らかだ。俺の勝利という形でな」
「アタシが勝負するって言ったら勝負するのよ。それともなに? 負けるのが怖いの?」
「……良いだろう。下らん余興に乗ってやる」
ズカズカと訓練場の操作盤へ近づき、風向き、風の強弱をランダムに設定した。
ウサギのように上下左右へと動き回る案山子。
常人には射抜けぬ環境であることは言うまでもない。
「勝負は、どっちが先にあの的を射抜けるか。勝者は……敗者に1つ命令権を得る。こんなところで良いかしら?」
「好きにしろ」
お互いに距離を置いて狙撃体勢に入る。
米粒のように小さく見える案山子へと、床の冷たい感触を腹に対人ライフルを構える。
『力』は使ってやらない。
が、決して手を抜いているわけではない。
単純に、『スーパーゾーン』は狙撃と頗る相性が悪いからだ。
これは決して、未来予知の能力ではない。
『力」が教えてくれるのは、狙撃の対象がどう動くかまで。
発射した銃弾がどのように風や湿度の影響を受けるかまでは予期できない。
故にこそ、俺は近接戦闘を好んで戦術に取り入れている。
尤も、師匠は俺にあらゆる戦闘技能を叩き込んだ。
『力』が通用せぬのならば、周囲の環境を読み取り、予測し、自らの頭で考えるまでである。
「……ここだな」
俺は自らの思考に従い、最適なタイミングでトリガーを引いた。
耳を破る轟音。
身体を突き抜ける暴風。
銃口から飛び出した弾丸は、獲物を捉えた猛獣のごとく案山子へ迫り──
──『横から飛んできた別な銃弾』が、俺の放った弾丸を食い荒らした。
「なん……だと……!?」
驚愕の声が零れ落ちる。
銃弾を破壊されたことについてではない。
別な銃弾は、俺の銃弾と衝突したことで進路を変え──案山子の頭蓋を貫いたのだ。
「……ふざけるな!偶然だッ!!」
拳を握り締めて乱暴にトリガーを引く。
が、その全てが撃ち砕かれる。
寄り道とばかりに、弾丸は案山子を通り抜けていく。
「馬鹿、な……」
唖然と口を開き、狙撃体勢に固まる俺。
一方でヨルは悠然と狙撃体勢から立ち上がった。
「アンタって馬鹿なのね。狙撃の神様に憑りつかれたアタシに勝てるわけないじゃない」
ふんと勝利に鳴る鼻。
鷹の眼は俺を見下ろして、にこやかな笑みを作る。
艶やかな銀髪が頬を撫でて、耳元に冷声を弾ませた。
「それじゃあ、理人にはアタシの言うことを聞いてもらおうかしら?」
次回の投稿日は8月19日となります。
それでは、また次話でお会いしましょう!




