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第1話 市民権など無き世界

 天をも貫くゴミ山に目覚めたその日、俺のセカンド・ライフは幕を開いた。



 極悪人のクールさに、目を焼かれたことはあるだろうか?



 それは闇に光る妖しげな宝石だ。

 欲望に忠実なクズの癖に、理不尽な権威には我先にと立ち向かう。

 その正直な姿が、多くの人に憧れをもたらす。



 けれど、そんな曲がった道は、絶対に行くべきではなかった。



「おい、テメェら!サッサと食料漁りの準備をしやがれッ!!」


 瓦礫を軋む大声が、寝ぼけた1日を叩き起こす。


 真夏の朝顔みたく、黒ずんだ廃ビルを起き上がる同胞たち。

 俺もまた砂っぽい指先で瞼を擦り、薄っぺらい継接ぎの布を剥がす。


「いつまで寝てんだァ?この愚図がッ!!」


 目覚めない者が野良犬のように蹴飛ばされるのは、ここスラムでは日常茶飯事のことだった。


「立てるか?」


 俺は枯れ木のような手を、蹲る同胞に差し出す。

 痩せた双眸に映る、黒髪の少年。

 右頬を壊死したゾンビは手を取って、一階ロビーへと繰り出す。


「全員揃ったな?行くぞ、テメェらッ!!」


 人っ子一人いない廃墟の街に、幽鬼の足取りが続いた。

 


 瓦礫ばかりが残る街並み。

 項垂れた道路標識に、白線の削れた路上。

 

 

 廃都市の境界線を抜ければ──『見渡す限りの荒野』が、ヘドロみたいな曇天の下で広がっている。



 これが、俺の生きる死の荒野。

 或いは、極悪人の流刑地──


 

 蜃気楼のように浮かぶ環状の外壁を目指して、俺達は擦り切れたゴム靴を砂利に鳴らした。









 地獄の針山みたいなゴミ山を、登る。

 ただ登る。

 腐臭に鼻の捻じ曲がる鉄クズだらけの最終処理場に、奴隷の影が幾つも落ちる。


「テメェら、キッチリ飯漁れよ!出来なきゃどうなるか分かってんだろうなァ!!」


 鬼の金棒みたく膨れ上がったサイボーグの右腕が、ゴミ山の麓から奴隷たちの背中を圧迫した。


 リーダー格の男は、死の荒野で唯一食物を得られる可能性のあるゴミ山を縄張りにしている。

 なればこそ、俺たちは嫌でもアイツに従わねばならないのだ。


「どこか……どこかに……」


 巨大な壁の内側からゴミが放逐されるのは、1日1度。

 状態など構わず、ひたすら拾い集める。 


「頼む……今日はあってくれ……!」


 ゴミ山から食べ物が見つかることは少ない。

 身体はみるみるうちに肉を失い、初めは心を苛んだ空腹は、いつしか隣人となった。


「や、やった……!!」

 

 黒く変色した肉の破片が宝石みたいに輝いて、思わず天を仰ぐ。


 とそこに映り込むは──ダムみたく巨大な外壁。

 一体、この壁の向こうには、どんな世界が広がっているのだろうか。


「……」


 目を凝らせば、構造物の尖塔らしき何かが、霞み見える。


 確か……そうだ。アレは──



──お気の毒ですが、あなたは殺処分の対象に選ばれました──



「ッ……!」


 反射的に、ゴミ山をしゃがみ込んだ。


 しくじった。

 ペンチで捻られた額へ手を当てて、痛苦の呻きを洩らす。


 思い出せる一番古い記憶と言えば、ゴミ山で目を覚ました日のこと。

 訳も分からぬままリーダー格に殴り倒され、奴隷として確保されたあの瞬間だ。



 いわゆる、『記憶喪失』。



 しかもこの場に居る誰もがそうなのだから、きっと、俺達はなんらかの理由があって記憶を失ったのだろう。

 それこそ、かつてはあの壁の内側で過ごしていたり。


「テメェら!集合だ!!」


 労働のタイムリミットが来た。

 俺はゆっくりとゴミ山を翻る。


 道中、右頬を壊死した男は絶望の表情で、痩せた笑みを引き攣らせている。


「おい、新入り。目ぼしいもんは見つかったか……?」


 無手の様子を見る限り、可哀想だが、男は何も見つけられなかったらしい。


「あぁ、俺はこれを」


 そう言って俺は、右手に握った肉片を見せて、



「──貰った!!」



 気が付くと、肉片を失った手のひら。

 男は泥棒猫みたいに、やせ細った脚からは想像もつかぬ疾走で麓へ駆け下りる。


 黒く汚れた指先が、リーダー格の隣で俺にスポットライトを当てた。


「あ、あのガキはなにも集めてねぇらしいぜ!!」

「ンだと……?」

 

 茫然と映る視界に、ニヤリと、カビを生やしたみたいに黒ずんだ頬が歪んだ。


「……へへっ。悪いな新入り。だが、ここは『そういう』場所だ。見ず知らずの人間に甘えたお前が悪いんだよ──」


──利用された。


 思い至った瞬間、ゾッと肝の冷え込む身体。

 反して、熱いモノが腹底から沸き立つ。


 巨大な鉄腕が、視界を覆い尽くした。


「テメェはいつまでも気に喰わねぇなァ!!」


 腹部を貫く衝撃。

 反撃してやりたい。

 けれど、抵抗する体力は残っていない。

 冷たい唾を吐いて、されるがままに殴られる。


「ぐ、ふ……!!」

「オイ!もっとイイ鳴き声聞かせろやァ!!」

 

 ある時、勢い余って蹴飛ばされた右眼は弾け潰れた。


 視界の半分は膿んだ痛みを残し、今も闇色だけを映している。

 以来、こと『状況を見切る力』が身に付いたことも影響しているのだろう。

 妙にゆったりと動く景色の中、本当に不味い一撃は、身体を丸めてきちんと防いだ。


「ケッ。しばらくそこでくたばっとけ」


 生温かい唾が頬に濡れる。

 やせ細った下っ端たちは、亡霊のように廃墟の街へ引き返すリーダー格に追従した。



 そうして俺はいつものように、亀の甲羅みたくひび割れた大地へ取り残されて、



 けれど、その日は影がもう1つ、荒野に居残っていた。



「──大丈夫だった?」


 朦朧とした左眼を映り込む、汚れた黄色いハンカチ。


 状況が理解出来ず、ゆっくりと、顔を上げる。

 まだ痩せ切っていない女性が、屈んで俺を見下ろしていた。


「ホント、アイツって最悪だよね。人のこと奴隷みたいに扱ってさ」


 差し出された手のひらの温もりが、軽く頬に触れる。


「キミが、こんなに傷付いてるのに」



 それは、救いの手だった。



 冬に春の息吹が満ちるような間を置いて、俺は錆び付いた喉を震わせた。


「あ、ありがとう……」

「気にしないで。お互い様だよ」


 それからというもの、彼女は俺が虐げられる度に必ず蜘蛛の糸を垂らしてくれた。

 彼女と肩を預け合える時間があればこそ、俺は何もかもを耐え忍べる気がした。


「キミと一緒に変えられたらいいな、アイツのやり方」


 固く意志を宿した横顔を盗み見る。

 微かにふくよかさを残した口元。微笑みの形。

 視線に気が付いた彼女は、栗色の髪を揺らして快活な笑みを向けた。


「内側から少しずつ変えていく形だけど……一緒に頑張ろうねっ」


 甘く疼くような香りが、舌先を抜けていく。

 

 最悪という言葉では足りない地獄の果てに、俺は小さな希望を見つけられた気がした。







 飢餓に凍える夜風が、俺を微睡から叩き起こした。


 冷え切ったコンクリート床に震える身体。

 やせ細った同胞を他所に、抱き締めながら起き上がる。

 割れた窓を仰げば、粉雪の夜、満月が薄紫の雲に隠れて薄く光っていた。


「──おい、あのガキはどうなった」


──ガキ。

 俺を呼ぶ荒々しい声が、心臓を握り込んだ。


 一階ロビーだろうか。

 それに、アイツは誰かと喋っている?

 ぐっと生唾を呑み込み、部屋の片隅から踊り場へ隠れる。


 リーダー格にべたりと触り付く者の姿は、夜闇のベールに包まれてよく見えない。


 だから、俺は耳をジッと澄ませて、



 聞き覚えのある柔らかい声が、悪意に満ちた嘲笑を響かせた。



「え~?すっかり私を信じ切ってるって感じ?ちょっと優しくしただけでコロッといっちゃった」



 頭が、真っ白になった。



「飴と鞭ってのが肝要なんだよ。オレは暴力、お前は優しさ。良い循環だろ?」

「キャハハッ!アイツらには私たちの為にしっかり働いてもらわなきゃ!」 


 邪悪なる笑声。

 茫然とする身体が、操り人形みたいに踊り場を立ち上がる。


 淡い月明かりがロビーを照らして、夜の陰りに、栗色の長髪を映し出す。


「な、なんでだ……?」


 零れ落ちる行き場のない疑問。

 双方からの反応はない。

 俺は堰を切ったように階段を駆け下りる。


「なんとか言ってくれよ……!内側から変えるんじゃなかったのかよ!?」


 ブラウンカラーの瞳は俺に一瞥くれることもなく、隣に立つリーダー格を見上げた。


「ねぇどうすんの?アイツもう気づいちゃってるよ?」

「……殺すか」

「そ。じゃ、後のことはよろしくね」


 骨ばった両足が、階上へと向かう。


「ま、待ってくれ……!!」


 思わず右手を伸ばせば、彼女は一度、応えるかのように振り向いた。



──ごめんね。アイツの前だからこんな態度しかとれないけど、私はキミの味方だよ──



 俺はそんな未来を夢想して、けれど、現実の彼女は薄く笑って決別の手を振った。



「バイバーイ。勘 違 い の マ セ ガ キ く ん」


 粉々と砕け散る幻想。

 荒い夜風が空虚な胸の内を削り抜ける。

 呆然と乾いた唇を開いたところ──顔面へぶち込まれる鋭い拳。


「う……ぁ……!」


 鉄錆の香りが口内を溺れて、薄氷の張った大地に赤く引き摺る跡を残した。


「テメェが居なくなりゃァ、ちっとは食い扶持もマシになんだろ」


 金棒みたいな鉄腕が降り上がって、廃ビルから着実に迫り来る。

 路上を伝って響く死の足音に、未だ夢から醒めきれぬ思考は、鋭敏に研磨されていく。


──裏切られた。


 耳に残る彼女の嘲笑。

 甘い希望の灯りが暗闇に滅する。

 反して右眼の闇は、ジクジクと膿んだ痛みを再燃した。


 なんでこうなった? 俺が弱かったから? 彼女が上手く立ち回ったから? それともリーダー格が強かったから?



──その全部だ。



 深い闇に沈んで、俺が強く言い放つ。

 

 この世界は力こそが全てだ。

 見ろよ。リーダー格は暴力で強者となった。彼女は人を欺き弱者を利用した。

 あの男だってそうだろう? アイツは俺の善意に付け入って姑息に生を繋いだんだ。



 なればこそ──強きに従え、強きを尊べ、そして強きを挫け。



……どうして忘れていた。『向こう』で散々やってきたことだろう。

 強さで他者を支配しろ。他人を信じるな。そして俺こそが強者へと成り上がれ! 

 強者たることだけがこの世を安寧に生きられる資格だッ!!


 言い聞かせるように心の中で唱える。


 やがては──右眼を浸蝕する闇が、左眼をも覆い尽くして、


「つよ、く……つよく、なって……ッ!……俺が、王になってやるッ!!」



 飢餓と疲労に遠のいていた渇望が、歯軋りする口の端から溢れ出した。



「死にぞこないのガキが……いっちょ前にイキがってんじゃねェ──ッ!!」


 夜の廃都市に狂い上げる、野獣の如き咆哮。

 膨れ上がった腕が振り下ろされて──瞬間、身体が無意識的に『力』を行使する。



 顔面へと迫り来る鉄拳が、水中にでも突っ込んだみたいにゆったりと動いた。



 遅延した世界に先立って首を傾げれば、鉄腕は虚空を穿つ。


「な……!?」

「──そこだッ!」



 俺は最小限の動きで身体を捻り、左拳を、見開く鈍色の瞳へ突き放った。



「……ぐッ!?」


 痛苦の声が耳を撫でる。

──いける。

 確かな手応えを握り締めて、俺は次なる殴打に移ろうとしたところで、



 拳の向こうに、ニヤリと笑うリーダー格の様子を見た。



「……へッ。パンチが軽い軽い。どうやら、根本的なパワーが足りないらしいなァ?」

「……ッ!?」


 やせ細った身体の代償──

 気が付いた時にはもう遅い。

 ブンと鉄腕が視界を覆い、眉間を砕く。


 気が付くと、冷たい路上が背中を這って、乱れた呼気を白く夜空へ上げていた。


「じゃあな、クソガキ──ッ!!」


 脳が揺らいで、上手く立ち上がれない。

 路上に倒れた俺へと、リーダー格は止めの拳を振り上げる。


 とその直後、



「──悪いが、ソレは……私のものに、する……」



 鮮やかな漆黒が月影を背に降り立て、低く澄んだ声を、真冬の夜に囁いた。

次回の投稿日は8月10日の日曜日となります。

では、また2話でお会いしましょう!

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