第二十二話 《大壇焔》
ステアとフィーネに迫る獄炎は世界でも有数、炎系統魔術の中では最大の火力を誇る魔術《大壇焔》。
現実では、”バックドラフト現象”と呼ばれる火災現象を元に考案された。
この世界では貴族の屋敷で火災が発生したときに稀に起こる。
ここで端的に、バックドラフト現象について述べる。
密室で火災が発生した場合、炎が酸素を消費し尽くすとそれ以上の燃焼は起こらず、外見上は小火が燻る、もしくは鎮火したように見える。
しかし、室内には酸素の代わりに燃焼によって発生した可燃性ガスが充満している。
この状態で密室の扉や窓を開放すると、外部から酸素が急激に流れ込み、爆発的な燃焼が発生。
甚大な被害につながる。
これを元に、《大壇焔》の術式発動プロセスを述べる。
1.巨大な炎を発生させる。
2.炎を密閉する断熱性の高い結界を構築する。
3.結界内の炎が極小になるまで待機。
4.結界の任意の部分に穴を開ける。
以上の工程を経て、地獄の業火と呼べるほどの炎の奔流を敵対者に向けて放つことができる。また、結界の穴の開け方によって、炎の向きを任意に調整可能としている。加えて、酸素だけでなく大気中に漂う魔力も流れ込むことで、科学的反応以上の火力をもたらす。
この魔術の考案者は、まだ明るい茶色の長髪をなびかせていた学生時代のフィーネ・セロマキア。
当時の彼女は新聞をまったく読んでいなかったが、級友ロゼ・クリスタが適当な話題に選んだ、とある貴族の邸宅火災の様子から着想を得た。
しかし、この術式を構築するにあたって、当時では解決できない問題があった。
それは、術式構成の限界である。
現代でも、強力な魔術のほとんどが器術によるもの。
これは身術の術式実行情報を魔導器に入力し、それを元に威力や機能を追加して、器術として出力・発動している。逆に言えば、身術だけでは魔術の性能に限界があり、強力な魔術を発動するためには器術に拡張する必要がある。当然ながら、器術によって拡張できる性能にも限度がある。
器術では、先程述べた工程1を身術で実行。その情報を魔導器に入力し、2を器術として発動するに留まる。
この工程で発動するのが、ロゼがフィーネ相手に振るった《火似刃》である。結界の一部に穴を開けるという要素は《大壇焔》と変わらない。しかしながら、初めから穴を開けるように結界を構築する《火似刃》に対し、《大壇焔》は立方の結界を構築後にその形状を変容させる。たったこれだけの操作を加えるだけにも関わらず、当時の研究では結界の変形というプロセスを付け加えられるような術式構成は発案されていなかった。
では、この問題をフィーネはどう解決したか……
答えは単純明快、器術の術式実行情報を再度肉体に入力、身術として発動する、である。
これにより、元からクリアしていた工程1、2と延長線上の3に加え、身術によって結界の任意の部分を開放する4を実現。《大壇焔》は完成する。
術式構成が完成するまではよかったが、当時では常識外れな術式を作り上げたフィーネを多くの学生や魔術士が嘲笑った。彼女らの論調は、あまりにも常識から外れたアプローチから生まれた術式構成であり、使い物にならない魔術を作り上げたというものである。フィーネが魔力を持たないという境遇が嘲笑を助長した側面はあるだろうが、事実、当時は誰もがこの魔術を発動することができなかった。
魔術を発動するには、術式の処理能力やそれを維持する集中力が基盤となっている。器術を発動するだけでも相当な集中力を必要とする。身術を魔導器に入力する処理によって器術は発動できても、さらにそれ以上の処理を必要とする上、魔導器から肉体へという処理を未だ誰もが試みたことがなかった。それまでの人類の研鑽では扱いきれない魔術の出現に、戸惑いやある種の恐れを抱いた者も少なくないだろう。
批判的な立場を取らず、実現可能性について模索する魔術士や学者も当然ながら存在した。しかし、彼らは理論的な術式発動の妥当性を認めるだけに留まる。フィーネの着眼点を評価しながらも、《大壇焔》は遥か先の人類がようやく操れるようになるであろう大炎という見解を述べた。
しかし、親友が正当に評価されていない事実に、黙っていない才媛が一人、烈火の如く怒り狂った。
ロゼはフィーネが秘密裏に作成していた腕輪型の魔導器『灰奈』を誕生日プレゼントとして渡された。ロゼは大いに喜ぶのも束の間、フィーネに《大壇焔》を灰奈に設定するよう頼み込んだ。フィーネが不承不承ながらも灰奈の作り直しをしている間に、自身は『原創陣』にて身術を《大壇焔》用にセットアップ。灰奈を渡しながらも、失敗を憂慮しているフィーネの手を引き、彼女を頭ごなしに馬鹿にした生徒たちの寮に向かった。
誰も寮内にいないことを確認し、ロゼはフィーネの両手を握る。
「いい? フィーネちゃん。見ててね」
「でも……」
伏し目のフィーネに対し、ロゼは晴れ晴れと彼女に笑いかける。
「フィーネちゃんがやることはムダなんかじゃないの。それを今、証明するから」
ロゼが空に向けて灰奈を嵌めた腕を掲げると、生まれ出た大炎が空中に鎮座する。炎は次第に立方体の形を為したと思えば、みるみるうちにその威容を萎ませていく。
「ロゼ……」
「大丈夫よ。だって、私たちなら……!」
不安がこびりついた声を漏らすフィーネに対し、ロゼは一声――
「《大壇焔》!!」
ガラスが大破する音と共に、一条の紅が空へと伸びる。
その威力は凄まじく、大炎の発生よりも上層にあった寮の建物は見事に消し飛んだ。
これと同じことを魔術士の宿舎や駐在所にも決行し、ようやくロゼの溜飲は下がった。正しくは最初の一発で吹っ切れていたが、あまりの火力に昂った上に、表情の乏しいフィーネの晴れやかな笑みを見たロゼがハイテンションになってしまったために被害が広がった。
少女の凶行に多くの者が彼女たちを取り囲んだが、ロゼは不敵な笑みを浮かべ、群衆に聞こえるようにフィーネに語り掛けた。
「フィーネちゃん、アタシたちは生まれる時代が早すぎたみたい」
「ふふっ……」
フィーネは口を押さえ、ロゼは声を上げて笑い合う。
後に王国最強の魔術士となる2人の、12才の出来事であった。
話は半世紀後の現在に至る。
《大壇焔》を発動できる魔術士は、世界で2人のみ。
1人目は、前述の通り、【才焔】ロゼ・クリスタ。
2人目は、魔人の受肉体となり、魔導路が一等魔術士と同等になったフレア・アクセサリ。
ロゼが相対する親友フィーネ・セロマキアは、縦横無尽に躍動する【戦姫】の名を冠する。
これに対し、ロゼは炎を囲った立方体の結界の、自分側の側面と底面以外を開放。視界に映るものすべてを爆炎に包み込もうとする。
一方、フレアはステアに負わされた傷により、身術から小さな炎を発生させることすら難しかった。
これにより、灼杖に結界だけでなく大炎の生成も処理させたため、過処理に耐えきれなかった灼杖は何とか器術を完成させ、身術に入力までして朽ち果てた。
その身術も負傷した部位に刻まれ、激痛を伴いながら処理をし、何とかステアに向かう前面の一部分を開放。図らずも、《火槍》のような形状でステアを貫こうとする。
これよりは、《大壇焔》を向けられた2人がどう対処しようとしたのかをご覧いただきたい。
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<特等魔術士の場合>
きれいな炎……
私を肯定してくれた、何にも代えがたい聖火。
これ全部がロゼの想いなのかな。それなら、この炎に包まれれば――
ハハッ……ダメか。
『受け取る』って、そういことじゃないよね。
まさか自分の手で斬る日が来るなんて、なんて皮肉。
指輪の魔導器で展開している、砦を覆っていた結界を解く。
鏡剣に意識を集中する。
剣を上段で構え、振り下ろす。
「《界斬》」
蛇竜の首を消し飛ばした、魔力による斬撃の放出。
結界系統魔術《界斬》
結界系統への適性だけでなく、自然四大系統――炎、水、風、土への適性があって初めて成立する魔術。適性の度合いも、いずれも一等魔術士に認定されるだけの能力が求められる。ロゼの場合、水系統への適性がギリギリ二等に届く程度のため、《界斬》を発動することはできない。
極光に包まれた物質は、初めから存在しなかったかのように跡形もなく消え失せる。思うがままに自然世界への干渉を許された者のみに与えられる、世界の構造を改竄するような力。
それは業火をきれい二つに割る。極光はロゼを包むことなく消失。
正しく色を取り戻していく世界の中、彼女の寂しそうに笑った顔がよく見える。
再度、砦を囲う結界を展開。二つに分かれた業火が、残り二つの城壁をそれぞれ破壊し、結界にぶつかると大爆発を起こす。
爆発音がほぼ同時に三回鳴った気がする。
爆炎はこっちにも跳ね返ってきそうな勢いだけど、そんなことはなかった。
ロゼが左手を前に出している。爆炎がこっちに来ないように操作してくれている。
いつしか炎が消え、私は結界を解いた。
見晴らしが良くなった空の下、月光が私たちを照らす。
互いに、歩き出す。
手が届く範囲まで来て、お互いに歩くのを止めた。
先に口を開いたのはロゼ。
「あ~あ、負けちゃった。さすがフィーネちゃん。アタシが見込んだ女よ」
そう言うロゼの顔は、いつもの太陽みたいな笑顔になっていた。
「私も、ロゼがいなきゃ勝負することすらできなかった。本当に……貴女と出会えたことが、私の一番の幸運よ」
私も笑う。
一緒に笑い合う。
あの頃に戻ったようだった。
けど、この空間に水を差す気配――
ジメジメというか、ピリピリというか、正確に言語化できない不快感。
振り返ると、栗色の髪をした女が空を漂ってこっちに向かい、声を上げる。
「ロゼさん!!」
こいつは、魔人……
ロゼを泣かせたのは、私と――
じゃあ、殺す!!
地を蹴り、魔人に一直線に向かう!
剣を構える!
魔人は茶色の目を見開いて、私を……見ていない。
関係ない!
間合いに入った!
剣を振り上げ、魔人に斬りつける!
………………
?
…………
……
…
あ、あっ、あ……あっ――
私は、魔人との間に飛び込んできた影を斬っていた。
血と同じ、紅の長髪をした――
「ロゼ!!!」
「ロゼさん!!!」
ロゼの背中を斬った。魔人はロゼの名前を呼んでいる。何なのよコイツは!斬ったロゼを私が魔人どうしよう斬る殺す治す癒すどうする嫌だ血が死んじゃうありえない見たくないどうしてそんなロゼが私は―――
「アズサ! もう行って! アタシは……十分よ……!」
ロゼが地に伏しながら、魔人に話しかけている。何が、十分で――
「っ! 本当に、ごめ……ありがとう……」
魔人が泣きそうな顔でロゼに告げると、明後日の方へ飛んでいく。
「待て――っ!?」
私が魔人の方へ足を向けると、ロゼが私の足を凄まじい握力で掴んできた。
「いいの……? ハァ……このままアタシを……ハァ……治さないなら……自己治癒も掛けずに、ァ……死んでやるわよっ……!」
「っ……!!」
なんで、そんなこと……
ロゼの目は迫真めいて、縋るようで、殺気があるようで、懇願するようで――
それなら、もう……
私はロゼの背中に手を当て、治癒魔術を掛ける。
魔人がどこに行ったのか、もう分からない。
今回 proの場合
次回 noobの場合




