第二十一話 焦がれ
時は戻り――
<フレア視点>
あ”~……クソ痛い……
ステアの奴、容赦なく斬りやがった……
傷口から血が止まらない。
ここ二年、痛覚を感じてなかったのに、久しぶりの痛みがこれとか……
いや、もはや痛くなくなってるかも。
これ、死に際かな……
上着の内衣嚢から、両親がくれた髪飾りがたくさん入った小袋を取り出す。斬られたせいで、中身はほとんどダメになってる。代わりに、これがなければもっと深い傷になってたかも。
でも、あいつに《火球》を当ててやったときの驚いた顔、めっちゃよかった。
至近距離で当てたせいか、私の右腕の火傷がひどそう。黒炭みたいになってるし、もう使えないのかな。
それでも私は、今も立ち続けている。
これであいつが立たなければ、私の勝ち。
?
いや、それより、気にしなきゃならないことが……
誰かが苦しんでいる声が聞こえる。
そうだ……
「ごふっ……先生……大丈夫で、すか?」
吐血と混ざってしまった。
私の右側を見ると、引き剝がされてしまった魔人が、女性が、先生が唸りながら、うずくまっている。
栗色の肩まで届かない髪をした、茶色の瞳の女性。
その人はこちらを見上げ、気遣ってくれる。
「私のことより……フレア、あんたの方が……待ってて。今、治癒魔術を……」
先生はこちらに手を向け、治癒魔術を発動させる。
「っ”……!!」
他者の魔力が流れ込むことで起こる拒絶反応。斬られる痛みとは別。全身が焼かれる感覚。こういうところでは、先生と私の相性、悪かったんだ。
先生が手を引く頃には流血が止まった。
「フレア、ごめんなさい……傷が……残りそうで……」
先生は苦しみに喘ぎながらも、私を慮ってくれた。治す義理もないのに、わざわざそんなことまで気にしてくれるなんて。無理やり私から引き剥がされて、先生もつらいはずなのに。
本当に、魔人だからという理由で、この人を殺そうとするとか、この世界はトチ狂ってる。
でも、現実は非情。
すぐにフィーネ様が師匠を伸してこっちに来るかもしれない。もう、一緒にはいられない。
「先生、行ってください」
私の言葉に、先生の目が見開く。
「フレア、でも――」
「でもじゃないです。ここで殺されちゃったら……私がこんな痛い目にあった甲斐がなくなっちゃいますって」
そう言うと、先生が捨てられた子犬みたいな顔になっちゃった。捨てるのは先生の方なのに。
でも、捨てられる前にこれだけは伝えないと。
「先生……あなたのお陰で、私は魔術士としても、教師としても、恥じることのない人間になれました。ちょっとズルしたけど……この二年が私にとって一番幸せな時間でした。才能のない私を師匠と一緒に育ててくれて、ありがとう。あの子たちの先生にしてくれて、ありがとう。私に、先生みたいな人がいるって教えてくれて、ありがとう……何もお返し出来てない、不出来な生徒ですけど、気が向いたら私の死に際に、枕元に立ってほしいです。あとついでに、師匠のことも忘れないでくださいね」
呼吸が荒く、息も上がってたけど、何とか全部言えることができたと思う。
伝わったか心配だけど、先生の頬に流れる涙を見れば……大丈夫そうかな。
「私も……フレアに会えてよかったよ。得体の知れない私を、受け入れてくれてありがとう。あなたのお陰で、私も、また教師に戻った気分になれたの。こうなってしまった以上、どう報いればいいのか分からないけど……あなたたちに会ってから、この二十年がそれまでと比べ物にならないほど充実したものになったわ。最後に、フレアのような生徒を受け持つことができてよかった。本当に……ありがとう。そして……ごめんなさい」
震えた声の先生に手を伸ばすけど、手は頬に触れることなくすり抜け、涙を拭ってあげることができない。ついさっきまで隣にいる以上に身近に触れ合っていたはずなのに。先生も私の手を取ろうとするけれど、すり抜けて何の感触も感じない。
ひどく切なく、私たちと先生の相容れない現実を思い知らせてくる。
けど、その事実は先生を決心させるには十分だったようで、すぐに先生の体は持ち上がり、砦に向けて低速で、よろよろと夜空を飛んでいった。
一番危ないところに自分から行くなんて。無事に師匠と別れの挨拶ができるといいけど。
「さようなら、アズサ先生……」
目一杯の感謝を込め、先生に別れを告げる。
先生からの返事はなかった。
振り返ることもなく、先生の姿が小さく、遠のいていく。
何も言われないってことは、また会えるのかな。
もう疲れた。
自然と空から視線が落ちる。
チッ……
最悪。
立っている。
砦へと続く林道の入り口で、私が世界で一番大嫌いな奴が――
ステア・ドーマが、剣を構えて立っている。
暗闇でも皮膚が赤く火傷している様子はよく分かり、脇腹に空いた小さな穴が痛々しい。ザマァみろ。
それなのに、痛めつけてやったにも関わらずその表情は――
ステアが息切れしながら声を上げる。
「お前……何がしたいんだ?」
本当に、あいつの声は嫌になるほどよく響く。
~~~
<ステア視点>
フレアに《火球》を至近距離で当てられ、林道の入り口まで吹っ飛ばされた。
全身火傷で、皮膚の感覚がわけわかんないことになってる。
体が空気を求め、呼吸が速く、大きくなる。
その度に、喉と肺に激痛が走る。
剣を地に突き刺し、何とか膝立ちになる。
俺を吹っ飛ばした張本人フレアの方を見る。
暗闇で見づらいが、フレアは俺が斬った傷口から大量の血を流して立ったまま。橙色の明るい髪が月光に照らされている。
あと、暗い髪色の女?がフレアの横でうずくまってる。あれが魔人か。フレアの体内に入ってたんじゃないのか? 服着てるけど……
二人が話してる。
魔人がフレアに手を差し出している。
フレアの足元に垂れていた血の勢いが弱くなった気がする。
もしかして、治療してるのか?
……考えなくはなかった。
普通に考えると、この戦いは魔人に体を乗っ取られているフレアを助け出すっていう王道展開だったはずだ。
だが、魔人がフレアから引き剥がされても、フレアは俺に《火球》を当ててきた。あの時の目は昼間の俺に向ける悪態、その延長線上の敵意だった。つまり、フレアの意志で俺に攻撃してきたってことだ。魔人もフレアから俺の話を聞いてたようなことを言ってたし、普通に意思疎通が取れてそう……
ここから想像できる一番わけわからん構図は――
世間一般の凶悪な魔人像と異なり、ロゼもフレアも魔人もただの仲良しで、俺とフィーネがそれを崩壊させようとしたって感じか。
魔人が俺に付け入る隙を与えてまで校舎と校庭の間に炎の壁を作ったのも、校舎を戦場にしないため。なぜなら、魔人にとっても思い出が詰まった場所だから……か。
キッツ……
もしかしたら戦う必要なかった?
でも、始めたもんは仕方ないし、どうにもアクアに言った通りのことをやってたわけか。
地面から剣を抜き、手首を回す。
これで……どうにかなりそうか?
手首の無事を確認すると、魔人がふわふわと浮いてこちらに向かってきた。霊体って浮くことができんのか。
魔人を初めて目にしたという感動も束の間、何とか立ち上がって剣を構える。俺に戦う体力は残されていないが、戦意を示して威嚇になるなら儲けもんだ。実際、魔人の飛行はよろよろで速度もなく、俺の暗器で容易に仕留められそうだった。霊体に物は当てようとしても、すり抜けるみたいだけど。
一瞬、魔人の目がこちらに向いたが、すぐに逸れ、砦に向かっていった。
あっちにはフィーネがいる。無事に確保できればいいが……
マジで疲れた。
視線が落ちる。
フレアが俺の目を見据えていた。
正直、俺にはもう何もできない。だから、これを聞くしかやることがないな。
「お前……何がしたいんだ?」
声を上げたが、空気が抜けたような声量だった気がする。聞こえたか心配だったが、フレアの視線が睨みつけるようなものに変わったため、しっかり聞こえてたようだ。
大怪我をしているっていうのに、フレアは授業をするような声量で語ってきた。
「もう……あのときと同じ思いをしたくないから。力がなくて、何にも自信が持てずに動けないなんて思いをしたくないから、強くなりたかった。師匠の魔衛士になり、先生に……魔人に受肉させた。どれもこれもあんたみたいな冒険者の力なんて必要としない、絶対的な力を手に入れる……た、め……」
力……か。四年前の事件がここまで尾を引くとはな。あの一件で俺に八つ当たりをしていたなら、魔人が言っていたようにマジで逆恨みだな。
しかし、そう言うフレアの言葉の最後が何かおかしい。
すると、フレアは血まみれの左腕を持ち上げ、頭をかいて叫んだ。
「あ”~~~~!! 違う違う! そうじゃない! そう! 私はあんたみたいになりたかった! 大した力なんか持たない癖に、死ぬことなんてこれっぽっちも考えない目をしたあんたに憧れたの! 私も力さえあればあんたみたいに何にも怯えない魂を抱けると思ってた! でも、根本から違ってた……四年ぶりに会ったあんたは、フィーネ様の魔衛士になっても強くなったわけじゃない。だってのに、こんな無茶な勝負を仕掛けてきた! あの時とまったく同じ目つきで、ニヤケ面のまま戦い、曲りなりにも勝った! 一体どうしたらあんたみたいな強さを得られるっていうの!? 私たちなんかより何倍も長い時間を生きている師匠と先生ですらその答えは教えてくれなかった! 私はいつになったらこの焼き切れるような焦がれから解放されるっていうの!!」
魂を裂かれるような叫びだった。
そんな感情を俺に抱いていたのか。
けど……ニヤケ面?
顔を触る。確かに頬が強張り、口角が上がっていた。
俺は、この非常事態に笑っていたのか……?
いや、心当たりはある。
単純に、これまでの人生では考えられない状況にアガっていた。フレアを斬りに行ったときなんて、時間稼ぎのことが頭から抜け落ちていた。状況がぴたりと噛み合ったことに脳汁が噴き出た感じだった。
あと、ヒリついていた。炎で、だけじゃない。
『魂』が、だ。
魔獣を相手にした『命』のやり取りじゃない。
過去、現在、未来のすべてを差し出して戦う。
その中で感じられる何もかもが、心地よかった。キツかったけど。
言語化は何となくできた気がする。だが――
「俺はお前じゃないし、お前は俺じゃない。俺はただ、この戦いの先にあるであろう『最高の景色』を見たいだけなんだ。きっとお前が納得するような『焦がれ』をなくす方法を俺は持ち合わせていない。それでも、自分が求める未来のために、手段を惜しまず、努力を続けたお前を、俺は称賛する。やり方は褒められたものじゃないけどな。それに……形はどうであれ、俺が誰かの目標になる日が来るなんて思わなかった。なんだろうな……結構、嬉しいな」
本当に、状況と気分がメチャクチャだ。それでも、噓偽りない本心だ。
「だから……だからこそ、もう一度聞く。お前は、何が――」
いや――
「フレアの夢は何だ?」
フレアは俺の言葉に目を見開く。直後、彼女は吹き出す。
「アッハハッ! 本当に、あんたは……」
フレアは右手で灼杖を拾い上げる。その手は所々が黒くなっている。
「私は、あんたより強いって、自信を持って生きていたい。でも、今日、今、この瞬間……理解したの。力のないあんたが生きているだけで、私の敗北感は絶っ対になくならない。もう金輪際、あんたの存在に触れたくない。八つ当たりで、わがままだってのはよく分かってる。あんたからしたら迷惑以外の何物でもない。それでも……だからこそ――」
晴れ晴れとした笑顔で、一言――
「《大壇焔》」
フレアの頭上に、これまで俺に放った炎を足しても足りないほどの極大の炎が浮かぶ。あたりは昼間よりも明るくなる。
灼杖が朽ちるように崩れた。
「ぐっ……!」
フレアは呻きながらも、続ける。
「これが、私の全身全霊。私があんたに抱く、『嫌い』の全部。だから、お願い、ステア……! 私の、ありったけを――」
フレアが懇願するような眼差しを向けてくる。
ああ、そうだな……
そんな熱い目を向けられたら、応えるしかねぇよなぁ!!
~~~
奇しくも二つの戦場で、同時に太陽の如き獄炎が現れた。
一方の戦場では精神が、もう一方の戦場では肉体が、相対する両者共に致命的な傷を負っている。
いつしか獄炎は消え、あたりが暗闇と静寂に包まれる。
そして、師弟は人差し指を差し出し、想いの丈を相手にぶつける。
「「受け取って……!!」」
対する主従は剣を構え、一言。
「「来い!!」」
直後、どちらの戦場でもガラスが割れたような音が鳴り響き、噴き出した地獄の業火がステアとフィーネを吞み込まんと迫った。




