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その節は婚約破棄してくださりありがとうございました

作者: はぐれ犬

まあ、薄々そんな気はしてたから。


「という訳なんだ……。だからその……取引先のご子息と、こ……婚約を」


「わかった」


「へ?」


驚きというより、なんだかあっ気に取られたような父さんの顔。その隣で同じような顔をする母さんだったが


「わかったってあなた……本当にわかってるの? この話しは"やっぱり無理です"なんて到底済まされない話しなのよ?」


「大丈夫だよ」


「高校生活もあと半年で卒業だし、内定だって決まってるんでしょ? 一旦この話しが進んだらもう後戻りは」


「母さんも父さんも、それがわかっててそれでもどうしようもないからって婚約の話し持ってきたんでしょ?」


「……」


「父さんの会社がちょっと危なそうなの2人の会話でなんとかなく知ってたから。中退はちょっと嫌だけど、内定も特にしたい仕事とかじゃなかったから大丈夫だよ」


「……彩乃、すまない」


こうして私こと【高倉彩乃(たかくらあやの)】は、父さんが経営する高倉商事の得意先の御曹司、中野一馬(なかのかずま)さんと婚約することになった。



★★★



同棲が始まると、すぐに色んなことが見えてきた。例えば


「ははっ!本当に娘を差し出してくるとはな。そんなに自分達の会社が大事かよ!」


今回の婚約はこの御曹司が経営が苦しい父さんに話しを持ち掛けたことだったり。この人の性格の悪さだったり。


「へっ!いい親に産んでもらったな!」


憎たらしい顔だけど、その通り。父さんも母さんも常に私に寄り添ってくれる最高の両親だ。


「お前、この俺の婚約者になったからにはまずは徹底的にマナーやモラルを身に付けてもらうからな。まずはその無愛想な顔、今すぐなんとかしろ」


「……はい」


大手企業の御曹司、中野一馬さんはとにかく厳しい人だった。いつも威圧感な口調と態度だけど、テーブルマナーや社交性に関することには特に声を荒げる。


日頃から会社経営で共働きな両親に代わり、家事の全てをこなしていた私がそれなりに自信のある料理を作ろうとした日なんか


「おいっ、なにをしてるんだ! 料理だと!? バカやろうが!! 匂いもつくし油とかで汚れるだろうが! ここはキッチンだぞ!」


意味不明な言葉を連発された。料理に使わないキッチンなんて意味あるの? 次の日なんか


「ゴミ出しに片付け? うちには家政婦や使用人がいっぱいいるんだよ! これだから弱小企業の貧乏人は困る」


確かにいっぱいいる。落ち着かないくらい。

大手企業の御曹司なだけあってすごいお金持ちなんだろう。ま、落ち着かないけどこの人と2人きりにされるよりマシか。



★★★



やることがない。充実とは真逆の日々が続く。部屋の掃除でもしようものなら文句の嵐だし、いつから自分は人形になってしまったんだろうって、婚約者より何より、この何もない毎日の方がキツかった。


「それを着て仕度を済ませろ。家政婦をつけてやる」


そんなある日のことだった。御曹司が白のドレススーツと装飾品を身に付けろと命令してきたのは。どうやらこのあと、御曹司の父が経営する会社の得意先や繋がりのある人たちを集めた社交パーティーのようなものに参加するらしい。


「見た目だけはマシだな。いくぞ」


こうして私は同棲から約1ヶ月ぶりに外に出ることになった。



★★★



私物もほとんど持ち込むことは許されなかったけど、スマホだけは死守したから同棲が始まっても両親とはこまめに連絡が取れてる。


父さんの会社には婚約が決まった時点で大量の生産発注がかかったそうで、私がいなくなってぽっかり空いた日々を忙しさで上書きしてるとか言ってた。


たまには帰ってこれるんだろ?って、帰るどころか外にすら出られないんだから。ほんと……この先、不安で仕方ない。


「おい、もうしまえ。電源もOffにしろ」


どうやら到着したらしい。私はスマホの電源を切り、一馬さんにエスコートされながら大きなビルのエントランスに入った。



「お初にお目に掛かります。中野一馬の婚約者、高倉彩乃と言います。(グ~っ)…失礼致しました」


なん十回目かの挨拶でようやくスラスラ言えたこの挨拶も、腹の虫のせいで台無しなんだけど。

でもほんとお腹空いた。食べ物や飲み物はこんなにいっぱいあるのに、到着してからの2時間ずっと挨拶と世間話しだけ。


「彩乃、少し外しなさい」


世間話しから仕事の話しになった時、御曹司から席を外すように促された。ちょうどトイレにも行きたかったからいいタイミングだ。そう思って足早に会場の通路にある手洗いに向かったんだけど


「うっ……!」


通路に男性がうずくまっていた。壁に片手を添えてすごい苦しそうに。女子トイレはこの通路の先だし、うーん……


「あの、大丈夫ですか?」


「す、すみませんが、水を……!」


「すぐにお持ちします」


私は走った。苦しそうな男の人とトイレのために。


「どうぞ」

 

「ありがとう……! うっ、うっ!」


会場から持ってきた水を勢いよく飲み干した男性は、深い息をついてこちらに顔を上げる。


「本当に助かりました。お名前をお伺いしても」


「いえ、お水をお持ちしただけなので。グラス、戻しておきますね」


「おいっ、何をしている!」


男性からグラスを受け取ったその光景が、もしかしたら彼には手を握ったように見えたかもしれない。そんな予感をさせる声色だった。


「彩乃……! お前は俺の婚約者として今夜のパーティーに出席しているんだぞ!! それを、外に連れ出すなりいきなり浮気か!」


「ち、違います!」


「黙れっ!!」


めちゃくちゃ怒っている。たぶん、今は何を言っても聞いてくれない。


「もういい、もぉおいい!! お前のところに流している受注は全て中止だ!!」


「それは困ります!」


「しらんな! 今この場を持って、お前との婚約を正式に破棄する!!」


え……本当に? こんな勘違いで?

私の、今までの1ヶ月間はなんだったの。父さんの会社も、このままじゃ……


「ちょっと待ってくれ! 彼女は俺に水を持ってきてくれただけだ! 浮気なんかしていない!」


「誰だ、お前は! まあこの場に出席しているところを見るにうちと繋がりのある会社の人間なんだろうがな! いちいち他人様の話しに首を突っ込んでくるな!!」


「そ、そうかもしれないけど! でもこんな勘違いで婚約破棄なんてあんまりだ! 彼女が可哀想だよ!」


「へへっ! そんなに可哀想ならお前が飼ってやれよ。どこの誰だかしらんがな、ここのパーティーはお前みたいな貧相な輩が出入りしていい場所じゃないんだよ! これだから弱小企業ってやつは!」


こうして私は捨てられた。もう会場にも戻れないし、エレベーターを降りて外に出るしかなかった。


(どうしよう……。荷物は私服くらいしか置いてないからいいけど、このままじゃ父さんの会社が)


「ちょっと待って! 君も何をそんなにあっさり受け入れてるんだよ! あれは浮気じゃない、彼の誤解だろ!?」


さっきの男の人が追いかけてきた。あっさり? まあ確かに。どうしようって悩んでるわりには。


「もういいんです。たぶんあのまま生活してても1年ももたなかったと思うから」


「……なにかあったの?」


私は彼に経緯を話しはじめた。

両親の会社経営のこと、それを理由に一馬さんと婚約することになったこと。婚約してからの1ヶ月間、私なりに我慢してきたこと。我慢してきたこと……トイレだ。


「トイレ!? あ、俺の会社すぐ隣だからこっちきて!」


私は彼の会社に連れられた。



★★★



彼の名前は【大和結城(やまとゆうき)】さん。御曹司の父の会社は確かに私のお父さんの会社とは比べ物にならないくらい大きい会社だけど、結城さんはその差よりも遥かに大きい、超有名大企業の部長さんだった。結城さんの父親がそこの社長で、つまりは……


「次期社長ってこと。ま、約束はされてないけどね。父は自分の力で登ってこいって」


私がいうのもあれだけど、見た目はこんなに若いのに。たぶん20代前半。あの御曹司と同じくらい。


「あんな一方的に婚約破棄してくる人間なんてもう切ってしまえばいいさ。大丈夫、お父さんのところには俺の会社から仕事を回すから」


「ほ、ほんとですか!? で、でも……」


「いいんだよ。水を持ってきてくれたお礼」


水のお礼にしては大きすぎるから困ってるんだけど。でも彼はあの御曹司と違い、本当に優しかった。例えば



「ダメだよ、高校はちゃんと卒業しなきゃ」


そういって結城さんは私が高校に戻れるように力を貸してくれた。正確には退学届けをまだ出していなくて休学扱いだったから上手くいったっていうのもあるけど。たぶん、両親も本当に私が彼の婚約者としてやっていけるのか心配だったんだと思う。


「内定なくなったんだ? じゃあうちで働けばいいさ」


彼の後押しで普通に高校卒業したくらいじゃ入れないような企業にも就職が決まった。全然部署は違うけど、入社後も結城さんとは毎日のようにご飯に行ったり、休日には2人でどこかに出かけるようになった。


「旨い! すごい、なんでも作れるんだね」


結城さんは私の手料理を美味しいとほめてくれる。最初はよく外食に行ってたけど、手料理をご馳走してからは彼の家で食事を一緒にする機会が増えた。



★★★



結城さんとお付き合いを初めて3ヶ月、知り合ってちょうど1年だ。私は結城さんから結婚してほしいとスピード婚的なプロポーズをされた。もちろん答えは


「ありがとうございます。嬉しいです」


お金持ちなのに一切そんな感じはしなかった。婚約後は結城さんの家で同棲をはじめることになったけど、2DKの2人暮らしするにはちょうどいいスペースだし、不必要な使用人さんや家政婦さんもいない。私がやる家事に結城さんも手伝ってくれたり、いつも『ありがとう』と言ってくれり、本当に楽しい充実した毎日だ。



そしてそこから更に半年後、私たちは婚約パーティーを取り行うことになった。



★★★



「お……お前、彩乃か!? こんなところで何をしている!!」


久しぶりにみたこの顔。会場の目線が御曹司の大きな声に集まった。


「どうしてお前がここにいるんだ! ここはお前みたいな弱小企業の令嬢が招待されるよう場所じゃないんだぞ!」


んー、どこから説明しようかな。いや、そもそも説明なんている? そんなことを頭で考えていたら、彼の手が私の肩に優しくポンと触れた。


「確かに。私どもの会社はまだまだ弱小企業です。これからも日々精進を重ねます」


「お、お前は……あのときの!! 人の婚約者を横取りしやがった弱小企業のーー」


「やめろ馬鹿者がっ!!」


御曹司の頭をひっぱたいた白ひげの男性。おそらく


「大和本部長殿、我が愚息がとんだご無礼を!! お許し下さい!!」


御曹司のお父さんだ。そして御曹司のこの反応、たぶん結城さんのこと……


「や、大和本部長~!!? あ、あの超有名一流大企業にして我が社の超お得意様の……!!? し、失礼致しました!!」


すごい手のひら返しきた。てかお得意様の部長の顔もしらないんだこの御曹司。あ、そうだ。一応挨拶はしないと。


「お久しぶりです、中野一馬様。大和結城の婚約者、高倉彩乃と言います」


あわあわと目を見開く御曹司に向けて、私は深々と頭を下げた。そしてゆっくりと上げる。無愛想と言われた口元を笑顔で装飾しながら。


「その節は婚約破棄してくださりありがとうございました。お陰で私、今ーー」


挨拶も途中だったが、顔を真っ赤にした父親が耐えられず御曹司を引きずっていった。


その後どうなったのか詳しくはしらないけど、風の噂で聞いたのは、あのときパーティー会場で見せた御曹司の態度や人柄がきっかけで急速に会社が衰退していっているらしいってこと。


いつの間にか父さんの会社も、結城さんと周りの取引先様のお陰ですごく順調で、無理難題を押し付けてくる御曹司の会社からの仕事は全部切っちゃったんだって。父さん、身勝手に婚約破棄したことめっちゃ怒ってたから。


私も、もう彼に関わることはないかな。


「そういえば彩乃、あのときなんて言いかけたの?」


「え?」


「ほら、御曹司に。婚約破棄してくれてありがとうのあとさ」


「ん、すごく幸せですって」




おしまい。

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