50円の罪
なんでもない夏休みの1日だった。祖父母に連れられて、弟と一緒にバスに乗った。
祖父母は、社会勉強のつもりだったのだろう。近所のバス停から最寄り駅に遊びに行く、というものだった。
両親の居ないお出かけは初めてだったので、私は年相応に浮かれていた。ポシェットにバスの運賃を入れ忘れていることにも気づかずに…。
バスに乗ってから、ポシェットにバスの運賃が無いことに気づいた。焦る気持ちを祖父母や周りの客にバレないように
隠した。
家を出る前に、祖母から「これでバスに乗るんだよ」と渡されていたのに、「家に忘れたからほしい」とお願いするのは申し訳ないし、変なプライドも邪魔をしてしまった結果、頼むことが出来なかった。
バスを降りてからのことはほとんど憶えていない。
駅ビルで買い物をしたはずなのだが、私の記憶に残ってるのは、バスの運賃を忘れた、ということだけだ。
そう、私は小学校低学年にして無賃乗車という"罪"を犯したのだ。
あの頃は、無賃乗車を誤魔化すのに精一杯で、気づいていなかったが、バレていたと思う。
あの頃の運転手があえて見逃してくれたのか、あとで祖父母が支払っていたのかは分からない。
今更、祖父母に直接尋ねるのは気が引けた。
自らの罪を受け止め切れる自信がなかったからだ。
私が払えなかった運賃は50円。
まだ、罰を受けていない私は、すでに、もしくは、これから5重の縁を失うのだろう。
記憶から消えることのない50円の罪は私にとってずいぶん重かったようだ。
今も心の奥にある罪悪感のうち、50円分は初めて犯した罪の重さが乗っている。