朱い瞳の、獣
嫉妬から、また黒い靄が心に棲み着く。
中庭で見た光景が、なかなか頭から離れないのだ。
こうなるからと思って、彼は私に仕事の事を話さなかったのかも知れない。
彼なりの気遣いなのだろう。
けれど今の私には、そうは思えなかった。
仕事をしていれば、女性と親しくなる事もある。
わかっているけれど、優しい顔を見せるのは私だけにしてほしいと、独占欲が体の中に満ちていく。
こんな心の狭い自分が嫌になる。
桐の間に辿り着くと、部屋には私と同い年位の女の子が一人中にいた。
彼女も作務衣姿で、床の間に花を飾っている。
「あ、持ってきて頂いてありがとうございます!」
私に気づき、向けた笑顔がとても可愛らしい。
今の私とは正反対だ。
「あの……もしかして、体調悪いですか?」
赤の他人に心配かけてしまう程に酷い顔をしていたのか。
私は慌てて誤魔化した。
「いいえ! 座布団の多さに驚いただけです」
何とも心苦しい言い訳に、彼女はクスリと笑った。
「この旅館は大きいから、座布団の量も半端ないですよね。 私も初めはびっくりしました」
真っ白い花の様に笑う姿に癒やされる。
「あなたは、ここの従業員?」
「いいえ、ここは親戚の家で、用事も兼ねて数日前から手伝いに来てるんです。 あなたも?」
「いえ、私は人を探しに来てて、それで間違えられて……」
「え!? じゃあお客様!?」
「ここの旅館で、人と会う約束をしているんです……」
私は本当の事を話すと、彼女は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません! 作務衣姿がとてもお似合いだったので、気づきませんでした。 大変失礼致しました!」
いえ、あなたが私をここに連れてきたのではないので、どうか気にしないでください、 と心の中で呟いた。
「お待ちの方とは、もしかして柳様ですか? あの方も、どうも待っている方がいらっしゃる様で、2日程前からこちらに来られてますよ」
さっき見たのはやはり弦太くんに間違いなかったようだ。
一体誰を待っているんだろう。
中庭で見た光景がまた頭を過ぎり、私は頭を大きく振った。
「あんなステキな方と待ちあわせだなんて、羨ましいです」
「いえ、私が探しているのは……」
すると、突然スッと私の背筋が冷えた。
胸がざわつき、何か嫌な予感がする。
「きゃあっ!!」
後ろを振り返ろうとした瞬間、部屋の中に突風が吹き、部屋にあったものが奥の方へと飛ばされた。
私の体は何とか飛ばされずに済んだが、居合わせた彼女は、風に煽られ座り込んだ。
「大丈夫?」
「はい、何とか…………きゃあああ!!」
彼女の悲鳴に振り返ると、そこには朱い瞳をした、人間程の大きな白い狼がこちらを見ていた。
【お前……もしや『"癒やし"の巫女』か……?】
私の事だ。
しかも喋った!
思いも寄らない展開に、私はゴクリと息を呑んだ。
【待ってた……やっと逢えた……】
そう言って私達にジリジリと近づいてくる。
相手は獣で、体もかなり大きい。
下手に動けば、きっと危険だ。
せめて彼女だけでもここから逃がしたい。
けれどどうすれば、どう動けばいいんだろう。
私は怯えて泣く彼女の盾になりながら、必死に思考を巡らせた。
「私に……御用がお有りですか?」
私は息を整えながら、ゆっくりと迫りくる獣に思い切って話しかけてみた。
【そうだな……。 そちらの女も気になるが、今はあんたの方だ】
「ならば、ここは館内です。 ……周りに騒がれる前に、表に出て頂けないでしょうか」
私は動揺に気づかれないように、なるべく呼吸を乱さず、言葉を選び繋いでいった。
すると、白い獣はそれ以上近づいては来なかった。
【…………なかなか肝の据わった女だ。 確かに騒がれると困る。 では表で待つとしよう。 約束だ】
そう言い残し、トンっと飛び上がった瞬間花びらを散らし、獣はふっと姿を消した。
消えた途端に体の力が抜け、私はその場に座り込んだ。
何とかここは切り抜けたようだ。
でも、まだ安心出来ない。
このままだと、彼女やこの旅館を巻き込んでしまう気がする。
約束したからには、怖いけど行かなきゃならない。
私はふらりと立ち上がり、部屋を出ようとした。
「何処へ行くんですか!! 折角居なくなったんだから、このまま逃げましょう! 旅館の人達も呼んで……」
彼女は目に涙を溜めながら、私を引き止めた。
「でもきっとその方が危ない。 私は大丈夫だから、あなたは知らない振りして仕事に戻ってください」
「そんな……!」
彼女の止める声を聞かず、私は不安で一杯の体で、表へと向かった。




