第一章 参
夜が明け、ケルマディックにはいつもと変わらぬ日常が動き始めていた。機械技師たちは鉱山の機構を朝一で点検するために巨大換気扇をハンマーで叩き、キャラバンの人間は朝市を開く為に早くから準備に動く。鉱夫たちは目を覚まし、体をほぐす者、朝食を取る者、二回目の眠りにつこうとする者などなど、それぞれが予定調和で動く歯車のように活動した。
しかし、ケルマディックにおいて、ただ一箇所のみ普段と違う動きが生まれ始めていた。海溝の頭頂部に存在するカインの住居では、胸を強打して負傷した男が部屋唯一のベットで死んだように眠りにつき、介抱と慣れない飛行で疲弊したカインが冷たい床で静かな寝息を立てている。その横で、薄い布を引いただけの床(カインとしては精一杯の配慮)の上で墜落からずっと目を閉じていた少女が、窓から差し込んでくる朝日によってゆっくりと目を開けていた。
「んっ……ん?」
ゆっくりと上体を起こした少女は、辺りの眩しさで周りがいまいち把握できず、そして頭の中も霧が出ているかのようにハッキリしていなかった。
私、一体なにをしているのだろう。たしか飛行艇に乗って、彼らから逃走している途中だったはずで……。
そこまで思い出し、少女の頭の中が一気に覚醒した。よみがえる危機感、暗闇に中を落ちていく浮遊感と強烈な衝撃。少女はその場ですぐに立ち上がろうとし、床に引いてあった薄い布(カインの配慮)に足をとられ空中で半回転したかのように盛大に尻餅をついた。
「痛った〜」
部屋には天井の一部が剥がれ落ちたかのような崩落音が響き渡る。普段一人で生活をしているカインにとって、疲れていようが目を覚まさせるには十分な音量だった。
「な、なんだ?」
すぐに上体を起こし、寝起きで細くなった目を無理やり見開いてあたりを見回した所で、でん部に手を当てうずくまっている少女と目が合った。
「…………」
「…………」
一瞬の静寂、そして、
「だ、誰っ!」
「あ、起き……ふわっふ!」
少女は動揺して足元にあった布(カインの配慮)をカインに向かって投げつけていた。
寝起きで動かない体に頭から布を被せられ、カインは身動きが取れない状態となった。
「むぐぐ、ちょっとまって! 話を……」
「うるさいっ!」
少女は即座に立ち上がり、安いお化けの仮装をしたかのようなカインに対して、正確に背中へ水平蹴りをした。少女の蹴りとはいえ、体の小さなカインからすれば、軽く吹っ飛ばされてうつ伏せにされるには十分な威力があった。
すかさず少女はカインの背中に馬乗りになる。
「うっぐ!」
「ここは何処なの! シルバは……一緒にいた人はどこですか!」
「―――――うえっほ!」
「なに?」
「ヴェッホ!」
カインは口周りに絡みつく布をこじ開け、力いっぱい肺を動かして言った。
「ベット!」
少女はあたりを見渡し、狭い部屋の隅にあるベットの上にいる男を見つけた。同時にカインなどすでにいないかのようにベットへ走り出した。眠る男の顔を見て、一瞬死の恐怖が脳裏をよぎり、呼吸を確認して安堵した。
床でうつ伏せ状態だったカインは、胡坐をかいて布を遠くへ放り投げる。表情も心情も不満でいっぱいだった。
まったく、寝起きにこんな暴れる人間始めてみた。せっかく苦労してここまで運んでやったのに。
その表情も、少女が再びカインにきつい視線を向けることで変わった。
「あなた誰? なぜ彼はこんな状態なの? ここはどこか言いなさい!」
じりじりと距離を詰めてくる少女に対し、これ以上攻撃されてはかなわないと思ったカインはすぐに立ち上がり、白旗を揚げる代わりに両手を広げて顔の横まで上げる体勢をとった。
「ス、ストップ。えっとここはケルマディック海溝で、君たちは墜落した飛行艇から見つけた。怪我をしていた(正確には怪我をさせた)から俺の自宅まで連れてきた。彼は治療中……Ok?」
「……あなたは?」
「俺はケルマディックの鉱夫。ここは鉱山なんだし、普通でしょ?」
「ケルマディックに、鉱夫。それならあなたは、私たちを捕らえていると言うわけでは無いと?」
カインはすばやく頭を二度縦に振る。
「もちろんだよ! 第一、囚われの身だというなら君はなんで俺に攻撃してくるのさ」
「た、たしかにそうですね……」
「敵じゃないよ」
カインは呼吸さえしないで少女の動向に備える。
「……敵じゃない」
ここまで話して、ようやく少女の攻撃姿勢が解かれた。同時にカインは安堵のため息をする。そしてゆっくり少女に近づいた。
「俺はカイン。カイン=バイゼル。君はなんて名前?」
「……アカネ=クロウサーです」
「アカネさんか…えっと彼はなんて呼べば?」
「彼はシルバと言います」
「そっか、とにかく目が覚めてよかったよ。彼はともかく君はぜんぜん目覚めなかったから」
二つしかない椅子まで話しながら近づき、一つを対面に置き直し、カインは対面の椅子に座った。
「ま、まあ座ってよ」
アカネはまだ完全には信用はしていないというメッセージ付きの視線をカインに向けながら、対面にある椅子へゆっくり腰をおろした。
どう見ても同年代にしか見えない少女に怯えている自分が、ひどく情けなく思えるカインだった。だが、寝ていても分かる幼くも整った美しい顔立ちの少女に、これでもかと言う位やられてしまった後では、どうしょうもないとも納得させた。
「えっと、お互い状況が良く分かっていないと思うんだ。だからさ、まずはそこを埋めていくことにしない?」
朝を迎えて間もない静寂の中で、アカネは宝石のように透き通った目でカインを見る。カインにはその目が心の中まで見ているような気がして、変に勘ぐられたくない気持ちで無心になろうとした。
一瞬のようで、長く感じられたその視線を送るアカネは、目を閉じて深呼吸をし、もう一度カインに視線を向けた。敵対的な視線はそこになかった。
冷静に考えて、カインの言ったことは筋が通っていた。第一、囚われの身なのであれば、この状況はありえない事くらいはアカネにもすぐに理解できた。
「……状況から考えても、あなたは敵では無いようですね。ごめんなさい……私てっきり敵に捕らわれてしまったのかと思って」
アカネは深く頭を下げてカインに謝罪をした。
先ほどまでの攻撃的な表情とは打て変わっての、申し訳なさ一杯である表情を向けられたカインは、逆にどぎまぎしてしまった。
「いや、いいよ、いいよ。事情は深くは理解してないけど、彼……シルバさんだっけ、彼から少しだけ聞いた話だと誰かに追われていたみたいだしさ、仕方がないんじゃない?」
「シルバと話したんですか?」
「うん。俺が墜落した飛行艇を見に行った時にね。ほとんど話せないままになっちゃったけど、とにかく逃げたがっていたみたいだからさ。それならここに匿おうって思って」
「そう……」
アカネは額に手を当てうずくまった。その仕草にカインはどこか痛いのかと思ったが、
「うう、もういや……私一人だけ勘違いして暴れてたなんて、恥ずかしすぎます!」
どうやら先ほどカインに行った暴挙を悔いている様子である。励まそうとカインは思ったが、アカネの立場からして、暴挙を振るった相手に慰められるのもどうかと考えてしまい、躊躇した。
「い、やあ、もうその話はなかった方向で。みたいな?」
沈黙が二人の間に流れる。
「笑われるから、シルバには言わないでほしい……」
「もちろん言わない、言える訳がない」
女の子に一方的に蹴られて、馬乗りにされたなど情けなくて言えるはずもない。二人は小さな心の傷を共有することで決着をつけることにした。
気を取り直したのか、頭が鮮明になってきたのか、アカネは思い出したかのようにカインに語りかけた。
「ここはケルマディックってさっき言いましたよね? ということは、たしかここはイズモの管理下にある地域のはず。なんであなたが私たちをここに連れてこれたんですか?」
カインは対面に座り、どぎまぎしながら答える。
「君は気がつかなかったかもしれないけど、墜落した場所は『森』だったんだ。イズモが管理はしているけど、広すぎて墜落現場までは把握してないと思う。そこを偶然見つけたんだ自分が」
『森』に侵入したという点はあえて伏せておいた。
「そっか。ならあの人たちは、まだ私たちが生きている事を知らないんだわ。逃げ切れるかもしれない」
「あの人たちって、君たちを捕まえてイズモに差し出すとかいう連中のこと? よく状況が理解できないんだけど」
アカネは視線を一度ベットのほうへ向け、カインに向きなおした。
「シルバがどこまであなたに話したかが分からないと、私からは何にも教えられないの。そうしないと、あなたまで巻き込んでしまいます」
アカネは申し訳なさそうに言い、カインもあわてて承諾をした。
「了解了解、それなら無理には聞かないよ。ここは人里はなれた場所だし、自分以外の人間がここにいるなんて誰も思っちゃいないしね。まだ巻き込まれていないと言えるよ。何より事が複雑そうだから、俺が聞いてもきっと意味なんて……」
そこまで話したとき、ベットのほうから突然声がかかった。
「いや、君には聞いてもらいたい」
突然の声に驚いたカインだったが、アカネはその声に反応してすぐにベットへ駆け寄った。
「シルバ! 目が覚めたの?」
男の突然の覚醒に驚いたが、われに返ってカインもすぐに動いた。
「水もってくるよ! ちょっと待てって!」
すぐに水の貯蓄タンクへ向かい、コップに水を入れて男の元へ向かい、それを渡してやった。痛そうにだが、上体をベットの上に起こした男は、すぐには口をつけず、カインの目を見る。
「貴重な水をすまない。感謝する」
男は律儀に礼を述べ、水を口に含む程度飲んだ。
何か話したそうな表情を浮かべていたアカネだったが、先にカインは状態だけでも確認したかったので、話しかけていた。
「結構派手に落ちたみたいだけど、怪我はどう? 悪いけど、ここじゃ患部を冷やすことぐらいしか出来なかったんだ」
目を瞑り、体を少しずつ動かしてみてから男は答えた。
「たぶん肋骨を痛めているんだと思う。だが自業自得だ。一般人に危害を加えようとしたんだからな」
「こっちこそ振り落としちゃったしね。暗闇で彼女を抱えているのが見えなかった」
「いや……ん? そういえばなぜ私が君と話せているのだろう。うっすらとしか記憶にないが、たしか森で捨て置いてもらうと決断したはずだったが」
カインは胸ポケットに入れておいた高純度水素金属を取りだしながら言う。
「返すよ。たぶんあなたは暗くて俺の飛行艇を見れていなかったんだと思うけど、俺の飛行艇は一部水素金属が使われているんだ。飛行艇の飛行性能で一人分、装備している水素金属で二人分。そしてあなたに渡されたこいつで三人分ってわけだ。まあ人三人を乗せるにはかなり狭かったんだけどね」
視線を一瞬アカネに向けたカインは、アカネが大きな瞳でその真意を感じ入ろうとする前に、視線をシルバへ向けなおした。と、言うのも実際はコクピットに二人までしか乗らず、体の小さかったアカネをエンジンのあったハッチ内に押し込んで飛んだという事実があったのだ。しかし先ほどの蹴りを見ているカインはあえて無かった事とした。
「そうだったのか。私は命を救われたというわけだな。それと、暗闇で気がつかなかったが、君は若かったんだな。その若さで飛べるのか?」
「命を救っただなんて大げさな。それに飛べるといっても水素金属の浮力で補助してもらっている状態だし……」
などと真摯な意見と謙遜を言い合っていると、アカネがそこまでと言わんばかりにシルバの座るベッドへ両手をかけ、顔をカインとの間に割り込んできた。
「ストップ! シルバ、悪い癖が出てる。飛行艇の絡む話になるといつも脱線していくんだから。ごめんなさいカインさん、でも確認したいことがいくつかあるから」
「いや、どうぞ」
アカネの只ならぬ剣幕に、カインはその場を大人しく譲り、一歩下がった。
「シルバ、肋骨を痛めたって言ってたけど、現実的に考えてみてどう? このまま行ける?」
シルバは右手の掌で口元を覆って考えこんだ。
「無理をしなければ。だが私たちは、普通に考えて無理な事をしようとしている」
アカネがその美しい顔に渋い表情を浮かべる。
「つまり厳しいって事ね。でもそれを理由に彼を巻き込むの?」
「これからする事に犠牲の出ない終わりは無い。ここはイズモの管理下だ。現地の人間の助けがいる。彼に事情を話すべきだ」
「それはそうだけど……だからといって子供を巻き込んでいいはずないじゃない」
子供。カインにとってあまり好きな言葉ではなかった。自覚はあるが。
「君だって充分まだ子供だ。私だって子供を卒業した一人の人間に過ぎない。彼らから見たら命知らずなだけの若者に見えているだろうな」
「私には覚悟があるもの! きっとあなたにだってある。でも私たちの話を聞いて覚悟を決めて協力してくれる人がどれほどいると思う? 忘れてはいないでしょう。もしそんな人が大勢いたなら、私たちは二人だけでイズモの影響力が強いこの地区を突破しようなんて考えていなかったはずよ!」
「…………」
「…………」
二人の間に気まずい沈黙が流れる。一歩引いて聞いていたカインはすこし憮然としていた。自分と同じくらいの年頃と思える少女に子供扱いされた事もそうだが、まだ聞かされてもいない話なのにも関わらず、覚悟がどうこう言われていることにも腹が立ったのだ。
まるで自分が臆病と言われているみたいだ。
「たしかに君の言うとおり覚悟は必要になるだろう。だが状況が理解出来ていない者に覚悟など求めようも無いのは事実だ」
このタイミングだと言わんばかりに、シルバはカインへと視線を向ける。
意志の強そうな瞳、決断を迫る者の姿がそこにはあった。
横では申しわけなさそうにアカネが俯く。
「聞く必要なんて無いです……私たちが出て行けば」
迫られた、聞くか聞かないかの二択、カインは既に答えを選んでいた。臆病ではない。
「別に出ていく必要はないよ。さっき言ったけど、周辺には誰も住んでいないし、俺以外の人間がここにいるなんて誰も思わないから。覚悟……なんて言われても良くわかんないけど、相談くらいなら乗るよ。それなら俺は巻き込まれない。でしょ?」
正直、誰かに追われイズモを警戒している人間など、胡散臭い上に危険なことは何となく分かっていた。だが、聞かずにはいられない。
幼さの残る外見と同じく、子供じみた冒険心も枯れてはいない。冒険心が危機感を上回っていた。
アカネが決意を込めてカインの瞳をのぞく。澄んだ空のような瞳だった。
「わかりました。でも話をした上で、少しだけ私たちを助ける情報をくれるだけでいいの。あなたが巻き込まれる必要は無いんです」
カインは好奇心を抑えながら、頭を縦に振る。
二人のやり取りを聞いたうえで、シルバは言う。
「飛行艇に乗っているんだ。命を賭けるだけの覚悟を既に経験しているという人間はそうはいない。彼は信頼に足るよ」
アカネはため息をつく。
「そうやって何時も飛行艇乗り、飛行艇乗りって、いつかそれが致命傷にならないといいけどね」