第二章 拾伍
もう間もなく開始されるであろう、あまりに一方的な襲撃の事など知るはずもなく、レースの観戦に訪れた人々は後半戦に向けてのボルテージを上げていく。踊り、笑い、上流階級に属する人々でありながら、羽目を外せる催しに多くの人々がこぞって参加した。陽気な音楽が辺りを華やかに彩り、カラフルなテントの出店と無骨な岩肌のコントラストが晴天の色に溶け込んでいる。
カインたちも同じように、人々の波に逆らうことなく辺りを散策していた。飛び交う声のやり取りを潜り抜けるかのように、少し大きな声でカインは話しかける。
「すごい盛り上がりだね! もう間もなくレースが再開されるってのを感じざる終えないや」
レースの再開、その言葉にアカネの心は酷く沈む。ただ、カインに悟られないようアカネは作り笑いを浮かべてしまう。
「そうね、凄い熱気。私もテレビでは見たことが何度もあったけど、参加しているのと、映像でレースを見るのとの違いにびっくりするよ。実を言うとね、私あんまりこのレースの事好きではなかったの。飛行機で早さとか競って何になるのだろうって考えてたんだ。飛行機はそんな目的で作られた訳じゃないのにって不満だった。でも、今はレースの楽しさが分かったよ」
作った笑顔で、しかし言葉に偽りは無かった。楽しくて仕方が無い。もっと飛びたい。自由に、誰よりも速くこの空を制したい。次から次へそんな願望が心を埋め尽くしてしまう。
だが、それは叶わない。アカネは腕に巻いている金属製の時計に目をやり、時間がもうあまり無い事を確認して、シルバを見る。
シルバはアカネの言いたい事、決して望んでいるわけではない決断を受け止め、軽く頷いてカインに語る。
「カイン、そろそろ時間だ。もうドックに戻った方がいい。今後について話しておきたい事もあるから」
シルバの真剣な声も、カインにはレースに対する決意からくるものと感じ、そろそろ時間だという台詞も、言葉通りレース後半戦の開始を意味するものと受け取った。
「そっか、じゃあ戻ろうか。色々楽しかったけど、そろそろ気を引き締めていかないと、ね」
「そうだな……」
「…………」
楽しかった。カインの言葉に終わりの意味を感じてしまうアカネは、思わず声を出して否定の言葉を発したくなる。もう一つの感情、カインも一緒に……という言葉と共に。
三者三様の空気の中で、ドックへ向かって歩き出す三人。その前を、突然現れた人物が遮る。
「はあ、はあ。おいおい冷たいじゃないかあたしを置いて行くなんてさ。はーん? さてはあたしより先に帰って、飛行機に細工でもする気だな? 甘い甘い! 貴様のカラス号にはすでに細工を施してあるっ! 一歩先をいく女と呼んでくれ」
「さっさと一歩先に逝っちまえ! それからカラス号はやめろっ!」
息を切らしながら、冗談を言うレンに対し、カインはいつも通り対応をしてから、質問をする。
「で、用件はすんだのかよ。俺たちはもうここら辺一帯は見て回ったから、そろそろドックに戻ってレースの準備をしようかと思っていたんだ」
両手を膝について肩で呼吸をするレンは、額から滴り落ちてくる汗を腕で拭いつつ、言葉を発する。間違わないように、一つのミスが致命的に運命を歪めてしまうという事を意識しながら、それでかつ、冷静に事を運ばねばと決意をする。
「うん、用件は終いだ。いい土産が手に入った。ただ、ちぇ、あたしももう少しここを楽しみたかったなー。なあ、アカネにシルバ、少し提案」
突然話しを振られた二人は、何事かとレンに一歩近づく。
「なに……ですか? レン提案って」
息が整ってきたレンは、ようやく膝に手をやっていた状態から腰を上げ、全力の笑みと共に答えてゆく。
「いい話を聞いたんだ。これからね、レース後半戦の開始を祝う催しとして、花火を打ち上げるんだってさ。だから、さ、これから四人で見に行かない? 時間はあまり無いんだけどさ。もう、ここに来る事もないかもしれない、だろ?」
レンの提案に、アカネは心が熱くなるように喜んでいる自分に気が付く。最後の瞬間、短い間だけど共に飛行をした仲間と過ごせる時間。アカネには何よりも変えがたい物であった。だから、シルバの方を向く。一生のお願いなどという不確かな安い事を言うつもりは無い。ただ、わがままを言う自分を許してほしいという願いのみだった。絶対に見に行きたいと。
アカネの気持ちを察していたシルバとしても、レンの提案は喜ばしいものに感じられた。幼いころから、自身の事情により一人でいることばかりだったアカネが、ようやく手にした仲間との時間。もう会えないかもしれない者たちとの最後の思い出を残してやりたかった。
「花火か、久しく見ていないな。時間は無いが私も見てみたいな。どうだろうアカネ」
シルバは、アカネが判断しやすいよう、やさしく決断を促す。
「うん、私も見てみたい。皆で……」
少し恥ずかしそうに、だが嬉しさを隠さずにアカネが答える。
突然現れて、花火を見に行こうなどと言い出したレンを不思議そうに見ていたカインは、特に思う事もなく話しかける。
「お前どっからそんな情報聞いてきたんだよ。例の土産とかのついで?」
レンはアカネとシルバの方からカインに向き直り、
「まあ、ね。いい情報……だろ?」
少し大人しめに答える。
「お前にしては、だけどな。でも昼の花火ってどうなのよ?」
「綺麗なんじゃん? 知らないけどさ。でも見てみる価値くらいはあるっしょ」
「見てからのお楽しみって? じゃあ、早速行きますか。で? 場所はどこなのさ」
「……ここを真っ直ぐ行った所に大型の旅客機が止めてある滑走路があって、そこが絶好の見物スポットらしいよ」
レンは場所を述べて、案内をするかのように一人歩き出す。三人は花火の打ち上がる光景を想像しながら後に続いた。
レンの言った通り、周りの人々も話をどこかから聞きつけたのか、花火の打ち上げ場所へ向かって歩き出し始めた。カインたちもその流れに乗る形でどんどん進んでゆく。場所もそこまで遠くは無く、さして時間も掛からずにレンの後に続いた四人は、広く開けた滑走路にたどり着いた。すでに多くの人々が花火の情報を聞きつけ、地べたに座り込んだり、どこかから借りてきたのかパラソルと椅子を用意している者もいる。
カインたちはレンの後に付いていき、人だかりから少しだけ離れた何も無い滑走路に腰を下ろすことにした。
見渡す限り何も無い滑走路では、時折吹く風の音と、遠くから響く飛行機のエンジン音が木霊している。四人はそれぞれが向き合うような形で座り、空を眺めたり、岩の亀裂を目で追うようにして、花火の始まる時間を待った。
だが、時間はそこまで無い。四人にはそれぞれ違う意味での時間があった。カインにはレースまでの時間であり、アカネには別れまでの時間。シルバには更なる逃避への時間であり、レンにとっては決断の時間だった。
だからこそ、その中で誰よりも時間に追われているレンが、皆の時間を一気に奪い去る。
レンは、すまなそうにカインを見て、言葉を選びながら話を始めた。
「あのさ、カイン。その、言い辛い事があるんだけど、聞いてもらえる?」
いつに無く真面目な感じのするレンの態度と声に、カインは少し驚く。
「え? なんだよ改まってお前らしくも無い」
少し間をおいて、レンはシルバとアカネに視線を送り、そして喋り出す。
「多分、予想だけどさ、四人でレース続けるの無理なんじゃないかって話し」
カインは口を閉ざす。冗談ではなさそうだったから。
「だってそうだろ? このままレース続けてもさ、危険は増すばかりだし。シルバとアカネが参加していることも追っ手にはばれてる訳じゃないか。それに、相手がイズモならきっと優勝しても飛行機は手に入らない。シルバ、アカネ、違うか?」
二人は肯定を示すように、沈黙を続ける。逆にカインは驚きをもってレンに問いかける。
「お前、二人がどういう立場だって知ってたのか?」
レンはカインに悟られない程度で、シルバにアイコンタクトを取る。
「うん、昨日の夜、シルバから全部聞いた。だからこそ、あたしの言ってる事、正しいと思うんだ」
レンはそれ以上何も言えなかった。カインがレースを真剣に取り組んでいる事を誰よりもわかっていたから。
カインもレンの言った事をしっかり考え、シルバとアカネに答えを求める事にする。
「もう、決めてるんだねきっと。レースを辞退するとして、これから……どうするの?」
アカネは申し訳ないという気持ちと、辞退したくなどないという願望とを交錯させながら。カインを見つめる。今にも涙が零れ落ちそうな瞳で。
「ごめん、なさい。カインに無理をさせて参加してもらって、命まで賭して戦ってもらって、それなににこんな勝手な――」
「いいんだよ。全然。前も言ったけど、これは俺が決めた事なんだから。アカネに悪い所なんて何にも無いよ」
アカネの顔を見て、耐え切れなくなってカインは言葉を被せる。全部聞いてしまったら、やるせなくなってしまう気がしたからでもあった。だからこそ気丈に、現状に立ち止まることなく、次を考える。
これからの事について、シルバは今考えている事をそのまま話す。今更隠し事など何も無い。そう考えていた。
「レース開始後に、旅客機に忍び込もうと思う。見たところ個人所有の飛行機がいくつかあるようだし、内部チェックの無い機体があるはずだ。それに紛れてここを離れようと今は考えている」
言われて辺りを見回す。確かに高級そうな機体がいくつも存在していた。どれも民間機と違い、積荷や搭乗者の確認などなさそうな機体ばかりだ。
シルバは流石だなと考えているカインに、アカネが小さな声で、話しかけてくる。
「カインは……これからどうするの? レースの後半戦に挑むの?」
正直、分からなかった。レースを完航するのは夢であったし、そこに変わりは無い。だが、二人の為にという目的が無くなった今、レースを続ける意味を見出せずにいた。あるいはこのまま二人の為に一緒に、そこまで考え、自身の誇大な考えを鼻で笑う。カインは滑走路に座った状態から、大の字になって空を見上げる。
「どうしようかなぁ。ゴールは、したいけど気力が湧かないや」
アカネは一方的な願いを口にはしない。これ以上は巻き込めない。
思いを察してか、シルバがカインに詫びを入れる。
「本当にすまない。ここまで協力してもらい、感謝の言葉では恩を返せない。いつか、必ず君の元を訪れる。その時は、もう一度私たち四人でレースを攻略しよう」
シルバの言葉に、カインは胸が熱くなる思いだった。もう会うことはないとどこかで考えていた。カインは勢いよく上半身を起こしてシルバと、アカネと、レンを見る。
「うん、じゃあここで約束しよう。絶対にまた四人でここに戻ってきて、後半戦に挑もう」
シルバは大人びた表情を子供のような笑みで崩し、アカネは今にも泣きそうな表情のまま、しかし必ずここに戻る事を決意する。
その中で、レンだけは沈んだ心を悟られぬよう、必死に視線をそらしていた。
辺りでは、花火を打ち上げる最終準備を行っているのか、大型のトラックから降ろされた機材と思われる物が屈強そうな男たちによって運び込まれてゆく。周りの観客も増えていき、言葉が行きかっていた。この花火が打ち上がる前に、決意を定め、実行に移さねばならない。レンはこぶしを強く握り締める。もう後戻りは出来ない事を、レンは心の中で受け入れた。
カイン、シルバ、アカネが座る中、レンはゆっくりと立ち上がる。一度だけ変わらない澄みすぎた空を見据えた後、笑みなど一切ない表情で話し始めた。
「三人に話しがあるんだ。聞いてくれるかな?」
急に立ち上がったレンを不思議そうに眺めたカインが続きを促す。
「な、何だよ急に……」
レンは一度だけ悲しそうに微笑み、話を続ける。
「うん、まずカインとアカネにはごめん、先に謝っておくけど、話しがどこで出てきたのかわかんないかもしれない。時間が出来たら説明するから」
名指しで言われた二人はきょとんとしながレンを見る。シルバだけが今の台詞で状況を理解し、顔をしかめる。
「シルバ、私が二人の為に話せる最後の情報を手に入れたから。冷静に聞いて、的確な判断で行動して欲しい」
「例の者からの話か?」
レンは頷く。
「そう。だから、これはさっきシルバが話した今後の行動に大きく関わる」
「…………」
シルバは黙る。
少し間をおきながらレンは深呼吸をし、一瞬で考えが頭の中を巡る。これでいいのか。後悔はしないか。覚悟が出来ているのか。それらを全て確認した上で、懇願する思いで言葉を発す。
「一刻も早くここから離れてくれ! もうすぐ、イズモの大部隊がここを襲撃するんだ! 二人も、皆も殺されちまうよっ! あたしが……飛行機を用意するから……!」