第二章 拾参
テントの中に入り、レンとシルバは整備専用の部屋へ向かう。一通り、キャラバンの皆に経過報告と機体の整備を依頼して回る為だった。埃っぽい部屋は錆の臭いが充満し、いかにも作業場という様相を呈している。先に入庫されたカインの機体が整備されているせいか、地面には工具がいたるところに置いてあり、また金属をぶつけ合うような作業音が響き渡ってもいた。その中で指示を出すシンセイに無事であった事の報告をした二人に、
「おう、よくたどり着いたな。任せとけ! レース再開時には、万全の準備をしておいてやらあ!」
と、豪語し了承をする。
シンセイが中心に立ち、キャラバンのメンバーが忙しなく動く。二人は皆に聞こえるように言葉を発っする。
「よっし、任せた!」
「宜しくお願いします」
尊大な態度のレンと礼儀正しいシルバが挨拶を終え、皆が手を上げたり、声をかける等で労いをしてくれる。
皆に挨拶を終えた二人は、機体の整備を行う部屋から出ると、テント内の金属製テーブルと椅子の設けてある場所で、先に座りくつろいでいるカインとアカネに話しかけながら座る。
「二人とも無事で何よりだ」
シルバは言葉をカインに送り、同時にアカネの顔を見る。眉間に皺を寄せながらであり、アカネはその表情にたじろぐ。レンは何度も頷きの動作を見せている。
「な、なにシルバその顔……」
「まずは助かったと言っておこう。だが、いくら私たちが襲撃を受けていたとは言え、昨日の行動は推奨しかねるな。なぜあのような真似をした?」
アカネは一瞬気まずそうに視線を逸らし、だが考えを変えたのか、シルバに負けじと反論する。
「何よ、そっちだって自分たちを犠牲にしようと飛行していたじゃない。大体シルバ、貴方だけならまだしも、レンを巻き込んであんな飛行させたのは納得がいかない。何を考えているの?」
「そうだ、そうだ! 何考えてるんだ!」
レンが冗談交じりにアカネの言葉に同調する。
「お前はいいから黙ってろ!」
カインはレンの頭を叩き、二人の様子を伺う。二人は睨み合い、お互いにため息をしていた。
「まったく。少しか自身の立場も考えてだな……」
「そう言っていつも代わりにシルバが飛び出していくんじゃない」
カインの目には、どうも険悪な雰囲気ではないように見えたし、実際にそうだとも思えた。だから仲裁に入る
「まあ、よかったんじゃないかな。お互い無事だったんだし。あの時は最善の選択をしたんだよ」
アカネはその言葉に嬉しそうに微笑み、シルバは頭を下げた。
「カインの言う通りよ。犠牲が出なかったんだから、最善の選択だね」
「すまなかったな。まさか襲撃されるとは考えていなかった。少し今後の対策を講じねばならないな」
いやいや、という仕草でカインは頭をかく。それをレンが茶化しに入る。
「また格好つけてやがる。これ以上格好良くなっちゃってどうする気なんだよ。何が目的だ?」
カインはサラりと無視をして、話題を変える。
「それよりさ、せっかくエアーズロックまで来れた事だし、少し外を見て回らない? 上空から見たと思うけど、結構賑わっているみたいだしね」
カインは着陸の際に見た光景を思い出した。実は少し見に行ってみたいと考えていたので、皆を誘ってみる事にしたのだ。
「いいね! 私も見てみたい。以前来たときは訓練だったし、人なんていなかったもの」
カインの提案に、アカネがまず賛同する。席を立ったカインに続き、アカネも席を立った。
その光景を見たレンが少し軽蔑の視線をカインに向けつつ、
「なんだよ、ずいぶん仲良くなってんじゃんか。まあ、いいけどね……」
「なんか言った?」
誰にも聞こえない程度で、愚痴を漏らしながら席を立つ。
最後にシルバは少し考える仕草をしつつ、
「今後の話もすべきだが、まあ息抜きは必要だな。この後の道程はより困難になるだろうし」
歩き出す三人の後に続いた。
テントを出た四人はそのまま平らな岩肌を歩いて、周囲に展開されている出店の数々と集まった人々によって成された喧騒へ向かう。少し先を歩きながら、カインとレンがいつもの調子で楽しそうに怒鳴りあっている中、エアーズロックの景色を物珍しそうに眺めているアカネに対し、神妙な表情で横を歩くシルバが声をかける。
「アカネ。少し話がある」
「ん、なに?」
笑顔で振り向くアカネ。シルバの表情を見て笑みを消してゆく。シルバがこのような表情をするときは、何かを考え至った場合が多いのだ。
シルバもまた、アカネの予想通り、ずっと考えていながら、今まで決断できないでいたことを話し始める。カインとレンが少し離れている今がちょうどいいと思った。
「これは私の予測の範疇の話ではあるが、私たちの行動が、完全に把握されている。イズモに」
「……どういう事?」
訝しげなアカネに対し、シルバは表情を崩さない。
「あの襲撃のタイミング。ケルマディックでの墜落を生還し、同時にARRに参加している事までが筒抜けになっているはずだ。でなければ通常、あんな追跡は不可能だろう」
アカネはこの灼熱の大地の中で、暑さとは関連性のない汗が滴り落ちるのを感じる。
「それは、確かに対応が早すぎるとは思ったよ。でも何故なのかしら……」
「何故、だろうな」
イズモの最高責任者が動いている。この情報をシルバはアカネに言わない。情報をもたらしたレンは、何故簡単に追跡されていたのかを知っていて、言わないでいた。裏切り行為と非難されるような状況でも、カインを守ろうとした彼女の意思を尊重すべきだとシルバは思ったのだ。アカネならば、裏切りなどと考える事は無いだろうが、気を使わせる必要も無いと考えたからでもある。
その上で、シルバは話を続ける。
「どちらにせよ、これからの後半戦、少し考えねばならないだろう」
シルバの言葉に軽く眉をひそめるアカネ。
「考えるって?」
「このままレースを続けるか否かを、だ」
アカネは思わず歩みを止めてしまう。シルバの言っている台詞が、何故だかとても理不尽に感じられてしまったから。自分でも不思議なほど、感情の波が押し寄せてくる事を感じ、声に出す。
「続けるか否かなんて、続けるに決まっているじゃない! 移動手段を手にしないといけないから、ここまでがんばって辿り着いたんだから。それに順位だって――」
「行動を完全に把握されていると言っただろう。私たちがレースに参加している事が知られているのならば、もはや優勝を狙う意味が無い。むしろ危険でさえある」
首を横に振り、アカネの言い分を否定する仕草を見せながら、シルバは静かに語りかける。
たしかに、とアカネは心の中で納得をする。シルバの言う事は至極もっともだと。レースに参加している事が相手に把握されているのならば、後半戦はもっと激しく、それは危険を伴う事を前提として、当然のごとく妨害の襲撃が行われるだろう。たとえ妨害を乗り越えて、優勝したとして、イズモが絡んだ時点で飛行機を手にできる確証などすでに無いに等しい。わざわざ逃げるための翼を誰が渡すと言うのだ。
レースから離脱するほうがいいかもしれない。シルバはそう言いたいのだろう。当然だった。思考は冷静にシルバの意見に納得する。何があっても、生き残らなければならない。世界を知り、見渡し、行き着いた先で、与えられた運命の『鍵』を使わねばならない。そのためには、リスクをなるべく回避して行動せねばならないのだ。
だが、分かっていても。アカネは冷静な思考とは裏腹に、体の内から湧き出る感情を抑えられないでいた。
「……折角、ここまでこれたのに。カインだってあんなにがんばってっ! いや……ごめんなさい。シルバが正しいと思う」
先を歩くカインとレンの楽しそうな後姿を見ながら、もう追いつけないのであろうかと、錯覚を起こしてしまう。手にしたものを失いたくないあまり、アカネは思わず駆け出しそうになるのを必死にこらえる。
「これからどうするか、判断はシルバに任せる」
シルバも冷静に判断を下そうとし、だが本当に正しいのかと自問自答をしてしまう程度には、心を痛めていた。
「わかった。もうしばらく考えて、その上であの二人にどうするか話そう」
追いついてもしようがないかもしれない。思いながら、二人は足を速めた。
カインとレンに追いついてしばらく、四人は数々の出店やそこを見て回る人々の中に紛れ、辺りを見回しながら歩いていた。一種独特の香りを漂わせる肉の串焼きや、安そうな作りをした飛行機の模型の数々を陳列した屋台。エアーズロックをいろいろな角度、時間、季節で捉えた写真などを扱う露店。店舗の並びや密集度などはケルマディックのキャラバンに近い感じがあったのだが、扱っているものは全くの別物であった。ケルマディックでは、生活に必要なものを扱った市場だが、ここに展開されている物や食料の数々は、どう見てもお土産などが中心であり、やはり催し物だという認識を四人、特にカインとレンにさせた。周りを歩いている人々も、何処と無く気品のある格好や仕草で歩いている所からして、ケルマディックに来ているキャラバンや、住む人々とは違う。このような辺境の地にレースの観戦にこられる時点で、それなりに裕福であることが伺えるのだ。ゆえに四人は浮いていた。
「なんか、同じような人だかりでも雰囲気が違うなあ。ケルマディックの方がゴミゴミしているって言うか……」
カインはそれら光景を前にし、若干浮き足立ちながら感想を漏らした。レンも回りを見渡しながら同調する。
「確かになー。あたしみたいな、内から気品が溢れ出すような感じの人が多いわ。育ちや環境の違いかねー。ゴミ、いやカイン、泣くなよ? 気品の欠片もないあんたでも、あたしは見捨てない。関係は変わらないからさ」
「泣きそうだよ! てか泣かすぞお前っ! 何処に? ねえお前の何処に気品とやらが溢れ出しているの? そもそも育ってきた環境も俺と一緒だろうが!」
二人は呼吸をするかのように軽快に言葉を交わしていた。少し後ろを歩くシルバが、あえて静かに解説を入れる。
「ここに来ている人間は生活にゆとりのある人々ばかりだ。イズモに居たときも、このレースの観戦はかなり人気だったからな。おそらく旅客機にでも乗って観光気分で金持ちが来ているのだろう」
「へーそうなんだ」
「まあ、あたしは心にゆとりがあるからねっ! 同じ同じ。金持ちならぬ、心持ち!」
「…………」
シルバの話しに納得をしつつ、レンに対して悲哀な視線を送りつつ、カインは今を楽しみながら歩みを進めた。しかし、ふと皆を見回すと、レンは馬鹿で、シルバは冷静でありながら、なぜかアカネは浮かない表情で俯き加減であった。心配になって声をかけてみる。
「アカネ、どうしたの? あんまり楽しそうじゃないね。もしかして疲れてる? テントに戻ろうか。そんなに目を引く物がある場所でも無さそうだし」
はっとして顔を上げたアカネは、気を使ってくれているカインに、手を突き出しながら左右に振って断りを入れる。
「ご、ごめん。ちょっと考え事をしてて、疲れとかは無いの、うん全然。だからもっと色々見に行ってみよ」
そう言って、急に早足になって歩み出す。カインは不思議そうにその後を追い、シルバは少し悲しそうな目をしつつ、カインに続いた。一番後ろで何となくやり取りを見ていたレンは、少し複雑な表情を見せ、すぐに隠して一歩を踏み出す――――――その時、カインたちの向かう方向とは少し外れた先、洒落た格好で着飾った紳士淑女の行きかう中、あどけない子供たちがエアーズロックの岩肌を走り回る横、レンにとって見慣れた少年、いや少年の格好をした人物が、穏やかな表情で視線を送って来ていることに気が付いた。
レンは踏み出そうとした一歩をもとの位置に戻してしまう。飄々としたいつもの表情は失せ、変わりに顔を敵意と憎悪にまかせて歪ませる。しかし少年は表情を変えず、一瞥だけレンに向けて、その場を去っていった。レンは俯き、こぶしを握り締める。少年はレンに対して用があるのだ。だから目の前に現れた。レンには分かる。その人物が気まぐれや偶然で姿を現すことなど有り得ないと言う事を。
事を皆に悟らせてはいけない。レンは満面の笑みを浮かべる。そして止めていた一歩を踏み出して、一気に駆け出す。三人に追いついて話しをせねばならない。マリオネットのように操り人形として、三文芝居を演じなければならない事を隠しながら。