第二章 拾弐
レースが始まって二日目の開始を告げる、早朝の日の出により目を覚ましたシルバ、レンと同じ頃、カインとアカネは、その朝焼けがもたらした太陽エネルギーを介した、人工照明の点灯によって目を覚ましていた。お互いなれない環境での一夜を過ごし、若干の倦怠感を体に感じつつ、目覚めの挨拶も少なめに、レースの参加者として、気持ちを引き締めていく。
「おはよう、アカネ。よく寝れた?」
「う…ん? うん」
カインは起きて早々に、早速簡易テントなどを手際よく機体に収納し、出発の準備を急いだ。自身を照らす人工照明の光は、一日の気力を呼び起こす光としては弱い。なので体を動かす事で、眠気を飛ばそうとしたのだった。逆にアカネは収納されていく物の中から簡単な朝食を二人分見繕い、作業中のカインに渡した。そして自分の分を口に運びながら、フラフラとおぼつかない足取りで収納の作業を手伝う。アカネは朝が苦手だった。
一時間ほどで全ての準備を終えた二人は、すばやく機体へと乗り込み、滑走によるレースを再開させた。
狭いトンネル内を、留まった空気と共に押し出すかのように、黒い機体が轟音を響かせる。両翼を調整しながら、機体にかかる揚力を抑えつつ操縦桿を押し込む。
順調に進み始めた中で、カインとアカネが今後の動向についての確認を行う。
「アカネ、目は覚めた? ここを後どのくらいで抜けれるのかな」
アカネは自身の寝起きの悪さを恥じながらも、まだ眠いという感想を心の中で呟き、カインの質問に答えていく。
「ごめんね、私ってどうも寝起きが……いや、忘れて。えっと、ここから出口までは、今の速度を維持して行けばさして時間は掛からないと思う。たぶん午前中にはここを抜けて、中間地点のエアーズロックまでいけるよ」
カインは出会ったばかりの、寝起きで突然暴れ出したアカネを思い出して、アカネに見えないように笑った。
「了解! じゃあ今日も一日よろしく」
「よろしく、お願いしま……がんばろうね」
アカネは油断すると閉まりそうになる瞼に、嫌気が差しながら、答える。
そのような調子で始まったレース二日目であったが、どこまでも続く直線だけのトンネルは横を流れる景色も灰色一色で、時間の感覚を二人から奪ってゆく。決して広くはない道幅なので、集中力を切らす事が出来ない。カインにはかなりの重労働になった。
目の覚めたアカネは、ナビらしく定期的に話しかけた。集中を切らさないようにという配慮からの事だった。
始めの内は、
「今レースの順位はどの位だろうね。俺からすれば、エアーズロックに到着できる目途が立っている事だけでも奇跡みたいな話しだけど……優勝を目指すとなるとね、意識してないと」
「悪い順位じゃないと思う。夜間の飛行は基本どの参加者も避けるから。状況はいっしょのはずよ。それに、私たちはほぼ真っ直ぐ中間地点に向かっているから、序盤の遅れを取り返して、トップ集団のすぐ後ろ位の位置だと思うよ」
などと、順位の話し、レース後半戦の確認等々を行っていた。
ただ、話す事もなくなってきた二人は、
「アカネは何か趣味とかあるの? 学校はどんな所?」
「うーん。趣味は特には……楽器とかは弾けるかな。学校は、正直苦手かも」
などと世間話を始め、完全に集中力を切らした段階に入ると、
「やっぱり俺、穴に入るのは好きじゃないみたいだ……。いまそれを痛感したよ」
「私も、空のほうがいいかな……」
愚痴に近い会話をしながらすごしていた。
無言になってくる機内に明るい声が響いたのは、人工照明の明かり以外の光源が、トンネルの遥か先に見えてきた時であった。
「ア、アカネ見て! 外だ、太陽の光だよ!」
操縦中なので後ろを振り返ることはしなかったが、アカネの声でカインは表情を読めた。
「やったねカイン! ここを出れば、すぐにエアーズロックへ着けるわ!」
カインの表情も自然と綻ぶ。遥か先の微弱な光源が徐々に大きくなって行く、それに合わせて、機体の速度を上げてゆく。流れる景色はさらに早まり、機体の振動も心地よく強まってゆく。
「カイン、トンネル通過と共に、機体を離陸させて。トンネルの先はあまりいい滑走路とは呼べない状況になってるから」
「了解」
アカネの指示の元、さらに機体の滑走速度を上げてゆく。広がってゆく太陽光。人工照明の光が、圧倒的なその光量に負けていく。トンネル内は凄まじい光に包まれ、カインはウインドシールドを遮光モードに切り替え、ホワイトアウトに備える。
「アカネいくよっ!」
カインが言葉を発すると同時に、機体が地面から離れてゆく。一気に加速した機体はトンネルを出た瞬間、開放されたダムの水のように、勢いよく飛び出していった。
眼前に広がる昼前の澄んだ青空を目にし、カインも、アカネも笑みになる。下を見れば黄土色の岩々と、どこまで続く隆起を繰り返したような大砂漠が広がっている。カインは振り返らず前を見据え、アカネは抜け出した旧水道施設跡の穴を確認した。
カインの目には、波打つ砂の海の中で、悠然と聳え立つ巨大な岩が、遥か地平の先に見える。息を呑むその光景は、類まれなる操作技術と飛行経験を有した者のみが見ることを許された景色。オーストラリア大砂漠大陸の中心にして、ARRの中間地点。エアーズロックがそこにはあった。
言葉を失ったかのようにただ無心でその景色を眺めるカインの背後から、アカネが優しく声をかけた。
「おめでとう、カイン。目標は優勝だとか言ったけど、ここまで来れる人……そんなに多くないんだよ。さあ、行こう!」
「りょ……うかい。了解!」
声が震えないだろうかと心配になるほど、カインは不安と高揚感で満たされていた。そして、ゆっくりと操縦桿をエアーズロックへ向けていった。
目視出来てからの飛行は順調そのもので、エアーズロックを見下ろせる所までの飛行は一瞬の事であった。遠くから眺めれば巨大な岩であるエアーズロックは、現在上部の平地に展開された、各参加者の関係者が準備した補給設備、レースを管理する人間たちの設営基地、観戦に訪れた人々の喧騒によってごった返していた。近郊の空域では、レース参加者と思える飛行機が少しずつ着陸を試みている。カインもそれに続く形で、エアーズロックへ着陸をした。岩肌に設けられた灰色の長い滑走路へソフトランニングを行う。着陸と同時に、大砂漠から運ばれてきた砂が噴射によって撒き散らされる。浮遊から開放された肉体が徐々に重さを帯びてゆく。それは生きている事を実感させる、飛行士独自の感慨深い感覚である。
「着いたね」
「ええ」
機体を降りて、カインとアカネは呆然と眼前を眺める。遠くからジープに乗った何者かが近づいてくるのが、陽炎により風景へ溶け込むように霞みながら見える。おそらく、レースを管理している人間が、機体と搭乗者のチェックに来たのだろうと当たりをつける。それがエアーズロックの、レースの中間地点に到達したのだという実感を、徐々にカインの中で膨らませさせた。
「い、やっったあああー! 着いた! 着いたんだっ!」
気が付いたらカインは、大声で叫びその場で飛び跳ねて回っていた。アカネはその光景を見て、喜びが伝染してくる事を感じる。
「さあ、キャラバンのみんなの所へ行こうカイン! シルバやレンを待たないと」
頷き、カインとアカネは近づくジープへ向かって歩き出す。
年に一度、最も人がエアーズロックに集まる一大イベントとあって、世界各地域から、裕福な者、酔狂な者、一儲けしようと考える者などが訪れ、機体の着陸する滑走路の周辺は出店と喧騒で溢れかえっていた。カラフルなパラソルが幾重にもかさなる様は、さながら飴玉をテーブルに散らばせたかのようで、祭りの様相を呈している。
ジープに乗せてもらったカインとアカネは、その喧騒の中にある一角、参加者と関係者が集まる大型のテントの中にいた。
「がははは、すげえぞカイン! その年でここまでくりゃ上等もいい所だ」
豪快な笑い声を響かせながら、シンセイは自身より一回り小さいカインの癖毛をくしゃくしゃにするよう、頭を撫で回していた。
「こりゃ、レンが悔しがるなー。あいつらとは連絡を取っていたのか? うん?」
カインは頭を揺さぶられすぎて、軽くふらふらしながら答える。
「途中までは一緒だったんだ。問題があって別ルートを行くことになったけど、たぶん大丈夫だよ。なにせシルバがついているし」
襲われた事をあえてはぐらかした。心配をさせたくないし、理由を問われた場合、言えない事が多すぎた。事情を知るアカネが、話しを逸らさせるように、会話に入る。
「別れた場所からして、おそらく若干の迂回をしたと思います。でも、難所を抜けた後だったから、実力からして問題ないのではないかしら……。もう間もなく到着すると思います」
丁寧語で答えるアカネを見て、カインは噴出しそうになる。同時に、自分に対しては気兼ねなく話しかけてくれるようになった事を、改めて嬉しく思った。
――誰に対しても、いつものままでいいのに。
そんな事を思われているとは思わないアカネは、カインの視線に気が付くと、不思議そうな表情で顔を傾げた。
「なるほどな。じゃあ、あいつらの到着の準備もしとくか」
言って動き出したシンセイの向かおうとする先は格納庫で、現在キャラバンのメンバーがカインの機体ライジンのメンテナンスを急ピッチで進めていた。
「あの二人、大丈夫かな……」
信じてはいても、一抹の不安を覚えるカインは、思わず考えを漏らす。なるべく考えないようにしてはいたが、深紅の水素艇に襲撃を受け、ギリギリで地下に逃げ込んだ後、そのまま敵が引いたとは言い切れないのだ。標的を再度レンたちに変えたのではないかという嫌な考えが脳裏をよぎる。
「大丈夫だよ。カイン。レンの操縦技術は凄いよ。それにシルバがついてるから。私たちが作った時間さえあれば、逃げ隠れる事は出来たはずよ」
気丈に答えるアカネの表情も、決して優れたものではなかった。むせ返るようなテントの中で、不安の募った沈黙が二人の間を流れる。大丈夫、レンに限って想像するようなことにはなってはいない。カインは思い。気を取り直して明るめにアカネへ声をかけようとした、その時、
『レース管理委員会より報告です。えー、レース速報、レース速報。ただいまエアーズロックの上空にて、搭乗者、シルバ、アカネ様の機体を確認。着陸次第、誘導を行います。関係者の方は、機体整備の準備をお願いします。繰り返し連絡します。レース委員会より――』
機械音で拡張されたアナウンスの声が、テント天井に設けられている、古ぼけた黒いスピーカーから流れてきた。同時に、カインとアカネが顔を見合わせる。
「レンたちだっ! よっし、二人とも無事到着したんだ。でもあれ? なんでアナウンスはアカネの名前を答えたのさ」
カインが喜びと共に疑問を投げかけ、
「さあ、間違い、じゃないかな。あるいは登録を間違えたとか。でも、今はそんな事どうでもいいじゃない! 迎えに行こうカイン」
アカネが漠然と返答をし、それ所ではないという身振りでカインの手を掴み、走り出す。半ば引っ張られる形で、カインはアカネの後に続いた。
テントの外に出た二人は、刺し込むような太陽の光を肌に感じつつ、自身たちの時と同じように、ジープに乗ってくるであろう二人をまった。いつもと変わらず、何も遮るものの無い空をバックに、乾燥した風が大地を撫でるように吹き荒れている。すぐに噴出してくる汗をぬぐいながら間もなく、二人を乗せたジープはゆっくりとカインとアカネの待つテント前へ向かってきた。
止まるジープ。開いた扉からは、車内からカインたちが見えていたのであろう、シルバが軽く右手を上げている。カインが走り、次いで今度はアカネが後を追う。
「シルバ! 無事だったん――」
駆けつけたカインが言いたい事を言い終える前に、車から飛び出したレンが飛びついてきて、カインの口を胸元で塞いでしまう。
「よーし、よし。一人にしてごめんなさいねぇー。お母さんの変わりに先生の胸でたんとお泣きぃ」
レンはそのままカインの背に手を回し、締め付けるように圧迫していく。呆然とするアカネとシルバを他所に、急な攻撃に全力で体を引き離そうと、精一杯の力でカインがレンを押し戻す。
「んんっなにしてんだっお前っ! 保育士かっ! はーなーれーろーっ!」
ひとしきりカインを抱きふ倒したレンは、満足してカインから離れる。
「おや? カインじゃないか。お前透けてるぜ? ははあ、さては死んだなお前。かわいそうに……」
「誰が透けてるだこら! 今お前が絞め殺そうとしていたのは誰なんだ? え? まったく、心配したらこれだ。はあ……なんだか喉乾いた。さっさとテントに行こうシルバ、アカネ」
カインは呆れた顔で、憮然とテントへ引き返す。その背中を見ながら、レンは呟いた。
「心配したのはこっちだっての。よかったよ本当」
聞いたアカネは微笑み、シルバは言葉で促す。
「さあ、私たちもテントへ行こう」
三人は並んでテントへ向かい、四人は再開する事ができた事を、それぞれの表現で喜んだ。