第二章 拾壱
巨大下水施設跡に潜ったカインとアカネは、施設の人工照明を頼りにトンネルを進み続けていた。機体を飛ばすことなく、滑走する方法だったので速度こそ出てはいなかったが、確実に中間地点であるエアーズロックへと近づいていく。
しばらくの間はそうやって進み続けていたのだが、人工照明は太陽電池の蓄電で稼動していたようで、徐々に施設内の光量が減少してきていた。カインはトンネルの中間地点を越えた辺りでこれ以上の走行は危険と判断して機体を停止。レン、シルバ同様に本日の工程を終了させた。
停止させた機体から降りたカインは梯子を降りると、すぐに機体側面のハッチを開き、簡易テント、寝具、食料等々、必要な道具を地面のアスファルトへ広げてゆく。手早く作業をこなさねば、上方からの光が無くなり、何も出来なくなると思ったからだ。横ではアカネが手伝うにも何をしたら分からないでいるようだったので、カインは声をかける。
「アカネ、悪いけどコクピットの中にあるランタンを取ってきてくれないかな? もうすぐ暗くなって手元が危うくなりそうだ」
声をかけられたアカネは慌てつつ、どこか嬉しそうに返答して行動を起こす。
「わ、わかった。すぐ持ってくるから!」
言われたとおりコクピット内からランタンを取り出したアカネが、スイッチを入れて明かりを灯す。辺りはランタンの光を明るく感じる程には暗くなっており、アカネは少し慌てるようにカインの元に向かった。
「大分暗くなったわね。ここのエネルギーは太陽光発電でまかなっているのは知ってたけど、ここまで早く照明が消えるとは思わなかった。太陽電池の逐電量が落ちてるのかも」
「ふーん。まあ、どっちにしてもランタンの光だけじゃ限界があるか……そうだ、ランタンを貸して」
話しながらテントを組み立てたカインは、アカネが持ってきたランタンを受け取り、辺りを照らす。飛行艇が入るぎりぎりの幅で広がるトンネル内の壁がランタンで照らし出され、カインやアカネの陰を不気味に揺らす。カインはその中を歩き出し、
「ねえアカネ、このトンネル内に、燃えるような物とか無いかな。あれば凄く助かるんだけど」
アカネに今欲している物について問いかける。
少し上向き加減で考えるアカネは、飛行訓練での話しを思い出す。
「そういえば、トンネルの壁内は水流の音を防音するために、大量の人工綿が埋め込まれているって聞いたことがあるよ。たしか大戦時、密かに水素の原料になる海水を流す為だったはずだけど」
人工綿。カインは考えて頷く。
「うん、それなら燃えるな。でも壁の中か……壊して取り出すのは厳しいなあ」
「それは、大丈夫じゃないかな。ここが稼動していた時代は整備も完璧だったかもしれないけど、今は放棄された施設だし、結構亀裂とか入ってると思う。それに軍事目的で車両や飛行機の運搬なんかに使われてる場所だから、けっこうボロボロだよ」
どんどん暗くなる中で、ランタンに照らし出されるアカネは明るく答える。カインはアカネに言われて、足元のアスファルトをブーツの踵で軽く踏み込んでみた。たしかにアスファルトは風化しているのか、簡単に砕けてしまう。
「本当だ。これなら綿を取り出せるかも」
「なら急ごう。結構暗くなってきたわ。そのランタンだけだと亀裂を探すのも大変になっちゃう」
カインは頷くと、アカネと並んで壁面へ向かい、亀裂の入っている壁面をくまなく探していった。
程なく亀裂は見つかり、カインは手を突っ込んで内部に詰まった人工綿を取り出してみる。手の上にのった茶色く汚れて変色した人工綿は、幾重にもかさなりからまっていた。
水分は含んでおらず、乾燥していたのでカインはこれならば燃えそうだと思い、さらに人工綿を取り出した。手元が一杯になると、アカネにそれを渡してさらに取り出す。二人で両手一杯に抱えると、少しこぼしながらもそれ飛行艇の近くまで運んでゆく。二回ほど同じ事を繰り返す頃には、辺りはランタン無しでは歩けないほど暗くなっていた。
「く、暗いわね。ランタンが消えたときの事を考えると、すこしゾッとする」
率直なアカネの感想だけが暗闇で聞こえる。表情が見えなかった事で、カインは確かにと思った。
一通り人工綿を山積みにして、カインは一部を分けて地面へと置いた。アカネは置かれた人工綿の前に座る。同時に機体から運び出したショルダーバックの中からカインがライターを取り出し、火傷をしないようにゆっくり人工綿に火をつける。熱せられた人工綿はあまり燃えることなく、しかし暖色を帯びた光を生み出し始めた。光は弱くとも、辺りが完全な闇であった為に、十分な明るさと言えた。
照らし出されたアカネは解り易く表情に安心した感情をこめて息を吐く。カインは光を見て、
「意外と燃えないなあ。でも長時間光を出してもらうには、むしろちょうどいいか」
楽観的に現状を評価した。前に座るアカネは、人工綿の焚き火に目をやり、天井の闇に視線を移す。
「暗いね。昔ここに来たときは昼の間だけだったから、照明が夜に落ちるなんて知らなかった。ごめんねカイン」
「いや、アカネが謝る事じゃないよ全然、全く。それよりお腹空かない? 実は俺、結構お腹空いてるんだ。ご飯にしようよ。それで元気出して、明日に備えよう」
少し落ち込み気味のアカネを励ますように、カインは明るく振舞う。こんな暗闇の中では誰だって気落ちする。そう思って気持ちだけでも明るくいようと考えたのだ。
アカネには、カインのそんな分かりやすい配慮がよく伝わり、思わず笑みを浮かべる。
「私も実はお腹が空いちゃった」
二人で軽く笑いあい。カインは食料を入れた密封ケースの中から燻製にされた肉や、水分のあまり無いカチカチのパンを取り出して、半分ずつに分ける。それをアカネに渡す。
「肉を火であぶれば味が出ておいしいと思うんだけどさ、この人工綿の熱であぶっていいものなのかな。少し不安になるよ」
言いながら肉をあぶろうとするカインを、アカネが止める。
「止めた方がいいんじゃないかなー。そのままでも十分食べれるよ。ほら、むぐ、うん美味しい」
肉をほおばるアカネを見ながら、カインは手に摘んだ肉をそのまま口の中に放り込む。決して美味しくはなかった。
それでも二人は光一つ無い空間の中で、楽しいとは決して言えなくとも、温かい気持ちになれる食事を続けた。一通り食べ終わって、食後の水を味わいながら、アカネがカインの様子を伺うように話しかける。
「ねえ、カイン。一つだけ聞いてもいいかな」
「うん? なに、答えられることなら何でも答えるよ」
少し空腹を満たされたカインは上のジャケットを脱ぎつつ、両足を伸ばしリラックスした座り方をしながら、アカネの声を聞いていた。
「その、なんでここまで私、いや私たちについて来てくれたのかなって思って……私ね、カインを巻き込んでしまって本当に申し訳なく思っているの」
カインは少しだけ考える風に両手を頭の後ろで組む。でも、すぐに答えは出てきた。
「そういえば、ケルマディックを出発してその日の夜、シルバにも同じような事言われたな。アカネ、レース前に今が楽しいって言っていたよね。不謹慎かもしれないけど、俺も今すごく楽しいんだ。レースは緊張で吐きそうだし、飛行機での空中戦では死にそうになるし、とてもそんな状況ではないと分かってはいるんだけどね。でも楽しい。シルバにも言ったけど、俺が自分で決めた事だよ。アカネやシルバについてきたのは。だから巻き込まれたんじゃないからさ。気にしないでよ」
そう、満面の笑顔で答えるカイン。アカネは恥ずかしそうに、でも同じように笑顔になる。
「私も、楽しいよ。レース前に言ったけど。楽しい。レースに参加した事もそうだし、こんな暗闇の中で食事する事も、怖いけど楽しい。それに……こうやってカインと話しをするのも……楽しいよ」
カインはアカネの台詞に少し赤面する。別にアカネにとっては何の含みもない発言だと言う事が分かってはいても、妙に恥ずかしかった。それと、同時にシルバが話していた事を思い出した。アカネは人付き合いが苦手だということ。正直話していて、そんなイメージはカインには全くなかった。確かに慣れていない人には敬語だし、人見知りな所はあるのかもしれない。でも、それだけで、知り合いがあまりいないと言う状況になるのだろうか。そんな疑問が頭をよぎりつつ、カインは答える。
「俺もさ、アカネとこうやって話せるようになってよかったよ。まあ、初めて話したときは、ははっ、蹴っ飛ばされて、とても仲良くなれるとは思わなかったけどね」
「そ、そのことは忘れて!」
アカネは少し頬を膨らませつつも、屈託の無い無邪気な笑顔を見せていた。その表情はとてもカインより年上だとは思えず、可愛らしかった。
そして、その表所を見てやはりアカネが人付き合いは苦手で、知り合いが少ないというのはおかしいと思った。ふと同時にカインは、敵から襲撃を受けた際の、言わされた台詞をなぜか思い出した。
「ねえアカネ。自分も一つ聞いていい?」
「うん、何?」
カインは通信で意味の分からなかった台詞を思い浮かべる。そしてその台詞の直後、敵機はカインとアカネの乗る機体へ攻撃を仕掛けてきた事を。
「敵機がレンたちを襲ってた時さ、『鍵』の運び手って表明させたよね。『鍵』って何?」
「…………」
アカネは沈黙する。長い沈黙だった。それは迷いをあらわし、アカネの表情を暗くさせる。カインはまずい事を聞いたかもと慌てて撤回をしようとするが、その前にアカネが口を開いた。
「イズモにとって、最も重要な事業は、雲を管理する事なの。その管理には巨大な水素機関が使用されているのは知っているよね?」
「あ、ああもちろん知ってる。貴重な水資源を世界で均等に有効活用する必要があるんでしょ? ケルマディックにも定期的に雨を降らす為に来ていたよ。巨大な飛行船が何機も」
カインはケルマディックの空を飛行する、多数の巨大な飛行船が水を撒き散らしながら進んでゆく光景を脳裏に思い浮かべながらアカネの話を聞き続けた。
「そう、それ。私からしたら、自らが世界から海を奪っといて何が均等なのかと言いたい所だけど……まあいいわ話がそれちゃうしね。少し昔話になるけど、その水素機関を開発した人間たちは、機関が世界を変えれる力を持っている事を重要視して、同時に警戒もしたの。自分たち以外に使われると、戦争を助長しかねないって。当時は大海戦の真っ只中だったし。だから彼らは雲を回収する為の、戦争を終わらせる為の水素機関に『鍵』をかけたの。自分たちだけがその機関を操作しえるように。つまりは世界を操作できるように。それが今に続くイズモカンパニーの登場と始まり」
アカネが話した内容に登場する『鍵』の単語。それがどう今日の戦闘中に発せられた言葉と繋がるのか、カインにはまったくわからなかった。しかしアカネは話を続ける。
「話しを今に戻すね。現在イズモはプレジデントを筆頭に、三人の幹部が企業を管理しているの。そしてイズモは起業当初から今に至るまで、プレジデントを含めた四人の職務は皆、血縁者による世襲によって就任されると決められている」
「つまり子供が親の跡取りになってるって事? それとアカネの言う『鍵』と何の関係がるのさ」
カインは的を射ないような説明に、素直に疑問を呈す。
アカネは分かっていると言うような目でカインを見つめる。
「今の話と『鍵』には関係があるの。また少し昔話。そしてなぜイズモの重役は血縁者の世襲制なのか。答えは簡単なの。雲を回収する水素機関を開発した彼らは、自分たちにしかそれを使えないように、自分たちしか持ち得ない『鍵』を使った。遺伝子情報という『鍵』をね。だから機関は彼らにしか反応しなかったし、今では――」
「そういう事か!」
アカネが言う前に、カインの中で話しが繋がった。思わずリラックスしたように足を伸ばして座った状態から、焚き火越しにアカネの前へ乗り出す。
「つまりイズモのトップに立つには雲機関の管理が必要不可欠で、それは開発者の遺伝子情報持っている子孫じゃないと駄目って事だね。だから世襲制になっていると。じゃあ『鍵』ってのは開発者の遺伝子情報って事だったんだね。俺はてっきり玄関を開けるみたいな鍵を持ってるのかと――あれ? 今の話からすると、さっきの戦闘で俺に『鍵』の運び手とか言わせたけど、それって……」
瞬時にカインの中で限りなく正解の予想が立った。『鍵』とは何かを質問し、雲機関の開発者の遺伝子の話しになり、つまり。
アカネはゆっくりと、でも力強く、少し悲しい表情で、
「うん。私は雲機関の開発者の子孫で、現イズモカンパニーの三幹部の一人、ライカン=クロウサーの娘なの」
肯定を示すように一度だけ頷いた。
予想外の展開にカインは、慌てるように考えをまとめようとした。過去イズモが行った行為に対する疑問から本部を飛び出したアカネとシルバ。執拗なイズモの追跡。数名しかいない『鍵』の遺伝子を持った存在。その日を生きてきただけのカインには、ただの壮大な作り話のように思え、しかし、現状自身が体験している敵襲や目の前のアカネの存在が実態となって証明を訴えかけてくる。
目を大きく見開いて、時を停止させてしまったかのようなカインを他所に、アカネはさらに続けた。
「私の父は十年前に飛行機の墜落事故で死んだのね。それで、今はイズモに『鍵』を持っていて、使える人間はプレジデントを含めて三人だけ。そして親族も『鍵』の存在は伏せられていて、役員へ就任したときに『鍵』の存在を知らされる仕組みになっているの。私は……私には兄弟は居なくて、だから、父が事故死した後に『鍵』の存在を教えられた。いずれ……私が引き継がないといけないからって」
「だから、あんな執拗に追っ手が攻撃を仕掛けてきたのか。『鍵』の秘密が外部に漏れるのを恐れて。信じられないような話だけど、納得、したよ」
カインはどんな反応を示していいのか分からず、神妙な表情をみせざる終えなかった。そして同時に胸を締め付けられるような思いに襲われる。想像もつかない程の重責に将来対面しなければいけない事実とは、一体どれほど苦しいものなのだろうかと。そして事実に納得がいかず、謀反を起こしたらどうなるのか。答えは目の前の座る、とても年上には見えない少女だった。
アカネは優しく、そして悲しそうにも見える表情で微笑を浮かべていた。
「だからカインの質問に対する答え……『鍵』っていうのは私のことなの」
アカネの顔を見ていることが出来なかったカインは、目の前の人工綿が発する光をただ眺めた。まるで言葉を忘れてしまったかのようにカインは黙り続ける。
「でも! 私は『鍵』でよかったって思うんだ。『鍵』だったから知り得た事もあるし、自分で出来る事もあるんだから。同情だけは……しないで。したら怒るから」
顔を上げると、アカネは頬を膨らませる仕草で怒りを表現していた。その顔がなんだかとても可笑しく思えたカインは、思わず笑ってしまう。
「は、はは……わかったよ。同情なんてしない。俺もアカネが『鍵』を持って生まれた事を喜ぶよ。それのおかげで、俺はレースに参加して、デス・スウェルも越えて、こうやってアカネと一緒に真っ暗闇の穴の中で不味い飯を食べれてるんだから。こんな面白い事ってないよ、普通」
アカネもカインに釣られて笑顔になる。
「そうよ。中々無い経験よ。私だってイズモ本部を抜け出す切っ掛けになったし、水素艇は墜落するし、飛行機のレースにまで参加して、暗闇の中楽しくおしゃべりだもの。こんな事になるなんて、イズモにいた頃には考えられなかった!」
本当によかった。カインは素直に思った。空気のよどんだケルマディックの坑道に毎日向かい、日がな一日穴を掘ってきた事を考えれば、この刺激が強すぎる数日間は夢のようであった。先のことなど全く分からない。けれど何かが起こる予感が常にある。これからそんな日々が続けばいいなと、願わずにはいられなかった。
そんな自身の心のうちを感じ取っていたカインとは逆に、アカネは本当に言いたい事を言えない自分が情けなく、悲しかった。
「よっし! 話しはこれくらいにして、明日に備えてもう寝よう。太陽が昇るころには、ここの照明も復活するでしょ?」
色々と納得のいったカインはゆっくりと腰を起こし、元気よくアカネに対面する。
「え、ええそうね。太陽光が少しでもあれば、照明も稼動するはず。そうすれば、後は一気にエアーズロックを目指すだけだわ」
アカネはカインに合わせるように立ち上がり、簡易テントへ向かった後を追う。
骨組みにシートをかけただけのテントの中、隣り合わせに並べられた寝袋へ、カインが先に入り、ついでアカネも中に入る。辺りは音の一切しない闇で、少し離れたところで人工綿が燃えている。カインはランタンの電源を入れて、明かりを最小に調節する。
「これでよし、あとは寝るだけ。なんか、緊張のしっぱなしだったけど、こうやって横になるとすぐに寝れそうな気がするよ」
カインは中腰で座り、隣で同じような格好をするアカネに声をかける。
「明日、本当にがんばらないと。おやすみ、アカネ」
仰向けになりながら目を瞑る。
アカネは横向きに体を丸めながら、ランタンの僅かな光に照らされたカインの顔を見て答える。
「うん、おやすみ、カイン。本当に、今日はお疲れ様。明日もがんばろうね……一緒に」
音はない。光は僅かで心もとなく、思わず大空に広がる星々の輝きが恋しくなる。アカネは目を閉じないで横を向く。視界に入るカインは目を瞑り、呼吸を整えながら眠りにつこうとしていた。その表情をしばらく見続け、そしてカインの呼吸が静かになり、緩やかな眠りへ入った事を確認して、呟いた。
「カイン、私たちと一緒に――」
決して望んではいけない僅かな願い。聞き入れたのは光の届きそうも無い、どこまでも深い闇だけであった。