第二章 捌
カインは咄嗟の判断で、再度デス・スウェルの断崖へ高度を下げてゆく。そのままの高度を維持して、銃弾の的になるのを避けようとしたのだった。
そして、アカネの指示を待つ。が、一向にアカネは言葉を発さず、カインは緊急時の中、一瞬だけ後ろを振り返った。
「アカネ?」
その一瞬でカインは再び視線を前方へ向け、操縦に集中する。デス・スウェルは少しの油断も許さない。アカネは青ざめ、ただ上空を眺めながら。一言二言つぶやいて。
「深紅の水素艇……間違いない。でもなんで、この場所が? ヴァーゼン」
カイン機よりも少しだけ前方、レンもカイン同様、デス・スウェルへ突入の判断を実行していた。突然の強襲に若干の動転はしたが、それでも冷静さを失わず、レンは操縦に集中する。
後部座席では、アカネ同様シルバが上空の視線を向ける。
「芳しくない事態になったな。追っ手はヴァーゼンか。しかしなぜこの場所が?」
レンは、少し声を荒げてそんなシルバに問いかける。
「一人押し問答は寝る前にっ! どうする? もうすぐ接近されるし。この際レースは捨てて――」
レンの声が最後までシルバに届く前に、二次攻撃がレン機の飛行する上の岸壁を吹き飛ばす。レンは上からの落石を必死に回避しながら、奇跡とも言える操縦技術を発揮して、デス・スウェルを進んだ。
シルバはまだ、考える。なぜこの場所がという考えは、済んだ事とし、現状を必死に分析した。
「今の攻撃、明らかに私たちに向けての物だったな。最初の攻撃もそうだった。なぜ、カイン機ではなく私たちを狙う?」
シルバの悪い癖。アカネが登場していれば、そう小言を発していただろうが、レンは操縦に全神経を集中しながら、口を開いた。カイン曰く、体とは別の概念で動いているらしいその口を。
答えられるはずのない回答を、答えられるだけの情報として、レンは持ていた。
「あー、それはたぶん、レースに参加する機体登録に、この飛行機は搭乗者としてシルバとアカネの名前で登録したからだと、あたしは思うわけで……」
レンから発せられた言葉にシルバは、一気に疑問と対策を思考として巡らせた。
「君の行動に幾つかの質問はあるが、今は情報だけを元に対策を練る。後で話を聞きたい」
「……了解、ただ、カインたちにはだまってて」
なぜ、レンはこの機体にシルバとアカネが搭乗すると偽ったのか、事情を知らないはずのレンが取った、明確な意思の働いた行為。あるいは厚意。故意。
それらすべてを一旦、胸に収め、シルバは行動に出る。
「約束しよう。レン、カインとアカネに繋いでくれ」
操縦に集中するレンは、口で答えず行動で示す。
カインは二度目の襲撃を、岩を銃弾が削る爆音だけで確認する状態に追い込まれていた。先ほどまで、追跡する形で飛行していた為に、目視でレン機の位置を確認できていたが、一度はぐれたら、入り組んだデス・スウェル内での合流は出来ない。よって、アカネの確認するレーダーに映し出された点滅だけが頼りだった。
それら状況がカインを苛立たせる。
「くそっ! レース中に襲撃なんて何考えてんだ。アカネ、レンとシルバは大丈夫? どっちへ飛べばいい?」
問われたアカネも、冷静で居ないといけない事を理解はしていたが、自身の敵が、巻き込んだ人間を襲っているという状況に、冷静さを少し失いかけていた。
「ひ、飛行はしてるわ。でも、飛ぶのに必死みたいで、ルートや方向を無視して進んでる。私じゃナビ、出来ないっ!」
「そんな……」
押し黙るアカネ。カインは不安に腕を、体を震わせながら、ひたすら低空飛行でデス・スウェルを進んだ。
二人の不安を消し去ったのは、レン機からの通信を伝える、信号機の発光だった。
『私だ、緊急時なので手短に話す。アカネ、カイン、君たちは通常ルートで飛行してくれ。私たちが囮となって、別ルートを飛行する。ヴァーゼン……深紅の水素艇だが、とある事情で、奴はこちらを――』
再度、爆撃音がカイン機の前方で響き、通信が途絶える。
『こちらを狙っている。最悪レースを離脱することになるかもしれないが、君たちは進んでくれ。健闘を――』
またしても爆撃音。
通信は再開しなかった。
カインは慌ててアカネへ確認を取る。アカネはレーダーをすぐに確認する。
「大丈夫。飛行しているわ。でも、少しずつ上昇しているみたい。本当に囮になる気だわ」
カインは考える。シルバと出会った時、シルバがいかにアカネを大事にしようとしていたかを。あの通信は、最優先事項を考えてのことだったのだろうと思う。
“あの子を失えば、もう終わり”
シルバが口にした台詞。それが何を意味しているのかまでは、カインにはわからない。でも、レースでの操縦を託してくれたシルバの決意を、尊重しなければいけない気がした。
だからカインは考える。考えて、考えつくした上で、その答えをアカネに口にする。
「シルバとレンを犠牲には出来ない。こっちもリスクを、最低限のリスクを負うから。許して欲しい」
シルバの決意、それよりもシルバとレンの安否のほうが、カインには重要だった。最優先事項は、犠牲を払ってまで守ることじゃない。そう思えた。
アカネはすぐに答える。迷いは無い。自分が死ぬわけにはいかない。だが、シルバとレンの犠牲などゆるせない。
「解ったよ。どうすればいい?」
即答で了承するアカネを、カインは少し好きになった。アカネも優先事項を常に考えているが、シルバと違って、アカネは感情のほうが上に立つ。自分に少しだけ似ている気がした。
「上昇して、レン機と敵機の間を通過する。レン機を狙う、とある事情ってのはよくわからないけど、対象がもう一機存在すると思わせられれば、レン機だけを執拗に狙い辛くなると思うんだ。だから、敵機の間を抜けて、すぐに離脱できる航路を見つけてほしい」
アカネは緊張した表情をしながらも、すぐに了承の意思を伝える。
「了解。レン機は敵機とタイミングを合わせて、上限高度ギリギリで接触するように飛び出すみたい。私たちもその瞬間を狙おう! それと、退路については案があるの、だからね、なるべくヴァーゼン、敵機の操縦者だけど、アイツを引き付けて飛行したいの。今から言うように飛行して。まず――」
アカネは退路を説明しながら、そしてカインは機体を上昇させながら、決意を固めてゆく。
シルバの冷静な判断は、アカネとカインの感情的な行動力を計算にいれていない。
デス・スウェルの上空、深紅の水素艇は、獲物を狩る鷹のごとく、旋回をしながら攻撃のタイミングを図っていた。
搭乗者である男、ヴァーゼンは、機体同様に染め上げた赤い髪を片手でかき上げ、余裕の表情で届くことの無い挑発を口にする。
「そーうらっ来い、来い、来い! 落石と迷路に耐えかねた鶏の絶叫を俺に聞かせてくれ!」
ヴァーゼンは眼前に設けられた最新鋭のレーダーは、レン機の高度、速度はもとより、見えていない機影さへ映し出していた。そのレーダーは、レン機がこちらの攻撃のタイミングを図って反撃を仕掛けようとしていることを、簡単に知らせている。だからこそ、ヴァーゼンは侮蔑的な笑みを浮かべ悦に浸る。
レーダーに映し出された、もう一機のレース参加機が、徐々に上昇して空域を離脱しようとしている動きを見せていたが、逃げる観客にに興味は無い。
岩陰に隠れて飛行していた銀色の機体、レン機は、敵機の旋回を確認し緊急上昇のタイミングを図った。
レンは操縦桿を強く握り締めながら、ビル群で使ったと同様の圧縮空気の噴射をするレーバーを確認する。
銃器を積んだ機体に飛び込むという行為は、思った以上にレンを緊張させた。唇が震えているのが分かり、歯で噛んでそれを抑える。
怖かった。
死ぬのが嫌だった。
でも。
後悔はしていなかった。
レンは、始めから機体の登録をした際、シルバとアカネの名前で飛ぶ気だった。レンはシルバとアカネがどういう存在なのかを完全には知らない。だが、二人を追っている組織がどういう存在かは嫌というほど知っていた。カインの親が戦った相手、カインにも話していない自分の立ち位置。色々な思いが交錯した。
どうでもよかった。
世界の行く末も、過去の過ちも、レンには関係の無いことだった。
ただ、カインを巻き込んで欲しくなかった。
レンは何度か深呼吸をし、自身の決意を再確認する。
“どんな障害もあたしが請け負う”
それは責任、そして罪滅ぼし。
レンは後ろで上空を注視するシルバへ最後の確認を取る。
「相手に突っ込む。それで敵の攻撃の前に圧縮空気の超加速で離脱する。それでいいんだな?」
シルバは視線を上空から外さずに答えた。
「そうだ。あの機体は最新鋭の装備を搭載しているはずだ。おそらくこちらの位置も把握されている。だが、この機体は特殊だからな。突っ込んできた機体が方向を変えて一気に離脱できるとは思わないだろう。戦う意味はない。こちらに注意を引き付け、いかにカインたちから距離を取らせるか、それがすべてだ」
「単純明快な作戦だねー最高だ!」
レンは強がりのようにおちゃらけて、強い視線を上空に向ける。
“オーケイ、単純明快。カインたちが助かればいいだけの、鬼ごっこの始まりだ。”
レンは思いっきり操縦桿を引いた。
機体は一気に加速を始め、デス・スウェルの壁を這い上がるように進んでゆく。岩肌が凄まじいスピードで窓の外を流れて行き、すぐに青い空へと変わる。岩陰に隠れた機体が、陽光を浴びて燦然と輝く。
同時に深紅の水素艇からの攻撃が再開される。レンはデス・スウェルを抜け出すと同時に上限高度ギリギリを急旋回で飛行して襲い掛かる機関銃の弾丸を回避していく。
深紅の水素艇は遊んでいるかのように、その急旋回に合わせて銃撃を続けた。
徐々に高度を下げ、レン機の後ろに付こうとする。
最新鋭の水素艇、水素金属の浮遊効果が強い為、レン機のような旧世代の機体とは、著しく飛行方式が違う。レンは飛びながらそれを実感した。
レン機が航空力学に基づいた空気抵抗で浮遊するのとはわけが違うのだ。すでに浮力のある水素艇は、航空力学を無視した急旋回や方向転換を可能にし、上下左右に、蜂のように飛行する。
「なんて動きしやがる。 ふわふわ飛行しやがって、どっからでも仕留められるってか?」
レンはボヤキながら、デス・スウェルから飛び出した岩を盾に逃げ回る。逃がされている。深紅の水素艇は未だ遊ぶようにレン機の背後を取り、レン機の飛行軌道に合わせて銃撃を繰り返す。
「どうする? 赤いのが本気になる前に逃げ出す? これじゃあいつの気まぐれで撃ち落とされるって」
シルバは答えない。ヴァーゼンの攻撃から、どのようにこちらを仕留めようと考えているのかを、必死に逆算していた。ヴァーゼンはこちらが旋回する度にギリギリで回避できる攻撃を繰り返している。常にいい位置を取りながらである。つまり、回避飛行をしている内は致命的な攻撃を仕掛けようとしていない。
ヴァーゼンらしい。シルバは士官学校での事を思い出し、思わず心の中で呟く。常に相手が屈辱と思われる手段で、攻撃方法を選んでいた男だ。おそらく、機体の機能差を活かした機動力で勝ろうとは思っていないのだろう。
旧世代の機体が唯一最新鋭の水素艇に対抗できるもの、シルバはそれを飛行速度だと考えた。
つまり、直線でのスピードによる離脱を図ろうとした瞬間、そこを狙っているのである。
シルバは、再度レン旋回を試みている中、冷静に判断を下す。
「このまま旋回して、相手が背後を取った瞬間、直線で飛行してくれ。相手はこちらの背後を取るように、急速接近を図るはずだ。その瞬間が、タイミングだレン」
レンは急旋回による重圧に体を傾けながら、答える。
「よし来た! あの野郎の顔面に一発かましてやる!」
旋回をしながら、高度を少し上げ、デス・スウェルの岩肌から完全に離脱する。
眼前に障害物の一切無い空が広がる。
出力を最大まで上げる。
直線勝負。
凄まじい重圧がレンとシルバにかかる。
背後には、深紅の水素艇が凄まじい勢いで迫り来る。
百メートル。
五十メートル。
二十メートル。
レンは、相手の指が射撃ボタンを押す音が聞こえてくるかのような、そんな気がして、全身に寒気が走る。思わず体が硬直しそうになる。
「今だ!」
背後からシルバの声が響く。
レンは考えず、考えが回らず、操縦桿を右に倒しながら、ただ反射的にレバーを引いていた。
圧倒的な重力がレンとシルバに襲い掛かる。圧倒的な速度と角度で曲がる急旋回。
絶妙のタイミングであった。
ヴァーゼンの撃った弾丸は強烈な空気の壁に軌道を逸らされ、捉えたはずの対象物から離れてゆく。二次攻撃を仕掛けるタイミングはすでに無い。ヴァーゼンは空気機関の存在など知らない。ゆえに目の前で起きた事象を理解できない。機体が気流の乱れで激しく揺れる。
そして、先ほどまで目視していた機体が忽然と姿を消したのだ。
「は、はははははははははっはぁー。最高だ!」
空気の渦に巻き込まれた深紅の水素艇は、デス・スウェルの岩肌に投げ出される。