第二章 陸
カインが援護に飛翔した時、レンとシルバはかなり高度な飛行を余儀なくされており、地面と敵機との接触寸前な低空飛行に四苦八苦していた。狭いビル群では高度を上げるとビルに接触する恐れがあり、強襲を受けている今では、その確立はかなり高かった。ゆえに、あえて地面に接触しそうな飛行を、シルバがレンに指示していた。敵機に接触された場合、地面での接触なら墜落となり、相手を巻き込むことになる。ゆえに相手も接触を躊躇する。
「レン! 左のビル群から離れるんだ! 接触したら元も子も無いぞ!」
「分かってるよ! でも広い場所を飛んだら上からあいつらに押しつぶされちゃうって!」
二人は互いに周囲を警戒しながらも、執拗に接近飛行を繰り返す昨晩の輩から、脱出の機会を狙っていた。レースのルール上、武器、兵器の類の搭載を禁じてはいるものの、それらを使用しない妨害という名の攻撃は黙認されていた。よってレン機を襲う三機に躊躇は無い。
レンが苦悶の表情を浮かべながら愚痴を口にする。
「あー鬱陶しい! せめてあいつらが機体の後ろについてくれたら! そうしたら高圧空気の噴射で擬似乱気流を味あわせてやるのに。必殺最後っ屁!」
シルバはレーダーと目視による忙しない作業の中で、高圧空気についての話を聞き、冷静に分析をして答える。
「圧縮空気による攻撃か、難しいだろうな。彼らに低空飛行をしてまで私たちの後ろを取るメリットは無い。上から接近して墜落させるのが狙いだろう」
会話の間も、絶えず接触が試みられる。その都度、機体を地面に接触する限界まで下げ、対処をする。その繰り返しの一つ一つが命がけであり、レンを疲弊させた。
焦り、苛立ち、疲労、それらがレンを軽率な行動へ導こうとする。
「くっそ! 一か八か上昇して空中戦に……!」
シルバは操縦者の心理を理解しながらも、徹底して守勢を貫かせようとする。
「今は我慢だ。上を取られているんだ。無策に上昇すれば確実に落とされる。転機が訪れるのを待て」
戦闘経験に長けるシルバだからこその忠告。レンは理解していた。
しかし、レンは止まらない。
止まることが出来そうもない。
「転機? 待っててもそんなもん訪れやしないって。来なけりゃ転機だって自分で作ればいい。やらせて!」
シルバは徹底して止める。
「最終手段は最後に出すカードだ。足掻ける内は限界まで足掻くべきだ」
堂々巡り。もはやレンの精神は限界に達していた。シルバの声が耳に入らないほどに。
敵機が何度目かの接触を試みる為、上から着陸用の車輪で圧し掛かろうとする。
シルバがそれを目視で確認、即座にレンへ伝える。
接触寸前の敵機をギリギリで交わす。
低空飛行を繰り返す。
機体を加速させる。
敵機が追跡する。
一か八か。
勝負。
レンは操縦桿を引く為、腕に力をこめる。
シルバは声を荒げた。
「駄目だ! 耐えろレン! 転機を待――」
シルバがレンの肩に手をかけた瞬間。
そしてレンが機体を僅かに上昇させた瞬間。
前方から、ビル群の狭い狭間を危険とさえ思える凄まじい速度で降下をする、漆黒の機体が二人の視線に飛び込んできた。
レンは驚きと、そして満面の笑みで吼える。
「行くよシルバ! 今が転機だ!」
守勢を徹して訪れた転機。猛るレン。それでもシルバは冷静さを失わない。
「カインたちが私たちの行動を理解してなければ、意味が無い。このままだと機体で交差することになるだけだ。銃器をカインの機体が搭載していれば別だが。最悪、君の言った圧縮空気の乱気流に、敵機ごとカインを巻き込む事に――」
「問題ない!」
カインの機体が急接近する中、シルバの忠告を遮るようにレンは言い放った。
「最後っ屁は対カイン用の嫌がらせ技さ! 以前何発も食らわしてる。条件反射ってやつだね! カインはあたしがやろうとすることなんてお見通しさ! 大丈夫!」
完璧な断言。確定事項を答えたと言わんばかりのレン。
唖然としながらも、思わずシルバは笑いそうになる自分を堪える。まったく根拠になっていない。自信満々で答える、カインに対するレンの信頼感がおかしかったのだ。
ただ、掛ける価値のある信頼感だとシルバには思えた。冷静に、感情的に。
レンはシルバに対して言葉を発したと同時に通信機をオンにしていた。
一瞬の交錯、その瞬間に、カインに伝わるであろう一言を、短く伝えた。
『喰らえカイン!』
機体と機体がすれ違う。
カインの機体は敵機三機の中心を射るように飛行した。
突然の強襲に三機は散りじりに上昇せざる終えなかった。
レンは標準を合わせるように、敵機と同じ高度、速度で上昇する。
レン機の背後にカイン機を含めた四機が入り乱れる。
その瞬間、レンは操縦桿横に設けられたレバーを引いた。
銀色に輝く機体の後部から、空間を歪めたかと錯覚を起こすほどの、圧縮された空気が噴射された。見えない螺旋状の気流は、一瞬にして背後を飛ぶ飛行機械を巻き込んでゆく。
反動で、圧縮空気の噴射はレン機に爆発的な加速をもたらし、銀色に輝く機体は、背後を確認するまもなく、空域を脱した。
『喰らえカイン!』
三機に襲撃されているレン機を発見し、瞬時に特攻を仕掛けたカインの耳に届いた言葉は、分かりやすくも、腹立たしい記憶を思い起こさせた。
「助けに来てやったのになんて奴だ! 誰がお前の屁なんか喰らうか!」
それだけ叫び、臆すことなくカインは三機の間へ飛び込むよう飛行艇を操縦した。
周囲で混乱したかのように、狭いビル群で上昇を始める三機が確認できる。強襲は成功だった。同時にアカネが指示を出したが、
「カイン! 敵機の後ろに付いて! 威嚇でも敵に挟まれれば効果が――」
「駄目だよ! 一刻も早く脱出だ!」
間髪入れず、その指示をカインは否定した。逆にアドバイスをする。
「急上昇するから、口を閉じて舌をかまないように!」
アカネはせっかく強襲を成功させたのに、離脱を目論むカインの行動に困惑した。だが反論する間も与えず、体に負荷か掛かり始めた。
レンの放った圧縮空気の乱気流が三機を巻き込み、カイン機に襲いかかろうとした瞬間、ライジン特有の圧倒的な上昇力が猛威を振るった。カインの得意な風を利用した飛行技術に、発生した乱気流が相まっての事であった。
二機の凄まじい速度での離脱に、襲撃を繰り返していた三機の面々はまったく気が付けないでいた。乱気流によって操縦不能に陥った機体を何とかしようとしている中での離脱は、彼らからしてみれば瞬間移動で二機が消えたことに、等しかった。同時に周囲のビル群が崩落を始める。
あっという間に場を離れながら、アカネはレーダー越しに、狭いビル群で踊る三機を確認し、また周辺のビルへ接触するのも確認した。
「目標三機の確認完了。三機ともビルに接触、移動は見られないから不時着してるはず。やったねカイン!」
アカネの明るい声に、カインは緊張を解いた。同時にスピードを落とし、上昇を止める。計器は上限高度スレスレを飛行していることを示していた。
「ふう。取り合えずよかったよ。闇雲に突っ込んだ割りに巧くいった。でも、あいつ無茶しやがって。あわよくば俺まで落とす気だったな!」
憤慨したカインの声に、アカネは思わず笑ってしまった。
「ふふっ! その割には的確な判断と操縦だったね。まるで事前にレン機がする事を知っていたみたいでし……だった。おほん、緊急離脱を開始した時は何事かと思ったよ」
「まあ、ね。あいつに対する警戒心の成せる技だったよ。所であっちはどこを飛行してるの?」
アカネはレン機を示す青い点滅をレーダーで確認する。
「ビル群の間を抜けて、隣の大通り跡を飛行してるみたい。通信可能距離だね」
「了解」
カインは通信機のスイッチを入れた。
『あー、そっちの被害状況は? 怪我とか、機体の損傷とか、大丈夫かよ』
『機体の異常なーし! 当機は快適な空の旅を満喫しております。怪我もしてない。シルバは……大丈夫だって。まあ、あたしの精神は今、非常で異常な状態ですが……』
通信機から聞こえるレンの声は、テンションが高くなったり、低くなったり、不安定な声色であった。それを感じ取ったカインが理由を聞いた。
『おいおい、変なテンションだな。なぜ?』
五秒ほど間が合って、返答が来る。
『カインの登場で、あたしのハートが燃え滾っとります』
変な回答であった。
カインは理解を試み、戦闘をして興奮状態であるという意味合いで受け取った。
『まあ、無事って事だ。よかった、よかった。あんま興奮するなよ? 戦闘後で興奮するのは分かるけどさ、レースはこれからなんだし、レースに遅れちゃったしね。取り合えず合流しよう』
今度は即答。
『……よっしゃ! 合流してやんよっ! この猛りを鎮めるには、何かを沈めねばならない』
『誰が合流するか! 助けるんじゃ無かった!』
カインがため息をつく間に、通信の対応者がシルバに変わった。
『カイン聞こえるか? まずは礼を言おう。ありがとう。いい順位につけていたのに、すまなかったな。カインの言うとおり、すぐに合流しよう。まずはビル群を抜けてくれ。レーダーで見た限り、私たちはかなり下位だ。今更スピードレースをこのビル群で仕掛けることもあるまい。アカネに伝えてくれ。ルートαを行くと』
シルバからの通信は以上であった。カインはレンが何かを喋りだす前に通信を切る。そしてアカネに伝言を伝えた。
「ルートαか……そうね、リスクはあるけど、この遅れを取り返すには仕方なし、ね。わかった。カイン、私が指示を出すから、その通りにビル群を抜けて」
すぐに了承する。
「最終的には北へ抜けたいの。だからビル群を北上する」
「了解! ルートを示していって」
カインはビルとビルの合間を大きく旋回していく。
レンが興奮していたが、実はカインも感情が高ぶっていた。誰かを攻撃目的で飛んだことは無く、一歩間違えていれば自分がやられていた事を思い、体を身震いさせる。アカネは的確に指示を出し、カインは従って飛行艇を操縦する。戦闘とも言えない、ただの飛行だったかもしれないが、臆すことなく、今も指示を出すアカネの声が、妙に頼もしく思えた。