表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/28

第二章 伍

 かつて、広大な青い空のキャンパスに、厚塗りしたかのような白い雲と、その青を写したかのような瑠璃色の海があった場所。現在は一色の空と灰色のアスファルトが広がる地。薄着の男女が戯れ、甘く、芳醇な香りを醸し出した過去。フライトスーツの輩たちと、金属とオイルの臭いに包まれた現在。海鳥たちの歌声は、飛行機械の轟音に変わり、しばしの休息と安息を与えてきた空気は、野望と欲望を叶えようとする意思で充満する。空を眺めて機体に乗り込み、今か、今かと参加者は士気を高める。

 カインたちは、そんな中にいた。

 遅れて自身の機体に乗り込んだカインだったが、すでに機体の調整はナビであるアカネと、キャラバン隊の整備士であるダンによって、完璧に調整がなされていた。申し訳なさから、カインは何度もアカネに頭を下げていた。

「ごめん、アカネ。絶対勝たないといけないのに、こんなに慌しくバタついちゃって」

「いいんです。協力してもらっているのは私なんですから。それより怪我は大丈夫ですか?」

「大丈夫、操縦に支障はないよ。心配掛けてごめん」

「いえ……」

 二人はこのやり取りしばらく繰り返し、搭乗を終えていた。

 機器は正常に稼動し、操縦桿を押し込まれる事を願っているかのように、唸り声に似た轟音を上げる。同時にカインの鼓動も増す。依然覚悟無く、成り行きのままに。

 そんな中、待機している飛行機械の大群へ向け、機器で拡張された陽気で甲高い声が響き渡った。

『さあ、さあ、さあ! 準備は整ったのか? 飛行士諸君! まもなくレースが開催されるぞ。ここに集まったは総勢百の飛行機械だ。中にはもちろん前年の覇者だって健在だ! ARRに何度か参加した飛行士もいるだろう。完航した者、棄権した者もな。だがそんな、中にも今年初参加の連中もいる。そんなビギナーちゃんたちに、ほんの少し優しい時間を与えてくれっ!

 レースの説明をする。ARRはここ、オーストラリア大砂漠大陸の横断を競うレースだ。単機で挑む者も、グループを持っている者も、中間地点であるエアーズロックを経由するのが大前提であり、そこを経由する航路は原則自由となっている。また、補給もエアーズロックのみで行うことが出来、それ以外の場所で仲間を待機させ、整備等を行うのは禁止だ。まあ、搭乗者が着陸させて、自分の手でいじくるのは自由だけどね! これらを守り、誰よりも早くゴールを目指してくれ。

 おっと、いい忘れていた。重要なルールだ! このレースには高度制限がある。地上から百メートルが限界高度だ。そいつを超えた機体については即刻失格だから注意しろよ? ズルして高高度を飛行して、障害無くゴール目指そうなんて輩は、二度とここの空は飛べないぞ! 旧ビル群あり、岩山ありがこのレースの醍醐味だ! このレースで賞賛されるべき者ならばこう答えよ!

 航路が無いなら、迷わず操縦桿を押し込んじまえ!

 以上がルールだ! このレースは千機もの監視ポットが上空に浮遊し、世界中に中継されてるからな! ぜひ興奮冷めやらぬ飛行を見せてくれ!』

 響き渡っていた男の話が終わる。同時にすべての飛行機械からエンジンの轟音が響き渡る。まるで地鳴りのようなそれは、レースが開始されるのだとすべての飛行士に知らせるのに、充分な役割を果たしていた。

 カインの手が震える。

 去年、一昨年は参加による緊張があった。しかし今回の緊張は違った。極めて勝算の少ない勝負で、しかし絶対に勝たねばならない。

 開始前、機体の準備は万全である。カインが操縦桿を引けばすぐにでも機体は走り出し、空へと運ぶだろう。それが出来そうもない自分が悲しく、情けなかった。昨晩、何も出来なかった自分の姿と、今の姿が重なって感じられた。

 カインの不安な気持ちは、アカネにも伝わっていた。自分より年下のカインに、重責を与えてしまっている事が悲しかった。同時に、こんな気持ちでカインと一緒に飛びたくは無かった。もっと自由な空で。あの、大陸だの時のように。

 シルバにはカインとの相性や飛行しての結果だからと言って、ナビを申し出た。でも違う。アカネには本心があった。

 アカネがゆっくりと、でも確かに伝わる声で、カインに語りかけた。

「カイン、このレースが終わったら、私とシルバは本来の目的を果たさないといけないんです。それには翼が必要です。でも、私なんて言えばいいの分からないけれど、今が、その、楽しいです」

 楽しい。とてもそんな気分ではなかったカインは、思わず後ろを振り向く。

 アカネは続けた。

「私は、イズモで空を飛んでいました。始めは訓練としてです。そして、目的を果たす為、逃走のために今度は飛びました。どちらも辛かった。でも、でもね? 今は違う。目的はあるし、勝たないといけないかもしれないけど、大陸棚でカインと飛んで、初めて私は空が、飛ぶことが楽しく思えた! だからねカイン、目的は要らないよ。勝ちたい。私はカインと飛んで勝ちたいよ! このレースを楽しもう! 目的なんて、きっと後からついてくるから!」

 アカネは、その強い意思を秘めた瞳をカインに向ける。最高の笑顔で。

 カインの震えが止まった。同時に、腹の底からおかしさがこみ上げてきた。

「は、はははっ! うん、そうだね。そもそも勝ちが見込めるレースでもないんだ。絶対勝とうなんて、そんなこと考える余裕なんか俺にはないや! わかったよ、とにかく精一杯飛んで、楽しもう」

 お互い頷いて、前を向き直す。

 アカネは周辺機器を操作し、レーダーを稼動させる。眼下に広がるディスプレイに、参加機である機影が映し出される。無数の赤い点滅の中に、事前に登録されたレン機の機影が青く点滅していた。

 カインはもう一度、操縦桿を握り締める。吹っ切れた。カインは臆病者から、挑戦者へと変わる。その違いは大きかった。挑戦した者のみが届く頂へ向かう為には。そして澄み切った青空を強く睨む。


 上空には、水素金属性で浮遊したスタート信号機が存在している。


 右のランプが赤く点滅する。周囲の騒音が爆音へと変化する。


 中央のランプが次いで点滅する。すべての飛行士が腕に力を入れる。


 そして、左のランプが、青く点滅した。


 ARRの開幕が告げられた瞬間だった。


 すべての機体が一斉に走り出し、我先にと空へ上った。

 カインも瞬間的に操縦桿を引き、機体を一気に加速させる。全体重がシートにのしかかり、一瞬息が止まる。そして、次の瞬間には体が斜めになって行き、視界は、広がっていたアスファルトと荒涼とした大地から、吸い込まれそうな空へと変わる。

 ライジン特有の圧倒的な上昇力で、見る見るその他の参加機を抜き去ってゆく。

 カイン独特の感覚である、風に乗るような最高の上昇だった。

 レーダーを見ていて、現在位置を確認していたアカネが、その初動のすばらしさに思わず感嘆の声を上げた。

「ナイス、テイクオフ! 凄いよカイン! 完全に上位は取ったよ! これならいい航路を確保できる!」

 アカネの心から楽しんでいる興奮がカインに伝わる。先ほどの言葉に、カインを励ます為だけの嘘が一切も含まれていない事も同時に。

「自分でもビックリだね! 過去最高なのは間違いないよ。……アカネ、ありがとう。アカネの一言で楽になれた。まあ、言葉遣いが途中からシルバに対するみたいになっていたけどね!」

 カインは感謝を込めつつ、冗談交じりにアカネの言葉遣いを茶化す。

「き、気が付かなかった! ごめんなさいなれなれしくて……」

 アカネは赤面して言動を弁明する。

「いーや! むしろさっきの口調のほうが俺には良いみたいだね。このレースの間だけだけど、一応パートナーなんだしさ!」

「…………」

 カインは操縦に集中する為、後ろを振り向くことが出来ない。よってアカネの反応を直接確認すること出来なかった。声だけである。

「……分かった。さっきみたいに話しま……話すから。レース、がんばろうね!」

「もちろん」

 話しながら、徐々に操縦が体に馴染んでいくのを感じる。辺りを見回す余裕も出来、カインは近くを飛行する機体を注視した。周りは、新聞やテレビなどのメディアに登場する歴戦の勇士たちが操縦する機体ばかりであり、カインのスタートが如何に巧く言ったかを知るには十分であった。

 カインは彼らの操縦をひたすら真似た。スピードに乗った機体群はあっという間にゴールドコーストの巨大ビル群の付近まで接近する。同時にすべての機体がスピードを落として、突入に備えた。

 カインも周りに合わせ、出力を抑える。

 アカネが周辺をレーダーで見極めてゆく。

「カイン、もうまもなくビル群へ突入しますけ……するけど、なるべく制限高度ギリギリを飛行して。これだけの飛行機械が狭いビル群を通過したら、老朽化したビルが崩れてくると思う。なるべく広い、そう、メインストリートへ向かった方がいいかも」

 確かにと思う。眼前に広がるビル群が崩れてきたらと思うと、背筋が凍る思いだった。

「了解。可能な限りビルには近づかないようにするよ」

 会話してすぐ、ビル群が眼前に迫ってきた。気合を入れ直して、カインは再度、操縦桿を握り締める。それと同時に、通信が入ってきた。

『カインにアカネ、それとレン、シルバ。シンセイだ。もうまもなくビル群に入る頃か? そうなれば通信は出来ない。次ぎ合うのは中間地点のエアーズロックだろう。俺たちは先回りして、お前らの機体を整備するための準備をしておく。無駄にさせるな! なんとしても二機で俺たちの所に来い! まってるぞ! 健闘を祈る!』

 豪胆なシンセイの声がコクピット内に響き渡る。カインは少しだけリラックスできた。

 そして数機の先頭団体の後に次いで、カインを乗せたライジンもビル群に突入した。ビル間を飛ぶ飛行機械のエンジン音が反響、共鳴し、凄まじい音量と振動となって、カインたちを襲ってくる。初参加のとき、この瞬間に混乱をしてしまった事を思い出していた。

 カインは気を落ち着かせる意味も込めて、アカネに話しかける。

「今の位置取りはどう? ほかの機体はどんな航路を取ってる?」

 アカネは常にレーダーを目視し、カインの質問に迅速に答えられるよう、備えていた。

「ビル群突入段階ではトップ集団にいたけど、現在はほかの一団が、最短のコースでビル群を飛行してるみたい。でも大丈夫。最初に突入した私たちの一団の判断は正しいよ。みんなビル間に余裕のある場所を飛ぼうとしてる。最短のコースはリスクが高すぎると思う。単機ならともかく、複数機で飛行したら、高確率でビルの崩壊に巻き込まれると思う」

 素早く、的確な返答にカインは感心する。ナビとして、最高の飛行士の学校へ通っているだけはある。そう思った。

「それじゃあ、しばらくは前に飛んでいる機体に付いていったほうがいいよね? そうだ、レンとシルバはどうしてる?」

 緊張で自身の機体を飛ばすことのみに集中していた為、レンたちに気を配る余裕が無かった。出来れば一緒に飛んで進みたい。カインにはそんな思いがあった。

「レン機は、スタートは私たちより遅れてたみたいだけど、大丈夫。私たちの信号を捕らえて、しっかりついて来てる」

「そっか、出来ればどっかで合流したいね」

 そう思った矢先、アカネが警戒の声を上げる。

「危ない!」

 油断していたカインは、慌てて視線を走らせる。話していながらも、周囲を警戒して飛んでいたが、アカネの言う、危ない事柄は特に見当たらない。

「ど、どうしたの? 何かトラブル?」

 アカネは慌てたように答える。

「え、ええ。レンの飛行機が、他の参加者の飛行機と接触しそうになったから」

「あの馬鹿! 無茶な飛行してんだろ!」

 カインは呆れてため息をつく。いつもの冗談のようなノリだった。

 だが、再度アカネが声を上げる。

「またっ! あ! よかった、寸前でかわしてるみたい。でも……おかしいわ。さっきとは違う機体が、接触しそうになった。いくら密集して飛行してるからって、こんなトラブルは飛行士として最低限避けようとすることだもの。飛行機械同士の接触なんてありえない」

 アカネの疑念を含んだ声がカインの耳に入る。二度の別の機体による接触未遂。カインには底座に頭に浮かんだ予測があった。

 悪い、予測だった。

 確かめるように、カインはアカネに質問をした。

「アカネ、レンの機体の周辺に、同じ機体が複数飛行し続けてたりしない?」

 アカネは、カインに言われたことを確認する。言われて気が付いた。確かに青い点滅の周辺を、三つの赤い点滅が囲んでいる。

「あ、三機が不自然に近い距離で飛行してま……してる」

 カインの予測は恐らく当たった。

「昨日の……あいつらだ! レンに仕返しをしてるんだ。あいつらならやりかねない」

 アカネもカインの考えに同意した。

「そうだわ! ひどい! あの人たち、レースでまでちょっかい出してくるなんて! あっ、また! なんてことを……レン機は高度を限界まで下げて飛行してる。シルバの指示かな。でも危険すぎる。接触を避ける為かもしれないけど、ビルの崩壊に巻き込まれでもしたら、墜落だけじゃなくて生き埋めにされてしまうわ!」

 カインは酷く動転した。思わず操縦桿を左に倒し、急旋回しそうになる。その気持ちを、精一杯我慢して押さえ込む。今引き返せば、せっかくトップ集団に付いている好位置を失うことになる。それは勝算を著しく低下させる判断だった。冷静に、レースに集中せねばいけない。大人のように、冷酷でも対応しなければいけない。

 出来なかった。

 出来るわけがなかった。

 する、つもりもなかった。

 カインは謝罪を込めて、アカネに声をかけ……ようとする前に、アカネが怒りの声を上げた。

「カイン! 早く急旋回を! 私たちの位置からなら、上空から強襲が出来る! あの人たちの機体を散らすことが出来る! 急いで!」

 カインは開いた口をそのまま笑みえ変えて、答えた。

「了解! 急旋回しながら高度を落とすから、しっかりつかまってて!」

 レースの序盤、カインたちは思わぬ所で躓いた。

 だが、そんな事は今、どうでもいいことだった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ