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第二章 肆

 意識が戻った時、カインがはじめに気が付いた事と言えば、そこが暗闇の中であるという事であった。目は開けていなかったが、瞼の外から光が見えなかったからだ。少し体を動かそうとして、頭に鈍痛が走り、思わず唸ってしまう。朦朧としていた意識が痛みで鮮明になっていく。そしてようやく、なぜ自分が暗闇の中で頭の痛みと共にあるのかを思い出した。表情を歪ませ、苦い記憶をかみ締める。蹴り飛ばされて、床に頭を強打した所から記憶は無かったが、とにかく苦い記憶であった。出来ることならば忘れたいほど情けない姿が頭の中で投影される。それだけで気分が悪かったが、とりあえず起きようと思った。

 冷静になり、閉じた瞼をゆっくりと開く。あまり変化は無かった。その場所が暗かった事と、目が闇に慣れていないせいだ。しかし意識は完全に覚醒し、今自分がベッドのような物の上に寝かされ、毛布をかけられていることに気が付いた。

 カインはゆっくり上体を起き上がらせようとした。だが腹部にのしかかる何かが邪魔をしてうまく起き上がることが出来なかった。その現象を不思議がりながら、カインは体を寝たまま動かし、横を向こうとした。

 瞬間、頬に、柔らかくて温かみがあり、弾力のある何かが当たった感触を覚えた。ギョッとしたカインはすぐさま顔をその柔らかい物から引き離し、起き上がろうとした。だが、腹部にのしかかる何かが、頑なにカインの起床を阻止した。謎の状況に困惑しながらも、徐々に暗闇に慣れてきた目が、うっすらではあるが目の前の光景を鮮明にした。

 カインは光景を目の当たりにして、益々混乱した。

 レンが薄いシャツとスパッツという出で立ちで、添い寝をしている。そして自分はレンの胸に顔を埋め、腹部にはレンの足が強固に絡められている状態でベッドの上にいたのだった。

「な、なんでお前が寝てんだ……」

 反射的に小声にはなったが、困惑の色合いを含みカインは声に出していた。

 その声に反応するように、レンは僅かに体を動かした。

「んっ……」

 カインはレンが起きるかと一瞬構えたが、レンは目を開こうとはしなかった。

 だが、かわりにレンの表情がにやりとなる。

「……へへっ、命中した。カイン、あたしの勝ちだ……むにゃ」

 レンは、夢を見ているようだった。

 最悪の、夢を見ているようだった。

 カインは幸せそうな表情で眠るレンの頬を摘むみ、横に引っ張った。小声で抗議する。

「夢でまで迷惑なやつだな! 一体何に命中させて、何で勝ったんだ? うん?」

 レンの表情が見る見る苦悶の表情になる。

「うー、うー」

 カインはレンの表情を見て、満足し手を離してやった。そして絡められた足から脱っそうと体を捩じらせてみる。中々巧くいかない。なので強引に片腕でレンの足を掴み、自身の腹部から引き離した。

 ようやく脱したと安堵した瞬間、レンがまた寝言をつぶやき、

「もーう! うるさい! 狭いのっ!」

 引き離したはずの足で見事に蹴り飛ばされ、カインはベッドから突き落とされた。

 ドシン、と鈍い音を部屋に響かせ、カインは尻を強打した。今度はカインが苦悶の表情になる番だった。カインはしばらく唸ったあと立ち上がり、

「痛って! このっ! 起きろ馬鹿! 俺のベッドじゃないのか状況的に!」

 叫んだほどではないにしろ、それなりに大きな声でレンに怒鳴った。

 カインはてっきりこれで起きるかと思った。だがレンの見せた反応は意外なものだった。

 カインは寝起きから動転していて気が付かなかったが、カインの右手はずっとレンが握り締めていた。ベッドから蹴落とされても、右腕だけはレンが離さなかった。

 カインが声を上げた瞬間、レンは急に体を丸めこみ、カインの右手を両手でがっちりと掴んできたのだ。

 カインはギョッとしてレンの表情を伺った。暗闇ではっきりとはしなかったが、それでもその表情からは、深い悲しみが伝わってきた。口をへの字に曲げ、瞑っていても勝気な目も、その瞬間は違った。レンはまた寝言を口にした。

「ご、ごめんね、カインごめん。あたしのせいだ! あたしの……ゆるして、ひっく、お願いだから一人にしな、いで……」

 カインはただレンを見ていた。同時に昔のことを思い出していた。まだあの人たちと一緒に暮らしていたころ、場所は覚えていない何処かで、一人の女の子が泣いている。何でないているのか分からない。ただ、カインの手を強く握り締めていた。そんな思い出。

 なぜ今、この状況でおぼろげな過去を思い出したのかは、カインには分からなかったし、その思い出がどんな状況だったかも覚えてはいない。でも、レンの表情を見ていると、なぜか頭にその光景が浮かぶのだった。

 カインは視線をレンの顔から逸らした。見てはいけない気がしたから。

 逸らした先の枕が、若干湿っている。レンの事なのでよだれかもしれないが、それがレンの瞳から零れ落ちたものだったとしても、カインには確認のしようもなかった。

「はぁ、しょうがないな」

 カインは空いている左手でレンに毛布を掛ける。

 そしてベッドの床に腰を下ろして、目を瞑った。皆に情けない姿をさらした苦味がある。レンの表情と謎の思い出についても思考を巡らしてしまう。明日はもうレースなのだ、しかも操縦は自分がしなくてはいけない。寝付けない状況が大量に存在していた。何もかも頭から一度切り離し、床でもなんでも横になり、眠りに付かなければいけない。そう思った。

 だが、カインは横にはならなかった。

 とても、横にはなれなかった。

 レンがカインの手を握り締めていたから。






 いつの間にか眠りにつき、再びカインが目を覚ましたとき、すでに太陽は窓から陽光を差し込む程度の高さには上昇していた。

 カインはゆっくりと上体を起こし、軽く背伸びをする。そこでふと気が付いた。驚くことにカインはちゃんとベッドの上に寝ているのだった。辺りを見回しても、レンの姿は無く、場所はどうも昨日話し合ったドッグの休憩室であるようで、簡易マットを運び込んで寝かせてくれたらしかった。

 カインはベッドからゆっくりと降りて、休憩室を出た。 

 早朝の静寂の中、金属同士がぶつかる鈍い音が等間隔で響いている。音は飛行艇の強度を調べる時に発せられるものである事を、カインは知っている。寝起きで若干ふらつきながら、音の発生源へと向かった。

 どうやらレンの飛行機を調べている音であるようで、作業をしていたのはシルバだった。カインの足音と気配でシルバはすぐに近づくカインに気が付いた。

「カイン、よかった、目が覚めたみたいだな。頭に痛みは無いか?」

 シルバはほっとした様子で、作業を中断してカインに近づく。

 カインは打ちつけた頭を軽くなでながら、

「うん、大丈夫、かな?」

 軽く返事をした。実際は触った瞬間に鈍痛が走り、言葉ほど大丈夫ではなかったのだが、心配は掛けたくないという思いから、あえて弱音は吐かなかった。

「昨日は迷惑掛けたね、ごめん」

「いや、迷惑とは思っていないよ。あの程度が迷惑なら、私やアカネはカインにどれほど詫びを入れねばならないのか、見当もつかない」

 笑顔で答えるシルバを見て、カインも笑顔で返す。

「今日、レースなんだね。去年は緊張で一睡も出来なくて、後悔したんだけどなー。今年はそんな暇さえなかったよ」

「そうだな」

 カインは昨日の出来事もあり、なるべく考えないようにして来たが、責任を持ってレースに参加する決心が未だに出来ていなかったのだ。考えるだけで吐き気さえした。昨日の情けない自身の姿など、記憶の片隅に吹き飛ぶほどだ。絶対、勝たねばならないのだ。二人はそのためにここまで来た。イズモという強大な存在から逃げ延びるには、絶対に翼が必要だ。

 弱音を吐きたくはない。ただ、信頼をしてくれたシルバには、今の状態を伝えなくては、そう思った。

 カインは意を決して、自信が持てない事を話そうとした。

 だが、口を開いた瞬間、背中から突き飛ばされてしまった。つんのめって転がりそうなところを、両腕を地面について耐えた。誰の所業かなどすぐに察しがついたが、カインはあえて背後から現れた奴を睨みつける。

「おっはよーカイン! 頭の中の調子はどうだ? 湧いていた蛆は駆除できたかな?」

「外傷だ! ていうか、お前こそどういう神経してんだ! 危うく顔面から地面に突っ込む所だったじゃないか!」

 レンはわざとらしくほっとした表情を作り、笑顔でカインの肩に手をかける。

「なに、反射神経がしっかり働いているか調べたまでさ! 断じてレース前にリタイアさせようなんて魂胆があったわけじゃないから」

「やかましい! 喋るな! 近づくな!」

 カインはいつもの調子で叫びながらも、ふと昨日のレンの事を思い出していた。目の前いるいつもの天真爛漫なレンを見ていると昨日の夜のレンは夢だったのかもしれない、そう思えてならなかった。

 そんな目で見られている事など露知らず、レンは肩をすくめる。

「まあいいよん。そんな事より、今何時だろうねー。カインの機体、もう運ばれちゃってるよ? アカネ一人で最終チェックしてるみたいだけど、こんな所で油売っててもあたし位にしか需要がないよー」

「……本当に?」

 レンはにやりとするだけ、代わりにシルバが答えてくれた。

「ああ、ドッグの外だ。私とレンも今外に運び出す準備をしていた所だしな」

「そんな! どうしようすぐに行かなきゃ!」

 焦ったカインはあわててドッグの外へ向かった。

 確かに、レース前といえば、機体の確認は必須であり、まもなくレースが始まる事を考えれば、もう最終確認も終えて、スタートゾーンへ向かう準備をしていなければならないのだ。すでに弱音を吐いている場合ではなかった。寝ていた脳が強制覚醒されていくのがわかる。

 ただ、最悪に近い状態ではあったが、考えるより体を動かしたほうが、責任を感じずに済むので、無意識的には嬉しかった。






 慌ててその場を去ったカインを横目に、レンは深いため息をつく。

「あいつ根性無いからなー。レース前でビビッちゃってるよ」

「カインには悪いことをしたと思っている。始めから出場すると分かっていたのなら、心構えも出来ていただろう。直前で言われたら誰でも気持ちを崩すさ。今更巻き込んでいて謝ることも出来ないが」

 シルバはなぜか申し訳なさそうに、レンに謝るかのように言葉を発した。

 レンは軽くそっぽを向きながら、軽快に答える。

「ま、カインが緊張してヘマやらかそうが、あたしが代わりに勝てば問題ないわけだしねー。おっと代わりじゃない、代わりじゃない。絶対あたしが勝つしねー」

 レンの気持ちを察しつつ、シルバも相槌を打った。

「ああ、勝つために私も精一杯協力をしよう」

「ま、よろしく」

 そのまま機体に乗り込むレン。シルバはそれを見送ったあと、機体を見回していた。

 レンの機体はかなり珍しい体躯をしていた。全面が鏡面のように磨き上げられ、銀色に輝く。流線型のデザインは前部が鋭利に尖り、そこから膨らみつつ中間でくびれ、後部のエンジンユニットに向けてまた膨らむといった、先端の尖った細身の平べったいひょうたんのようであった。

 しかし、特殊なのはデザインではなく、両翼だった。くびれ部分より後ろから広がる両翼は、全面がすべて空洞になり、風をエンジンユニットに引き込む構造になっている。

 シルバは後部席に搭載された操作する機器も、操縦席も一通り調べたが特にほかの機体との差は見出せなかった。だが、レンの操縦を見ていると、その方法がまったく今までの常識と違う方法であるように思えたのだ。

 シルバはそのことを、コクピットに座るレンに聞いた。アカネがいれば、また始まったと言うであろう、シルバの悪い癖だった。

「レン、この機体、いったいどうやって飛ばしているんだ? 私が見るに、普通の機構では無いようだが……」

 レンはコクピットから顔だけを出す。

「ご名答! この機体はかなーり特殊なのさ。なんてったって世界でただ一機の飛行機関を搭載した機体だからね」

「ただ一機の飛行機関?」

 シルバの目が子供のように輝く。それを見てレンは得意顔で答えた。

「そうさ! 見ての通り、翼の部分が空洞になっているだろ? ここから実は空気を取り入れてるんだ。んでね、その取り込んだ空気を本体の内部機関で圧縮をするんだ。それも、ものすごい力でさ! んでその機関内の気圧が外の気圧に対して、限界まで下がりきった所で、後部の噴射口から一気に放出するのさ。それが推進力になる。今普及してるのが水素機関とでもいうなら、こいつに搭載されているのは空気機関ってところかな?」

「空気機関……」

 シルバはレンの説明を聞いて考え込んだ。少なくとも、シルバの知識からすれば、空気機関とやらはかなりのオーバーテクノロジーに思えた。推進力が空気なら、空中戦において、燃料を気にせず飛べることになるのだ。それは圧倒的な戦力である。

 そんなことを考えているとは思わず、レンは話を続けていた。

「まあ平たく言えば凧だね! 超高性能凧! じいちゃんからもらったんだけどさ。機体名をフウジンというらしい。あたしのご先祖様の言葉で風神!」

 フウジン、シルバはカインの持つライジンとの関連を即座に連想せずにはいられなかった。それが思わず声となって出る。

「……カインの乗る機体をライジンというんだ」

 レンは黙る。少しの沈黙が二人の間に流れ、沈黙を作ったレンがそれを破った。

「へえ……似た、名前だねえ。偶然かな? まあ名前なんてどうでもいいけどね! 重要なのはカインのカラス号とあたしのフウジンとどっちが凄いかなわけで、あたしのフウジンの方が凄いに決まってるもんね!」

 シルバはレンがあえて明るく話すのを見て、深く考えることを止めた。意味のないことだと、思った。

「カラス号か、そういう風に呼んでたのか?」

「あたしはねー。まあカインの奴が怒るけどさ。そこがこの名前の良い所さ。カラス号」

 話して、二人で笑った。話はここで切り上げることにした。雰囲気的にもそうすべきであったし、状況的、時間的にも作業を再開すべきだった。

 そしてシルバがレンの操縦するフウジンを先導する。ドッグの外へ向かう。もうまもなく始まる、ARRに向けて。


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