第二章 参
操縦者の決定後、一通りの整備作業を終えたカインたちは、僅かながら出来た時間を利用し、夜のゴールドコーストへと足を運んでいた。ひび割れたアスファルトに崩れた瓦礫、朽ち果てた四輪駆動と決して土に返らぬビニールの断片、斜に経つビル群を前にしても、人々を集め賑わい狂わせる魅力がこの街にはあった。朽ち掛けのビルから暖色の光が溢れ出し、喧騒と共に路上へ広がり、通り去るだけの人々をいざなう。
キャラバンの面々が好きな場所へ散り去る中、残った四人、カイン、シルバ、アカネ、レンは特に目的も無くあたりを散策して回っていた。その中でもアカネは一際テンションが高かった。
「うわー凄い所ですね! 大砂漠大陸には何度か来たけど、旧都市はこんな風になっていたんですね。あれ、機械が山積みにされてる、あれは何ですか?」
指差したのは街を無数に彩る発光看板の一つ、ジャンクと明記された看板だった。シルバが答える。
「あれはジャンク、壊れた機器を買い取る店だ。大砂漠大陸は海に囲まれた大陸であったから大海戦でも主要の激戦地だったのは知っているだろう。この街の住人は砂漠に出て、その戦争の残骸を発掘し、買取業者に売ることによって生計を立てているんだ」
「そう、なんだ。そういえばカインもケルマディックでジャンク屋から部品を買うって言ってましたよね? ケルマディックもここと同じような感じなんですか?」
アカネは歩きながら興味津々といった表情でカインに問いかける。アカネが気にしていそうなので言わないが、カインはその顔がとても幼く見え、少し楽しかった。
「いや、ケルマディックの場合はよそからキャラバンの人が商材として運んでくるんだ。あそこは鉱山だからね。機器の残骸なんか落ちちゃいないよ。でもジャンクで生計を立てている人たちって結構怖いんだよ。ARRで墜落した機体もジャンクだし、ここに住む住人からしたら生活の糧なんだ。だから、レース中に攻撃を受けたなんて話もあるくらいだからね」
アカネの顔が少し引きつる。
「……明日は地上も警戒しておきます」
逆にカインは笑顔になる。
隣を歩くレンがからむ。
「おやぁ? 怖い話をして反応を楽しもうなんざぁ随分とヒネた性格に育ったもんだねカインは。類は友を呼ぶってことわざも在る位だから、あたしも同じように見られないように注意しなきゃ」
「常に俺がお前に対して思って戒めている事を先に言われた! お前ちょっとその台詞を鏡の前で言って来いよ! いや、むしろ自身の行動を自覚してなかった風なのが腹が立つ!」
いつものやり取り。だが、アカネもなぜか顔を赤らめて参加してきた。
「別に、カインの話を怖がったりしてません! 冷静に、事実をま、まとめて、その上で明日警戒が必要だということを私は――」
突然レンがアカネに抱きついた。あたふたするアカネをシルバとカインが呆然と眺める。
「ちっくしょう、かわいいなー。反則だよ! 強すぎ! ねえキスしていい?」
「お、お断りします」
アカネは慌ててレンから距離をとった。
「へへへ、お嬢さん変質者にそんなこと言って、はいそうですか、なーんて行くわけないっしょ!」
言うが瞬間、レンはアカネを追い回していた。
「変質者って自覚はあるんだな……」
「レンは誰にでもああなのか?」
シルバが率直な疑問を投げかけてきた。
「いや、誰にでもってわけじゃない、かな? 少なくとも無関係な人にあそこまで馬鹿はやらないよ。アカネも変なのと関わったね」
「そうでもない。君たちとの僅かな出会いで、アカネは明るくなった。事情が事情で、彼女なりに気負う所もあるのだろう。ケルマディックに至るまでの最中、彼女が純粋に笑って誰かと話すことなど無かった。近くにいるのは私だけだったからな」
真面目に話すシルバに、カインは気恥ずかしくなった。
「俺もレンも至って普通に接しているだけなんだけどね」
「……イズモの中で異を唱える私やアカネに対し、普通に接しようとする人間はほとんど居なかったよ。だからこそ今のアカネは、異変に気が付く前の明るさに……いや、あの頃以上に笑うようになった。自己を主張することも含めてね」
カインはレンに追い回されているアカネを目で追う。困り果てた表情の中に、確かに明るさがあるように思えた。レンのアカネへ向ける表情を見ると、シルバの考えは間違いだと思わされたが。
四人は食事を取るために、一棟の老朽化したビルの地下に降りた。そこは酒場と食堂の両を兼ねた店で、酒を飲み騒ぐ者、カインたち同様、仲間内で食事を楽しむ者など、結構な賑わいを見せていた。四人は空いている席を探しながら、店の奥までいき、空いていた席を見つけると席に着いた。程なく、ウエイトレスがメニューを持ってくる。レンは受け取ると、年季の入った木製のテーブルにそれを広げた。一頁目に四人が目を通す。水の種類と価格だった。
怪訝そうな表情をレンがウエイトレスに向ける。
「げっ! 高いじゃんか。三順水でこの価格なわけ?」
ウエイトレスは仕方がないと言いたげなため息をついてから答えてくれた。
「ええ、本当はもっと安いんだけど、どうもこの地域の雲機関の整備だとかで、配水が少なくなっているらしいの。決まったら声をかけて」
言って、ウエイトレスは別のテーブルへと向かった。
まだ納得していない様子で、レンは独り言のようにぼやく。
「三順水でこの価格って、ケルマディックだったら水付で飯が食えるよ。な? カイン」
「まあね。雲機関の整備か……なんだろうね故障でもしたのかな」
カインも適当に相槌を打っていると、アカネがとんでもない疑問を投げかけてきた。
「あの、三順水とかって何なんですか?」
質問に対し、カインとレンは珍しい生物でも眺めるかのように、呆然とした。思わず二人は同時にシルバを見る。
「……イズモでは、常に純水だけが取引されているんだ。外からイズモ本部に来た人間なら、順水の仕組みを知っているんだが、アカネは生まれも育ちも、ずっとイズモ本部なんだ。知る切っ掛けさえ無いんだ、あの場所では」
アカネはまた無知な発言をしたのかと気が付くと、言葉無く俯いてしまった。カインは信じれないと思った。水は命の次に重要な存在なのだ。少なくともカインの知る世界では。純水と順水の違いを知らないとは、まるで別の世界に住む人のようだと、考えざる終えなかった。
シルバもカインも、説明したほうが良さそうだと考え、どう説明すべきか思案した。だがすぐさま喋りだしたのはレンだった。
「へー、アカネはイズモの出身なんだー。いやー道理で清楚で可憐でストライクなわけだ。純水だけを飲んで生活するから純粋な人間になるんだな! うんうん、レンちゃんは一つ賢くなりました。あれ? てことは二人はイズモからケルマディックに来たの?」
レンの不意を突いた、まったく違う観点の興味と発言に、シルバは慎重に答える。
「そうだ、私もアカネもイズモ本部から来た。レン、君にもだいぶ助けられている。私たちが翼を欲する理由を、君には知る権利がある。君が求めるなら――」
「いーよ話さなくて。あたしは善人じゃないからさ。別に二人を助けたくって手を貸しているわけじゃないし。ARRには参加するつもりだったから、そのついでだもん。それに……ね」
レンはカインに視線を向け、シルバに戻す。
「そうか……」
「そうだよ。それよりアカネ! 水の仕組みを知りたい? 知りたくない?」
話は終わりと言わんばかりに、今度は対面に座るアカネへ身を乗り出して質問を浴びせかけた。横目で見ていたカインは、お前が振った話題じゃなかったか、などと思いはしたが、面倒だったのであえて触れないことにした。
「し、知りたいです」
素直に答えるアカネ。レンはふんぞり返って答える。
「説明しよう! 水にはいくつか種類がある。生成されたままの未使用の水を純水。一度流通し、回収されて再処理された水を二順水と言う。あとはその再処理をした回数だけ、三順、四順ってなるわけだ。ちなみに五順水からは飲み物じゃなくて燃料になるんだな」
アカネは納得がいったのか、目を見開いて笑顔になる。
「それで二順、三順と数字が水の名についてるんですね。あれ? でも五順水から飲み物に使わないということは、回数で価値が下がるだけじゃなく、水の質も下がるって事なんですか?」
「え? えーとね。まあ、飲んでも問題は無いんじゃない、かな。プライドの問題とか、まあそんな感じさ。五回も飲まれたり洗ったりしたもんは、美学がない!」
「ちょ、おま、適当に言うなよ」
自信満々に答えるレンと、真面目にうなずくアカネ、あきれるカイン。三人を見て、シルバは苦笑しながら口を開いた。
「水は結晶の形状で質が決まる。純水の時は結晶が大きく、形が綺麗なんだ。必然的に質も上がる。だが再処理、加熱に消毒を重ね、再生成すればするほど水の結晶は小さく、歪になっていくんだ。確かに飲めることは飲めるが、水素機関の燃料に使用するのが妥当だろう」
「へー、そうだったんだ!」
「まっ、知ってたけどね!」
「お前、嘘ばっかりだな!」
アカネにしても、シルバにしても、このように談笑しながらの食事は久々であった。歳の近い三人を眺め、シルバは頃の中でこの出会いに感謝をした。一時期だけの出会いであるにしても。
タイミングを見ていたのか、先ほどのウエイトレスが再び四人の座るテーブルにやってきたて、注文を聞いてきたので、談笑を止め、各々がメニューの中から食事を決め注文をした。
四人は運び込まれた食事を前に、奮発した二順水で乾杯をして、明日のレースへの決意を固めた。アカネとシルバは人工野菜を中心に調理された料理を頼み、カインとレンの前には肉料理が中心で並んでいた。二組の違いは食事方法にも現れ、動作少なく料理を口に運ぶアカネたちに対し、ガツガツと肉を頬張るカインとレン。その動作の違いにカインは気が付き、少し恥ずかしい気持ちになった。思わずレンにぼやく。
「お前さ、女の子なんだから、もう少しおしとやかに食事できないの?」
そのぼやきに、レンはにっこりとして答える。
「カイン、離婚の原因の多くは趣味思考、ないし性癖の強要なんだ。あたしは心が広いから、それなりには対応するけど、周りから見たら嫌われるよ?」
「根底が間違ってる! なに離婚の原因語ってんだお前! まるで俺が悪い旦那みたいじゃ――いやいや! 結婚してないし!」
相変わらずのやり取り、カインはいつも通りイラつきながらも、冷静さを失わぬよう努力する。ただ、少しだけ違和感を感じてもいた。カインはここ最近、妙にレンの冗談が自分との関係に対するものが多いような気がした。純粋な疑問として、そのことをカインは口にした。
「そういや最近、妙に俺関係で絡んでくるね。俺なんか精神的にお前追い詰めた?」
シルバとアカネが、フォークを止めて二人を注視する中、レンはやれやれという動作をする。
「わっかんないかなぁー。そんなのあたしがカインの――」
「貴様ら汚いぞ!」
レンがまた何か冗談で切り返そうとした瞬間、その声より大きい声が店内に響いた。騒がしかった店内が一瞬で静まり返る。カインたちを含め、店にいた客は皆、声のした方へ視線を向けた。
ちょうどカインたちの座る席の斜め横、男だけの集団が五人で座る席に前で、身長の高さが目に付く、痩せ型の男が顔を激高させて立っていた。
「即刻レースを辞退しろ! 貴様らのような輩が徒党を組んで参加すること自体が、ほかの参加者へ迷惑だ! 大体こんな公共の場で堂々と反則行為の話しをして、恥ずかしくないのか!」
察するに、どうも席に座る五人組が、レースでなにやらよからぬ事を企んでいたようで、その事で、通りかかった別の参加者の男が激怒しているようであった。しかし、非難を受けている五人組は侮蔑的な笑みを浮かべているだけで、反省や焦りをみせている様子は無かった。
レンがなぜか不機嫌なトーンでつぶやく。
「ありゃ駄目だ。怒鳴ってんのは初参加かなんかだな。あの五人組、前回のレースで完航してた連中だ」
淡々と答えるレンに、アカネが小声でそっと質問をした。
「何が駄目なんですか? 柄が悪い人たちを注意したのがですか?」
「いいや、別に注意すんのが悪いわけじゃない。でもね、このレースじゃどんな手を使ったにしても、完航したやつのが偉いのさ。真っ正直に飛んでゴールできんなら、それがベストなんだけどさ」
「……駄目じゃないですよ。卑怯な手を使うほうが駄目です」
アカネが頬を膨らまして怒りの表情を見せる。その表情と態度をみて、カインは妙に納得していた。ここで怒り出さない性格だったのなら、きっとイズモを相手に逃走劇なんかしないだろうと。
カインたちを他所に、喧嘩腰の長身の男がまた男たちに食って掛かっていた。
「貴様らそれでも飛行機乗りなのか? 聞こえたぞ、現地民と結託してレース参加中の飛行機械を襲撃させるとなぁ!」
その一言を男が言い放った瞬間、席に着いていた五人の男が立ち上がり、一番近くにいた一番大柄の男が、腹部へ蹴りを入れた。長身の男が床へ転がる音と共に、店内の客のどよめきがこだまする。
しかし、カインの注意は違う場所に向いていた。長身の男が蹴られた瞬間、斜め前に座るアカネが立ち上がり、
「ひどい!」
男たちにも届く程度の声で、アカネが言葉を発する。敵意を持って相手を睨み付けていた。すぐに隣に座るシルバが立ち上がり、肩に手をかける。
「アカネ落ち着け」
その声にも反応せず、ただ相手を睨む。カインは出会ったときのアカネを思い出していた。怒ると手がつけられない。まずい、そう思った。
男たちもアカネのことに気が付き、こちらに注意を向けてくる。侮蔑的な笑みを浮かべながら。その中の一人、蹴りを見舞った大柄の男がゆっくりと近づいてきた。
「何がひどいって? お嬢さん」
「全部ですっ!」
アカネは臆すこと無く即答する。男は一度だけ仲間に振り向き、声を出して笑う。
次の瞬間、男はアカネの顔をめがけて拳を突き出していた。思わず立ち上がるカイン。動かないレン。そして誰よりも早く、シルバがその拳とアカネの顔の間に手を入れていた。拳はシルバの手のひらに当たる前に止まる。
「いい反応だなあ、兄ちゃん。でも喧嘩を吹っかけてきたのはそっちだよな? うん?」
「そうだな」
シルバは表情を変えず、ただ冷徹に目の前に立つ男を見る。カインは一触即発な空気を感じ取り、背筋に冷たい汗をかいていることに気が付く。その時、隣の席で動く気配を感じ、横に顔を向ける。レンが立ち上がり、おもむろにシルバと大柄の男の所へ向かおうとした。慌ててカインも立ち上がり、レンの腕を掴むため手を伸ばす。
が、手は届かず、レンはゆっくり大柄の男とシルバの間に立つ。いつもの笑顔で。
「まあまあ落ち着いてよ、お二人さん。いやお三方? どっちでもいいか。ここは穏便にいこうじゃないの。あんたらもさ、こんな店で騒いだらそりゃ注目ぐらいするって。特にあたしらは田舎者でね、ああいった喧騒に慣れてないんだなこれが。だから約束するよ。あたしらは干渉しない。お互いお咎めなしさっ!」
男もシルバもレンに場の空気を持っていかれている。ただアカネは怒りが収まらないようで、
「そんな、だってこの人たち――」
「アカネー深呼吸! いいんだよ。いいんだ」
抗議の声を上げるが、変わらず笑みを浮かべ続けるレンに諭される。
男は少しの間沈黙し、そして怒気を徐々に下げていった。カインは安心からほっとため息を吐く。ただ、その仕草が少し情けなく思えた。躊躇無く飛び出したレンと、どうしても比べてしまう。恐れる事無く声を上げて講義したアカネにも、それを守ろうとしたシルバに対しても。
そんな葛藤はさておき、男たちは、大柄な男を筆頭に席を立って後ろにつく、侮蔑的な笑みは消えていなかった。
「オーケイ、わだかまりは無しだ。あんたらは何もしていない。聞いてもいない」
「もちろん。あんた誰? ってもんだ」
レンも笑みのまま対応する。
しかし、男たちは去らない。侮蔑的な笑みから、いやらしい笑みへと表情を変え、レンに言い寄った。
「あんたいい女だなぁ。こんないい女、中々お目にかかれないぜ。俺らとあんたらはわだかまり無しだが、俺とあんたはしっかり出会ってるなぁ。俺たちと来ないか? 俺たちは今年も完航するから、きっといぃ思いができるぞ!」
レンの表情は変わらない。だがシルバもアカネも、レンがキレるのではないかと思ってしまった。それくらい、男の表情も、台詞にも嫌悪感があった。ただ、カインだけはレンがこの程度でキレない事を知っていた。カインの中で、レンは怒らないのだ。どんな事も楽しい出来事に考えて動くやつ。それがレンだった。たとえ唾を吐きかけられようが、それこそ殴られようが。
「いや、遠慮するよ。今年はあたしたち完航するし。いい思いってのは自分で叶えるからさ」
一瞬の沈黙、そして男たちは大笑いした。屈辱的な意味合いをこめて。
「はっはっは。このメンバーで完航だ? そりゃ笑える冗談じゃないか。口ぶりから、そこのノッポのぺーぺーと違って、レース経験者だろ? なら馬鹿を言っているとしか思えねえな。それとも、その餓鬼ばっかの面子でレースに勝てる秘訣があるってのか」
レンは自信に満ち溢れた声で言う。
「まあ餓鬼ばっかなんだけどね。でもそこのお兄さん、大砂漠大陸を単独飛行で横断してるよ」
何を言っている。お前も餓鬼だろう。
などと言える空気ではなかった。男たちから笑みが消える。皆がシルバを注視していた。
「……へー。じゃあ兄ちゃん、折り返し地点のエアーズロックの先、見てるのかい?」
「屍のビル群、目視とレーダーを駆使するのに苦労した」
「…………」
男の問いかけに即答するシルバ。何やら真偽の確認をしたらしいが、カインにはその意図が分からなかった。男は考えるのをやめ、レンに向き直る。
「へーまあいいや。せいぜいがんばんな。でもな、それとは別に、俺はお前が気に入った。俺は欲しいものはどんな事しても手に入れてきた。だから今回もだ。俺と来な」
ありきたりな悪党の台詞、カインはそう思った。ここまで定番の台詞を言われると、逆に怖い、そうも感じた。
レンは笑顔のまま、一息して答える。
「ふう、悪いけどさ、あたし男の趣味悪いんだ。あんたみたいに大人で男らしくてワイルドなのは好みじゃないんだよね。あたしは優柔不断で、でも困ってる奴を見ると助けちゃうような、そんな餓鬼がタイプなんだよ」
再び沈黙が流れる。男の顔がまた侮蔑的な笑みへと変わる。
「お前の好みは別にいい。俺の好みなんだ。来い!」
それだけ言って、男はレンの腕を無理やり掴もうとした。
カインは信じられなかった。どこまでも強引で、在り来たりな台詞と、在り来たりな行動をする男に……ではなく、自身の行動に。
気が付いたら、カインはレンと男の間に割り込み、レンの腕を掴もうとする男の腕を、逆に掴んでいた。
「やめろ!」
震える体を鼓舞するように、自然と大きな声で叫んでいた。
瞬間、腹部に鈍い痛みが走る。何が起こったかわかる前に、体が中に浮いていた。床で一回跳ね、そしてもう一度叩き付けられた。同時に後頭部を床に打ちつけ、意識が飛びそうになる。ぐるぐる回る視界の中で、大柄の男が、前へ足を突き出しているのが見えた。唖然とした表情を向けるレン。
そして、次の瞬間にレンが、男のがら空きの股間に全力で蹴りを入れていた。カインは薄れる意識の中で言葉の意味は認識できなかったが、確かにレンの声を聞いた。怒号だった。
「こっの野郎! ふざけんな! 頭にきたぞ、完全にブチギレたっ! お前絶対に犯しちゃいけない事したんだ! 死ね!」
レンは股間を蹴られうずくまった男の顎を、正確にブーツのつま先で蹴り上げた。そのまま男は仰向けに吹っ飛ぶ。レンは勢いよく追随し、倒れた男の顔面を全力で踏み込んでいた。
呆然とする店内、男の仲間たちは何が起きたのか分からず、停止する。そして一瞬で頭に血が上り、レンに向かって罵声と共に走り出す。
危ない! その声がカインには出せなかった。倒れているだけの自分が情けなく、惨めで、恥ずかしかった。意識が飛びそうな中、視界には、休むこと無く、倒れた男の顔に蹴りを入れ続けるレンと、その状況を青ざめた表情で眺め、慌ててレンを止めようとするアカネ、四人の男たちを一瞬で突っ伏しているシルバの姿が見えていた。そこで視界が暗転した。