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第一章 捌

 この三日間、短い出会いであったが、二人とは大分馴染んだ。二人に出会わなければ、イズモの事も知らなかっただろうし、自身が所有している飛行艇のことについてだって、きっと知らなかっただろう。そう思うと、カインはあの森へ行って、本当に良かったと思えた。

 夜通し三人で飛行艇を整備し続けたのは大変であったが、同時に楽しくもあった。飛行艇について話せる仲間。レン以外で初めての存在。各箇所を整備する度に、カインとシルバは飛行機械談義を始め、アカネがすぐ注意をする。あれだけ食欲は人並みかのように言っていたアカネが、また――。

 ここまで思い出し、噴出しそうになってカインは思い出すのを止めた。

 操縦しながら、色々と考えられる程度には慣れてきたのか、気がつけばもうキャラバン隊の駐在地を越え、整地された広大なスペースに多数の飛行機械が管理されている飛行場とドックが見えていた。

 カインは思考を操作に集中させる。ゆっくりと操縦桿を操作し、高度を一定に保つ。

「もう着くね。着陸に入るから、二人とも体を固定して」

「了解した」

「わかりました」

 下と後ろから同時に声が掛かる。

 飛行場をゆっくり一週し、目的のドックと垂直に交わる角度へ機体を持って行き、徐々に高度を下げていった。

 機体が重く、すこし戸惑いはしたが、カインは見事に着陸をする。下にいたシルバは、カインの腕前に少なからず感心した。

 ライジンを着陸させ、三人が降りる前にレンが走り寄り、

「おはよう! 中々いい感じの墜落だったな! 命が無事で何よりだ!」

 軽快な声と共に、笑顔でカインたちを迎える。

「ありがとう! 幸い命は無事だよ。もう少し強く操縦桿を倒せばよかったよ。そうしたらお望みどおり、お前の上に墜落できたからな!」

 朝とは思えないテンションでレンは笑う。

「安心しな! 墜落したらちゃんと部品は拾ってスクラップ屋に売っといてやるから」

「最後の方でなんか目的が見え隠れしちゃってるぞ! その内お前に撃墜されそうな気がしてならないよ俺は! 先に言っとくが抵抗するぞ」

 レンは不適に笑う。

「おっ! 強気に出たな。あたしと勝負しようってか? おもしれぇ、さすがはあたしがライバルと認めた男だ! 撃ち落とされても後悔するなよな!」

「上等だ、その言葉そっくり……あれ? いつのまにか撃墜される既成事実が出来上がってるっ!」

 機体の上と下でやり取りをする二人に対し、シルバとアカネはあえて気にしない事にした。二人ともいがみ合っているわけではない。ただの挨拶のような感じがしていたから。

 レンはにっこり笑う。そしてコクピットへ向けて手を差し伸べる

「まあ降りなよカイン。一緒にモーニングコーヒーとでも行こう。旅立ちは近い、明日生きるとも断言できない世界だ。僅かな時間でも楽しもう」

 カインはコクピットから降りながらレンに合わせて微笑む。手を差し出す。出来うる限り格好良く。

「そうだね。お言葉に甘えさせてもらうよ。この朝の事を決して忘れないように。ちなみに、格好つけるので忘れているみたいだから言うけど、コーヒーってお前が一番嫌いな飲み物だよ。前に無理して飲んで、俺の顔面に吹き出しやがった事を、今日の朝と同じように忘れることは無いだろうな!」

 手を繋ぎ、カインは滑走路へ降り立つ。レンは驚愕の顔を作る。なるのではなく、作る。

「そうだった! そう言えば前コーヒーが苦手って設定だったっけ? 目的がカインの顔にコーヒーを吹きかける! だったから忘れてたわ。わりぃ、わりぃ」

 レンは深々とお辞儀をする。

 次の瞬間二人は走っていた。

 カインについで、シルバがコクピットの下から出てくる。コクピットにいたアカネは先に降りながら、

「仲がいいのかな? 悪いのかな?」

 疑問を口にする。

 どんどん遠く離れていく二人を眺めながら、シルバは答えた。

「仲の悪い友なのだろう。いい関係じゃないか」

 いなくなった二人を他所に、シルバとアカネは降り立った滑走路を見回す。すぐ近くの格納庫には中型の飛行船と、小型の飛行艇が止めてある。周りには数人の男女が談笑をしていた。

 内、体格の良い中年の男が、二人に近づく。赤とピンクの奇抜なバンダナを頭に巻き、白髪交じりの切り揃えられた顎鬚を携えるその男は、二人の前まで来るとにこやかに笑いかける。

「ようこそ、シンセイキャラバンへ! レンから話は聞いている。俺はこのキャラバン隊のリーダーで、リュウ=シンセイと言う。レンの保護者みたいなもんだ。まあ、キャラバンの連中は、レンの監視役だと言ってるみたいだがな!」

 豪快に笑うシンセイに対して、二人も答える。

「シルバ=ランスバルです」

「アカネ=クロウサーといいます」

「おう! フリーのプロレーサーとして活躍してるんだって? すげえよな。まあ暑苦しい連中ばかりのキャラバンだが、気兼ねなくしてくれよ」

 豪胆な印象を与えるシンセイではあったが、二人は悪い印象は持たなかった。

 だが、シルバの方は発言が少しだけ気にはなった。フリーのプロレーサーと言う点である。何故レンはシンセイにそう話したのか。シルバは自身の素性をただの流れ者と伝えていた。確かにプロのレーサーのような者という話にはなった。だが、シンセイにはどうも誇張された情報が伝わっているようである。

 有難いことではある。一昨日の緊急速報から、ケルマディックは警戒態勢を強め、素性のわからぬ者に目を光らせている。であるから、流れ者よりはプロレーサーの方が受け入れられやすいのは事実であるから。

 だが何故、事情の知らぬレンがそこまでの対応をしたのか。単なる気まぐれなのか、それとも。

 訝しげな表情をするシルバには、屈託無き笑みをこぼすレンと、憮然とした表情を遺憾なく出すカインが、こちらに連なって戻ってくるのが見えた。

 レンと目が合う。シルバは視線を外さず、ただレンを見た。少し首をかしげたレンは、一拍おいてシンセイの存在を確認し、シルバへ対して、思い立ったような顔つきと同時に、片目を素早くウインクしてみせる。

「さあ、ドックでオーストラリア大砂漠大陸への航路を確認しよう! 親父、皆に紹介はまだだろ? 朝食がてら紹介をして、そんで出発だ」

「おう!」

 レンとシンセイはドックへ向かう。

「行こう二人とも、航路の確認をしなきゃ」

「ええ」

 カインとアカネも後に続いた。シルバはレンの後姿を眺め、警戒は必要ないと思った。レンが何かを考えての行動か判らないにしても、それは二人に対する配慮である事に代わりは無いのだから。イズモでは協力を得られず、アカネと孤立してしまったので、警戒心が強すぎるようだと、シルバは考え、そして苦笑いを浮かべた。






 三人はシンセイキャラバンのドックで軽く挨拶をした。カインは慣れ親しんだ皆に声をかけ、アカネとシルバは自己紹介をする。

 メンバーはレンとシンセイを入れて六人の少数である。メカニックのダンに商売人のカーニとパーリ、そして女性で家事担当のメイ。皆が同じデザインの、濃紺を基調とした、手足の横に白いラインの入っている作業着を着用している。

 ダンは褐色の肌と筋骨隆々名肉体が特徴の、寡黙なだった。

「ARRの開催中は俺が機体の整備をしてやる。ただし無茶をやって壊したんなら金を頂くがな」

 カーニとパーリは双子である。歳はシルバーと同じくらいであるが、素性は不明だ。見分けは髪型でつく。カーニは坊主で、パーリは長髪だった。

「レース中に参加者と商談をするのが僕たちの仕事さ! 人が大勢集まれば商売は成立するからね」

 メイは十九であり若いが、シンセイキャラバンでは古参である。カインからすれば、小さい頃からお世話になっている姉のような存在でもある。

「何か好き嫌いがあれば言ってネ。少しなら対応出来るから」

 簡単な挨拶を終え、朝食のパンを皆で頬張りながら、出発前の最終確認を行なった。

 壁に巨大な地図を張り、皆がその前に椅子を持ちいて座る中、シンセイが説明をしていく。

「目的地のオーストラリアだが、今回は途中一回の休憩をおいての航路になる。夕方までには中間地点を通過、翌朝にオーストラリア大陸棚を上る。到着は明日の昼頃になるだろう。なんども使う航路だから、特に問題はないだろうがな。だれか質問はあるか?」

 誰も手を上げない中、レンが発言をする。

「あ、今回はあたしの機体飛ばしていくから。前回みたく大型機にドッキングしていくよりさ、カインたちを先導した方がいいと思うし」

「ああ、いいんじゃねえか? 確かにカインも今回は大人数で飛ぶみたいだし、サポートがあってもいいだろう」

 シンセイも特に問題視することも無く、許可を出す。ニコリと笑みを向けてくるレンを、カインは無理な笑顔で返す。

「他に質問は?」

 今度こそ誰も反応しない。

「よっしゃ! なら話は終わりだ。メイ!」

「了解!」

 呼ばれたメイは、理由を確認する事無く立ち上がると、人数分のコップに綺麗な水を注いでいく。そして一人ひとりに配り終えると、全員がその場に立ち上がる。アカネとシルバも連なる。

「出発を前に、無事到着することと、レースを勝ち抜くことを祈願して乾杯をする。思えば参加以来、完航さえ出来ていなのが現状だ。だが今回は違う。モチベーションが極めて高い! なんと言っても副将に飛行艇を貰えるんだ! これは是が非でも――」

 シンセイの話しが未だ続きそうだと、皆が思い始めるタイミングで、レンは言う。

「乾杯っ!」

「かんぱーい」

「……む」

「乾杯、乾杯」

「がんばろー」

「え? いいんですか」

「いいんだよ。いつもの事。乾杯」

「か、乾杯」

 全員が笑い、シンセイも豪快に笑う。初参加の二人も笑う。そして水を飲み干し、合図かのように散らばって、それぞれが準備へと取り掛かった。

 カインとシルバ、アカネはライジンの元に戻り、一回目の飛行から再調整が必要な部分があるかの点検を行う。

「やはり三人だとかなり厳しいものがあるな。どうだカイン、行ける自信はあるか?」

 シルバが下部のハッチを開けながら質問をする。

「多分大丈夫じゃないか。スピードが出せないから、付いていけるかが少し気がかりかな」

 カインはコクピットから機器を操作しながら答え、アカネも後ろで同意する。

「レーダーも異常は見られないですし、よっぽど離れない限りは大丈夫じゃないですか?」

 そんなやり取りをしつつ、微調整をしている三人の元に、レンがやってきた。

「随分と大変そうだねー。楽しそう、かな? でもその機体に三人はきっついんじゃないの? いい案があるけど聞いてみない?」

 カインは流し目でレンを見る。

「聞きたくもないけど、そこで話されると、まあ耳には入るよねぜったい」

 カインを指差し、レンは答える。

「正解! あたしは喋っちゃうもんねー。答えは簡単さ。カインを置いて、シルバとアカネがカインの飛行艇に乗っていけばいいんだよ。頭いいなーあたしっ!」

「確かに! お前の頭の悪さを全開で発揮している答えだよ! 俺もレースに参加させてくれよせめて!」

 やれやれとため息をつくレン。

「しょうがねーな、わがままカイン君は。いいよ先生の飛行艇に乗せてやるよ。おやつも認めてやるって。泣くなよ、な?」

「何一つ教えて欲しくないね! お前が先生だったら、それこそ泣くときだ! 大体なんでお前に乗せてもらわなきゃいけないんだ」

 軽く反論をしたカインだったが、意外なことにシルバは機体の下から作業をしつつ肯定を示した。

「そうだな、確かに三対一で分けるより、二対二で分けた方が負担は軽くて済むだろう。誰がどう乗るかは別にして」

 レンは尊敬の念を込めて下をのぞき、微笑む。

「だろ? 見たかカイン! あたしの正しさを!」

「聞きはしたが見てはいないよ! その発言に痛々しい感じが漂っていて、俺は少し悲しくなるね」

「まあ、そこは置いといてだ、やっぱカイン、あたしの飛行艇に来なよ。それが一番だって」

 反論したいが、カインには出来なかった。確かに、実力を考えてもシルバが操縦をして、カインはレンと便乗した方が現実的である。

「…………」

 結果として無言である。レンは追い討ちをかけるつもりで、

「なあ、二人っきりにしてやろうって。シルバとアカネも男女持ちつ持たれつ、積もる話もあるだろうしさ、お前はお邪魔虫なのっ!」

 シルバとアカネを巻き込んだ。

 失敗だった。

「ちょ、ちょっとまってください! 私とシルバは持ちつ持たれつな関係じゃありませんから! 二人っきりにしてもらう必要なんてありませんっっ!」

 アカネが困惑の表情で、訴えてきた。レンは新しいターゲットを見つけた鷲のように眼光を走らせる。

「おっ! いい反応を示すね。あっやしいんだー。な? カインさ、あたしと一緒に来なって。それが大人的配慮ってやつなのさ」

 そうなのかと、思わず考えてしまうカイン。アカネの顔を見る。

「カイン変な目で見ないで! 配慮とか要らないから!」

 それら会話を、機体の下に潜り込んでいたシルバがあきれて聞いている。シルバは下から出てきて苦言を呈した。

「何を話しているんだ。誰が誰と乗ろうが、飛行艇の性能に変わりはないんだ。現状として飛ばせればいいわけで、レンが相乗りを構わないというならそれでいいだろう。アカネも、三人の中で一番年上なのだから、冷静に判断できないとダメだろう。何を困惑しているんだ? そんなだから、年下と皆に言われてしまうんだ。見た目だけの問題ではない」

 アカネを見ていたカインは、全身から湧き出る怒りのオーラを見た気がした。

「シルバが降りればいいわ! ここへ来るのにも、カインと私で充分だったもの! 怪我人のシルバなんて足手まといもいい所よ。私と行きましょカイン!」

「…………え?」

 呆然の声を出したレンは、予想外の展開について行けない己に驚いた。どうやら踏んではいけない地雷をシルバが踏んだらしいことに気がつく。しかもその地雷へ誘導したのが自分だった事に気がつき、後悔した。

 カインはただ困惑する。

「いや、でも実力で考えたらシルバが……」

「いいのっ!」

 話は終わりといわんばかりに、アカネは何も映し出さないレーダーを目視し始めた。

 シルバは軽くため息をつく。レンは何か言わなければと思い立ち、声を発する……前に遠くから声をかけられる。

「何してんだお前ら! もう出発するぞ! それぞれの飛行艇に乗りこまねえか!」

 シンセイの声が、準備の終了を告げていた。周りを良く見れば、他のキャラバンメンバーはすでに機体への搭乗を済ませている様子である。

「……ちぇっ」

 寂しそうに背中を向けて、自身の機体へ向けて歩き出す。シルバは、ライジンの下から這い出て、背を向けて歩くレンに声をかける。

「悪いことをした、かな?」

「いいやー歓迎するよ。あたしの腕前を見て腰抜かすなよな!」

 振り返り、答えるレンは能面のような笑みを浮かべていた。






 機器のスイッチをオンにしてゆく、電子音がコクピット内に響き渡り、外部からエンジンの駆動音が防音ガラス越しに響いてくる。

 僅か一人分の隙間もない後ろから、アカネが声をかける。

 「方向を北西に、高度三千フィートまで上昇し、海面ラインまで行きます。気圧があるので低速なのを忘れずに」

「了解、離陸するよ!」

 操縦桿を前に倒し、そして一気に手前へ引く。水素金属を搭載した機体は、基本的に浮力があるため、僅かな滑走で離陸が可能となる。カインもその基本知識に則り、あっという間に離陸を成功させる。前へ進む推進力と、上へ昇る上昇力が負荷として肉体にかかる。飛ぶという感覚がそこにはあった。

「レーダー動作確認。レン機も離陸した模様。キャラバン機は滑走中」

 最軽量のライジンならではの高速離陸は、他の追随を許さない。

 あっという間にケルマディックを一望できる高度まで上昇してゆく。

 後発の二機を待つ為、出力を押さえる。

 辺りを見渡すことの出来る余裕もあり、カインは自身の住みなれたキャラバン隊の市場を見渡す。砂粒のように小さく見える人々が、決まりごとのように働き始めていた。

 無心で風景を眺めていたら、アカネが通信を知らせるランプが点灯している事を教えてくれる。

 スイッチを入れた。

『相変わらずぶっ飛んでるな! そのまま天国へ行くのかと思ったよ。頑張ってもカインが天国にいけるわけないじゃんか』

 一瞬スイッチを切ろうかと思った。

『それはあれか? 俺が地獄にいくと? 間違っていないだろうね。最近殺意を覚えることがよくあるんだ。背後に気をつけるんだな!』

 電子変換された笑い声が聞こえてくる。表情は想像で充分すぎるくらい見えている気がした。

『いやーそれにしても残念だったよ! カインと離陸を迎えたかったんだよねーあたし』

『何でだよ』

 一瞬の沈黙がスピーカー越しに伝わる。ノイズしか聞こえていないから。

『だってさ、二日前から決めてた事があったんだよ。離陸の瞬間さ、もしあたしとカインが一緒だったらさ……離陸する瞬間……機体から突き落としてやろうって』

『ひどすぎるっ! あービックリした。本当に人間か? 実は鬼なんじゃないのか? 地獄に送り返してやりたいよ、まったく!』

 電子音がレンの笑い声を作り出す。後ろからはシルバも少し笑っているのか、声が聞こえてきた。

『冗談だよ! でもさ、ケルマディックの事、忘れんなよな。景色、よく見ておけよ。もう戻ってくることは出来ないんだからさ……』

『縁起でもないことを演技っぽく格好つけて言うな!』

 カインは通信のスイッチを切った。

 後ろでは声を抑えてアカネが笑っている。

「カインとレンの話しって、なんかおかしいです」

 カインは深いため息をつく。

「面白くもない冗談だよ本当に」

 でも、レンの最後に言った言葉が耳に残った。


 ――もう戻ってくることは出来ないんだからさ……


 理不尽な事を言われているはずなのに、不思議と納得してしまっている自分がいるような気がしていた。あくまで、アカネとシルバの移動手段を手に入れるまでの手伝い。終わればまたいつもの生活に戻るはずだ。二人はきっと世界を巻き込んだ大変な事態へと、突き進んでいくのだろう。自分がそんな事に関わるとは思えない。

 それでも、漠然と、ただ思うがままに、もう戻れない。そんな気がしていた。

 レンに言われたとおり、カインはケルマディックをもう一度良く見た。

 頭頂部にはカインの自宅が見えている。錆付いた発電用の風車が勢いよく回っている。今度は仕事場へ向かうまでの、通りを見てみる。同じ色のツナギを着た人々が、同じ方向を向いて歩みを進めていく。あの中に、自分はもう居ない。

 ふとよく見ると、一人の人間がその歩みの流れに立ち止まって、こちらに手を振っているのが見えた。

 カインが仕事を始めたころ、まだ馴染んでいなかった仕事場で、初めて声をかけてきた男、最後まで迷惑にも語りかけてきた男。名前さえ知らない、そんな彼が手を振っていた。おそらく、カインが乗っているとは思っていないだろう。

 苦手ではあったが、いい人だった。遠く離れた場所から、カインは思った。最後にぶっきらぼうな別れ方をしたのが、少し後悔として残った。でも、もう会うことはない。

 

 そんな名も知らない男は、カインが空へ渡ったとは別の、地下へ突き進む道を選ぶ。ケルマディックがいずれ世界有数の鉱山から、世界最初にして最大の地下都市へと発展して行く中で、その礎を築いた大人物となるわけだが、カインが知ることはない。語られることもない。それは遥か先の教科書の中で語られる物語である。


 カインは視線をケルマディックから、焦点の定まらない、澄みすぎた空へと向ける。夜の闇は一切ない。完全に太陽が世界を支配している。

 もうケルマディックの事は考えていない。

 

 始まった。たしかにカインはそう思った






 ケルマディックから遠ざかる三機を、キャラバンの中心に建つドームの三階から、ただ眺めている人物が二人いた。一人は奇抜に染め抜いた赤い髪をオールバックにし、全身を革製のジャンプスーツに包んだ男。もう一人は、幼さの残る顔と眼鏡、艶のある黒髪が特徴的で、体格にあった細身で小さいスーツを着た少年。

「あーあ行っちまったよ。張りぼての翼なんか広げて、無知な人間みたく無様で醜く転げ落ちるのが見えてるのによぉ」

 誰に語りかけるでもなく、赤髪の男は言う。少年は眼鏡の奥に、確かな輝きを携えながら答える。

「いいんですよ。『鍵』がここで止まる事は、運命の優先順位では限りなく低い。むしろ、あの二人と出会った事の方が『鍵』の運命としては意外だった」

 赤髪の男が苦い顔をする。

「あんた、なんでも知っているみたいに話すが、正直薄気味悪くて反吐が出る」

 少年らしい高めの声で含み笑う。

「僕が話すのは、確立の優先順位で演算された、一番可能性の高い未来についてだけです。あくまで予測ですから、知っている訳ではないです」

「へ! 例の未来を予測するスーパーコンピューターの話だろ? 機械の出した答えに沿って生きるなんざ、人として終わってる。この世界を見てりゃわかるさ」

「でも、人が争いなく生きてゆくのには明確な指標も必要なのですよ。まあそれも今の時代で終わるでしょう。『鍵』が動き出した。『鍵』を運ぶ者も現れた。『鍵』の使い方を知る者も同時に。これは人類が次のステップへ進む為の準備が整ったのだと、僕は思っています」

 赤髪の男は興味なく、少年の話を聞き流し、飛び去る機体を見据えた。

「やることがあるんでしょう? 最新鋭の水素艇とはいえ、あまり遅れをとると間に合わなくなりますよ?」

 赤髪の男は、少年を見る。今度は興味有々と。

「そーうさ! そっちが面白い! わかってる。まずはARRだろぅ? ぐちゃぐちゃに掻き回して、運命の飛び出す先を、混乱に貶めてやるぁぁ!」

 奇声をあげて笑う赤髪の男の声を耳に、少年は優しい表情で、飛び去る機体を眺めていた。



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