華子の縁談話と兄の初恋、お点前の時に火蓋を切る令嬢二人。
如月華子。彼女は十になる迄は『金輪 ハナ』という名で下町の長屋住まい。教科書を風呂に包み、毎朝、隣近所の腕白小僧達と駆けて行って数分の所にあった小学校に、チビた下駄を鳴らして通っていた。
そんな彼女の住まいが変わったのは、金儲けに全てをつぎ込み賭けていた父親が、相場に手を出しひと山当てた時から……。表通りの大きな屋敷住まいになり、使用人がいる贅沢三昧の暮らしが始まったのだ。
あぶく銭を元手に貸金業を始めた父、時成。当然、暴利だったのは言うまでもない。何しろ爵位を買い『如月 時成』に改名する以前の名は『金輪時成』。彼に泣かされた人々は『ナ』を『ネ』と読み、名は体を表す……、そうぼやいたとか違うとか……。
――「はな!僕の『アマテラス様』になんてことするんだよ!お前がやった夕べの騒ぎ、聞いたぞ!」
華子の兄である『如月 命』が食堂で朝食の席に着くなり喚いた。父親が子爵の地位になり、名字が代わり何より喜んだ跡取り息子の彼。
何しろ以前の名字だと、漢字やローマ字で書き記せばそうでもないのだが、こ当然ながら『な』を『ね』と変え、『いのち』と読み替えれば。
『カネワイノチ』
資産家になり更に悪どく稼ぐ父親、派手になった母親にかこつけて、そう囃し立てられることが多かった、些か気の弱い兄の幼少期。
「……、ふぁ……、眠たい。これもそれもしげこのせいよ!だって!庭球で勝ちたいんだもん!しげこ!華族育ちのクセして、運動神経やたらイイから腹が立つ!この前あった徒競走も負けたし……!で、兄さん。その『アマテラス』てのやめてくれない?高慢チキなお嬢様よ!彼女」
欠伸をひとつした後、苛々としつつパンをひとつ掴むと、左右に引きちぎる華子。給仕の為にそこに居る小間使いが分からぬ様そっぽ向き、少しばかり顔をしかめる。
「高慢チキ……!そんな事はない!僕は彼女に助けて貰ったんだ、優しいお方だ……。ほぅ……」
何度も思い出し、美化しすぎている過去の記憶にうっとりと浸る彼は絵描きを目指している。
気の強い妹とは趣が違う、外では大人しい性格の兄。
「あー、はいはい、絵の具買いに行った先で、昔のイジメっ子に出会ったんだっけ……。たかられてたのよね。貴族になったから金よこせって……、そこに『しげこ』が通りかかった!」
「うん、そう。毅然とした声で、一喝されて……、丁度、店先を掃いてた小僧から、箒を借りるとそれを手に取り、奴らをコテンパンにのしてさぁ……、そして……」
うっとりと頬に手を当てる兄。ケッ!と言わんばかりの顔をし、小間使いにジャムを取って、と命じる華子。
「軟弱者!てビンタ喰らって惚れるなんて、浪漫の欠片もない、あら、お父様。おはよう、お母様は?」
差し出された金の縁取り、帆立貝を模った硝子の器には、とろりと苺の赤。銀の匙でジャムをひとすくい。柔らかな焼き立てのパンにたっぷりのせる華子。父親が入って来たので挨拶をした。
「ああ、昨日の騒ぎでもう少し寝るそうだ。華子、どんな手を使ってでも勝つのはいいが、今は少しばかり大人しくしなさい」
朝食を取る娘に小言を言いつつ座る時成。皿に注がれたベーコンと野菜のスープを口に運ぶ。
「でも、勝ちたいんですもの。お父様、もう少しまともなのを選んで下さいな、で、どうして大人しくしとかないといけないの?」
むくれつつ華子は父親に問うた。
「ああ……、おい、目玉焼きは半熟だ、作り直してこい。お前に縁談話が出てるからな、それでだ」
申し訳ございません。と運んできた皿を下げ、部屋を出る小間使い。兄妹の上げた声がその背を追いかけた。
「縁談???」
「そう、縁談だ、まだ内々だかな」
ニマリと下卑た笑いを浮かべる父、時成。カチャリと音を立て、匙にベーコンのコロンとした小さな四角い塊をすくった。
――、セーラー服にベレー帽、革の靴に鞄。それを身に着け歩けば、憧れの視線を受ける女学校には華族でない、裕福な商家の子女も多く通っている。彼女達は身分こそ平民なのだが、その育った環境は貴族の家と遜色はない。中にはより裕福な暮らし向きの者もいる。
彼女達も幼い時より茶道に花道、書に三味に琴、ピアノやバイオリン、絵画……、それなりに芸事の嗜みをひと通り躾けられ育つ。しかし中は、華子の様な者もいた。
……、シャシャッ、シャシャッ、シャシャッ……
ピンと空気が張り詰めた茶室に静かに流れる松風。薫子が亭主となり、涼しい顔をして茶筅を扱う。対して華子はこの茶道の授業が、淑女教育の中でも、最も苦手な教科。洋館に住み始めてから、長々と正座をするということが少ないからだ。
芸事のひとつやふたつ。それらを学ぶ事とは無縁な暮らしをしていた『金輪 ハナ』の暮らし。正座といえば、三度の食事の時位。屋敷に移ってから、少しばかり習った華子。一応、恥をかかぬ程度には、茶の湯の作法は身についているのだが………。
シュンシュン……、湯が沸き立つ音。
シャシャッ………、茶碗で音立つ茶筅。
茶菓子に出された『朧月』の甘さが、睡眠不足である華子の眠気を煽る。つい、こっくりと……、船を漕ぎそうになるのを堪えていた。
スッと、点てられた茶を決められた所作で、客である華子に差し出す亭主役の薫子。
畳の上に置かれた華やかな京焼きの器。欠伸を噛み殺しながら一礼をし、その中に泡立つ抹茶の色を見た華子は泡立つ色に釘付けとなる。
……、嘘!こ!濃いんじゃない!色が濃いって!コレ……飲むの?く!この女。私が点てたのより、ずっと濃いんじゃない!くぅ……!。
亭主である薫子がにこやかに微笑みつつ、頭を下げる華子をながめている。
……、さあ、どうぞ。華子様。わたくしは先に、貴方様かお点てになられた濃茶を頂きましたわよ!おかげで目が覚めましたわ。ほーほほほ。
笑顔の下でそう心の中でごちる薫子。
先に華子が亭主役を努め、客の薫子に、特別に濃い茶を点てたのだ。躊躇なく、ドロリと濃いそれを飲み干し、結構なお点前でした。顔色変えず涼しく礼を述べた彼女。
……、ここで引けない!引いてなるものか!『ごきげんよう女』に負けないわ!私!
彼女の中で闘志が燃える。かつて入学した時、偶然、隣の席に座る薫子に、おはよう御座います。と挨拶をした華子。当然、おはよう御座いますと返事が戻るもの。そう思っていたのだが。
素知らぬ顔をされた。そして授業が終え、帰る時に再び。さようならと声をかけた時も、薫子はちらりと見て笑顔を見せただけ。
……なによ!無視する事ないのに……
むしゃくしゃして初日は過ぎた。翌日、知らぬ顔をしようとしていたら、
「ごきげんよう」
そう声をかけられたので、おはよう御座いますと返すと……、再び素知らぬ顔をされた。周囲から声が掛かる。おはよう御座いますと言えば、何故か遠巻きにくすくすと笑われる。怪訝な顔をしていたのか、隣の彼女が幼子に教えるように、
「ご、き、げ、ん、よ、う」
ひとつひとつ区切って言った。そう言われ、ようやく合点がいった華子。くすくすと笑う周囲。ヒソヒソとだから庶民は……、と聴こえるように囁いている。
……、朝はおはよう御座います、昼はこんにちわ、さようなら、晩はおばんです!じゃないの!まさか……、朝から夜まで『ごきげんよう』?
――、恥ずかしい思い出が蘇った。その時以来、華子は助けてくれたとは思うが、もう少し別の方法は無かったのか!と、逆恨み的に薫子の事を憎々しく思っている。
キッっと顔を上げた彼女。ドロリと濃茶。作法に従い茶碗を手にした。そして……。
こくん。舌先に残っていた菓子の甘さと、眠気が吹き飛ぶ茶の味。息を止める。眉間に皺を寄るのを堪え、それをゴクリと飲み込むと……。茶碗を畳の上に戻した。
「結構な……お点前でした」
礼をする華子。
礼を返す薫子。
シュンシュンと湯気立つ茶室での一幕。
最近、あれ?指が右だけ腫れた………。←霜焼けになってます(ノД`)シクシク、子供みたいだぁぁ(ノД`)シクシク。スマホなので変な文字が出てくるし……(ノД`)シクシク。
寒暖差が激しゅう御座います。ではごきげんよう。