榊の宮家の面々。
「昨夜は春の夜に浮かれ庭先で猫が騒いでおったな」
艷やかに光る白粥、じゃこと切り昆布の佃煮、赤の輪切りの唐辛子がちらりとした菜の花のおこうこ、嫁菜のお浸し、和布のおみおつけ。
用意された朝餉の膳を囲む榊の宮家の面々。当主の宗一郎が、猫が狂い咲きの梅に出会い酔うたのか、問うように話す。
「ええ、その様ですわ」
制服であるセーラーを着込んだ薫子はとろりとした粥を静かに口に運んでいたのだが、一度手を止め朱塗りの箸を下ろし、父親の問いかけを受け取る。
「この間、櫻木様のお茶会で、そのお宅のお話になったのよ。世も末ね、紛いモノが紛れるなんて……。薫子も災難でしたわね。フフッ。懐かしいわ、わたくしもよく昔は『猫』が迷い込んで来てましたのよ」
母親、紅子が会話に入る。
「まぁ。お母様も?」
「ええ、でもそれなりに躾られた飼い猫でしたけれどね。そう……、如月様といえば息子さんから、またお申込みがありましてよ。次の『皐月の集い』に是非とも貴方を御相手に……、今回はどういたしまして?」
にこやかに微笑み問いかける紅子。
「またで御座いますか?華子様のお兄様……、何度断っても申し入れて来るなんて……、図々しいですわ。華子様は、何事につけてもわたくしを目の敵にされますし。勿論、お断りして下さいませ!」
強く答えた薫子。一旦会話はそこで終わる。冷めぬ内に朝餉を食べすすめる面々。やがて順次おわると、膳が下げられ、薫子の姥やであり、女中頭のシノが茶を運んでくる。
程よく香り立つ緑茶が入る湯呑みを手に取り、紅子が皆に今日の御予定は?と問いかける。
「今日は御所に上がる。親王様にご教授の日だ。その後、問屋に所要故、昼食は外で済ます。そう、パパメイアンだかな、我ながら上手くかけた。後で読んでくれ。これも色々教えてくれた紅子のおかげだ。売り上げが良かったら夏物の反物を見に行こう」
「あら、嬉しい。紗の新作が松前屋に届いてましてよ。それで薫子さんは?」
母親の問いかけに答える娘。
「はい、今日は午後、学校で庭球の模擬戦がございますの」
「あら、お相手は何方のお嬢様?」
「如月家の華子様でしてよ、楽しみですわ」
湯呑みを手に微笑む薫子。
「まぁ……、それはそれは。見学に行けなくて残念ですわ、ふふふ」
含み笑いをする母親につられて薫子もくすくす笑う。その様子を目を細めて眺めていた宗一郎が、昨夜手渡した物はどうだったか?と娘に問いかける。
「はい、大変面白く素敵でしたわお父様。来月号も、きっと皆の心を鷲掴み、フフ」
その言葉にそうか。と嬉しそうな宗一郎。各月刊誌を読む年代の多くが、薫子と彼の最愛の妻、紅子の世代なので、二人に色々と聞くことが多い、宗一郎。
――、やんごとなき身分人々はが召使いを、或いは密かに配達をさせた後、こっそり楽しむ品々。気楽な下々の者達は、貸本、古本屋で手に入れ楽しむ娯楽作品。
『月刊 ぱぱめひあん』、こちらは気高き身分の女性が悪の道を敢えて行く。誰が言い出したかは分からぬが『悪役令嬢』その生き様に焦点を当てた一冊。
――、榊の宮家は、先祖に学者を持つ語学堪能な家。今は家業として、表向きは翻訳、公文書、辞書や教科書、文学書等、お堅い物を出版しているのだが、それだけでは広い庭を持つ邸宅の維持管理、使用人達の暮らし向き、諸々な付き合いを手抜かり無くこなす程は稼ぐ事が出来ない。
なのでこういった娯楽に満ちた品物や、時には政府から頼まれ機密文書など、実入りの良い品々も密かに刷っている。中でも特に売り上げの良い月刊誌、ぽひんせちあはじめ、ぱぱめひあん、他に2冊。併せて四姉妹のソレは風紀を重んじるやんごとなきお方達は眉を潜める代物。
「まぁ皆は知っているのだが、裏業は口に出していけないのは当然。くれぐれも表では気を付ける様に。お国に関わる物もある故、対策はしてあるが、情報欲しさに狙う者達もいる。それぞれに自分の身は各自護るように」
父、宗一郎は家族に常々、そう話している。彼もそうだが、母親紅子も捕物においては、その道の悪漢達から一目置かれる存在だった。
――、「そうか、ポインセチアも売り上げが良かったら、流行りの洋装を仕立てようか、それとも着物が良いかな。皐月の会もある事だし」
機嫌良く茶を飲み干した宗一郎。そんな父親に娘らしく顔を綻ばせた後、薫子は礼を述べ昨夜、気になっていた事を話す。
「でも……、ひとつ。弥助ですわ!メイド服はそれなりに着こなし、大丈夫なのですが、ドレスになると……、着せられた感満載。どうにかしなくては。お母様はどう思われて?」
「そうねぇ……、わたくしは初々しく思いますけれど……、あら、薫子さん、そろそろお時間でしてよ」
紅子が自身の茶托に湯呑みを戻すと、帯に挟んでいる小ぶりな銀の懐中時計を取り出し時刻を確認する。
いつもの朝の事。
「はい、お父様、お母様。行ってまいります。ごきげんよう」
その場で三つ指を付き頭を下げ礼を取り、静かな所作で立ち上がる薫子。姥やが用意していた学生鞄とベレー帽を手に持ち、共に部屋を出る。
磨かれた廊下を歩く。今日の模擬戦、楽しみですこと。今頃、華子様は……、昨夜の顛末を思い出し、薫子はクスリと笑いそうになった。