悪口言ってる
「もー、人がたくさんいるとこで笑わせないでよ。なんだろあの人って思われちゃうじゃん」
遥はそう言いながら、はにかんだ。ソファーの上でお腹をおさえ、ポヨンポヨンとクッションに体を揺らされている。
直人は、遥の楽しそうな顔を見て、なんだか嬉しくなった。それと同時に、安心もした。
遥がなるべく退屈や緊張をしないようにと、直人はやや気を張っていたのだ。
「ごめん、別に笑わせるつもりはなかったんだけどさ……。
帰りのバスの中で、俺以外みんな笑ってたら嬉しいなって」
「森田くんが酔うことはもう確定なの?」
「確定ではないけどさあ。理屈的に、帰りは疲れてるし睡眠不足で酔いやすいんだよね。
だから、サクッと仮眠出来ると良いんだけど」
「奈月さんと寝るんだよね?」
「奈月といっしょが良いなあ。奈月が近くにいないと、ナンパとかが心配で寝られそうにないんだよね」
「奈月さんといっしょに寝ても、ドキドキして寝られないってことはないんだ?」
「そのときによるけど、バスの中で奈月に感じてた気持ちを保てれば大丈夫。煩悩入らなかった」
「どんな気持ち?」
「えーっと、どう話そうかな。さっき言った『内緒話』がそれと関係してる話なんだけど……。
前に橘さん、俺に歌を作ってほしいって言ってたよね。あれって手抜き曲でも良いのかな?」
「うん、もちろん。彼女いる人の時間、そんなに取ったらまずいよ」
「俺さ、バスの中で曲作ったんだよね。音楽のことはよく知らないから、作詞とメロディーまでしか出来なかったけど」
「えっ、ゼロから?」
「ゼロからだね。
スマホの画面を見ないで、外の景色眺めながら考えられることは何かなと思ったら、作曲しかなくてさあ。小説の文章を考えてると、忘れないようにメモとかしたくなっちゃうから」
「それでちゃんと完成するってすごくない?」
「ちゃんと完成したのかは、俺にはよく分からないけどね。心の中で歌として歌えたってだけで」
「聞かせて聞かせて」
「俺、歌うの苦手なんだよね。俺がラララで歌ったら、橘さん歌詞にして歌ってくれる?」
「良いよ」
「えっと、もっと近寄っても平気? この距離で歌うのはちょっと……」
「大丈夫。あ、私が隣に行くから座ってて良いよ」
遥は立ち上がろうとした直人を制止し、直人のソファーの真横まで来た。
まだ酔いが残っている直人は、遥の優しさに甘えて座り直した。
「ありがとう。
――まず歌詞を送るね」
「うん」
「届いたかな?」
「届いたよ。……本当に歌だ!」
「まあ、普通の歌詞だけど」
「そんなことない、すごいよこれ」
「えーっと最初のメロディーは……ラーラッ、ラーラッラッラ、ラーラッラー、かな」
「イーンッ、マーイドリーッム、シューティンスター」
小声で歌う遥。
「そうそう。そのメロディーが四回続くんだけど、四回目だけ最後の二音が違うっていう、よくある感じのやつ。スターの部分が違う。
俺は音程とか息継ぎとか分からないから、その辺りの変え方はアドリブしていってほしい。俺は一応歌ってみるってだけね?」
「うん」
このときの遥は、すぐそばに異性がいるのに怖いと感じていない。歌を覚えることに夢中だった。
遥は神経を集中させて、あっという間にメロディーを覚えてしまった。
直人の耳元で、遥はささやくように、そして直人の教えた通りに歌ってみせた。
「もう歌詞を見ないで歌えるようになっちゃった。すごいなあ」
直人は、遥をたたえた。
「いやこれ、覚えやすいもん。名曲でしょ! 普通に店にある曲と区別つかないじゃん」
「そうかなあ。個性皆無なような」
「私が作りたいの、こういう曲だよ」
「こういうよくある歌詞で良いなら、バンバン作れば良いじゃん」
「作れないんだってば。最初の組み立てどうやったの?」
「えっとね、最初はラブソングじゃなくて応援ソングで考えてて、星じゃなくて月だったんだよね。『はるかなつき』ってタイトルで考えてたんだよ」
「それも良さそう」
「まあ『はるか』と『なつき』を繋げただけで、好きになった人の名前のタイトルなんだけどね」
「わあ、繋げると『はるかなつき』になるんだ」
「そう。だからそうやって、好きなものからタイトルだけまず決めるのも良いかもね。俺の小説も、タイトルが決まったら内容も決まっていく場合があるし。
これは、今日じゃなくて小説考えてるときの話なんだけど、例えば『なおと』と『なつき』のひらがな六文字から、並べかえて『おとなきなつ』っていうタイトルの静かな夏の話を考えて。それで、音が無いってことは、ケンカ中で口を開かないのかなとか、早朝に親にも内緒で家から抜け出すとかかなとか、シチュエーションいくつか考えて。
同じように『もりた』と『おしだ』で『もりだおした』っていうタイトルの、ケンカしたカップルがお互いの初恋の人のことを盛って話して、誉めて誉めて盛り倒して、結果的に何故かお互いに今の恋人に惚れ直す短編小説にしようかなとか」
「うわー、なんかすごい。そっかあ、そうやって組み立てるんだ」
「まあ小説と歌詞じゃ違うかもしれないけどね。自分の好きなものとか人とかから、なんで好きなのかを考えてタイトルにしてみるとか、試してみても良いかもしれない。とにかく一日一回タイトルを考えれば、タイトルからそのまま歌詞が完成しちゃう日がいつかあると思う。
さっき言った、最初に考えてた歌の『はるかなつき』の場合は、遥か遠い掴めそうにない目標に向かって人への応援って目線から入って。
今日は君のおかげで元気になれた。だからほんのちょっと頑張ってみようかな……って感じで、内容考えてて」
「うんうん」
「だけど、そこでわりとストップしてたんじゃないかな。
はーるかなーつき、って感じで心の中で歌ってたら、はーる、なーつ、あーき、ふーゆ、になって、それからは一気に完成したんだよね。
気付いたらラブソングになってたけど、スタート段階では全然そんなつもりなくてさ。だから、照れずにこういう歌詞に出来たのかも」
「これって、奈月さんのことを考えた歌だよね」
「そう。
バイトのあとでも、乗り物酔いのあとでも、奈月に手を引っ張られると嬉しくて。心の中でいつも奈月の笑顔が輝いてるよ、ありがとうって歌」
「この歌、奈月さんに歌ってみて良い?」
「俺の歌詞だとか、何も言わずに?」
「言って歌ったらダメ?」
「言ったらダメでしょ。
俺さあ、クリスマスプレゼントに奈月にピザおごってもらって、何かお返し出来ないか検索したことがあるんだよ。
そしたら、男にもらって困るプレゼント一位が自作曲だったんだよ。すげえ評判悪いの。しかも、俺みたいな音楽知らない人が一時間で考えた曲じゃなくて、普段からバンドやってる人が数ヶ月考えた曲とかでも全然ダメ」
「いやそれは、才能があまりなくて完成度が低いからでしょ?
この曲はすごく良いと思う」
「ちょっと待ってよ。そのバンドの人たちだって、ファンは百人とかいるって書いてあったんだよ? ファンに聞かせたら五割以上は喜ぶような曲でも、彼女は一割しか喜ばないってことで。
橘さんが良い曲と思ってくれても、奈月は気持ち悪いって感じるかもしれないわけだよ」
「歌詞に気持ち悪い要素なくない?」
「たとえ歌詞は気持ち悪くなくても、歌をプレゼントされること自体のが気持ち悪いとか、なんか重いとか。九割そんな感じの感想なんだってば」
「そうかなあ。
誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントなら、なんか期待してる部分もあるだろうから分かる気もするけど。突然のプレゼントなわけでしょ?」
「歌以外に関してもそうだけど、作ってほしいって言った人に作るのと、勝手に作るのは違うじゃん?
普通なら嬉しいことでも、勝手にお弁当作って押し付けられたり、勝手に家に遊びに来たりしたら、カップルによってはケンカになる可能性はあるでしょ。
例えば、俺が橘さんの誕生日に小説を書いたら、とりあえず読んではもらえるかもしれないけど、相手が小説に興味ない人だったら気持ち悪いじゃん」
「あー、そっかそっか。私は歌を作ってほしかったから嬉しいけど、奈月さんからすると頼んでないんだもんね。いきなりみたいな――」
「そうそう! 例えば俺が今日、橘さんに手編みのセーター編んできたとかさ、そういう唐突さがあるわけ。そういうのって、困るか困らないかは相手次第で」
「そうだね、分かった。言わない」
遥は、おおいに納得した。
「ありがとう」
安心して、胸をなでおろす直人。
「普通に歌う分には良い? もう今、すごく歌いたいんだよね」
「え、どこで歌うの?」
「サウナに他に人がいなかったら、友達に聞いてもらう」
「良いけど、自作曲を歌われることって、興味ない人には拷問らしいよ。
みんなに白い目で見られるかも」
「少なくとも、真は曲が出来たら聴いてくれるって言ってたから、真には歌いたい。
それに真、こういう単純明快な曲って大好きだと思うんだよね。すごいって言って、歌詞を覚えたがると思う」
「歌ってみて肯定的だった人には、俺の歌詞ってバラして良いよ」
「じゃあ、奈月さんがすごいって言ってくれるように、熱唱するね」
「それはないと思うけど、とりあえず橘さんが曲を気に入ってくれて良かったよ。一応、橘さんのために作った歌だからね」
「何かお返ししないとね」
「もう、この歌を作ってるときに、お返しをもらったようなもんだけどね。心構えというか、奈月がそばにいてくれることのありがたさ? そういうのを思い出せたもん。
俺はすぐ調子に乗っちゃうから、自分でもたまにこの歌詞を見直して、奈月がそばにいるのが当たり前と思わないようにするよ。
今日これから予定してる、仮眠室での仮眠だって、奈月は俺に付き合ってくれるだけだもんね」
直人はそう言いながら遠い目をしてスマホの中の歌詞を眺めていたが、急に目を大きく見開いた。
「――そうだ! 本当にお返しをしてくれるならさ、この歌詞を手書きで書いてくれない? 俺、字がすごい汚いじゃん。橘さん上手いでしょ。歌詞カードを、お守りというか、戒めというか、いつでも見直せるように出来たらさ」
「私も歌詞カードすごくほしいけど、それって奈月さんに書いてもらった方が良いんじゃないの?」
「それだと、奈月から見て変な感じになるじゃん。橘さんの作った歌を俺がやけに気に入って、歌詞カードを奈月に頼んだって流れになっちゃう」
「あーもう、やっぱり奈月さんにバラさないと面倒くさいことになるじゃん! 私、絶対に奈月さんに良い曲って言わせるからね。今日がダメでも、ギターで弾いてみるとかして、必ず良い曲って言わせて、本人に教える」
「ギターも良さそうだけど、俺のイメージだと『あなたがいるだけで』のとことか、一文字ごとに鉄琴入れる感じ。星空っぽい曲は鉄琴使うっていう、安易な発想だけどさ」
「そういうのも考えてるの?」
「セオリーとか全然分からないから、橘さんが好きにして良いけどね。『こころにいつも』のときは鉄琴かピアノがのってて、最後の『かがやいてるよ』のときは鉄琴も何ものらない静かな感じかなとか。最後が静かに終わる歌とかわりと好きだし」
「ピアノ良いかも。レナがピアノすごい上手いから、手伝ってもらって」
「あの人すごいな。栗ノ木沢さんだっけ」
「そう、栗ノ木沢レナ。ピアノのコンクールで優勝とかしちゃう人。
え、待って。レナがピアノでしょ。飯田くんはベースも出来るでしょ。内藤さんがドラムでしょ。ギター、ベース、ドラム、ピアノ……」
遥は、興奮しながら指折り数えて
「バンド組めそうじゃん! すごくない!?」
と直人に笑顔を見せた。
「俺は音楽に詳しくないから、ベースがどうとか言われてもよく分からないよ」
対照的に、直人は冷静だ。状況があまり把握出来ずにいるのである。
「なんでよもー! なんか私、ゾクゾクするんだけど!
なんていうかさ、この曲を早く完成させたくない!? ちゃんと楽器の音も乗せた状態で聴いてみたくない!?」
「まあ、ちょっとね。小説書いてるくらいだから、こういうのをチビチビいじるのって大好きだし」
「私、みんなにこの曲に興味持ってもらってバンド組む!」
「いや、無理だって。素人が適当に作った一曲目で興味持つわけないよ。十人に一人しか喜ばないんだから、今日のメンバーからあと一人興味持てば良い方だよ」
「そう考えると、奈月さんがその一人かもしれないね」
「そんな都合の良い話ないよ。気に入ってくれたら奇跡だよ」
「奇跡だからこそ燃えてこない?」
「俺はもう、橘さんが気に入ってくれただけで大満足で」
「えー? でも奈月さんに隠しておくのはもったいないよ。歌を気に入らないことはあっても、嫌がったりはしないんじゃない?」
「うーん……」
直人は、天井を見上げて考え込んだ。
つられて遥も上方を眺め
「わ、天井高い……初めて気が付いた」
とつぶやいた。
直人はしばらく宙をぼんやりと見つめてから、ふと口を開いた。
「……奈月は結構面倒くさいとこあるから――」
「あ。私の悪口言ってる」
と、直人の背後から奈月の声。
直人は口から心臓が飛び出るかと思った。
次回、五日以内に更新したいです。