無理なんだよ
「俺、もう大丈夫そうだけど。そろそろみんなでお風呂に行く?」
直人は床を見ながらそう言って、紙コップに残っていた水を一気に飲みほした。
隣のソファーに座ってようやく一休みしていた奈月が、笑った。
「うわ、タイミング悪。
今さっき、桜子がレナさんたちとゲームコーナー覗きに行ったばかりだよ。どんなゲームがあるかだけ見ておいて、お風呂の中でレナさんにゲームの説明するんだって」
「そういえば、飯田とかもいないんだな」
と、見渡して気付く直人。
「私がさりげなく呼びに行く?」
「いや、そこまでしなくて良いよ。
元々自由行動だし、正直もうちょっとここで休みたい。どんなゲームあるか知っておくと、お風呂の会話も盛り上がりそうだしね。
なんなら、奈月も映画とか確認してくる? スケジュール表とかがあるか知らないけど、何時からどういう映画か分かっていれば、それに合わせてお風呂から出れば良いし」
「あ、そうだね。昔は聞いたら何時からどの映画って教えてくれたような。そういうの調べて来ようかな」
「行く? 行くならナンパとかされないように、なるべく大勢で行ってね」
「了解。もし具合悪くなったら連絡してね」
「平気だと思うけど、万が一悪化したら遠慮なく呼ぶ」
「んじゃ、待っててね。パッと行ってくる」
奈月はそう言い立ち上がると、
「私これから、映画のスケジュールや漫画のラインナップをちょっと調べに行ってみます。興味がある人は、良かったらいっしょに来て下さい」
と、みんなに聞いた。
「それ、私たちも行って良いですか?」
「まだ森田先輩ダメそうだし」
後輩の夢子と里子が、奈月に近寄り遠慮がちにたずねた。
「あ、二人ともバスの貸しきりに協力してくれてありがとう。
おかげで、森田くんいつものバスよりは元気だよ。もう治りかけてる」
「これで元気なんですか? バイトの後より疲れた顔をしてるんですけど」
夢子が、ポンポンと直人の頭を叩いた。
「いや、今回は昔と比べるとかなり気楽だったよ。本当にありがとう」
と、直人。
「別に良いですよ。二人で遠慮なく、たかりまくりますから。コーヒー牛乳にエビフライにゲームコーナーに……」
「うわ、そっちの方は頭が痛いな……」
直人が苦笑する。
「まあ先輩は、今日ここで面白い映画がやってることを祈っておいて下さい。映画が良ければ映画を観るんで、少し安く済みますよ」
奈月は微笑んだ。自分に仲の良い異性の先輩がいたら、きっとこんな風に接するだろうと思った。
「よし! じゃあいっしょに映画調べに行こ。途中でジュースとかおごっちゃう」
「大丈夫ですよ? 森田先輩に後でおごらせるんで」
夢子が、やや慌てながら遠慮した。
「もちろんあいつにはおごらせるけど、私もおごりたいの。ダメ?」
「ダメどころか嬉しいですけど、大丈夫なんですか? 押田さんはバイトしてないんですよね?」
里子が聞いた。
「バイトは父親と彼氏に禁止されてるけど、節約しながらおこづかいでなんとかやれてるから。任せて」
里子は
「バイト禁止って、森田先輩わりと束縛強いんですか?」
と、奈月に聞いた。
「あ、ごめん。大げさに言っちゃった。
直接禁止されたわけじゃないんだけど、理由なくバイト始めようとしたら多分心配するか嫌がると思う」
「そういうのって、面倒ですか? 嬉しいですか?」
「私の場合、嬉しいかな。子供の頃と違った大人の女扱いされると、どうしても嬉しくなっちゃうんだよね。
全然話が出来なかった頃も、痴漢とかの心配はしてくれて」
「それ、好きなのをアピールされてたんじゃないですか?」
夢子はそう思った。
「いや、そういうんじゃなかった感じ。
えっと、その話の何日か前? 森田くんの家に警察が来て。エレベーターで痴漢があって話を聞いてるんですみたいな。
それである日、私が鍵忘れて家に入れなくて、お母さんに連絡したの。でもお母さんはすぐに帰れないから、森田くんのお母さんに連絡して森田くん家を開けてもらおうとして。
そしたら、荷物持ちで森田くんも森田くんのお母さんといっしょに外に行ってて。森田くん、スーパーの荷物を両手に持ちながら走って帰って来てくれて。
森田くんが走るの大嫌いなの知ってたから、なんで走ったのか聞いたの。そしたら、痴漢が出たばかりで心配だったからって」
「なんですかそれ! ちょっとドキッとしたんじゃないですか?」
「かなりドキドキしちゃった。その日はそれからも、ずっと優しくて。
私がふざけてたら、もう今はかわいい女の子になったんだから本当に気を付けなきゃダメだよって言ってくれたの」
「やっぱりそれ、口説かれてたんじゃ?」
「あれって口説いてないよね?」
奈月が直人にたずねた。
「全然口説いてない。口説いてたら、家にあんまり来ない方が良いなんて言い方はしない。
男には気を付けないとって言って、俺だってこんなに優しくされたらすぐに勘違いしそうになっちゃうんだからって警告しただけ」
「それ、もう告白しちゃってるじゃん森田先輩」
と、里子が笑う。
「なんでだよ。この家にまた来るかもねって話になったから、俺なんかを信用したら危ないぞって言っただけで。
ただの事実だろ」
直人は笑い飛ばした。
しかし里子は意見を変えず、
「女子からすると、告白ですよね?」
と、奈月にも同じ質問をした。
「うーん、そこまでは思わなかったけど……。
かわいいって言ってもらえて安心したから、次の日からは学校でわざと見つめてからかった」
と、笑った。
「それ森田先輩、どんな反応したんですか?」
「目をそらして、顔を真っ赤にしてた」
「かわいいって言えるくせに、そこは恥ずかしがるの?」
興奮のあまり、敬語を忘れて直人に聞く里子。
「俺は、奈月を好きにならないようにしないとって思ってたから」
「なんでですか?」
「え!? えっと……好きになったら、バレて嫌われちゃうと思って」
誤魔化すように照れ笑いをする直人。
奈月は、直人が遥をチラッと見たことに気付いた。
あ、そうか。私に好きって言えなかったのは、遥さんに振られて弱気になってたからだもんね。
「続きは、映画のチェックに行きながら話そ?
ゲームコーナー見に行った人達が帰って来ちゃうから」
明るい声で、奈月が移動を促した。
「あ、ごめんなさい。行こうとしてたんですもんね」
やや慌ただしく、皆がついていく。
ふと気付くと、直人の他に残ったのは一人だけ。
「あれー? みんな行っちゃったね」
遥が、直人の隣のソファーに座った。
「橘さんは行かなくて良かったの?」
「映画室の中みたいな、暗い場所はちょっと……。万が一はぐれたらやだなって思って」
「そうなんだ。俺とここにいた方がまだ安心みたいな感じ?」
「うん」
直人は「どうしようかな」とつぶやくと
「珍しく奈月が離れてくれたし、ちょうど良いかも。橘さん、ちょっと話して良い?」
とたずねた。
「なんで? 奈月さんと倦怠期?」
「ち、違うよ!?」
直人は、慌てて否定した。
「遥さん、そういう冗談言う人だった?」
遥が、笑いながら口元を手でおさえた。
「いやー、相談かなと思って。
あと森田くんの小説の女の子、みんなこんな感じだし」
「ああ……俺、女子にからかわれるのが好きだからね。
でも、奈月以外の人にからかわれると心臓に悪いよ」
「奈月さんにからかわれるのは大丈夫なんだ?」
「奈月は唯一、五回に一回からかい返せるから楽しいよ」
「それ良いなあ」
「俺の小説を読ませちゃったから、最近はかなり劣勢だけどね。『私の匂いそんなに好きなんだ?』とかイチイチ言ってきて」
「そっか、小説に色々書いてあるんだ」
「そうそう。奈月の好きなところたくさん書いてたから、困っちゃったよ」
「気まずい?」
「いや、なんか元から知られてたことも多いからさほど気まずくなくて。女子の足が好きなのとか、子供の頃からバレてたし。俺が女子の体を好きなことを、この世で一番知ってたのが奈月なわけで。
ただ、奈月にとっての新要素がたまにあって、それを面白がってからかってくるから恥ずかしい」
「へー、どんなの?」
「『昔は気付かなかったけど、この人が隣にいてくれるとこんなに幸せな気持ちになれるんだな』とか、そういうのは意外だったみたい。
奈月に『いっしょにいてくれて幸せ』みたいなことは、おそらく子供の頃は言ったことなかったからね」
「あーそっか、子供の頃はそうだよね。『いてくれる』とは思わないもんね」
「実質彼女持ちだったくせに感謝してないわけだからね。贅沢な小学生だったよ」
「でも、今は感謝してるんでしょ?」
「そりゃあ、今はもろ思春期だから。あんな人、女神だよもう。ずっといっしょにいたい」
「それなのに『奈月が離れてくれた』とか言ったの?」
「いやそれは、今から内緒話がしたくて」
「内緒話?」
「でも、後ろめたい話じゃないから、橘さんは緊張しないで良いからね」
「うわ、言わないでよ! 全然緊張してなかったのに!」
「余計なこと言った?」
「余計だよ、逆に緊張したよ」
「その辺の配慮、難しいなあ」
「かなり唐突だったよ。下手だよ森田くん」
二人は、おかしくなってクスクスと笑った。
「いやその、俺、心臓が止まった話をしたらクラスの男子と少し仲良くなれて。体育の授業で、緊張しなくて良いって言ってもらえて。
それ思い出して言ってみたんだけど、ちょっと違ったね」
「なにそれ、心臓止まって大丈夫だったの!?」
「待って待って。その話、俺が男が苦手になった根底からの話になるから長くてさ。橘さんの悩みの解決にも少しくらい役に立つかもしれないから、そっちもなるべく話したいんだけど。
とりあえず内緒話の方を先に終わらせたい」
「えー。なんか、たった一日じゃ時間足りないよね」
「もし誰か一人でも今日の帰りにそう思ってくれてたら、ある意味この旅行は成功なんだけど」
「成功すると思うよ」
「そしたら嬉しいな。帰りは俺以外全員笑ってると良いなあ」
「なにそれ、どうせなら森田くんも笑おうよ」
「俺はほら、バスだから無理なんだよ」
直人があまりに情けない顔でそう言ったものだから、遥は笑いが止まらなくなってしまった。