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無愛想な直人

「出発したばっかなのにひでえ顔してる。森田のあの状態を見ると、バスに乗ってるって感じがするよ」

 飯田が、こっそり一番後ろの席を眺めると、早くも涙目になっている直人の顔が見えた。


 飯田の席に座る桜子も、真似するように直人の顔を覗く。

「うわ、しんどそう」


 直人は二人からの視線に気付く様子は全くなく、目を細めてただただ外の景色を眺め続ける。

 奈月は直人の隣で、何やら忙しそうにもぞもぞと動いている。


「なにしてるんだろ、奈月。荷物整理?」

 桜子が聞いた。前の座席が邪魔になって、桜子からは奈月の手元が見えない。


「ああ、指のツボを押してるんだよ多分。酔いにくいツボを押してもらうから、中学の修学旅行より安心って言ってた」


「酔いにくいツボなんてあるんだね」


「酔い止め飲んで、ツボ押してもらって、それでも健康ランドに行くときは八割酔ったらしいよ」


「ひえー、大変だあ……」


「でもあの人たちさあ――」

 飯田は、桜子の耳元でささやいた。

「付き合ってることを隠せないよな」


 桜子は、直人に密着する奈月を見ながら

「たしかに。あれじゃ、すぐバレちゃいそう」

 と答えた。


 飯田と桜子は、なんだかおかしくなって、顔を合わせて微笑んだ。




 直人は、最後列(さいこうれつ)の窓際の席に座っていた。左にある窓を開けて、口は半開き。大きなタオルケットをはおり、空を見ている。

 その隣の席で、奈月が嬉しそうに、直人の手のひらを指で押している。奈月の最も古いバスの記憶の中で、既にこれは定番の作業だった。当時から、自分の()()()だと思って、喜んでこうしていたのだ。


「久しぶりだけど、覚えてるもんなんだね。雪の日のタクシーのときも、思い出したら押せてたなあ」

 奈月がつぶやくように言って、

「昔は強く押したら折れそうな手をしてたから、ツボを押すのが心配だったけど、今は私よりずっと手が大きいから安心して押せるし」

 と、手のひらを合わせてみせた。


 しかし直人は、振り向きも頷きもしない。まるで聞こえていないように、ただ景色を眺め続けている。


 奈月はそれを見てクスリと笑った。

 まるで無反応なのが、昔のままだなあ。目的地に着くまでは対応する気力がないけど、いつも降りたあとでバスの中の話の返事をしてくれるんだよね。

 バスの中では不機嫌そうで、無口で、なんだか大人っぽくて、ちょっとドキドキして見てたっけ。

「右手のツボは終わったよ」

 奈月は一応そう伝えたが、返事を期待したわけではなかった。


 直人は右手で奈月の頭をなでてから、奈月の背中に手を回した。直人の行動に、奈月は思わず身構えた。

 しかし、直人の手は奈月の腰で止まり、相変わらず窓の外を見つめている。ツボを押し終わって自由になった右手で、さっそく奈月に触れたかっただけなのである。奈月もそれにすぐに気付き、安心した。


 一度ホッとすると、腰に当てられた体温が嬉しかった。奈月は、今度は左手のツボを一生懸命、押し始める。

 奈月は、直人の横顔を見ながら、子供の頃にバスの中で撮影してもらった写真を思い出していた。かつて奈月は、直人が手で前髪をかきあげたまま外を見つめている姿が大好きだった。母親にあらかじめ頼んでおいて、何度かこっそりツーショット写真を撮ってもらっていた。

 ――今の直くんがあれをやってくれたら、ものすごく格好良いかも。また、あのポーズをしてくれないかなあ……。


 奈月の熱視線も気にせず、直人は風景を気だるそうに眺めていた――。




「奈月、まだやってる。良い嫁さんになるわ」

 桜子が再び後ろを覗いて、飯田に報告する。


 飯田は笑った。

「色んな意味で、後ろの席にして良かったな。前だったらかなり目立ってた」


「後ろの席って、酔わないのかな? 小学校のとき、酔う子は一番前の先生の隣だったけど」


「なんか、首の辺りを見られてる気がして、やたら肩が痛くなるから、一番後ろの(はし)の席じゃないとダメなんだとか。

 それと、前の席だと夏も冬もなんとなく窓が開けにくいって。他にも、左側の窓の方が車をあまり見ないで済むとか、色々あってあの位置が一番好きらしい」

 飯田は、直人に聞いていたことをそのまま伝えた。


「そうなんだ。酔いやすい人って、大変だよね」


「でも森田、楽しみにしてたよ。湯上がりの押田さんの匂いを、どうしてもまた嗅ぎたいんだってさ」


「嗅がせてあげるのかな?」


「どうなんだろ。女子って、匂い嗅がれるのどれくらい抵抗あるの?」


「えー? お風呂上がりの場合?」


「そうか、風呂前後でも違うか。風呂上がりだと?」


「お風呂出てすぐなら、髪の毛とか首筋くらいなら、好きな人なら許しちゃうんじゃない?」

 桜子は、自分の匂いを嗅ぐ飯田を想像してしまい、顔のにやつきをおさえながら答えた。


「じゃあ、森田は嗅がせてもらえるんだ?」


「と思う。奈月の場合、なおさら許しちゃいそう」


「……あの二人って、二人きりのときはどういう力関係なんだろう?」


「それ気になるよね。二人が家の中でどんな風にしてるかとか、聞いてる?」


「聞いてない。そういうことは話さないよ」


「悩みとかも話さないの?」


「男は気楽な立場だしなあ。怖いのも恥ずかしいのも、基本的に女子側でしょ?」


「告白前に相談とかは?」


「なかった。正月にたまたま二人と会ったら、もう付き合ってた」


「なんかそれ、ショックじゃない?」


「それが不思議と、すげえ嬉しくてさ」

 飯田は、遥の座る方を警戒するように見てから、小声で言った。

「男子とあんまり仲が良くなかったのに、振られてからは女子とも距離取るようになってたわけだからさ。やっと女子と、こんな笑顔で話せるように戻れたんだなって」


「笑顔だったの?」


「見てすぐ、彼女かなって思った。あいつにしてはかなり自然にしてたから、付き合って結構経ってるのかと思ってたよ。

 クリスマスからって言われたとき、びっくりした」


「私も私も。クリスマスからって言われたの、お好み焼きのときだよね?」


「そう、俺もそのときが初耳。今思うと全然納得なんだけど、隣に住んでて長年の付き合いなんて、知らないからさ。付き合う前からベタベタしてたなんて思わないし」


「水くさいよねー」


 飯田はさらに桜子にくっつき、

「小説のことも、全然聞いてなかったからね俺」

 と耳元に囁いた。


「普段、どんなこと話してたの?」


「ろくなこと話してないんじゃねえかな。ゲームの話と漫画の話と」


「気になる人の話とか、あまりしないの?」


「えっ。もしかして、森田が何かバラしてた?」


「ううん。なんで?」

 桜子は、胸をときめかせつつ質問を返した。


「いや……」

 口ごもる飯田。


「え、どうしたの?」


「……広瀬さんは、どうなんですか?」


「何が?」


「気になる人の話とか、よくしてるんですか?」


「えー……秘密」


「教えてよ」


「恥ずかしいから嫌です」


「聞きたいな俺」


「うーん……」

 桜子は、返事に困った。

 飯田くんに答えてあげたいけど、バスの中じゃ、ちょっとその話題はしにくいなあ。

 どうしたものかと桜子が悩んでいると、奈月が車内を歩いてきた。

 ちょうど良いぞ、話を変えてしまおう。

「あ、奈月。どうしたの?」


「あのね、森田くん今ベルトを外してお腹を楽にしてるから、女子は俺の方に来ない方が良いって伝えておいてだって。その関係で、ゲームの質問もなるべく桜子が引き受けておいてほしいって」


「『女子は』ってことは、俺は行っても良いんだ?」

 と、飯田。


「それ私も聞いた。飯田くんは無視するって言ってた」


「ひでえ」


「でも、私も無視されてるから」


「押田さんでもダメなの?」


「うん。怒らない人は無視みたい。飯田くんは無視しても怒らないから、無視させてもらうって」


「良い意味での無視ってことか。分かった」


「ベルトのことを伝えておいてくれって言われただけだから、もう戻っておくね。たまに、思い出したようにボソッと何か頼むの」


「ああ、戻ってやって」

 飯田は奈月にそう言って前を向き直すと、少し間を置いてふと笑った。

「――ベルトかあ。たしかに、知らなかったら女子は驚くのかな?」


「飯田くんも、もし気持ち悪くなってきたらベルト外して良いよ?」


「そんなの無理無理。なんか、逆に緊張して酔いそう」


「えー? やっぱり私たち、まだ慣れてないのかな?」


「ベルト外して平気でいられるほどじゃないなあ。もうちょっと、遊んだりしたいかな」


「しようよ。今日も、ご飯いっしょに食べられたら食べてさ」


「そうだね。隣で食べたいな」


「映画も、良いやつだったらいっしょに見てさ」


「映画、当たりだと良いよね。映画が当たりだったら相当充実した一日になりそう」


「映画がダメそうだったら、男子はどうする予定なの?」


「そもそも、森田とは途中から別行動になりそう。迷ったら嫌だから、基本的に押田さんにずっと付いていく、ってさ」


「そこまで方向音痴なの?」


「仮眠室とか暗いから、一度離れたら押田さんのベッドに戻れる自信がないんだって」


「そんな暗いんだ?」


「思い出だと、かなり至近距離に行かないと顔すら分からないらしい。そんで簡易ベットしかないから、カドの辺り以外だと分かる気がしないって」


「それ、私でも迷いそう」


「だからまあ、森田とは別行動にしないといけないんだよね。

 一人でゲームコーナーでも行って、イマイチな感じだったら漫画か麻雀かなって思ってたんだけど」


「えー、いっしょに色々見ようよ」


「良いの?」


「うん。飯田くんとが良い」


「じゃあ――」

 飯田の言葉を、バイブレーション音が遮った。


 会話の邪魔をされた桜子は慌ててスマホを取り出したが、

「あれ、奈月からだよ?」

 と不思議そうな顔でつぶやいた。

「なんだろ、自分じゃ写真を撮れないから、撮ってほしいって書いてあるけど。どういうこと?」


 飯田は、直人の方を見るなり、思わず笑い出した。

「たしかに()()じゃあ、押田さん身動きしにくいね」


 桜子もそちらを見て、同じように笑ってしまった。


 直人は、相変わらず窓の外を眺めていた。ただ先ほどと違うのは、左手で髪をかきあげているのと、奈月を自分の膝の上に乗せて、右手で抱きしめていること。


「森田くん、付き合ってるの隠す気ゼロじゃん」


「というか、今の森田はそれどころじゃないのかもね。バスの中では、まず自分が安心することが先で、見られても知らないっていうか。

 森田は小さい頃、バスのなかでずっとぬいぐるみ抱きしめてたらしくて。今は押田さんがぬいぐるみ代わりにされてて、離してもらえないのかも」


「じゃあしょうがない、奈月のために写真撮ってきてやるか」


 二人は顔を見合わせ苦笑いをして――数秒手を繋いだ。


「――ちょっと行ってくるね。戻ったら対戦ゲームしよ」


「うん」

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