理子の初恋の人
放課後、公園のテーブルに男女四人。
前日の八木と理子のデートの報告を、直人と奈月は微笑ましく聞いていた。
理子の笑い声が公園に響く。
「それで八木が『良かったら、ご飯おごらせてほしいんだけど』って言うから、私そんなことで評価変えないよって言ったの。
そしたらさあ、わざとっぽく『もう二度とデートなんて出来ないだろうから、レシートを思い出にしたくて』って言ってきて。
それ再デートの要求をしてるでしょって聞いても、してないしてないって言ってさ。ウソつきだから本当におごらせてやった。
ねえ、後悔してるでしょ? お金損したって思ってるでしょ? 絶対に私からは次のデートに誘わないよ?」
理子は、嬉しそうに話しながら隣の八木をどついた。
「いや本当に、そういうんじゃないって! おごらせてほしかったんだよ」
八木は恥ずかしそうに、大きな体を丸めている。
「こいつ、緊張してお腹空いてなくてあんまり食べたくないとか言ってさ。でも私一人でバクバク食べるの気まずいじゃん?
だから無理矢理ポテトを口に突っ込んで嫌がらせしてやったの。私のこと嫌いにしてやろうと思って。
どう? 嫌いになった?」
「あんなんで嫌いになんかならないよ。もっと好きになった」
「ね? 昨日の八木ずっとこんな感じで、調子良いことばかり言うんだよ。
私が八木呼びしてるんだから、学校以外なら私のこと呼び捨てでも良いよって言ったら『好きになり過ぎて、高橋さんを呼び捨てに出来なくなっちゃったのかも』とか言って。
だから私、奈月と森田くんにこいつの言ったこと覚えててもらおうと思って。絶対大げさに言ってるだろうから、こいつが私に冷めた後でいじりまくる」
「良いよ別に、今大好きなのは本当だし。素直になれって言われたから素直になっただけで、ずっと好きだったし。それを言うか言わないかだけで。
俺も、レシート欲しがるのは気持ち悪いかなってちょっと思ったけど、欲しかったんだよ。素直にして嫌われたら仕方ないし、諦めるよ」
「八木くん、今そのレシート持ってるの?」
奈月がたずねた。
「持ってる」
「見せて見せて」
奈月の頼みを受けて、八木は嬉しそうに財布を取り出した。
「わあ、財布に入れてるんだ」
と、奈月。
「俺のお守りみたいな感じで持たせてもらおうと思ってて」
「八木くん、そんなに嬉しかったんだ」
「うん。俺、あんなに自然に高橋さんと話せたの初めてだったから。高橋さんに言われた通り、もっと素直になろうと思う」
「理子は素直な人がタイプなの?」
と聞いたのは、奈月。
「ううん。背が高くない人がタイプ」
「いきなりダメじゃん俺」
八木が嘆く。
理子は八木の反応に笑ってから、
「まあどちらかといえば、って程度の好みだけどね。私、恋したことないっぽいから、私が好きになる人がどういう人かは分からなくて」
と、照れた。
「ちょっと好きだなってなった人とかもいないの?」
「えっと……。
後で揉めると嫌だから先に言っておくと、好きだったかもくらいの人がいて。今思うと初恋かも、みたいな」
理子はそう言うと、顔がみるみる赤くなっていった。
「私もよく覚えてないくらい古い話なんだけど、なんか体験教室みたいなのに行って。そこにいるみんな、全員学校とか別々で。お互いの名前が分からないわけじゃん。
みんなの名前なんて読むのかなって、先生がクイズみたいにして。私って『高橋』はまあ分かりやすいけど『理科の理』に『子供の子』だと『りこ』って普通読んじゃうでしょ?
最初に聞かれた子は当然『りこ』って言って。分かるわけないよって思ってたんだけど、先生に聞かれた隣の男の子が『さとこ』って読んで。
その後、休憩時間に話せて。読みにくい名前だからやだって私が言ったら、その男の子が『さとる子』なんてめちゃくちゃ格好良い名前じゃん、良いじゃんって言ってくれて。
バイバイするとき、ちゃんとさとれよって言ってくれて。だから私、その男の子が勉強好きなのかもって思って、そこそこ勉強するようになったの。一日十五分って決めてる内に勉強癖付いちゃって。
なんとなく森田くんみたいな感じの男子だったんだけど、森田くんじゃないよね?」
「俺は覚えてないなあ」
直人が答える。
「つーかそれ、俺なんだけど。すごくない? やっぱ付き合う運命でしょ」
八木が、嬉しそうに理子を見つめる。
「バカ、あんたなわけないじゃん! あんたどんだけウソつくわけ?」
「いや、マジだって!
なんだっけ、サラウンド効果? サラウンドのやつを体験出来るやつでしょ? 面白そうだから親に頼んで行ったんだよ俺。
後ろから恐竜が歩いてくる音のとき、高橋さん怖がって俺の手を握ってくれたよね」
「覚えてない」
「なんでだよー。その頃にやってたゲームに、漢字は違うんだけどサトリの書っての出てきて。調べたら『さとる』って読む字は全部格好良くて覚えちゃって。理科の理で理って名前の奴がいるんだって感じで。だから『さとる子』って言ったんだよ」
「でもさ、八木は全然でかいじゃん。その男の子は私より小さかったんだよ?」
「あれ小四とかだろ? 当時は俺クラスで一番チビだったから」
「えー!? 顔も声も違くない?」
「声変わりしてんだから当たり前だろ。
じゃあウチ来て、小さい頃の俺のアルバム見てみろよ」
「それってあれでしょ、理由作って家に上げて押し倒しちゃえばなんとかなるとか思ってるでしょ。
八木がアルバム学校に持ってくれば良いだけだし」
「ちげえよ、なんであんな重たい物を持って行かなきゃならねんだよ!」
「筋トレになるから良いじゃん、好きならそれくらい出来るでしょ。大して好きじゃないから、すぐにそうやって文句言うんじゃないの?」
「分かったよ、もう良いよ! もう二度と言わねえから!
――結局俺のこと嫌いなんじゃねえか!」
八木は、突然怒りをぶちまけた。
誰も、口が開けなかった。肩を震わせる八木を、他の三人は凍りついたように呆気にとられたように見ていた。
「俺さ、あの理子が高橋理子だったのかって思ってさ。
昔から俺なんかにも優しかったんだなって思うと、すごく良い人を好きになれたな、好きになって本当に良かったって感動して。
高橋は、高橋さんはそりゃ、俺のことなんか好きじゃないから温度差は仕方ないけど。俺にとってはちょっと震えるくらい嬉しかったんだよ。
まだチビな俺の写真を見せれば、懐かしさで一分くらいは笑ってくれるかもとか、すぐにそこまで考えちゃってて」
八木の目から、みるみる涙が流れ出した。
「さすがに、これすら信じてくれないなんて思わなかったよ俺。
そりゃさ、普段は仕方ないよな。俺なんかに飯行こうとか言われても、気持ち悪いし、何されるか分からないし。断って当然だと思う。怪しむのも当然だと思う。けど今日は違うわけじゃん。
あのときのそれって俺だったんだよ、すごいよねって言っただけで。この話は信じても問題ないだろ。俺の口が滑って、家に来いとか言っちゃったからいつもと同じ流れになっちゃって、結局俺が悪いんだけど、その前に信じてくれても良いじゃねーかよ。
なんで信じてくれねえんだよ。俺、高橋さん以外にいくらウソツキって言われても、高橋さんが信じてくれれば気にならないけど、逆じゃん。高橋さんはいつも俺のこと信じてくれねえじゃん!
たまたまゲーセンで会えて声を掛けたら、女に飢えてるって言われて。好きな歌の話をしてたから話に混ざったら、女子とカラオケに行きたいだけって言われて。昨日も、記念にレシートほしかっただけなのに再デート狙いって決めつけて、信じてくれなくて。――そんで今日も!
素直にしても結局、俺じゃダメってことかよ! そんなに信じられないなら、俺のことは一生信じられないってはっきり言ってくれよ!」
「ち、違うよ? 八木。私、信じなかったわけじゃなくて……」
理子は青ざめた顔で、八木を見上げている。
「ダメだ俺、目の上がピクピクしてるから帰るわ。森田ごめん。押田さんも、高橋さんも、ごめんなさい」
八木はそう言うと立ち上がって、
「親と話してるときにもたまにこうなっちゃって、この状態しばらく続くしマジで格好悪くて。このままいたら余計なことばっか言っちゃうから、帰って頭冷やす。
ごめん。ほんとごめん」
理子は、その場を離れようとする八木の背中に、転びそうになりながらしがみついた。
「待って、違うの。ごめんね。私、信じてるよ? あのときも、八木に優しくしてもらったの、覚えてるもん。ただちょっと、大きくなっててびっくりして、それで、なんか恥ずかしくて。
八木はいつも笑ってくれるから、昨日も今日もふざけちゃって。八木が傷付いてるって聞いて、自分のこと最低だと思ったのに、忘れちゃってて。ごめんなさい」
理子は泣きじゃくりながら必死で謝った。
「ねえ、ひっぱたいて良いよ。私、殴られないと分からないから。バカだから、反省しても八木に優しくされるとすぐに忘れちゃうから」
「そんなの嫌だよ。殴りたくなんかないよ」
「じゃあ、もっと怒鳴ったりして良いよ。私が次にバカなこと言ったらなんでもして良い」
八木は、肩の力を抜いて振り返った。まだ目が潤んでいたが、優しい笑顔だった。
「――高橋さんゴメン!
ちょっとワケわかんなくなってただけで、もう大丈夫。だから、そんなこと言わないで。
俺、一回だけで良いから心の底から信じてほしくて。そしたら不安にならない気がして。信じてもらえるまで俺、頑張るから」
「私、信じてるよ。今信じてる。八木のこと、世界で一番信じてる」
「本当に? 許してくれる?」
「本当。……私も、許してくれる?」
「当たり前じゃんか」
「良かったあ……」
理子はなんとかそれだけ言うと涙が止まらなくなり、八木の胸元に顔を埋めた。
直人と奈月は安心して、八木に手を振って無言で立ち去る。
八木は、理子が泣き止むまで、そっと理子を抱きしめていた。