母の日
「わあ、箱の時点で美味しそう。いただきます」
初美の待ちわびたお昼休み。初美は目の前の弁当箱を見て、早くもヨダレが出そうだった。そう、初美がリクエストした例の焼き鳥弁当である。
「箱だけは二千五百円の焼肉弁当用のやつで。
中身は費用節約した焼き鳥弁当だから、あんまり期待しないでね」
野口が、箱を並べていく。
焼き鳥弁当は結局、最初から食べる約束をしていた直人と野口に、初美と奈月の分を足した四人分となった。
直人が、早速中身を確かめる。
「美味しそうだし、高そうだね。焼き鳥丼の丸い焼き鳥をイメージしてたら、四角だし」
四角に切られた焼き鳥を見て、直人が言った。
「美味しい! 本当に焼肉屋の味と形!」
一口食べるなり、初美が目を輝かせた。
「俺の場合はもう少し適当な形に切るんだけどね。
親父に説明したら、万一にも食中毒にならないようにって、張り切って作り出しちゃってさ」
野口は照れ笑いを浮かべた。
「えっ、お父さんが作ってくれたの!?」
驚いた初美が、二口目が少し中に残っている口をおさえながら野口に聞く。
「そう。だから衛生面とかは安心して。親父はそこら辺めっちゃ厳しいから」
「野口くんごめんね、お父さん怒ってなかった?」
「いや、喜んでたよ。俺の作った弁当が友達に評価されたと勘違いしたっぽい」
「実際、これ考えたのはすごいと思う。私、お弁当でこんなに美味しいと思わなかった」
「俺のはここまでよく出来てないけどね。
親父は俺の料理にわりと甘いこと言ってくれるんだけど、同じもん作るとやっぱ全然腕が違うわ」
「野口くんのお父さん、野口くんにはお店を継いでほしいの?」
「分かんねえ。言われたことないし、聞いたことないし。カジュアルに飯作るのはわりと好きなんだけど、親父がすごすぎて仕事としてはまだ勇気出なくて。この弁当も、俺が作ったときとは別物過ぎる」
「そんなに違うんだ?」
「包丁の入れ方がもうね。舌もすごいけど、まず包丁だね。
キャベツの千切りとか早くて細くてすげえんだ。俺、親父のトンカツが一番好きで。店の豚肉余ったら大体トンカツにしてもらって、キャベツ食いまくって。なんかしらねえけど機械がカットしたキャベツとは違って。
親父とケンカしたら晩飯食えないから、なかなかケンカ出来ないんだよ」
「お母さんはあんまり料理しないの?」
「ああ、昔は作ってくれてたんだけど、小五のときに死んじゃったんだよね」
「あ、ごめんね」
初美は、少し慌てて謝った。
「大丈夫。ウチはちょっと恵まれててさ、母親の飯が今でも食べられるんだよ」
と、野口は笑った。
「親父が母親の料理のレシピ残してて、命日には母親の料理を二人で作って食べてるんだよ。ウチでは『母の日』っていったらその日の方で。
毎年、結構楽しみなんだよね。オムライスとか、普段は作らないもの作れて、食えて。味噌汁なんて完全に思い出と同じ味で、涙出るくらい美味くて。
俺は小学生の頃すげえ病弱で、よく母親に心配かけてて。疲労骨折しやすいのは何が原因なんだろうとか、栄養も色々考えてくれてたみたいで。その頃の母親の料理のおかげで、今の健康があるんじゃないかって思ってて。
だからか、今年もちゃんと元気に母親の料理を食べられてるって思うと、逆に幸せな気持ちになって泣きそうになっちゃうんだよね。だって、もっと小さい頃に母親を亡くした人もたくさんいて、その内ほとんどの人が母親の料理を二度と食べられないわけだし。本当にただの味噌汁なんだけどすげえ染み込んできて。恥ずかしいけど、中二の『母の日』までは毎年泣いてた」
「全然恥ずかしくないよ! 私も絶対に泣いちゃうと思う」
「そうかな?」
「私にすらお父さんの家族への愛情が伝わってくるもん」
「愛情!? 愛情って考えたことなかったな。考えるとちょっと気持ち悪いっていうか」
「お父さん、野口くんとお母さんが大好きなんだよきっと。
今日だって、プロの人がお弁当を四つも作ってくれるなんてすごいことだし。
このお弁当の分、私にお店で仕事させてほしい。少しでもお返ししたいんですけどって、お父さんにお願いしてみて」
「いや、それはまずいよ。親父、店員さんが食材を雑に扱うと許せなくて、管理ミスとかスイッチ入れ忘れとかで食材をダメにすると、たまに怒るんだよ。
だから、見てて気まずい思いさせちゃうかもしれないから」
「私、怒られる理由がある人を怒る人は気にならないから、大丈夫」
「相手を選ばないんだってば。
前に新商品みたいなやつの試食中に、水産会社の社長がタバコ吸ったら、親父すげえ顔してさ。『私も妻が亡くなるまでは喫煙家でしたから、気持ちは分かりますが、大事な試食中に中でタバコを吸うことはないでしょう』って言っちゃって。
笹原さんにも怒っちゃうかもしれないんだよ?」
「そんなの怒って当たり前だし。もし野口くんのお父さんに怒られても、それって怒られなきゃいけないことで、私にとって良い経験になると思う。
皿洗いとか掃除くらいしか出来なくて邪魔になるかもしれないけど、それで良ければやらせて下さいって、伝えるだけ伝えておいてほしい。
だってこれ、タダで食べて良いお弁当じゃないって。美味し過ぎるよ」
「マジで親父に伝えて良いの?」
「うん。このままだと、かえって気まずいもん」
「分かった、伝えてみる。
――なんかごめんね。親父が勝手に作ったのに、気を遣わせちゃって」
「お父さんは悪くないよ。なんか私が気になっちゃっただけ。奈月の分まで頼んじゃったし」
「そういえば、なんで押田さんなの?
いや、なんでって言ったら失礼だけど。一番仲が良いのって押田さんなの?」
「え!? ええっと……」
初美は、困り顔で直人を見た。奈月の分の弁当をほしがったのは、初美じゃなく直人なのである。
「それについては今から送る」
直人はそう言って、スマホを操作した。
ほどなく、野口のスマホが光って、野口がメッセージを確認する。初美も、ニヤニヤしながらいっしょに覗き込む。
押田さんと同じご飯が食べたかったから俺が頼んだ、と書いてあった。
「え、そういうことなの!?」
野口は思わず初美に聞いた。
「実はそうなんだよね」
クスクス笑う初美。
「詳しく聞きたいんだけど」
「私も言いたいけど、ここじゃ無理だしどうしよう。ファミレスで四人で勉強会して帰る? 私、野口くんが教えてくれたラムの串焼き、すごく気に入っちゃって」
「あれも美味しいよね。食べたいな」
「食べよ食べよ」
直人は申し訳なさそうな顔で
「ごめん。俺と押田さん、今日はダメで」
と謝った。
「ほら、高橋さんの方の話も進行してるから」
それを聞いた初美は
「ねえ、理子ってやっぱり付き合うの? 理子をからかい過ぎたせいで、デートがどうなったか教えてくれないんだよね」
と直人に問いかけた。
「まだ分からないんだけど、放課後に四人で話すことになってて」
「そっかあ。
それどれくらいかかるんだろ、早く終わったら合流とか出来るかな?」
「そうだね、早く終われば」
初美は少し考えてから
「……野口くん、それまで私と二人でご飯でも大丈夫?」
とたずねた。
「俺はもう、ダメなわけがないです」
野口は、真っ赤な顔で小声で意思表示をした。
「それじゃ、二人でゆっくり食べてようか?」
野口は緊張でもう声が出ないのか、必死にコクコクと頷いている。
直人はふと、そういえば笹原さんはわりと肉食タイプだけど、恋愛に関してもそうなんだろうかと思った。




