嫌いではない
「八木くんの恋って、見込みあるのかなあ?」
直人が微かな声で聞いた。
「話を聞いて理子が嫌がらなかった時点で、結構好きでしょ」
奈月は微笑み、小声で返事をする。
「嫌だったら森田くんに連絡させるタイプだしね」
初美も笑いをこらえながら囁いた。
結局、初美は理子の待機指示を無視していっしょに来たのである。
この三人の目線の先で、理子はスマホを耳に当てながら、初美に対しシッシッと小虫でも追い払うようなジェスチャーをしている。
「えっ早――もしもし」
理子が喋り出し、他の三人は慌てて口を閉じた。
「いやびっくりしてさあ。出るの早くない? まさかずっとスマホの前で待ってたの?」
「……でもそれさ、森田くんの報告を待ってたってことでしょ? 間接的に私の反応待ちじゃん。私そういうの苦手だからさ、次から待たないでくれる?」
「八木が気にしなくても私は気にするの!
うん。だってさあ、気分的に寝落ちとか出来なくなるじゃん。のんびり連絡するのが好きなの。家では睡眠とお風呂が最優先だから私」
「そうして。私、返事遅くなっても全然気にしないタイプだから。うん。約束ね。
何よ、今日はずいぶん素直じゃん。ううん、気持ち悪くない」
「本当。森田くんの話を聞いてて思ったんだけど、森田くんと話してるときの八木ってかわいいっぽいもん。八木は素直な方がかわいいよ」
「そうそう。素直になんでも言ってみれば良いじゃん。言わないと気持ちなんて伝わらないよ?」
「……ちょっとそれは素直過ぎでしょ。急に言わないでよ」
理子は、顔を真っ赤にしながらそう言った。
おそらく告白されたのだろうと、直人は思った。
他の二人も同じことを考えていて、三人はニタニタと笑い合った。
「――本気なの?」
「うん、もう聞いた。私に迷惑かけたくないとかって話だよね?」
「それさあ、八木の中で確定なの?
じゃあさ、私が嫌いって言ったらその瞬間に完全に諦めるわけ? 努力して見返そうとか友達として頑張ろうとかないんだ?」
「な、泣かないでよ! ごめんね、言い方悪かったよね。怒ってないから。情けないとかじゃないよ」
「大丈夫だってば。考えがダサいなんて思ってたら、今話してないから。こんなことで嫌いになんかならないから。
例えば、八木とご飯食べたり遊んでるときに八木が痴漢とかしてきたら嫌いになるけどさ。私、普通にしてる人はいきなり大嫌いにはならないよ」
「そう。私、痴漢とか大っ嫌いだから。え?」
「なにそれ。うん、分かってる。大分前の話ね?
うん……事故で私の胸に肘が当たっちゃっただけなのね?
えーごめん、全然覚えてないんだけど。それいつ? 六月!? そんな古いことまだ覚えてたの!?」
「ずっと謝りたかったって言われても、全然気にしてないんだけど。
八木がバカやってて、私に肘がぶつかって? 私が『なんなのもー』って怒ったの? 全っ然覚えてないわ」
「そんなこと気にしてたの? 多分、そこまで怒ってないと思うよ。
こういう奴嫌いだわってその日は警戒して、でもその後の八木がまともだったから忘れたんだと思う。まともではないか、ギリギリかな?」
「バカ、ギリギリって言われて普通喜ばないよ? あーまあそうだけどさ、クラスで一番嫌いな男子ではないってことにはなるけどさ。
そっか、それで嫌われてると思ってたんだ。違う違う。そんなイメージ全く残ってないもん。
それより私は、モテるフリされる方がムカつくんだけど」
「モテるフリしてるじゃん。なんかどっか遊びに行ったりとか。誰かと回転寿司行ったとか」
「森田くんのバイト先に食べに行ったの!? なんで相手を隠したの?」
直人は急に話題に出されて、まるで自分が怒られているような気になった。
慌てて
「それは俺が、あんまり言わないでって言ってたからだと思う」
と説明する。
理子は直人に目と手と口パクで謝り、
「分かった。ってか森田くんも同じこと言ってる」
と笑ってみせた。
八木の話をしばらく黙って聞いていた理子が、
「じゃあ、遊んでくれる女の子がいるわけではないのね?」
と念を押した。
「了解。……八木さあ、今は普通に喋れてるよね。
なんでいつも私に変なことばかり言うの? 真面目な話、素直にしてればわりと格好良いのに」
「別にそれだけで嫌いになるとかじゃないけどさあ、もったいないと思って。
ああ、慣れとかそういうことなの? 近くにいるとダメなんだ?
顔がダメって言い方悪くない!? いや、かわいいって言われてもそれはそれで困るんですけど。うん。声だけの方が話せるって意味ね」
「……なにそれ、面倒くさっ! 大体、アイマスクしてる八木と笑わずに喋り続ける自信ないし。教室とかでどうすんのよ?」
「八木が恥ずかしくなくても私が恥ずかしいでしょ! なんか私が八木に罰ゲームさせてるみたいに見えて、絶対に何か聞かれるやつじゃん」
「えー、教室でわざわざチャットすんの? 初美が覗いてきそう。
んじゃさあ、沈黙して当然みたいな場所は?
八木が喋りたくても喋れない所にたくさん行ってさ、私が近くにいることに慣れれば良くない? 一回映画でも行ってみる?」
「その反応、何の期待!? 痴漢はマジで一発アウトだからね。
うん、間違えて触っちゃったとかは良いよ。あ、もしかしてわざと手を繋ごうとしてる?」
理子は少しリラックスしてきたのか、クスクス笑っている。
「ううん、信じてるよ。なんで? 映画そんなに好きなの?」
「私目当てかよ、ったくー。……そんなに嬉しい?」
「はいはい、まーた大げさに言って。
……いや、私も楽しみですよ?」
「本当。じゃなきゃ、誘ってあげないし」
「それは良いんだけどさ、まだ森田くんたちといっしょだし、私のスマホ電池切れそうだからさ、詳しいことは明日話そ?
――何言ってんだか。大丈夫、夢じゃないよ。そうそう、自分でほっぺたつねっとけ。
うん、また明日ー。じゃねー、おやすみー。
眠れそうになくても寝ろ。明日の授業中に寝たりしたら、映画キャンセルだからね。
ゆっくり寝て良い夢見なさい」
「バカ、そんなこと謝らなくて良いの。それだけ私のこと好きってことでしょ?
分かってれば怒らないから大丈夫。笑うだけ。……じゃあ、たくさん笑ってあげる。
もう本当にじゃあねするよ? はーい、おやすみなさい」
理子はスマホを耳から離すと、声色を戻してこう言った。
「八木がバカ過ぎて、いっしょに映画行くことになっちゃったんだけど! なんで!?」
初美はケラケラ笑いながら、
「理子からガンガン誘ってたじゃん」
と指摘した。
「どうしよう。初美、いっしょに来てくれる?」
「やだし。八木くん、絶対に二人きりだと思って楽しみにしてるもん。
せめて、映画の話をしてたときに友達連れて行って良いか聞いておかないとダメでしょ」
「違うの! 八木がいつもと違って泣きそうな声ばかり出すから、とにかく早く慰めないとって思って。
弱々しい声で、大好きになっちゃってとか、かわいいとか、話せるだけで幸せとか言ってくるし。
最後なんてバカなんだよ? 明日まともに喋れないかもとか謝ってきて。
なんなのあいつ、ズルいでしょ」
「うわ、分かる」
奈月が嬉しそうに相づちをうった。
「直くんもそうやって甘えてズルしてくるときある。さっきの、仲直りする練習の話のときもそうだし。
冷たく出来ないの分かってて、わざとやってるんじゃないかって思う」
「分かりたいけど経験ないわあ。私にも彼氏くれよー」
初美は、すねたフリをして奈月と理子を笑わせた。
直人も笑顔になったが、こちらはどちらかというと、初美が口に出した単語に直人が喜んだことによる笑みだ。
「おっ、笹原さん。今、彼氏がほしいって言ったよね?」
と、すかさず初美に聞いた。
「え、何!?」
「そんな笹原さんに、耳寄り情報」
「やだ、なんか怖い」
「笹原さんを好きな男子がいるんですよ」
「よっし、初美も恥ずかしい思いしろ!」
理子は嬉しそうに言った。
理子の言葉を聞いた初美は嫌な顔をしながら
「性格悪っ! 八木くんに明日、理子の性格の悪さチクっちゃうよ?」
と理子を脅した。
「べ、別に八木なんかどうだって良いし!」
「そんなこと言って良いの?」
「あんなやつ、ちょっとからかっただけだし」
「じゃあ、八木くん大嫌いって言ってみ?」
「……やだ」
「好きになっちゃった?」
「なってないけど、初美に従うのはシャクだから言わない」
「八木くん好き?」
「好きじゃないから」
「嫌いってこと?」
「普通」
「好きか嫌いかならどっち?」
「……嫌いではない、かな?」
理子は、顔を真っ赤にしてそう言った。




