言いたいんだけど
「奈月、痛くない?」
「ん……気持ち良いよ、直くん」
「そっか」
「疲れたら休んで良いよ?」
「もうちょっと」
「あっ、今の良いかも」
「これ?」
直人は親指に力を込め、奈月の肩を揉んだ。
「あ、それ良い……」
奈月はゲームのコントローラーを持ちながら、二枚重ねた座布団の上にぺたんと座っている。その後ろで直人があぐらをかきながら、奈月の肩に手を乗せている状態だ。
「なんか俺がトイレに行ってる間に二人の座布団が合体して、ずいぶん楽しそうにしてるけど。なにあれ」
飯田が、経緯を桜子に聞いた。
「私もゲーム画面の方に集中してたからよく分からないんだよね。森田くんがボソボソ言ってて奈月が『えー!?』とか言ってて、いつの間にかああなってたの」
「仲が良いなあ……」
飯田はため息をついた。自分の家でイチャイチャされているというのに、今の飯田には腹立たしさよりうらやましさの方が強いのだ。
直人は照れ笑いをしながら、
「いや、俺って体力ないし腕の力も続かないじゃん?
今日は夜のマッサージの予定があるから、その中の肩もみだけでも今やらせてくれませんかって頼んで。ごめんごめん」
と謝った。
「なんか最近さあ、急に忙しくなって腕が足りないんだよね。奈月を抱きしめたいのに小説も書きたくて。全然ゲームとかやれてなくて。
今日みたいに奈月にゲームやってもらってその間にってのは、わりと良いかもしれない」
「そうそう。明日から私が代わりにゲームしてあげるから、直くんは私のマッサージでもしてれば良いんだよ」
桜子は好奇心から、
「肩以外にどんなとこマッサージするの?」
と、つい聞いてしまった。
「どこまで許されるんだろ。昔は、足とか太ももとかを揉ませてもらってたけど」
直人が、嬉しそうな声で答えた。
奈月は逆に、不機嫌そうだ。
「そうそう。この人、足ばっかりなんだよね。スカートの中を見ようとして」
「バレてたの?」
「当たり前でしょ。試しにスカートじゃない日に足揉ませてみたら、めちゃくちゃやる気なかったじゃん」
「だってさあ、どうせマッサージするなら足が動くたびにスカートが揺れた方が良いもん。飯田なら分かるよな?」
急に話を振られた飯田は
「俺に聞くなよ!」
と、嫌な顔をした。
「でも飯田も、広瀬さんにマッサージしてあげたい気持ちはあるでしょ?」
「やめろ、無関係な俺を巻き込むな!」
「無関係じゃないかもよ。広瀬さんさっき、飯田が頼んだら肩揉みさせてあげるって言ってたから」
「へ!?」
桜子は、飯田に見つめられて赤くなりながら
「いやその、土下座されたら広瀬さんどうするって言われたから。良いよって」
と小声で答えた。
「なんだ、そういうことか。あんまり紛らわしいこと言うなよ森田、広瀬さんが困るだろ」
飯田は森田に一応そう言ったが、口元は嬉しそうにしている。
「でも肩揉みって、信頼されてるって感じですごく嬉しくなるよ。飯田もやらせてもらえば?」
「俺は良いよ。広瀬さんに迷惑かけたくないし」
「いや本当に、下心とかじゃなくて。
俺さ、橘さんが俺と握手出来たとき、わりと感動したんだよね。
まあ橘さんの場合は特別難しい状態だけど、そうじゃない人でも異性に触るってすごくハードル高いことじゃん。それを改めて感じたっていうか。
奈月と付き合う少し前の、奈月が俺の髪に触ってくれたり、ひざまくらしてくれたり、手を繋いでくれたりしたときの幸せな気持ち、あのとき思い出してた。
好きな人同士で触ると気持ちも伝わるし、落ち着くよ」
「……森田の言うことすごく分かるけど、俺の場合だときっと、欲望を俺が隠しきれてなくて、広瀬さんが同情してくれてるから。
広瀬さんに触るの許してもらって、優しさ利用して触るって卑怯っていうか……」
「広瀬さん、触られたくないやつには絶対肩揉めなんて言わねえよ。
日頃から肩こりに困ってる広瀬さんが、飯田に肩揉みを頼んでるんだよ」
「別に広瀬さん、肩こりに困ってないでしょ」
「バカお前、女子には胸があるんだぞ! 昨日も広瀬さん、肩が痛くて夜泣いてたんだからな」
「ウソつくなよ。昨日は俺、広瀬さんが寝るとこ見てたよ」
「えっ!?」
直人は一瞬、耳を疑った。
「なんだよ。寝顔見てる仲なら、肩くらい揉んだって――」
「ち、違うの! 昨日はビデオ通話してて!」
桜子が慌てて話を止めた。
「飯田くんの寝顔が見たくて、飯田くんが寝るまで頑張って起きてるって言ってたんだけど、私が先に寝ちゃって。同じ場所でいっしょに寝てたわけじゃないの!」
「飯田、なんで先に寝てあげなかったの?」
直人がたずねた。
「そんなの、寝られるわけないだろ」
飯田は恥ずかしそうに、ぶっきらぼうに答えた。
「あっそうか、ごめんごめん!」
「なんだよ、変な謝りかたすんなよ」
「いや、たしかに先に寝られるわけないなと思って」
桜子が不思議そうな顔をして、飯田を見た。
「何? 飯田くんって、寝顔見られるの嫌なの?」
「違う違う」
直人が面白そうに桜子に声を掛けた。
「好きな人と夜に話してると男子はどうしてもさ――」
「説明しなくて良いから!」
飯田が、直人の言葉をさえぎった。
「もしかして飯田くん、話しててつらかったの?」
桜子は、心配そうに飯田に聞く。
飯田は
「いや全然! 俺、変なことは一切考えてなかったから大丈夫」
と、桜子から目をそらしながら答えた。
「いくらなんでもウソくせーよ飯田。好きな人と長時間話してて、一回も変なこと考えないわけないだろ」
直人がからかう。
「私、飯田くんに悪いことしちゃったのかな?」
桜子が直人の方に振り返って聞いた。
「別に、飯田が勝手に発情してるだけだから。広瀬さんは悪くないよ」
「飯田くんすごく紳士的で、全然そんな風に感じなかったんだけど」
「紳士的な飯田って見たことないけど、どんな感じだったの?」
「私がうとうとしちゃって目を閉じたら『桜子さん、無理しないでもう寝た方が良いよ。そのまま寝ちゃいなよ』とか『おやすみ、桜子さん。もう切るよ』とか『桜子さん大好きだよ』とか、優しい声で言ってくれたんだよ」
桜子のその発言に最も驚いたのは、飯田だった。
「えっ、広瀬さん起きてたの!?」
「ギリギリ起きてて、聞いちゃってた。ごめんね?」
桜子が手を合わせ、かわいい仕草で謝った。
「いや、良いんだけど。変なこと言っちゃって……すみません」
「そう! 飯田くんが緊張させること言うから、肩がこっちゃって。飯田くんのせいだよー」
桜子はわざとらしくそう言い、自分の手でつらそうに肩を揉んだ。
「マジごめん」
「ごめんだけー? あーあ、肩痛いなあ」
「じゃあ、あの……肩、揉んだ方が良い?」
「そうね、飯田くんが嫌じゃなければ頼もうかな」
「俺は全然、いくらでも!」
「それじゃお願いします」
「も、森田! 肩揉みってどうやるんだ?」
桜子の背後に座ってみたものの、飯田は何をすれば良いかさっぱり分からなかった。
「ん? 俺はやり方知らないよ。適当に揉んでれば広瀬さんが何か言ってくれるだろ。まずは肩に慣れることが肝心だから、肩をぎゅっと掴んどけば良い」
「そんな適当な……」
飯田はぼやいた。
「――広瀬さん、触るよ。ごめん」
「はーい、どうぞ。うわー、手おっきい。あったかい」
「広瀬さんの肩、折れそうで怖いんだけど……」
飯田はそう言いながら、おそるおそる肩を揉み始めた。
「飯田さあ、二人きりのときに桜子って呼んでるなら、別に俺らの前でもそう呼んで良いんだぞ?」
「一保くん、呼んで良いんだぞ?」
桜子がかわいい声で直人の語尾を真似た。
「さ、桜子さん」
「うん」
「桜子さん、痛くないかな?」
「うん。もっと強くしても大丈夫だよ。子供がおばあちゃんの肩をグーで叩いても大丈夫なんだから」
「ああ、そうだよね」
「うん、あー良いかも。わ、うわ、気持ち良い……」
「やべえ。桜子さんに喜んでもらえるの、すごく嬉しい」
「飯田、広瀬さんのこと呼び捨てちゃえば?」
直人が嬉しそうに言った。
「いや、それはまだ良くないよ」
飯田は桜子の肩を揉みながら、頬を熱くしている。
「飯田のこだわりというか、飯田の中でどれが良くてどれがダメなのかが分からないんだけど。たこ焼きを『はい、あーん』って広瀬さんに食べさせてもらうのはアリ?」
「それはまずいんじゃないかな」
「広瀬さんが急に具合悪くなって、飯田のベッドで仮眠を取るってのは?」
「そんなの、オーケーに決まってる」
「広瀬さんの足がつって、足をおさえててほしいって言われたら?」
「おさえる」
「広瀬さんが、肩揉みのお礼にひざまくらで耳掃除をしてくれるって言ったら?」
「それ言ったら、桜子さんがしなきゃいけない感じになるから言えない」
「してほしい気持ちはある、と」
「そう思っちゃうのは仕方ないだろ」
「広瀬さんが他のゲームもやりたくなって、泊まって良いか聞いてきたら?」
「それは、またいつでも遊べるから違う日にまた来て下さいって説得する」
「明日、広瀬さんに家に呼ばれたら?」
「みんなで?」
「二人きり。親もいない」
「二人きりは、まずいよ」
「別に、飯田が何もしなきゃ平気だろ?」
「いやー……」
「よく分からないなあ。俺が奈月にクリスマス呼ばれたとき、やったーって思ったけど」
「そりゃお前、子供のときでも行ったことあるのとないのとじゃ、ハードルの高さが違うだろ」
「そうかなあ。クリスマスいっしょに過ごせるって思ったときはドッキドキで、部屋に入るときもめちゃくちゃ緊張したけど。
――ふう。ダメだ、もう俺の腕じゃ力入らない。休憩する」
直人は、奈月の肩から手を離した。
「ありがとう、すっごい気持ち良かったよ。ゲーム代わる?」
奈月はゲームのコントローラーから手を離した。
「じゃあちょっとステータス振り直したりするかな。その間ひざまくらー」
直人はコントローラーを持ち、奈月のひざに頭を乗せて寝転がった。
奈月は何も言わず、直人の頭をなでる。
「おいおい、うらやましいぞ」
飯田が本音を漏らした。
「飯田が頼めば、広瀬さんもひざまくらしてくれると思うよ」
直人は飯田の方を見ず、ゲームをしながらそう言った。
「付き合ってもないのにそんなこと頼めねえよ」
「付き合って下さいって言わないの?」
「言いたいんだけど……」
飯田がすぐにそう言ったことに驚いた直人は、コントローラーから手を離して飯田を見た。
飯田の頬には、涙が流れている。桜子はうつむいて、自分の肩に置かれた飯田の手をぎゅっと握りしめていた。
重なった二人の手は、小さく震えていた。




