ピザと寿司
奈月に彼氏がいないことを聞いて、一度は安心した直人。
しかし、少し冷静になって考えてみると、今度は奈月を部屋に呼んでしまったことに気付き、顔を赤くした。
直人は困った。
「聞きたかったことは解決しちゃったけど、どうしよう? 来てすぐ帰れってのも変な感じだけど。
足のマッサージさせてもらえる?」
「あ、うんと……帰りがけにとっとこうかな?」
「なにそれ、どういうこと?」
「しばらく居座るってこと」
「ええ……?」
「今日は私が部屋に呼ばれたんだから、遠慮しない。急に来てくれって言ったのは森田くんだもん」
「だって、新婚病について調べてたら『彼氏といちゃつくのもほどほどに』とか書いてあったからさあ。早く連絡しないと彼氏といちゃついちゃうと思って」
「心配してくれたんだ?」
「まあ……」
「彼氏いなくて、嬉しかった?」
「ホッとしたよ。良かったって思った」
「それだけ?」
「え?」
「男子ってさ、彼氏いないなら俺の女にしちゃおうかとか……」
「ああ、それは大丈夫」
直人は明るく口を開いた。
「俺、勘違いして女子を困らせちゃったことがあって。すごく反省して、それからは女子が多少話してくれても、絶対に誤解しないようにしてるんだよね。
だから気にしないで頼って良いよ。俺が押田さんとどうこうとか、そんなこと考えるの失礼って分かってるから」
そう言うと直人は、奈月を安心させようと笑顔を作った。
奈月は、胸が締めつけられた。直人の笑顔がいつもとどう違うかは分からない。でもなぜか、まるで泣いているように奈月には見えた。
「……私、聞いちゃいけないこと聞いちゃった?」
「ううん、別に平気だよ。
押田さんはさ、なんか変な奴が勝手に張り切っててちょっと気持ち悪いな、くらいに思っててよ」
直人の照れ笑いを見て、奈月は微笑んだ。
良かった。森田くん、いつもの笑顔だ。
「えー、それ気持ち悪くないじゃん。嬉しいじゃん」
「いや、新婚病の説明を見て慌てて部屋に呼び出して、しかも彼氏の有無まで聞くとかちょっとやりすぎなような。
嫌だと思ったらいつでも言ってね」
「大丈夫、嬉しかったよ。
本当は私が新婚病について調べないといけなかったのに、ごめんね」
「良いよ良いよ、痛いときは何も手に付かないって書いてあったもん。
俺も別に、今回は心配十割で調べたわけじゃなくてさ。新婚病なんて初めて聞いたから、好奇心半分で調べただけだよ。こう、耳ほじってあくびしながら」
直人は照れ隠しにそう言うと、耳掻きを手に取り耳に入れた。
「耳掃除、気持ち良いよね」
「違うんだよ。一週間くらい前から、横になる瞬間とかに右耳からカサカサ音がするんだよ」
「なにそれ、一週間ずっと?」
「たまにそういう風になるでしょ?」
「ならないよ。変な感じしたらお母さんにやってもらうもん」
「そっか、押田さん家はそうなるのか」
「見せて見せて」
奈月は直人の耳を覗き、
「あー……」
と納得するように言った。
「えっ。何? なんか変なの? 気持ち悪い感じならあんまり見ないでよ?」
奈月は直人の質問には答えず、直人の持っていた耳掻きを奪うと、座布団に正座して「ほらほら」と自分の太ももを叩いた。
「ほらほらって言われても」
直人は奈月の太ももをまぶしそうに眺めながら、躊躇した。
制服のスカートに、寒さ対策のタイツ。寝っ転がったらとても気持ち良さそうだ。――しかし、良いのだろうか。
「耳掃除大好きでしょ? 遠慮しないで」
奈月に笑顔で手まねきされた直人は、なんだか自分だけがやましいことを考えているようで、恥ずかしくなった。
おそるおそる太ももに近付いて、
「じゃあ……」
と言いながらコロンと横になり、頭を奈月の頭に乗せる直人。
奈月の良い匂いがして、直人は顔が真っ赤になってしまった。
「……私ね、大分良くなってると思う。森田君のおかげ」
奈月は、耳掃除をしながら優しい声で喋りだした。
「そうかな、あんまり良い案出せてないけど。
それに、そんなすぐに良くなるものなの?」
「絶対に回復していってる。今、正座で前屈みなのに平気だもん。一週間前はテーブルに座ってスマホいじってるだけで、すぐにお腹ぎゅうぎゅう鳴ってたよ。
こういうのは、安心感も大事なんだって書いてあった。森田君が何かあったら助けてくれるって思うから、すごく楽になったんだよきっと」
「そうだと嬉しいけど」
「食べても大丈夫になったら私、宅配ピザ食べながらコーラが飲みたいの。……あー、下を向いてるからヨダレ出そう」
奈月は、空いている方の手で口元を拭った。
奈月は、膀胱炎のせいで好きな食べ物の多くを控えている。刺激物・炭酸飲料・チーズ・香辛料・トマト等。ピザは、完治したらすぐに食べたい物の一つだった。
「それでね、クリスマスかイブまでに完治を目標に頑張ってるんだけど、完治記念パーティー? パーティーっていうか私と森田君二人だけだけど、一緒にピザ食べてくれない?
森田君のお母さんに一応聞いてみたんだけど、まだお肉のピザ好きなんだよね?」
「ピザ食べたいなあ。大好き」
「じゃあ食べよう。私のおごりだからたくさん食べてね」
「おごりで良いの?」
「お世話になりましたから。それくらい当然ですよ。……よし、終わったよ」
耳掃除が終わって、森田君が起き上がる。
「ほら、耳の中でカサカサしてたの、これだよ多分。ちょうど跨がる感じの位置にあったから、これが響いてたんじゃない?」
奈月が、ティッシュに取った耳垢を指差した。
「おお、ありがとう。変なの鳴らなくなったかも」
「もしまたカサカサ音がしたら、言ってね」
「本当にお願いするかも。たまに音がするようになっちゃうんだよね。親に耳掃除してもらってた頃は一度もなったことないし、耳掃除が下手なのかもしれない」
「あっ、森田君の小学校前の写真見たい。アルバムとかないの?」
「そんなの、俺の部屋にはないんじゃないかな?」
直人は、自分の学習机の小さな本棚をチェックしながら言った。
「これ何?」
男子の学習机には似合わない、ファンシーな便箋が本棚に刺さっているのを見付け、奈月が手に取る。
しまった、と直人は思った。
「それはなんでもない」
「なんでもないってことないでしょ。見て良いやつ?」
「いや、見るのは良くないかも」
「えー何!? ラブレター? 彼女からとか?」
「彼女なんていないよ。そういうんじゃなくて、ただのお礼の手紙で」
奈月は、直人の説明では納得いかなかった。
「怪しい怪しい、手紙でお礼ってよっぽどでしょ!」
「あの、バイト先のお姉さんの話をしたことあるよね。お腹痛くなっちゃった人」
「うん」
「それで、我慢し過ぎは危ないですよって言ったら、お礼の手紙くれて。なんてことのない内容なんだけど、生理痛のこととか書いてあるから、本人に悪いかもしれないし。見せて良いか聞いてみる」
その話で、奈月は聞きたかったことを思い出した。
「あのさ、森田君とそのお姉さん、すごく仲が良いよね? 生理の話とかまでするなんて。いつから知り合いなの?」
「それほど仲が良いわけじゃないんだけど。えっと、人手が足りなくなったのがいつだったかな……まだ二ヶ月くらい?」
「良く話すの?」
「いや、派遣の人だから、時間が少しズレてることが多くて、さほど話せないんだ。年齢も性別も違うしね。だから最近まであまり。急にご飯をおごってくれて、それからかな?」
「どうしてご飯食べさせてくれたの?」
「それが、俺も全然分からないんだよね。なんか『おごるから帰りご飯付き合ってくれない?』みたいなこと言われて、まあ断る理由もなくて。
食べ終わったら小声で、『実は今日生理の一番きつい時で、大変だったの』って。だから、結局愚痴を言いたかったのかな?
仕事中にトイレに行かないことも、その時に言われて初めて知ったんだよね。その日に具合悪かったことも、仕事中にトイレに行かないことも、全然気付かなかったからびっくりしたよ」
「それって、なんかすごく信頼されてるんじゃない?」
「俺も生理の話なんてされたの初めてだし、しかも食後なんてびっくりしたけど、信頼とかじゃないと思う。バイト先のその時間、女の人がいないから仕方なくガキの俺に愚痴った、とかじゃないかな。お姉さんだし、俺なんか男と思ってなくて、恥ずかしくないのかもしれないなって」
果たしてそうだろうか、と奈月は思った。
生理で苦しい時にわざわざ自分から帰宅を遅れさせて、なんとも思っていない男を食事に誘うものだろうか。愚痴だけが目的なら、さっさと家に帰って女友達に電話をすれば良いだけだ。小声とはいえ、異性に飲食店で生理の話をするなんて、今の私ならとても出来ない……。
「うーん……」
考え込んだ奈月が唸った。
「とにかく、今度バイト先に来てみない?
手紙見せて良いかお姉さんに聞いてみるよ。従業員がもらえる安くなるクーポンがあるんだけど、知り合いも使用可能だからさ。お吸い物なんて無料になるんだよ」
「そういえば、バイト先って何屋さんなの?」
「回転寿司なんだけど、膀胱炎にはどうなんだろう。大丈夫なのかな?」
「食べたい!」
寿司が好物な奈月は、一気に機嫌が良くなった。