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絶対に信じる

 奈月が鍵を忘れたその日、奈月が直人の家に入って最初にしたことは、買い物袋の中身を冷蔵庫に詰め込むことだった。


「どうせウチの親がすぐに帰ってくるんだから、こんなことしなくても良いのに」

 文句を言いながらも直人は、嬉しそうに袋から物を出して奈月に手渡していく。話題が見付からずに緊張が高まるよりはましだったし、高校一年になった直人にとって、至近距離で奈月の手伝いをすることは実に楽しい作業だったからである。


「良くないよ、せっかく買ったものが悪くなっちゃうかもしれないじゃん。お腹痛くなったら嫌でしょ。――よし、おしまい」

 奈月は袋を空にすると、テーブルの上で買い物袋を伸ばした。


「ウチの親もそれやってるよ」

 直人はさっさとテーブルに戻ると、奈月より先に椅子に座ってくつろいだ。普段家の手伝いもせず体力もない直人にとっては、荷物を持って全力疾走した後に冷蔵庫に物をしまえば、一仕事終わらせた気分なのだ。


「みんなやるよ。クラスでもやってるし」

 奈月も座って、袋を二つ折りにして畳んだ。


「男はやらないよ」


「あー、男子はそんな感じだよね。

 高校ってもう慣れた?」

 奈月は、なるべく平静を装うことを心がけながら話していた。気を使われて距離を置かれてしまうことが、一番嫌だったからだ。


「あんまり慣れてない」

 直人は照れずに即答した。直人の感覚だと、すぐに慣れる方がおかしいのだ。


「森田くんのクラス、髪を染めてる人いる?」


「わりと濃い人が一人いるよ。前の学校でケンカとか万引きとかして、友達を妊娠させたとかで、高校を変えてきた一歳年上の人がいて。だからやっぱり、茶髪の人や格好良い人とはあまり遊ばない方が良いよ」


「そんな人いるんだ」


「いる。だけど露骨に危険って分かる感じじゃなかったよ。俺、女子に教えてもらって初めて不良って知ったもん。見た目が普通で人あたりが良くても、茶髪はわりと怖いんだね。やっぱり女子に人気があって、普通の真面目な女子とも既に仲が良いんだよ。カラオケとか行ってるみたい。

 押田さんも気を付けてね。見た目だけで信じちゃダメだよ」


「うん。分かった」


「……押田さんも、染めてる男子の方が好きなの?」

 直人は気になって、ポツリと言った。


 奈月は直人の表情を見て、心臓を掴まれたように感じた。はっきり否定しなくてはいけないと思った。

「ううん、私は全然そういうのないよ。聞いたのは、女子が何人くらい染めてるか知りたくて」


「女子? 女子は覚えてないな。あからさまな人はいないんじゃないかな。髪の毛の色なんてイチイチ見てないよ」


 直人の言い方が本当に興味がなさそうで、奈月はこっそりと笑った。

「私のクラス、女子の何人か軽く染めてて。夏休みにちょっと染めてみたらって言われたんだけど、私がやると不良っぽくなるかなあ? お母さんに聞いたら、なぜか『森田くんに聞いてみたら』って言うんだよね」


「押田さんが染めると、俺はちょっと困るかも」


「なんで?」


「俺、あまり目が良くないから。なっちゃん――押田さんを遠くから探すときって、その黒髪で探すんだよね。何かで帽子とか被ってたりすると、途端に分からなくなっちゃって」


「そうなの?」


「うん。昔の押田さんのサラサラの黒髪、触ると気持ち良くて良い匂いがして、女の子なんだなあって、最も自分との違いを感じる部分だったから。その思い出が残ってるから、なんとなく常に髪の毛からイメージするんだよね。

 遠くにぼやっと女子が見えるとき、いつもあの髪の毛を思い出しながら探してて」


「いつも探してるの?」


「あ、いや、探してないけど」


「探してるって言ったじゃん」


「いつも探してるんじゃなくて、探すときはいつもって意味で。探してないときもちゃんとあって」

 と、直人は焦りながら弁解をした。


「どういうときに探してるの? 用事とかなら、遠慮しないでちゃんと声掛けてね?」


「大丈夫、用事とかじゃなくて。学食とかでちょっと暇なとき、あの人かな違うかなって、なんとなく見てるだけで。だから押田さんが茶髪にしても、実際には全然問題ないんだけど」


「でもとりあえず、森田くんが黒い方が探しやすいなら、髪の毛は染めない。この髪の毛だから、覚えてね」

 奈月は、両手で毛先をいじってみせた。


「伸ばしたりもしないの?」


「伸ばした方が好き?」


「ううん、今くらいの長さが一番印象に残ってるから、それが一番分かりやすい」


「そっか。じゃあ変えない」


「長いときってさ、髪の毛を手のひらとかでソファーやベッドに引っ張っちゃって、痛いってよく怒られたじゃん。あのときが怖いから、短くなったときホッとしたんだよね。だから、それくらいの長さの方が好き」


「そんな怒りかた、今はさすがにしないけどね」


「そうだよね。ごめん」


「昔の私、そんなすぐ怒ってた?――よね、多分」

 奈月は顔を赤らめた。


「しょっちゅう引っ張ってたのに、俺がいつまでも学習しなかったから、仕方なく怒ってくれたんじゃないかな? ベッドで抱きしめるときに、よく髪の毛ごと引っ張っちゃったり、体勢変えるときに肘とベッドに挟んじゃったりして。ノックされて慌てて起きるときとかも、挟んだままで」


「うわ、あったね。たしかに怒ってたかも。眠れそうだったときに引っ張られると、びっくりするわ痛いわでさ。そういうときの私は怖かったかもね」

 奈月は思い出すと恥ずかしくなって、照れ笑いをした。


「だけど当時の俺には、髪の毛を気にしながら動くのは難しかったなあ。やっぱり、押田さんを大切にしようって思う気持ちが足りてなかったのかなあ。ごめんね、髪の毛」

 直人は、ひどく後悔した様子で奈月に謝った。


 奈月は、一度は落ち着いた心臓の鼓動がまた早くなってきたのが、自分で分かった。

「ううん、仕方ないよ。私も、動くの邪魔になるところにばっかりいたから」


「短くなったらすごく抱きしめやすくなったから、安心しちゃった。今の方が良いって言ったから、続けてくれたんだよね?」


「それってそういう意味だったの!? かわいいって意味かと思って喜んでたのに。好みとかではないんだ」


「いや、かわいいと思ってたよ。特に今は、背中側がすごくきれいだし」


「背中?」


「昔と違って、カラダの線がまっすぐじゃなくて。女の子になっちゃったんだなって感じて」


「そりゃ、ならないと困るよー。というか一応、昔から女の子だからね?」

 奈月は冗談っぽく言って、なんとか自分を落ち着かせようとした。


「そうだけど、なんか後ろから見てるとさ……」

 直人は、恥ずかしそうに小さく言った。


 奈月はさらに心臓が早くなって、視線をテーブルに落とした。

「後ろから見てると?」


「いや、なんでもない。

 ごめん、俺さっきから気持ち悪いことばっかり言ってるよね」


「なんで? 全然気持ち悪くないよ」


「慌てて走って帰ってきちゃったし、客観的に見て俺の行動って、かなりおかしいっていうか……」


「そんなの優しいだけじゃん」


「そうかな」


「そういえば、走って帰ってきたから、森田くん喉渇いたでしょ? さっき冷蔵庫にしまった紅茶、冷えてたし飲んじゃおうか?」


「うわ俺、飲み物も出せてなかった」

 直人が慌てて立ち上がる。


「良いよ座ってて。私がタダ飲みするんだし」

 奈月が制止して、要領よく動く。


 直人は、未だに何も出来ない自分が悔しくなった。相手は中身も外見も成長しているのに、自分は何も変われていない気がした。

 相手のことならともかく、自分の喉の渇きにすら気付かないなんて、緊張しすぎだろ俺。何やってんだよ。


 直人が反省している内に、奈月がアイスミルクティーを注いだコップを二つ手に持ち、戻ってきた。

「はい、どうぞ」


「ありがとう」

 直人はコップを一つ受けとると、自分の情けなさに涙が出そうになった。慌てて紅茶に口を付けて、顔をコップで隠した。


「このコップ懐かしいな。これ好きって私が言って、私のコップみたいになっちゃったんだよね。今は誰が使ってるの?」

 奈月は紅茶を一口飲むと、プラスチックのコップを愛おしそうになでた。


「お風呂で滑らせて落としても割れないってことで、今は俺が使わせてもらっています」

 直人は、申し訳なさそうに奈月を見た。


「なんで敬語!?」


「いや、押田さんのコップなのにごめんなさいってこと」


「ううん、元々は森田くんのだし」


「良かったら、持って行けば? もうあんまりウチにも来ないでしょ」

 直人は悲しい目をして、そう言った。


「来ちゃダメかな?」

 奈月はぎゅっとコップを握りしめた。


「ダメじゃないけど、用事とか滅多にないだろうし」


「……でも、何かでいつか、来るようになるかもしれないから」


「そのときもまた、ジュース出し忘れちゃうかもしれないよ」


「良いよ、今日みたいに()()()勝手に飲んじゃうから。私と森田くん、二人のコップってことで」

 コップをつつきながら、奈月は優しく微笑んだ。


「そうだね」


「うん」

 奈月が頷くと、部屋が静かになった。


 直人は緊張でツバを飲み込んだ。

「――ウチの親、遅いね。すぐに帰るって言ってたのに、何してるんだろ。

 なんかごめんね」


「二人で話すの楽しいから、気にしないで大丈夫だよ」


「いや押田さん、これから先は男をもっと疑わないと危ないよ」


「なんで?」


「小中高と男子の裏側を見てきて、男の優しさって基本的に、女に優しいって思わせる手口に過ぎないんだと思った。女子に優しい人が男子の財布盗んでたりして。

 例えば、俺が走ったのだって、押田さんに安心させるためにわざと走ったのかもしれなくて」


「でもそんなの、私が見てなきゃ意味ないじゃん」


「だから、見てるかもしれないから走って点数稼いでおこうってことだよ」


「そんな面倒くさいこと、するー?」


「男はするんだよ。男はさ、女に安全だと勘違いさせるためならどんな労力も惜しまないの。それで、家に一歩入った瞬間に襲うんだよ」


「今回の場合、一歩入っても全然襲ってきてないから、大丈夫ってことでしょ?」


「それは、別パターンとかあるから。

 押田さんが飲んでるその紅茶だって、実は俺が隙を見て睡眠薬をこっそり入れててさ、あと一口飲んだら寝ちゃうかもしれないわけ」


 直人の言葉を聞いた奈月は

「あと一口で寝ちゃうの?」

 と面白そうに言って、あえて紅茶をガブガブと飲んでみせた。


「あー、そんなに飲んじゃって! 俺が悪い人だったら完全にアウトだよそれ」


「だって、入ってるわけないじゃん。お母さんがすぐに帰ってくるんでしょ?」


「母親がすぐ帰ってくるって言ったのも、嘘かもしれないし。本当は五時間は帰らないって分かっててさ。睡眠薬で眠った奈月を脱がして、写真や動画を撮って脅すつもりかもよ。気を許しちゃダメだよ」


「じゃあ、このまま眠くならずに、すぐにお母さんが帰ってくれば、森田くんは変な嘘をつかない良い人ってことになるよね」


「そんなの、そうやって一度は本当のことを言って安心させる手かもしれないだろ。今日もし何も起きずに帰れても、次は何かされるかもって思っておかないと」


「それじゃ、いつまでたっても安心出来ないじゃん」


「安心なんてしなくて良いんだよ。男は全員下心あるの!」


「全員だと、森田くんも下心があって走ってきたことになっちゃうよ?」

 奈月はからかおうと思って、笑いながら指摘した。


「そうだよ、そういうことだよ。今日はもう、嫌われついでに言っちゃうよ。

 結局さあ、押田さんが最近かわいいから、痴漢被害が心配なのと早く会いたいのとで、慌てて走っただけだよ。もしクラスの女子とかが待ってたら、絶対に走ってないもん。相手によって極端に態度変えるって、それって下心じゃん」


「かわいいって言ってくれた」


「言わないと気を付けないなら、もう言うしかないだろ。客観的に見てかわいいよ、かわいいからすごく気を付けるべきなんだよ」


「えー。じゃあ気を付ける」


「本当に気を付けてね。体育の時間なんて女子がいないから、結構荒っぽいこと喋ってる人いるから。カラオケ行ったらこっそり酒とか飲まされて、すぐに手込めにされちゃうよ?」


「手込めって、漫画以外で初めて聞いた」


「手込めって単語には、別に注目しなくて良いんだよ」

 そう言いながら直人が笑う。


「手込めって実際、どういう意味なの?」


「意味はよく分からない」


「分からないで使ってるの?」


「相手がよく分からない言葉を使うことによって頭が良いフリをして説得力をアップする高等テクニック」


「バラしちゃダメじゃん!」


「バラすことによって安心させる手口」


「それも手口なの?」


「男が女子にやることの九割は手口」


「でも、森田くんは本当に痴漢の心配してくれたんでしょ?」


「だから、口だけならなんとでも言えるじゃん。

 心配して来たんだよ、かわいいよ、下心なんてないよ。――言うだけなら誰でも出来るし、実際みんな言ってる。かわいいって言っておいて、裏では『ブスだからなあ』って言ってる」


「それでも、森田くんが心配って言ってくれたら、絶対に信じるから大丈夫」


 直人は、奈月の言葉に何も言い返せなくなってしまった。

「……心配してるから、気を付けて」


「約束する。指切りしとく?」


「いや、いいよ。言葉だけで信じるよ」


「じゃあ信じて。私も森田くん信じる」


「うん。もうそれで良いや」


「なんでちょっと不満な感じ出してるの?」


「なんか、よく分かってない気がして」


「分かってるよ。男に気を付けるんでしょ?」


「そう。男と二人きりで遊んだりとかしたらダメだよ」


「うん、森田くん以外の男の人とは遊ばない」


「やっぱり分かってない。俺とも遊んじゃダメだって」


「なんで?」


「すぐに勘違いして調子に乗るから。――俺が変態なこと、知ってるでしょ?」


「また変になっちゃう?」


「そうだよ。危ないよ」


「なんで今日、そんなに素直なの?」


「こんなセクハラみたいなこと言いたくないよ。男が危険ってこと、全部言わなきゃ分からないみたいだから、仕方なく言ってるんだよ」


「でも私、森田くんといると楽しいから、もっと遊びたい――」


 そのとき、玄関の鍵が開く音がして、直人の母親が帰ってきた。


「あ、お母さんだよね?」

 奈月はパッと立ち上がると、玄関に出迎えに行く。


 奈月の言いかけた言葉が、直人の耳に残った。

 直人が自分の耳を触ってみると、驚くほど熱かった。

 押田さんには嫌われたくない。もし橘さんに告白した日のように手酷く振られたら、友達には戻れない。だから、押田さんを好きになっちゃいけないんだ。

 直人は、なんで押田さんはあんなにかわいくなっちゃったんだろうと、大きく息を吐いた。

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