やっぱりなかった
「森田くん、健康ランドの幹事なの?」
休み時間に、一人の女子が唐突に直人に話し掛けた。
「そんなの決めてないですけど」
直人は、おびえたような表情をしながら答えた。
「企画発案者は森田くんだと思うって、初美が」
その女子は、直人の緊張など全く気にしてない様子で、気楽そうに話を続けた。直人のクラスメイト、高橋理子だ。
理子は、文句があればはっきり言うタイプの女子で、直人以外のほとんどの男子は理子に一度くらいは叱られたことがあった。とはいえ、意見を押し通すわけではなく、あくまでそのとき指摘するだけである。ネチネチと怒り続けはしないので、根に持つ男子はいなかった。
「ああ、まあ俺が始めた企画ではあるけど。企画発案者って、言い方が大げさだな、笹原さん」
笹原さんとも仲が良いのかな、高橋さん。
直人は、初美の名前を聞けたことで、少し落ち着くことが出来た。
「健康ランドの漫画コーナーって、どんな感じ?」
「それ俺も知りたいんだけど、ネットに情報がなくて。小学生の頃には宝の山に思えたけど、今の感覚だとどうなんだろうなあ。あんまり期待しない方が良いかもね。
たとえ種類や量が充実してても、漫画喫茶みたいなペースで飲み物を飲もうと思ったら、相当割高感があるよね」
「そっかー。今って何人集まってるの?」
「今は、八人のままかな? 昨日誘い始めたばかりだし」
「ウチのクラスは初美と亜紀と……?」
「あとは、押田さんと広瀬さんだね」
「それ、森田くんが昨日、全員誘ったの?」
「そう」
「行動力すごくない? 初美にも電話したんでしょ?」
「まあ、そうだけど。健康ランドのキャンペーンが今月だから、わりと急ぐ必要があって。俺だって、本当はこんなことしたくないよ」
直人は、奈月たちといっしょに居たと説明するのが面倒で、曖昧に返事をした。
「初美、協力してあげたいって言ってたよ。森田くんの電話、すごい熱くて感動したって」
「うわあ、かなり恥ずかしいなあ。いきなり電話して、大丈夫だったかな」
「初美、迷惑なんて思ってないと思うよ。私に説明したら、他のクラスに説明しに行っちゃったもん」
「ありがたいなあ。なんとか十五人以上、人が集まると良いんだけど」
「十人で割引になるんじゃないの?」
「割引は十人だけど、十五人以上いれば無料送迎バスが貸し切り状態で、好きな時間に好きな場所に呼べるんだよね。俺ってバスに酔うときがあるから、隣が知らないおじさんとかだと嫌なんだよ。だからわりと必死で。
当日キャンセルする人とか、他の人より早めに帰る人も考えると、二十人以上集まると最高なんだけど」
「それだと女子十八人? 男子は二人しか来ないんだよね?」
「そう。男子はもう増やせないから、女子をあと十二人。相当きついんだよね」
「中学の友達を呼んでも良いんだよね?」
「女子ならね」
「もちろん女子。遊びに行くような男友達とかいないし」
「それみんな言うけど、本当なの?」
「みんなは怪しいけど、私は事実」
「怪しいよね。聞いて良いか分からないから、彼氏いるか聞いたことないんだけど」
「マジでいないらしいよ。バレー大会のとき、ウチのクラス全員彼氏いないってことになって、全員いないってのはありえねえだろーってなってさ。『最後に男子混ざって遊びに行ったの中学が最後』とか『私なんて二ヶ月まともに男子と話してない』とかモテない自慢し始めて、みんなで爆笑して、先生に怒られちゃったもん。
そのあと着替えの時間に、改めて彼氏持ち探しをしたんだけど、本当にいないっぽかった」
「バレー大会って秋くらいだっけ?」
「そだね」
「うーん……まあ付き合ってる高校生って、学校の厳しさにもよるけど、一割とか二割らしいし。恋人いる人が百人中五人とかの学校もあるみたいだよ」
直人は、小説を書くときに調べたデータを、理子に教えた。
「そんなに低いの? 前に雑誌で四割だったんだけど」
「それって、恋とかにすごく興味がある人たちが買うような雑誌だった可能性はない?」
「あ、ファッション誌だった」
「それだと、魅力的になりたい人が多そうだから、当然恋をしてる女子の回答が多くなるんじゃないかな? 多分一般的にはもっと付き合いにくくて、もっと別れやすくて、四割なんて維持出来ないと思う。
ネットで他校の生徒会新聞を読んだりすると、たまに恋人の有無とかのアンケートがあるんだよ。多分それって、生徒会が無記名アンケートを取ったりしてるんだと思うんだよね。そっちの情報の方が正確な気がして。生徒全員に聞くタイプのアンケートなら、雑誌の街頭インタビューは絶対に断るような、地味な男女にも聞いてるわけだし」
「生徒全員に聞いてたら、間違いない情報だよね」
「俺はそう思った」
「でも百人中五人ってのは、ちょっとショックだわ。彼氏作るの絶対に無理じゃんそんな確率じゃ」
「まあそういうトップクラスに少ないとこは、大体が男子校だったり寮が厳しかったりするみたいだけどね。ウチの学校なら、一割くらいは付き合ってるんじゃないのかな」
「それでも低いよー。夢がなくない?」
「まあまあ。そんなときこそ健康ランドでゆっくり恋の話をしてさ、お風呂で汗をかいてスタイルさらに良くしてさ、サウナ入ってキレイになってさ。それから彼氏を作れば良いじゃん」
と、直人は話題を健康ランドに戻した。
「そっか! え、もしかしてみんなそれが目当てとか?」
「そうだよ。行かなかったら、みんなに先に彼氏を作られちゃうよ?」
「え。じゃあ私も行く」
「本当に?」
直人は、あまりにすんなり事が運んだことに驚いた。
「ダメ?」
「ダメじゃないけど、すごいあっさり決めるね。中の食べ物と飲み物が高いから、結構お金かかると思うよ?」
「でもわりとみんな行くみたいだし、私も行きたいじゃん。今月は他の部分を節約してなんとかする」
「仲が良いよね、女子の遊び方って。男子って『それ高過ぎるから俺は良いや』ってなるよ」
「そうなの?」
「例えば、中学の遠足の遊園地で、食べるところがなかなか見当たらないで、やっとクレープ屋を見付けたときなんだけどさ。値段表見て『なんか高いし、俺は要らないや』って食べる奴と待ってる奴が半々になったりしたんだけど」
「そんなの気まずくない!?」
「女子はわりと、ダイエット中以外は飲み食いに付き合ってる印象だよね」
「だってなんか、待ってたりしたら気を使わせちゃうじゃん。急いで食べなきゃみたいな」
「自分にとってこれは高いって思うと、どうしてもなあ。
だから健康ランドも、男女比が逆だったら絶対にこんなペースで集まってないと思う。女子二人・男子十八人だったら達成不可能。男ばっかりで健康ランドに行きたいってやつが、そうそう見付かるとは思えない」
「それはなんか分かるかも。男子は温泉とかまとまった人数で行く感じしないよね」
「何々? 珍しい組み合わせで珍しいこと話してるね?」
そう言って話に入ってきたのは、矢木という背の高い男子である。校内では別グループなのでほとんど会話がないが、直人とはそれなりに親しい関係だった。直人が、行きつけのゲームセンターで、飯田の次によく会う生徒がこの男だったからだ。
直人が不得手なシューティングゲーム・格闘ゲーム・リズムゲームを彼は得意としていて、直人――と飯田――はよく観戦させてもらっていた。
見られていると思うと緊張する矢木だったが、直人に見られることはなぜか苦にならず、直人にゲーム攻略の質問をされることが嬉しかった。
直人は、話に加わった矢木を心の中で歓迎した。慣れない女子と一対一で話すより、気楽になったからだ。
「俺と良くゲーセンに行く飯田がさ、初恋の人と健康ランドに行くことになって、今大変なんだけどさ。
本当は逆なんだけど、飯田がもし女性恐怖症みたいな感じで、女子二人・男子十八人って比率じゃないと怖くて遊びに行けないとして。矢木くんが俺に頼まれたら、行ったら楽しそうなんて思う?」
と、例え話をした。
「俺ならかなり面倒くさいかな」
「そうだよね、あーなんか安心良かった。男子はなかなかそんなの参加しないよね」
直人は安堵して、
「俺さあ、去年の夏だったか中学のクラスメイトから手紙きてさあ。なんか演劇部に入ったみたいで、良かったら演劇見に来て下さいみたいな内容で。別にメールとかも知らない相手だったし、俺は行かなかったんだけど」
と、話を続けた。
「え。その手紙って男子? 女子?」
矢木の聞き方は、まずそこを聞かないと話にならないといった感じだった。
「女子だけど」
「そんなん絶対に行くっしょ!」
「俺は行かなかった。俺って薄情なのかな」
「そもそも、相手が女子なら下心で行くから!」
何度かゲームセンターで矢木と遭遇し、食事に誘われたこともある理子は、
「森田くんは矢木みたいにガツガツしてないから」
と突き放した。
「いやいや、普通に青春じゃね? 逆に、なんで行かなかったわけ?」
矢木は、信じられないといった顔で直人を問いただした。
「知らない高校に行くって、すごく気が重くてさあ」
直人は小さくため息をついた。
「そんなきつい?」
「なんか、駅とかって、たまに同じ駅に全く違う線路の改札とかあって、中で接続されてなくて、もうわけわかんないっていうか。違う改札に入っちゃったこととかあって、そうするとなんか面倒くさいんだよね。入った駅まで戻ってそのまま出ようとしたら、エラーになるし。そしたら改札で駅員さんに説明しないといけないんだけど、それがすごく気が思いし。
お金も、すごい取られるとき・普通に取られるとき・取られないときって三パターンあって、俺の説明が下手なせいで損したのかなあとか、もうあれこれ考えちゃって。だから知らない電車に乗るのが嫌なんだよね」
直人は思い出を語っている内、迷ったときの憂鬱な気分がよみがえってしまった。
「お前、電車に乗り慣れてないんじゃね?」
「たしかに分かりにくい駅あるけどね」
直人の発言にあまり共感出来なかった矢木と理子は、二人で目を合わせた。
会話を聞いていた奈月が
「森田くん、すごい方向音痴だからねえ。一人で知らない高校に行くのは大変かもね」
と、直人のフォローに入った。
あまりクラスで直人の情報を出したくなかった奈月だが、直人がしょんぼりしていたので、黙っていられなかったのである。
「そんなに方向音痴なんだ?」
理子は直人の顔を見ながら、見下すわけでもなく同情するわけでもなく、面白そうに聞いた。
直人はちょっと考えて、
「そんなにっていうのがどれくらいか分からないけど、高校に入って初めての体育の授業で場所が分からなくて、十五分遅刻しちゃったよ」
と恥ずかしそうに言った。
「ヤバくない!? 結構ガチな方向音痴じゃん!」
矢木は納得いかない様子で
「でもさあ。俺なら友達に付き合ってもらってでも、女子の文化祭は行くけど」
と、頭の後ろで腕を組みながらぶっきらぼうに言った。
「だから、森田くんは矢木みたいに女子に飛び付く子じゃないの!」
理子は強い口調でそう言ったが、顔は笑っている。
直人は慌てて「いやいや」と訂正した。
「単純に、ノリノリで付き合ってくれそうな友達がいなかっただけだよ。俺の場合、道中も文化祭もずっと男友達に引っ付いて歩くことになるわけだし。鬱陶しいかなとか思ったりして。
俺も女子とは友達になりたいよ、そりゃあ」
「おっ、そうだよな。ほら、俺だけじゃないんだって」
矢木は、味方が出来たことを喜んで、
「女子が踊ってる動画とかめちゃくちゃ良いよな」
と、直人の肩を叩いた。
しかし直人は
「いや、そういうのはあんまり見たことないけどね」
と、笑いながら言った。
「小さな頃、迷子になったときや頭痛くなったとき、気付いてくれて助けてくれたのってほぼ全員女子だったから、女子の優しさと気が利くところがすごく好きなんだよね。憧れてるっていうか、そういう風になりたいっていうか。言われなくても気付いて助けられる人になれたら良いなって、ずっと思ってる」
「ほら、矢木とは全然見てるとこが違うから。森田くんめちゃ良いこと言ってるじゃん。女子の優しさだってよ」
理子は鬼の首を取ったように矢木にそう言い放ってから、
「分かる人には分かるんだね、私たちの優しさが」
と、奈月に向かって話した。
「俺も女子の優しさは好きだって」
矢木はムッとして言い返した。
「じゃあ言ってみ。最近いつ優しさ感じた?」
「最近!? 最近で優しくされたことなんかあったかな。森田はなんかある?」
「俺は、最近は毎日優しくしてもらってる感じがするけど」
「マジかよ!? 俺だけ悲しい奴じゃんか。
例えばどんな?」
「昨日だと、二宮さんを間違えて亜紀さんって呼んじゃったんだけど、許してくれたりとか」
「なんだそういうの!? そういうので良いなら俺もあるって!」
矢木は興奮して言った。
「急にうるさっ! 他の人に迷惑だから」
理子は大げさにのけぞって見せた。
「ごめんごめん、早く言わなきゃって思ったから。えーっとな、なんだっけ……」
矢木はそう言い床を見ながらしばらく考えていたが、やっと顔を上げたと思ったら
「――わりい、やっぱりなかったわ」
と気まずそうに謝った。
「なんなのアンタ!?」
理子は思わず語気を強めた。
「いや違うんだよ。森田の話を聞いたときにはさ、それくらいのちょっとしたことならあるでしょって思ったんだよ。でもびっくりするくらい女子との接点なかったんだよ。この学校の環境ってダメじゃね?」
「だけど一応、ウチの学校も十人に一人か二人くらいは付き合ってるハズらしいよ」
「逆に言うとほぼ無理ってことじゃん。無理無理。口がめっちゃ上手い男とかだけでしょ、付き合えるの。普通に過ごしてたらチャンス自体がないんじゃね?」
「まあ八割以上は付き合ってないって考えると、ちょっと気が重いよねー」
「修学旅行が三年ってのが遅すぎる気がする。もう受験じゃん」
「なんかそこで振られたら、もう残りの高校生活終わった感じになりそうだよね」
「ハイパー気まずいよな。下手すりゃ不登校になるんじゃね?」
「もうカップルは学食一割値上げで良いよ」
「逆に、支払い金額を見ててこっちが悔しくなるだけだろ。カップルは修学旅行に行けないとかで良いよ」
「それも逆に、期間中に自主的にデートに行っちゃうでしょ」
「くっそー、無敵だなカップルって」
矢木と理子は、そのまま愚痴を言い続けた。
直人と奈月にとって気まずい話題になってしまい、二人は何も言えなかった。授業開始のチャイムの音が鳴ると、二人はホッとして目を合わせ微笑んだ。




