なんで私に
「小説、遥さんにそんなに期待されてるんじゃ、プレッシャーだね」
「勝手に期待されても知らないよ。作文一つで勝手に盛り上がる方が悪い」
直人は、奈月の問いかけにのんびりと答えた。
「そんな感じなんだ?」
「俺が心配してるのは、性欲について書かれてるシーンを橘さんに読ませて良いのかどうかだよ。
それについては、笹原さんがさっき電話でアドバイスしてくれた案が素晴らしいと思って。とりあえず様子見に、エロい場面がない第一部だけを読んでもらって、まだ読みたいって言うなら考える。
求めている小説と完成度や方向性が違ったりする場合は、仕方ないでしょ。セクハラっぽい部分で気持ち悪がられて男性不信に、とかにならなきゃ良い。小説への橘さんの評価はある意味どうでも良いし、つまらないと言われても気にしない。
これは奈月に小説を読んでもらうときの反応についても同じ。つまらないって言われても気にならないけど、考えてることが気持ち悪いから別れるって言われたら嫌だから、その心配はしてる。ただ、二宮さんが大丈夫って言ってくれたから、奈月への心配は橘さんへの心配より少ないってだけ。それに、文章チェックもしてくれるしね。
――そういう意味では、長友さんにも念のために文章チェックしてもらった方が良いかもしれないんだけど……第一部だけでも一時間以上だろうから、わりと苦痛かもなあ」
真は「読む読む!」と、嬉しそうに言った。
「面白そうだし、遥のためとか関係なく、読みたい。
それに私、遥が森田くんと握手出来たの本当に嬉しくて。ファミレスに遥を連れてくるとき、手前で私が『森田くん怒ってないよ』って何度も言って、やっと入れたのに、あんなに元気になっちゃうんだもん。
まだあんな風には喋れないんだよ? 去年、私がショッピングモールでトイレに行って戻ってたら、遥が男性の店員にアンケートお願いされてて、顔が青くなってたんだから」
「うわあ……それは大変そうだね。女子高に通ってても、突発的に男との接触ってあるんだね」
「そう。あと、自転車が進行方向から来たときとか、ぶつかるかもしれないと思うと、怒鳴られるかもしれないと思ったりするんだって。わりと緊張する場面あるみたい。一人で乗るときのエレベーターも苦手で、待ち合わせ場所に階段で移動してきたり。
だから、これから少し改善出来るかもって嬉しそうだった」
「それじゃ、健康ランドもわりと行く気なの?」
「なにかよっぽどのことがない限り行くって言ってる」
「じゃあやっぱり、長友さんに小説読んでもらおうかな。俺の小説を読んだせいで男性不信になったりしたら、なんかすごくもったいないし。いや、自意識過剰かもしれないけどさ。小説への食い付きがすごかったし、万が一があるじゃん」
「自意識過剰なんかじゃないよ。相当励みになったみたいだもん、遥。小説が面白かったらもっと元気になりそう」
そのときに、
「けどあれか、長友さんも小説読まないといけないんじゃ、長友さんもしばらく忙しいかあ。困ったな」
と飯田が口を開き、真の名前を出した。
「飯田くん、どうしたの?」
真は不思議そうに飯田を見た。
「いや俺、健康ランドに来て行く服が、やっぱり気になるんだよね。なんか、俺だけ悩みが小さくて恥ずかしいんだけど」
桜子が焦りぎみに、
「わ、私なら明日とか……というかしばらくずっと暇だから、行こうか?」
と、言った。桜子は元々、飯田と目が合ったら自分から言おうと思っていたので、これ幸いであった。
「良いの? いや、本当に心配でさ」
「うん、分かる。服とかって、普通にって思うほど、心配し出すと悩んじゃうよね。この組み合わせだと変かなとか」
「そう! コンビニ行くだけでも、やっぱズボン変えよとか思って、着替え直しちゃって。夜遅いし女子と会うわけでもないのに、なんか時間の無駄してんなあ、みたいな」
「私もそうなる。特に夏。奈月たちと会うだけなのにこの露出度ってのもなー、ナンパされたら奈月たちにも迷惑だしなー……とか、考えちゃって。でも予想以上に暑いときってあるし」
「やっぱり、露出度が上がるとナンパって増えるの?」
「すごい増えるわけじゃないけど、選んで声を掛けてきてるのはめっちゃ伝わってくる。こいつの服装ならいけるだろって、服を見て私にっていう」
「うわー、なんか男としてすみません」
「あっ、そういうグチとかじゃなくて……私だったらこういう服装の男が向かって来たら身構える! みたいなイメージは多少あるから、それくらいは手伝えるかもって思って」
「うわ、それすごくありがたい。俺、そういうのが知りたくて。チャラそうとかイカツそうとかでしょ?」
「女に声掛けようってのに龍の刺繍のすごい服で来てるとか、モヒカンでとか、見た目すら危なさ隠してないナンパはすごく怖く感じる」
「まあそういうのはないけど。靴とかも見直してみないとかな」
「おっ。俺、ワニの刺繍の服持ってるから、聞いておいて良かった」
直人が、奈月と目を合わせながら言った。
奈月には心当たりがない。
「そんな服あったっけ?」
「無地のシャツだと思って着てたら、なんか胸のとこにワニがいるってなったやつ」
「ただのロゴマークじゃん! すごいちっちゃいやつでしょ? あんなちっちゃいの怖くないでしょ」
そう言って奈月が笑うと、一同に笑いが伝染した。
「そっか、さすがに小さければ平気か。いや、ああいうのって結構リアルだからさあ、なんか気になるときあるじゃん。よく見たらこのクモのイラスト気持ち悪いな、とか」
直人は、照れながら安心した。
そこに飯田が「でもさ」と、笑いながら言った。
「俺もつられて笑っちゃったけど、俺自身もそういう感じの心配しちゃってるわけだよな。やっぱり、広瀬さんに服を見てもらうのってわりと迷惑かな」
直人は、飯田を見ながら呆れた顔をした。
「おい、今はそういうのタチ悪いぞお前。広瀬さんがいっしょに行っても良いって言ってるのにそういう遠慮って、まるっきり中学の俺らじゃん。
服を見るのが面倒なら、最初からお前のグチなんかシカトしてるだろ」
「いや、たしかにそうかもしれないけどさあ……。長年こういう思考回路してきたから、すぐ心配になるんだよ」
「俺らはお互い分かってるから良いよ。多分広瀬さんたちも、俺らの遠慮しちゃう性格を理解してきてくれてるだろうから、まあ最悪広瀬さんたちにもこんな感じでも良いよ。
でも、橘さんがそれを分かってくれるかは分からないぞ。橘さんだって色々不安なわけで。というか、お前より橘さんの方が不安だろ絶対。
健康ランドで、橘さんが勇気を出してお前に声を掛けてくれる回数、多分あまり多くないぞ。
さっきも似たようなこと言った気もするけど、女性に優しくされたときに正直に喜ぶってことに、もう少し慣れておかないと」
「うわ、そうだよな。俺かなり情けないわ。今日だって、俺よりはるかに無理して会ってくれたんだよな」
「いつもみたいに『はるかさんだけにな』とか言わないの?」
「いや、そんなこと一度も言ったことないだろ!」
飯田は、顔を赤くして否定した。
「まあ、俺が中学時代に思い付いたはるかさんジョークはともかく……」
と、直人は言った。
「俺からはもう二度と橘さんを誘わないから、お前が何もしなかったら次が最後だからな。同じ学校通ってた頃の気分のまま遠慮してたらあっという間に一日終わるぞ。
俺が『男性恐怖症の人には、上手く話し掛けにくいな』って思ったんだから、お前も思ったろ?」
「申し訳ないけど、思った」
「じゃあ、橘さんから話し掛けてくれたときくらいは、素直に喜べるようになっておいた方が良いと俺は思うけどね。男性恐怖症じゃない広瀬さんにすらそんな遠慮してたら、いざ橘さんと会話したときまたそのクセが出そう。
橘さんが『またどこか行きたいね』って言ってくれても、お前が『無理しないで良いよ』って言って無言になったら話が終わっちゃうし。遠慮するにしても『誘ってくれるのはすごく嬉しいけど、大丈夫?』とか、上手い遠慮の仕方があるでしょ」
「すぐに直せるかな?」
「いやお前、体育で男子に『ドンマイ』とか『サンキュー』とか言うの得意だし、最近は女子にもフレンドリーに出来てたろ。平気で奈月と俺の写真を撮ってくれたじゃん、あれってほぼ初対面だろ?」
「初対面。多分、マンション付近で森田とカードゲームしたときとか、たまに会ってたんだろうけど、気持ち的には初対面」
「広瀬さんが服を見てくれるって言ったら、まずもっと喜んでみせてからちょっと遠慮するってのが、本来の飯田だろ。
昨日は、お好み焼き食べられるぞってメールしたら、大喜びで教室の前まで来て、お好み焼きを広瀬さんに作ってもらったときも素直に喜べてたじゃねーか。あのお好み焼きのとき、感謝と嬉しさすごい感じたよ、俺。なんなら、またお好み焼き食べに行きたいなって、飯田が食ってるときに思ったくらいで。
今日はどうしちゃったんだよ? 女性とほとんど話さない時期の飯田に戻っちゃってるじゃん」
「いやその、なんだろ……橘さんと会ったあとだからかな、気持ちがふわふわしてて恥ずかしいっていうか……。
広瀬さん、ありがとう。――ってちゃんと言わなきゃだよね。ごめんなさい、広瀬さん」
「うん。分かってるから大丈夫。服は見に行くってことで良いんだよね? 私とじゃ嫌とか、そういうことじゃないよね?」
「お願いします。服見てくれるの、すごくありがたいです。昨日も嬉しかったです。今言ったらなんかウソくさいけど、ほんとに嬉しくて。昨日も今日も」
飯田は、顔を赤くしながら手で鼻をこすった。
直人は、飯田の様子を見て微笑んだ。
「ちょっと頑張れば素直に言えるじゃんか。健康ランドまではそっちの感じで過ごした方が良いと思う、俺は。想定して練習しておかないとパニックになる。
俺も今日、笹原さんと電話するとき、わりとパニックになったもん。しかし、明日やべーなあ、どうやって謝ろう。全面的に飯田のせいにして誤魔化すけど」
「なんで俺のせいなんだよ、別に良いけど」
「まあその代わり、健康ランドまでの練習には協力するからさ」
「練習ったって、どうするの?」
「普通に、女子と素直に会話するだけだよ。
ほら、俺らってさ、同じ高校行くからいっしょに校長先生に呼ばれて、面接の練習したじゃん」
「ああ、すげえ恥ずかしかったな」
「あれ、ちょっと受け答えの練習しただけだけど、やっぱり効果あったと思うんだよね。だから、やっておいた方が気が楽になると思う。今日のお前、途中まで面接より緊張してたんじゃないの?」
「面接より緊張した! たしか面接の日は、学校の前に母親と変な喫茶店に入って、飯が食えたもん」
「そうだろ。逆に俺は、面接の日は飯が食えなかったけど今日は食えた。本来、人と接するのは俺の方が苦手なはずなのに、食欲が俺と逆になっちゃってるじゃん。
だから、面接みたいに言うこと決めておけば、飯田の方がスムーズに話せると思う。最初に挨拶とかで話し掛けてくれたらこう言うとか。相手が体調良いかとか機嫌が良いかとか、俺より飯田の方が読み取れるから、予定通り話せるじゃん。
俺はそれダメなんだよ。奈月に彼氏いるか聞くために部屋に呼ぼうと思ったとき、一時間かけてそういうの決めたんだけどさ。いるって言ったらこう言う、いないって言ったらこう言う、セクハラって言われたらこう言う……って決めて、機嫌が良さそうなら質問したあと、ゲームに誘おうかとか思ってたんだけどさ。質問が終わったとき、機嫌なんて全然分からなくて、予定してた言葉が吹き飛んで『どうする?』とか偉そうに言っちゃったもん」
奈月は口元がほころんだ。
「あのとき、かわいかったなー。私もかなり緊張して部屋に行ったのに、直くんがものすごく緊張して喋るから、心の中で笑っちゃった」
「なんだよー、こっちは必死だったのに」
「ごめんごめん。――私が、彼氏がいるって言ったら、どう言うつもりだったの?」
「奈月の体調が悪いのに連れ回したり脱がしてるような彼氏なら、控えるようにお願いしに行こうかなとか。それでも彼氏が奈月に優しくないようなら、奈月のお父さんに彼氏のこと言って説得してもらうとかしかないのかなとか、色々と考えたなあ。でも、彼氏のことをうるさく言って、また奈月に嫌われたらどうしようって思ったら、十五秒くらいで涙が出てきて。
彼氏いた場合のことを考えたら五時間あっても足りないと思ったんで、そっちはそういう返事をされてからまた考えようってことで、とりあえず呼んだ」
「じゃあ、彼氏いないって言われて、ホッとした?」
「ホッとしたし、嬉しかった。彼氏がいないなら二人でちょくちょく遊べるかもって、思った」
「本当に嬉しそうだったもんね。幸せそうな顔をされたから、安心して居座っちゃった」
「そうそう、それも嬉しかった。帰らないでくれて、ひざまくらしてくれて、耳かきしてくれて、クリスマス誘ってくれて、バイト先に来る約束してくれて、あの日はもう全部嬉しかった。夢みたいで、本当に友達に戻れたんだなあって実感した」
そのとき飯田が、思わず
「いやいや、そんなの完全に彼女までいってるだろ。なんで友達なんだよ」
とからかった。
「飯田は良いよ、橘さんに振られてないもん。俺は、少なくとも友達の関係ではあると思ってた橘さんに『バカじゃないの』って言われたんだぞ。しかも奈月には過去に俺の性欲バレてんだぞ。俺の理性を試してるのかなとか、色々考えちゃうだろ」
「実際どうなの? 試してたの?」
桜子は気になって、奈月に聞いた。
「んー? 試してないよ。好きだよ、大好きだよって、心の中でこっそり伝えてただけ。その日はね」
「その日はって、意味深じゃん」
「だってその日までは、直くんが私を好きか分からないし、直くんに彼女がいるかもしれないし。積極的にいくのが怖くて。
そのあと『好きだけど告白出来ない』って言ってるのを盗み聞きしてからは、積極的にしても嫌われる心配がなくなったから、安心してからかってたけど」
「えー、森田くんかわいそう」
「だって、私を好きだけど告白出来ないとか、そんなの分かったら楽しくて。
日曜日にデートに連れ出して、私から手を繋いで『私たち付き合ってるように見えるかな? 誰か友達に見られてたらなんて言えば良い?』って聞いたら『俺が無理矢理遊びに誘って、無理矢理手を握ってきただけって言って良いよ』って、直くん言って。『そんな説明したら、他の女子に嫌われちゃうよ?』って言ったら『押田さんに迷惑がかかるくらいなら、他の女子全員に無視された方がましだから』って」
「私、聞いててなんか鼻血が出そう」
「それで『面倒くさいから、もし聞かれたら彼氏だよって言っちゃおうかな』って言ったら『そんなことしたら、押田さんが好きな人とか気になってる人に、彼氏持ちだと誤解されちゃうよ』って言いながら、直くん泣きそうな顔になって。『森田くん以外の男子は好きじゃないから、虫よけにちょうど良い』って言ったら『じゃあ、良かったら名前だけ使って。大丈夫、俺は勘違いとかしないから』って明るくなって。だから『勘違いって何?』ってわざと聞いて」
「性格悪っ!」
「そしたら『押田さんが俺の彼女だとか、そんな夢みたいなことあるわけないって、ちゃんと分かってるから。勘違いして彼氏面しないから、俺なら名前を使っても他の男より安全ってこと』とか、笑いながら言われちゃって。あっ、大好きって言ってあげたいなって思って、胸が苦しくなって」
「言いなよ!」
「さすがに外では言えなかった」
「なんでそこまで積極的に出来るのにそれは言えないの?」
「だって、外だよ?」
「急に常識的なこと言わないでよ」
「でも大丈夫。『じゃあもっと彼女っぽくして良い?』って言って、腕を組んでわざと胸を押し付けたから」
「全然大丈夫じゃないじゃん。そんなのティッシュの消費量がやばいことになるでしょ」
「そんなの知らないし。
そのあともさー、直くんの部屋で眠たくなったときに寝たフリとかしたんだけど、全然襲って来ないんだよね。スカートに毛布かけ直すだけで。そんなんされて寝られるかバカって思って、仕方なく起きた」
「奈月がバカだから。森田くんに謝りなよ」
「えー、直くんがなかなか告白しないのが悪いんじゃん」
「これさ、昔もきっとこんな感じに、森田くんの理性がなくなるまで奈月が誘惑し続けてたよね」
「絶対にそうだよね」
亜紀と桜子に笑われた奈月は、恥ずかしそうに直人の背中に隠れた。
「直くん、二人がいじめる。得意のセクハラでやっつけて」
「俺も今夜あたり、奈月をいじめて良い?」
「なんで私にセクハラするの!?」




