怖くないもん
四人はひとまず駅前の広場まで歩き、ベンチに座った。
「ねえ、小説いつ読ませてくれるのー?」
奈月が、わざと直人の腕に絡み付いて甘えてみせた。直人がされて喜ぶことも、もう大体は把握しているのだ。
直人はデレデレしながら、
「誤字脱字のチェックとかするから、何日か待ってよ」
と奈月に言う。
「そんなの良いじゃん、私がチェックしてあげるよ」
「いやいや、こんなこと話してる場合じゃないんだよ。早く笹原さんに、電話で謝らないといけないんだから」
直人は誤魔化した。
「あー、話をそらしたな」
奈月は、つまらなそうに直人の体から離れた。
「二宮さん、悪いんだけどまた電話を貸してもらえる? まだ笹原さん起きてるかな?」
「起きてるどころか、興奮して全く眠たくなさそう」
「あーでも俺が電話しちゃうと……」
直人は急に考え込んだ。
「えっと、俺のスマホに飯田から『今から戻る』とか電話あるかもしれないんだけど。奈月と会話されたら嫉妬しちゃうから、どうしようかな。二宮さんは笹原さんが質問してくるかもしれないし。
広瀬さん、飯田から電話があったら代わりに出てくれる?」
「分かった」
桜子は、嬉しそうに答えた。
「私、初美に電話したら最初になんて言えば良い?」
亜紀が直人を見た。
「そうだなー、まあ『ちょっと森田くんが用事あるって言うから、かわるね』とか?」
「了解」
亜紀は、片手を胸にあてながら電話を掛けた。
「――あっ、もしもし。今大丈夫? うん、うん。あのね、なんか森田くんが話したいことがあるって言うから。
うんそう。ここに今。いや、二人きりじゃないんだけど。はい……はーい」
亜紀が、スマホを直人に渡した。
「こんばんは。森田ですけど」
「はい。笹原です」
「あのですね、笹原さんにお願いがあるんですけど。
俺の親友が今度、初恋の人と健康ランドに行けることになったんですよ。健康ランドって分かりますかね」
「あの、行ったことないけど漫画とかで。お風呂とかあって寝るとことかある……」
「はいそうです。それで俺、親友に、初恋の人を遊びに誘うのを急に頼まれて。しかもトイレから初恋の人が戻ってきたって時で、十秒くらいしか考える時間がなくて。他に思い浮かばなくて、健康ランドに誘ったんです。
その時に普通に誘えば良かったんですけど、誘う理由付けがほしくて。人数揃えて団体割引を目指したい、みたいな言い方をしちゃったんですよ。
なんかそういう行きやすい理由みたいなのがないと、下心見透かされる気がして。ストレートに遊びに誘うのって気まずいんですよ。例えば、映画のチケット余ってるって言って、誤魔化してデート誘う的な。女性には分かりにくいですかね?」
「いや、分かりますよ」
「それで、今えーっと……押田さんに行くのオッケーもらって。広瀬さんと二宮さんにはもう聞いたんだっけ?」
「オッケー」
「オッケー」
亜紀と桜子が、元気良く言った。
「――広瀬さんと二宮さんも付き合ってくれるらしくて。笹原さんも、良かったら来てくれませんか?
初恋の人は男性恐怖症で、女性は一人でも多い方が良くて。男は俺と親友だけで、男三人以上には増えません。変なナンパ目的の旅行じゃなくて、純粋な気持ちです。親友は馴れ馴れしくしてこないと思いますし、おかしなことをしたら即帰宅させます。もちろん俺も真面目にやります。
親友と初恋の人との最後の思い出になるかもしれないので、絶対に良い思い出にしてあげたいんです。気が向いたら考えてみてくれませんか。もちろん、無理はしなくて良いですけど」
「分かりました」
「……えーっと、後は二宮さんに聞いたりして下さい。ありがとうございました」
そう言い、直人は亜紀に電話を返した。
「え? 小説の話は?」
奈月にそう聞かれた直人は、
「電話の前に飯田のことを考えてたから、忘れてた」
と赤面しながら言った。奈月たちは、遠慮なしに笑った。
「ごめんなさい笹原さん。本題がまだだったんで、もうちょっと俺と電話してもらえますか?」
「はい」
「あの俺、小説を書いてまして」
「やっぱりー!? 学校でも変な話をしてたし、こんな時間にいっしょにいるし、絶対に怪しいと思ったもん。声もさっきと似てるけどなあって。
だけどなんか、真面目な話を始めたから『あれ!? 違うのかな!?』とか思ったりして」
初美は小説と聞くなり早口になった。
直人は急に気楽になった。どう聞いても、激怒をしている口調じゃなかったからだ。
「すみません。二宮さんに、その初恋の人に小説のことを言えって脅されて」
と、ふざけて言った。
「さっきの電話で言ってた、好きだった人の話とかは友達の話だったのね?」
「あ、いや。親友も好きだったけど、俺も好きだった人で。両方とも本当の話というか」
「え、なんかややこしい。健康ランドの話は本当にあるんだよね」
「あります。また説明します。明日、改めて謝らせて下さい。笹原さん、やっぱり怒ってますか?」
「そんなことないよ。どうせ亜紀に言わされたんでしょ?」
「そうなんです。俺は笹原さんに嘘なんかつきたくなかったんですけど、俺の今の好きな人に小説のことをバラすって……」
「森田くんの好きな人って誰なの?」
「俺、押田さんがすごく好きなんですよ。本気なんです」
「押田さん優しいし、かわいいもんね。どういう所が好きなの?」
「そうですねー。俺、小さい頃は自転車に乗れなくて。別に乗りたくなかったし、練習が嫌で嫌で。方向音痴だから、乗れることにあんまりメリットを感じなかったんですよ。なんで練習させるんだよって感じで。
けど公園で親に練習させられてたら、隣に住んでる押田さんが通りがかって。転んだら手当てしてくれて、乗れるようになったらケーキ食べようって言ってくれて。早く乗れるようにならないと迷惑だから、真面目に練習するしかないじゃないですか。そしたら乗れちゃって。
そういう、優しいところと、俺を成長させてくれるところが好きですね」
「なにそれ!? それは好きになっちゃうわ」
「いや、その時は思春期前だったから、好きにはならなくて。すごく良い人だなとはずっと思ってましたけど」
「あー、小さい頃だもんね」
「それからしばらくして、思春期より先に性欲を知りまして。押田さんをウチに引っ張りこんで、押し倒そうとして嫌がられて。部屋に来てくれなくなって」
「えー! 何してんの森田くん」
「疎遠になってから数年後」
「展開が早過ぎる」
「中学の修学旅行で、ウニを見付けて。これをプレゼントすれば押田さんと仲直りが出来るかもと思って、持って帰ろうとして。だけどなんかそのウニの仲間を見る感じ、水の外に出すとすぐ元気がなくなるみたいで。そのままじゃ運べなくて」
桜子と奈月が「ウニのプレゼントだって」「ウニなんて貰ってないけど」と、笑いながら話を聞いている。
直人は、奈月を見ながら話を続けた。
「だけど、友達に聞いても運ぶ物を持ってなくて。話が友達の友達の別のクラスまでいって、長友さんって人にビニール袋もらって。ビニール袋に入れて戻ろうとしたら、ウニのトゲって結構すごくて、穴が出来て水が漏れ出して。穴を掴んでたら手と服びしょびしょになって。ウニは死んじゃったのかなんなのか、ぺしゃんこになったから、海のサポートの人に割ってもらって、飯田ってやつに食べてもらって。俺は服が濡れたせいかなんなのか、寒くもないのにくしゃみが出て。その後のバスでも酔って吐いて。それで体力を失ったのか、帰る頃には完全に風邪」
「ありゃあ」
「帰宅後に熱が上がって四十度出て苦しんで寝てたら、押田さんがお見舞いに来てくれて。かなり久しぶりに部屋に来てくれて、嬉しくて。やっぱり優しいなって思って。だけど、昔みたいに話せないんですよ。昔なら『奈月のためにウニ取ろうとしたら風邪ひいた』とか、気軽に愚痴ってるのに。そんなことで文句を言って嫌われないかなとか、気持ち悪く思われないかなとか考えちゃって。
なんで上手く喋れないんだろって思って、寝たまま頭を少し上げてこっそり押田さんの顔を見たら、なんかすごくかわいいんですよ。二度見しちゃいました。その時の俺って好きな人がいたんだけど、好きな人より明らかにかわいくて。
俺もう、ショックで。俺って、好きなアイドルとか全然いなくて。クラスの女子も、まあ優劣はあっても大した差はないじゃんって思ってて。人間は性格だよって生きてきたし、誰かにブスとか言う男子を軽蔑してたくらいで。でもその日、かわいいっていうのはこれかって、やっと分かって。
でもそれまで俺の中で、顔で人を好きになるって嫌いで。修学旅行の夜に、俺の好きな人を『かわいいから好きだ』って言う人が多かったんだけど、それを聞いててすごく嫌だったのに、自分がその三日後――四日後かな?――そういう人になっちゃって。
そう思うと『奈月かわいくなったね』なんて、絶対に言えなくて。押し倒そうとして拒まれて、人間関係が面倒くさくなったらほったらかして、それで相手がかわいくなったら『かわいくなったね』って、なんか卑怯で最低に思えて。
看病されながらどんどん考えが暗くなってきて『俺なんかに優しくしなくて良いよ。奈月また襲われちゃうよ。怖いよ?』って言ったら『こんなに弱ってる直くん、怖くないもん』って、数年ぶりに手を繋いでくれて、笑ってくれて。でも、押田さんの手が震えてるように感じて。俺の体調のせいでそう感じてるだけなのか、押田さんの手が実際に震えてたのか、ベッドの角度的に手が見えなくて分からなかったんだけど、押田さんの手が震えてるなら謝らないとと思って。ゴホゴホしながら『もう絶対にあんなことしないから』って言ったら『無理して喋らないで。そんなことより早く元気になってくれた方が嬉しいよ』って言われて。さすがに泣いちゃった。
俺が泣いている間、ずっと手を繋いでてくれたんだよね」
「そんなの私も惚れるわ!」
「いや、そこまでは俺の中ではギリギリ顔に惚れてる扱いで、純愛と言えないんですよ。大好きになったのはそれからさらに後で」
「なにそのこだわり」
「高二になって押田さんが体調を崩した時に、どうしても心配になって。声を掛けさせてもらって、友達に戻れて。
その三日後には、ベタぼれしてました。顔が百点なのに性格が二百点で、完全に大好きになりました。それが去年の十二月の話で。だから今、押田さんと話が出来ることがすごく嬉しいんです。
それなのに、小説のことをバラすって二宮さんが脅してきて。俺、今はまだ俺の性的な気持ちをあまり知られたくなくて。情けないんですけど、押田さんに小説を読まれるのが怖くて」
「それは怖いよね」
「だから、逆らえなかったんです。命令がどんどんエスカレートしていっても、二宮さんの言いなりになるしかなかったんです。ごめんなさい」
「大丈夫、私が言ってあげる。亜紀いる?」
「あ、はい。じゃあ二宮さんに代わりますね」
直人はそう言うと、亜紀にスマホを渡した。
「もしもし!? あのね、今の森田くんのウソだからね。脅してないから。命令なんてしてないって!」
亜紀は、初美に一から説明を始めた。
「それもウソだし、何もしてないし。いや、そうじゃなくて。森田くんが奈月を好きなのは本当だけど、もう奈月と付き合ってるから。超仲良しで、昨日も今日も奈月とずっといちゃついてたから。あ、小説は本当に奈月も知らなかったんだけど。うん。まだ奈月は読んでない。でも怒ったりするような内容じゃなくない?
あーそれはね? でも奈月って、小説を読んだだけで森田くんを嫌いになったりするような、そんな惚れかたじゃないんだよ?
うん、奈月も好きで。森田くんが好き過ぎて、すごいバカっていうか。いや、本当なんだって。奈月に代わろうか?」
亜紀がチラリと奈月を見ると、直人が手で奈月の口を塞いだ。
「ダメだった。奈月が声を出せないように森田くんが、奈月の口を塞いじゃった。本当に。ん? ――バカ、口で塞ぐわけないでしょ! 駅前だからねここ。うん。そう、健康ランド行こうって。いや、違う。人を待ってるだけだから初美の返事は無関係。返事は明日で平気」
直人が亜紀の電話を聞いていると、直人のスマホが震えた。飯田からの電話だった。
「笹原さんとまた話すかもしれないから、さっきの予定通り広瀬さんが出てくれる?」
桜子が「飯田くんなんだよね?」と確認する。直人が頷いた。
桜子は、緊張しながらスマホを受け取った。
「――もしもし。広瀬ですけど」




