全勝してみせろ
「私に彼氏が出来たら、もうちょっとカップルの気持ちが分かるかなあ?」
真は直人のカップルに関するクイズに苦戦したので、悔しそうな顔をした。
「勉強にこれくらい集中すれば良いのに」
そう遥から言われた真は、
「お母さんみたいなこと言わないでよお」
と、ふくれた。
自然とその場に笑いが起きる。
「なんか、こんな話をしてて良いのかって感じもするけど」
直人はスマホで時間を確認した。
「良いじゃん、楽しいよ。私、クラスの男子と話が合わないんだよね。森田くんや飯田くんみたいに、優しくしてくれないし」
真は笑顔で、直人と飯田を見た。
「それはなんというか、クラスだと女の子に優しくするハードルがすごく高いってのも、関係してるだろうけどね。毎日会えるのと滅多に会えないのでは、心構えも違うし」
直人は、そう言いながら一瞬、飯田を見た。飯田は笑っていたが、直人には愛想笑いに見えた。
その時、遥がグラスを持たずに席を立った。
直人も立ち上がり、グラスを持ってドリンクバーのコーナーへ行く。遥がトイレに入ったのを見届けると、ドリンクを入れて席へ戻った。
「橘さんがトイレに行ったみたいだから、今の内に聞くけどさ。飯田は橘さんと会ってみてどうだったの?」
直人は、遥とあまり話そうとしない飯田が、ずっと気になっていた。飯田の気持ちが聞きたくて、遥が席を離れるのを待っていたのである。
「いやまあ、嬉しかったよ。まだ橘さんを忘れられてなかったんだなってのは、感じたんだけど……」
飯田は、はっきりと説明出来なかった。
「好きって感じはしたってことか?」
「多分。かなり緊張してるから。けど、森田を告白しに行かせたあの瞬間みたいな、すごい緊張じゃないんだよ。あの時は、もし森田が告白に成功したら、悔しいけど祝福しなきゃなって思ってたんだけど、さっき森田と握手してた時は、九割嬉しさで嫉妬一割くらいしかなくて」
「そりゃ、男性恐怖症って分かってるからだろ? 男が怖いのに男と握手しようとする人なんて、頑張れ頑張れって応援するに決まってるじゃん。俺だって、奈月には悪いけど少し応援しちゃったよ」
「そうなのかな」
「告白とかはしたくないの?」
「しねえよ! 昔の俺みたいに、大好きって確信が出来ない。もう少し今のあの人を知りたい。それに今の俺じゃ、告白しちゃダメだろ」
「なんでダメなの?」
「森田はさ、作文も学校に評価されたことあるし、小説だって原稿用紙何百枚も書いてて、感動させて、橘さんが手を繋ぐことが出来て。言葉もたくさん覚えて頑張ってて、面白くて。
俺、そういうの何もねえじゃん」
「何言ってんだお前。むしろ逆だろ」
「逆って何が?」
「小説のことを全然分かってないだろ、飯田。
俺の小説って、店で売ってるような、人を惹き付けられる文章じゃないから。本一冊分の量まで読んでくれる人って、千人読み始めて三十人しかいないんだよ。
つまり、百人に三人。比率としてはクラスに一人程度でしかない。仮にクラスで『良かったら読んで』って公開しても、変な人が一人だけ読みきれるかなって程度。かなり変わった人しか面白がらない。橘さんに面白く読んでもらえる可能性は、相当低い。
お前の趣味であるギターやバイクの方が、数倍女にモテるだろ」
直人はそう言うと、飯田の指先を触った。
「この指先、ギターでカチカチになってるけど、きっと相当練習しないとこうならないよな。俺が小説書いてる時間よりも、お前のギターの練習時間の方が長いんじゃないの?
手が痛くてたまらない時期もあって、ギターの弦が切れて指に刺さったこともあって、それでもギターが弾きたくてたまらなかったんだよな。お前だって、格好良いくらい趣味に熱中出来てるじゃん。
お前がもし『ギターの練習見てくれ』って女子百人に頼んだら、百人に三人以上は必ず興味をもつと思う。
授業以外で小説をあまり読まない人はわりといそうだけど、授業以外で音楽を聴かない人なんてかなり少ない。小説より音楽の方が、身近な存在なんじゃないのかな。
橘さんもギターやってるってさっき言ってたし、飯田のギターの努力も分かりやすいんじゃないの? 飯田が橘さんにギターやってみせたら、俺の小説の時以上に感動するかもしれないよね。まだ橘さんに何も言ってないだけじゃん。俺みたいに、尊敬してるとかきれいだとか大好きだったとか優しいとか、そういう気持ちを橘さんに伝えたことあるの? 今の気持ちがはっきりしなくても、会えて良かったとか、また話せて良かったとか、なんでも言えるだろ。
飯田は、俺と違ってオシャレも出来る。見た目も良い。スポーツも出来るよな。足は早いし、体力もある。女に気が利いて、男とも仲が良い。
俺とお前が並んでいたら、男女問わず大抵の人はお前を選ぶんだよ。お前の方が人に好かれやすい。やる気になれば簡単だよ、簡単。
俺の小説がどうしたってんだよ、俺がちょっと今日だけ女の子に笑ってもらえたからって、それがなんだってんだよ! 他の部分でぶっつぶして全勝すれば良いだけだろ。悔しかったら明日から俺に全勝してみせろよ!
……ったく、奈月がいる時に、何で俺がこんなみじめなこと言わなきゃならねえんだよ。なるべく奈月の居ない時に頼むわ」
直人は照れ隠しに不機嫌を装い、ドリンクを飲んだ。
「わりい。
じゃあさ、俺についてはまあ頑張るとしてもさ。橘さんは男性恐怖症だし、どっちみち今はとても告白なんて出来ないだろ?」
「じゃあ、今決めなきゃならないのは、二度と会えなくても良いかどうかだな」
「二度と会えないってのは、ちょっと嫌だな」
「そうなると、また会いたいって言って、次の約束をしないといけないわけだ。ほら、橘さんトイレから出てきたぞ」
「森田、約束頼む!」
「また俺かよ?」
「今日だけ頼む、明日から俺が面倒なこと全部引き受けるから。俺、緊張してるとアドリブがダメなんだよ」
直人は、大きくため息をつくと、気まずそうに奈月を見た。
「奈月さ、健康ランドって、十人で行くより二人で行きたいよね?」
「私はみんなでも行きたいよ。二回行っても良いじゃん」
奈月は即答した。
「え。そうなの? そんな返事がくるとは思わなかったんだけど」
「今聞いたってことは、それが聞きたいんでしょ?」
「まあそうなんだけど。じゃあ、橘さんに聞いてみて良い?」
「うん。私も、もっと仲良くなりたい」
「なんか楽しそうだったけど、どういう状況?」
遥は席に戻ると、少し緊張しながらそう聞いた。飯田と直人が慌てている様子が、遠くから見えていたからだ。
「橘さんさ、こういうガラガラのファミレスで、遠くに男性客がいる分には大丈夫なんだよね? 食堂とかだとどうなの?
例えば、夜が居酒屋みたいな、席が近い感じの食堂とか。酔ってる人もいて、おじさんがガーガー言って、下手すりゃ相席みたいな」
「それだと怖い」
「あー……それだと、ご飯の時がダメかなあ」
「なあに?」
「今月の日曜日のどこかで健康ランドに行くと、イベントやら学割やらが重なっててお得でさ。奈月と行きたいねって言ってたんだけど。そこって、十人以上いるとさらに安くなるんだよね。興味がある人がたくさんいれば、十人に届くかなあと思ったんだけど」
「うわあ、行きたいけど……」
「行きたい行きたい。スパのすごい版みたいなとこでしょ?」
遥は少し悩んでいるが、真は乗り気である。
「入る時だけ十人いれば良いみたいだから、それ以外の時は完全に別行動でもオーケー。橘さんと長友さんだけで過ごしても良いし、もちろんみんなと行動しても良いし。健康ランドの中はわりと広いから、会おうとしなければ俺や飯田とは会わないと思うよ。
女子しか入れない場所もたくさんあるから、そういうところにいれば男の声も聞こえない。ちょっと緊張したら、すぐに長友さんと安全な場所に逃げられるよ。疲れたらいつ帰っても良いし」
「えっと、誰が行くのかな?」
「まだ奈月以外は誰も誘ってない。けど俺は元々、集めるとしたら飯田以外は女子だけで集めようって思ってた。
飯田以外の男子は風呂に連れて行きたくない。中学の修学旅行の風呂、静かにゆっくり入ろうとするやつが全然いなくて、落ち着かなくてつらかったから。
だから、男子は俺と飯田の二人だけ」
「わあ、それ安心する」
「あと、なにしろトータルで女子が八人以上になるわけだから、スケジュールはただの予定。当日の朝までは、女子だけで日付け変更の相談可能。男子には、その相談の情報は入らないようにする。頭が痛くなったりしたらドタキャンも可能」
「本当に、ドタキャンしても大丈夫なの?」
「全く気にしないよ。そもそも最初は、十人揃えるなんて諦めてたからね。二宮さんや広瀬さんにも、まだ何も言ってなかったくらいで。もし行けたら行く、くらいでも問題ない」
「行けたら行くでも良いなら、行こうかな」
「絶対に無理しないでね。約束したんだから行かなくちゃ、とかはダメだよ」
「分かった」
「えーっと、橘さんと長友さんは、友達とか誘う予定?」
「誘って良いの?」
真が嬉しそうに聞く。
「奈月と付き合ってるってバレるといけないから、違う学校の人の方がむしろ良いんだよね。変に頑張って集める必要はないけど、呼んでも大丈夫。
注意点としては、まず中のご飯が高いから、ケチりたいなら出掛ける前にたくさん食べておく。乗り物酔いしない人はバスの中でお菓子食べても良いかも。飲食物の持ち込み禁止だから、余らないようにね。
サウナとか結構お腹空くだろうから、最初から中でガッツリ食べるのを覚悟しておいた方が良いかもしれない。それ以外にも、風呂上がりのコーヒー牛乳やフルーツ牛乳とか、誘惑が多い。だから、最終的に結構なお金がかかってしまうかもってのは、絶対に全員に伝えてね。後で食堂とかの料金送るよ。
それと、生徒手帳を忘れたらダメ。学生証がないと学割が受けられない。これも前日と当日に連絡するけどね。
後は……」
直人はスマホを見ながら、説明を続けていく。
説明を黙って聞いていた飯田だが、直人と目が合って我に返る。
森田の作ってくれたこのチャンスを、無駄にしてはならない。飯田はそう思った。
「橘さんさ、俺と話、少し大丈夫?」
「大丈夫だよ。どした?」
「いや、俺もギター好きで、どんなの使ってるのかなとか思って――」
二人が会話を始めたのを横目で見て、直人は微笑んだ。
直人はスマホを取り出して、健康ランドの画像を見せながら、真に一つ一つ説明をしていった。飯田がなるべく長く話していられるように、ゆっくり、ゆっくり……。




