言葉遊び
「大丈夫だった?」
直人の声。
遥が最初に出会った頃の直人の声とは違う、変声期を経た男の声だが、今の遥には優しく聞こえた。
遥は、少し疲れたような顔で、笑った。
「心臓はまだ少し早いけど、大丈夫そう。良かったあ、触れるかもって思ったんだもん。閃いたっていうか」
「びっくりしたけど、力になれて良かったよ」
「原稿用紙七百枚って言われた時に、なんか衝撃受けた。この人と握手出来なきゃ誰が相手でも無理でしょって思って」
「俺の感覚としては、遊んでるのとあんまり変わらないんだけどね。
バイト中にスマホで歩数ゲーム起動させてたんだけど、暇な時は本当に暇で。スマホを使わずに頭の中で出来る遊びを探した結果、バイト中に小説でも考えようってなっただけで」
直人は照れ隠しに、遊び気分でやっていることを強調した。
「いや、七百枚ってインパクトあるよ。俺もビビった。俺の場合、読書感想文の原稿用紙五枚でも、どうやって増やそうかって感じだし」
「私もびっくりした!」
真が、飯田の意見に同意をした。
「なんか、奈月に教えた時と違って、小説に対する反応がやたらでかくて、恥ずかしいや」
直人はそう言い、奈月を見た。
「え!? 私、小説書いてるなんて聞いてないけど!?」
奈月は、慌てて直人に言った。
「趣味は『ゲーム、漫画、小説』って、先週ちゃんと言ったじゃんか」
「そんなの読む方だと思うじゃん! 書くって発想ないよ」
「やっぱりかー。二宮さんと、奈月は気付いてないんじゃないかってさっき、話してた」
「亜紀にだけ詳しく教えてー。なんか、仲良いなって昨日思ったんだよね」
「教えたわけじゃないよ。たこ焼きが熱くて気を取られてたら、たまたまスマホ見られてたんだよ。俺も、二宮さんが俺の小説読んでるなんて、知らなかったんだから」
「本当?」
「もし前から友達だったら、奈月のことをもっと相談してたよ。奈月に彼氏がいるかどうかも、二宮さんに代わりに聞いてもらってたろうし」
「あーそっか。直くんあの時、顔真っ赤だったもんね。彼氏いないって知らない顔だよね」
奈月は、当時の直人の顔を思い出して、笑った。
「奈月、彼氏いるか聞かれた時なんて答えたの? 森田くんが好きだよって言ったの?」
桜子が、興味津々といった様子で奈月に聞いた。
「言わない言わない。普通に『彼氏なんていないよ』って」
「えー。……で、それを聞いた森田くんはなんて?」
「俺は『良かった』って言ったよ。ホッとした」
直人は笑いながら答えた。
「で、奈月は?」
「どうしたっけ。何も言ってないような。
なんか、関係ない話をしたんじゃなかったかな?」
「それ森田くん、気まずくない!?」
それまでニヤニヤしながら質問を続けていた桜子が、真顔になった。
直人は笑った。
「いや、会話する関係に戻れただけで、もう夢みたいだったからなあ。彼氏がいないならこれから友達になれるかもって、嬉しかったよ」
「彼氏いるって言われてたら、どうしてた?」
「どうしてたっていうか、その時に最初にお願いしたよ。
もし彼氏がいて、体調が悪い奈月に無理をさせてくるようなら、しばらく彼氏と会わないようにした方がって」
「奈月が『うるせーよ』って感じだったら?」
「その日の夜、わりとそんな感じの夢見たよ。
奈月が、俺に意地悪なことたくさん言った人たちと付き合ってる夢。奈月の行った中学校ってさ、俺が小学校の男子を見たくなくて、わざわざ遠距離通学して避けた中学校だから。俺が苦手だった男子がたくさん通ってるわけじゃん。
だから、その誰かと付き合ってる可能性もわりと高かったから、勝手に嫉妬してたら夢に出てきちゃった。
奈月に『俺じゃダメなのかな』って言ったら、すごい怒られた。『あんなことしておいてバカじゃないの』って言われて、お腹殴られて、目の前で嫌いな人たちと仲良くされた。
起きたら涙と汗がすごかったんだけど、まず最初に思ったのが、奈月に汗臭いって思われたらどうしようってことで。うわあ、本当に好きになっちゃったんだなあって、その日は食欲なかった」
「勝手に夢の中で変なことさせないでよ」
と、奈月が呆れたように言う。
「ごめんごめん」
笑って謝る直人。
奈月は少し意地悪が言いたくなった。
「男子がわりと怖かったのに、中学校の男子とそんなに仲良くしてるわけないじゃん」
「すみません……」
今度は小声で謝る直人。
「奈月さんも、男子が怖かったの?」
真が、意外そうに聞いた。
「奈月はさっきの作文の、『ひどい裏切り』を俺にされてるからね」
直人が、奈月の代わりに答えた。
「そういえば『ひどい裏切り』ってなんなの? 漫画でよくある、「あんなやつ好きじゃねーよ」みたいなやつ?」
真はあまり深刻な話だと思っておらず、笑っている。
「俺、小学生の時、好きとかよく分からなくて。でも奈月と気持ち良いことがしたくなって。付き合ってもないのに、押し倒そうとしちゃったんだよね」
「それはダメでしょ!」
真は、珍しくムッとした顔で、直人を咎めた。
「ごめんなさい」
「もー! 遥さんが優しい人で良かったね。もうひどいことしちゃダメだよ?」
「うん。反省してます」
奈月は、しょぼくれる直人がかわいそうになって、
「その頃は私が直くんにずっとベタベタくっついてたから、私にも責任があるんだけどね。それに、本気で嫌がったらすぐにやめてくれて、たくさん謝ってくれたから、直くんはすぐに怖くなくなったし」
と、情報を補足した。
「だけど、もし他の人と二人きりでそういうことになったら、やめてくれないかもって思えて。他の男子はずっと警戒してた」
遥は奈月の境遇に興味をもち、
「森田くんとまた仲良くなった時、どんな感じだったの?」
と、たずねた。
「えっとね、最初はやっぱり、部屋に行く時とか緊張しちゃった。好きって気持ちがない人に押し倒されるのは嫌だったから。私ばかり文句言って直くんが遠慮して、昔みたいに上手くギャーギャー言い合えなかったり。逆にお互いに意識し過ぎて話が出来なかったり、バランス崩れてた。
でも、好きって言ってるのを盗み聞きしちゃってからは、照れてるのがすごくかわいく見えて、良い意味でドキドキして、無言でも幸せで。わざと見つめてあげた。
私の体調が良くなるまでは告白したくないっていうのと、もっと仲良くなりたいって言ってるのも聞いたから、話しかけまくって、部屋に行きまくって。家ではまだ触るの怖かったけど、外では手を繋ぎまくって。一回、寒い日に直くんが部屋でくしゃみしたから、『いっしょに入る?』って借りてた毛布に誘ったら、断られて。仲良くなりたいのに近寄るの我慢してくれてるって思ったら、嬉しくて。それからはもっと安心して、家でもそこそこ手を繋いだりして。
そんな感じで、段階的」
「段階的かあ」
「けど、信じられたら一気だったかも。私の場合、元々仲が良かったし。
相手が私のことを好きってたまたま分かったのが、すごく良かった。分からなかったら多分、無言になった時とか怖かった」
「無言怖いよね」
「怖い怖い。盗み聞き出来たのが、本当にラッキーだった」
直人は、自分の隙の多さがふと心配になった。
「なんかよく考えると、俺って情報盗まれてばっかだよね。奈月には好きなこと盗み聞きされて、二宮さんには小説盗み見されて。俺の情報が知られる分には良いけど、今後は奈月に迷惑かからないように気を付けないとまずいよね。奈月と遊んでるのを盗み撮りとかされたら、面倒なことになる」
「盗み聞き・盗み見・盗み撮りって繋げるの、なんか言葉の使い方がやっぱり小説家っぽいね」
真が楽しそうに直人を見た。
直人は、真が面白がってくれたのが意外で、
「そうかな? あと、盗み読みとか盗み食いとかも盗みから始まる言葉だね」
と言った。
奈月は、直人が言葉を並べているのを聞いて、正月にやった言葉遊びを思い出した。
「小説を書いてるから、何かを崩すって言葉もたくさん知ってたんだね。なんだっけ、『相好を崩す』だっけ?」
「ソーゴー?」
真が不思議そうな顔をする。
「『相好を崩す』で『笑う』って意味なんだって」
「あれからもう一度調べたら『笑う』より範囲が狭いみたいだった。細かく言うと、にこにこするって感じなのかな?」
と、直人が訂正した。
「そういうのたくさん勉強してるんだ?」
真は、感心した。
「勉強ってほど大げさな話じゃないけど、まあわりと好きだからね。音楽を好きな人が歌詞を覚えられるのとか、ゲーム好きが魔法の名前を覚えられるのとか、そういうのと同じだよ」
「でもなんか、それを覚えるだけじゃなくて、会話や小説に使えるってすごいね」
真はよっぽど気に入ったのか、やけに直人を持ち上げた。
「いや、相好を崩すなんて、普段は分かりにくいだけだし、無駄な知識だけどね。無駄に覚えてしまった言葉がたくさんある」
直人はそう言って奈月を見て、膀胱炎の異名を思い出した。
「――そうだ、長友さんは『新婚病』って知ってる? あと、『ハネムーン症候群』とか」
「何それ。五月病みたいなやつ?」
「ちょっと違うかな。『新婚病』や『ハネムーン症候群』はどちらも実際に病気とか故障が起きてる。考え方によっては、どちらも恋人ならではの理由。微笑ましかったり、ロマンチックかもしれない」
「なんだろ。ロマンチックってことは、ケンカとかじゃないんだよね」
「そうだね。仲が良いんだけど、そのせいでって感じの」
「えー? ハネムーンってことはー……指輪のサイズが違って血行が、とか?」
「考え方は合ってるかも。つい無理しちゃったりとか、相手を気にしちゃって、的なこと」
「化粧を落として寝れないとか?」
「そういうのだね」
「いびきが心配で寝れない!」
「その考え方は、『新婚病』の方に近いかもね。『ハネムーン症候群』は、寝れるんだけど、その結果が良くない」
「枕が合わない?」
「うーん、長友さんは想像しにくかもなあ。なんというか『ハネムーン症候群』の原因は、形だけなら今ここでも出来ることだね」
「やってやって」
「えっと、俺と奈月が夫婦だとして、こうして……今はソファーだから背もたれがあるけど、実際は新婚がベッドで横に寝てるとして」
と、直人は、自らの二の腕に奈月の頭を乗せてみせた。
「腕枕?」
「腕枕をし続けると?」
「痛い?」
「それまで別々に暮らしていたカップルが、新婚生活で毎晩腕枕をする。しびれても痛くても、奥さんに言いにくくて、我慢する。そしたらどうなると思う?」
「めちゃくちゃしびれる!」
「そう。その後一ヶ月くらいしびれ続けちゃう」
「えー! 我慢し過ぎでしょ」
「新婚だと、それだけ我慢や遠慮をする人が多いってことだね」
「えー、でもそんなになるまで?」
「すごいよね、俺もびっくりした。『新婚病』の方も、考え方は同じだね。我慢し過ぎてなる。ただ『新婚病』の場合は、我慢してしまうのが女性側になりがち」
「女性が我慢?」
「男性に言いにくい人もいるようなことだね。長友さんも、面と向かっては俺に答えを言いにくいかもしれない。だから、帰りに橘さんと二人で考えてみたら?」
「そうする! なんかクイズ番組みたいで楽しい。他にも面白い言葉知ってる?」
「面白いかは分からないけど、似た路線だと『バレンタイン症候群』っていうのがあるよ。これも、無理をしちゃう部類って、言えなくもないのかな」
「ハネムーンは良く分からないけど、女子高校生だからバレンタインならヒントなしでいけるはず! 去年も遥とチョコ交換したし」
真は自信たっぷりにそう言って……十分後、悔しそうにヒントを要求するのだった。




