あなたに会えて本当に良かった
その後も、七名の団らんは続いた。
話題の中心は直人だった。昨日今日知り合ったばかりの者が多く、その場にいる全員が以前から知っている直人の話は、自然と多くなった。
遥が笑いながら思い出を語っていた。
「――それでたまたま日直の時に、『森田』の『田』だけが消えかけたことがあって、私の元の名前が森だから、森と森でややこしいみたいなことになって、森田くんが女子の間で『モリモリ』って、カタカナで書かれるようになっちゃったの。
それで、当然先生は『誰だモリモリって?』って言うでしょ? そしたら森田くんが気まずそうに、『あ、僕です……』みたいな。それがかわいそうで、『私のせいでごめんね』って言って、それから仲良くなったんだよね?」
遥は、嬉しそうに直人に聞いた。
直人は、他人事のような顔をして、
「いや、覚えてない。そんな理由だったっけ?」
と答えた。
「ええー!? ひどい。ひどいっていうか、なんか恥ずかしい」
「なんか、最初の方ってあんまり仲良かった記憶がないんだけど」
「隣の席になった時に、喋り過ぎて先生に怒られたじゃん」
「隣の席になったことなんてあったっけ? 多分その時、まだ好きじゃなかったんだな」
「ほら、体操着をいつも丸めてモコモコに入れるから、こうして入れないとダメだよって入れてあげたら、次から畳んで入れるようになったでしょ」
「それ橘さんが教えてくれたの?」
「そう」
「こう、袖をまず畳んでみたいなやつ?」
直人は、ジェスチャーをしながら遥の顔を見た。
「そうそう!」
「覚えてないけど、突然自分で畳むようになるわけないし、そうなんだろうなあ」
「なんか森田くん今日、すごい返事が適当っていうか、リラックスしてるね」
「あ、こういういい加減な態度ってまずいんだっけ?」
「ううん、逆。今の私、男の人が緊張してるのが分かると感染しちゃう場合もあるから。そのままリラックスしててほしい」
「なんだ、それなら楽で良いや」
「そうなんだけど、中学ではそんな感じじゃなかったから、なんか面白い」
「だって、今は友達としてしか森さん好きじゃないもん。機嫌を取る必要ないし」
「ええー、すごく正直になってる」
「嫌な人になっちゃったかな?」
「今の方が良いと思うよ」
「それなら嬉しいな。この人が俺を成長させてくれるって、信じたいから」
と言いながら、直人は奈月を見た。
「なんだか、言うこと大人になっちゃったね森田くん」
「そうかなあ、よく分からないんだよね。態度がでかくなっただけな感じもして。これからみんなに嫌われていきそうで、なんかちょっと怖いな」
「そういう悪い感じじゃなくて、思ってることを言えるようになってると思う」
「まあ、この人――奈月さん――に何年も素直に謝れなくて、ずっと仲直り出来てなかったから、気持ちを伝えるって大事だなと思ってはいるけど」
「えっ!? 待って待って、えっと……何年も謝れなかったってことは……」
遥は、何か考え出した。
「もしかして、森田くんが昔ひどいことをして許してほしかった人って、その奈月さん?」
「なんで知ってるの?」
「作文に書いたでしょ」
「書いてないけど」
「みんなで約束について書いた作文のやつ」
「あれ? なんかそういう作文あったな」
「あのね。国語の授業で『走れメロス』を読んだ後に、約束を守れて良かった経験など、約束についてを作文にしなさい、みたいなやつがあって。
森田くんが、一番早く、本当にあっという間に提出して、しかもちゃんと先生に一発オーケー通って。その作文が後で小冊子に載った時に、私びっくりして。こんな風に思えて、それをすぐに文章に出来るってすごいなあって」
「どんなこと書いたんだっけ」
「短いから私、全文言えるよ。ダラダラ長く書くだけが作文じゃないんだなって、かなり感動したもん」
「全文!? あーでも、百人一首全部覚えてたもんね、橘さん」
「言って良い?」
「どんな内容か覚えてないから、聞かれても困る。本当に奈月のことなの? 言っても大丈夫なやつ?」
直人は、不安になって遥にたずねた。
「ひどいことをした人ってたくさんいるの?」
「いないいない! 奈月だけだよ」
「じゃあ多分平気だと思う。文章を振り返ってみる」
と言ってから、遥は目をつぶって、心の中で直人の作文を読み始めた。
何か言うと邪魔になりそうだったので、遠慮して誰も喋らなかった。
直人は少し前のめりになって、自分の顎を手で撫でながら、遥の閉じたまぶたを遠慮なく見た。そして次に奈月の顔をじろじろと見て、奈月のまつげを触ろうとした。奈月は慌ててその手を振り払うと、仕返しとばかりに、何度も直人のまつげを指先で触った。
目を半開きにしたまま怖がる直人の顔に、周りは笑いをこらえるのが大変だった。
奈月と直人がじゃれ合うのをやめて数秒後、遥が目を開け、
「絶対大丈夫。二回暗唱したけど、奈月さんが作文の人なら怒る要素ないと思う」
と、太鼓判を押した。
「なんかもう、違ったら謝るから良いや」
直人は、奈月とふざけ合ったので、大分落ち着いていた。
「んじゃ、ちょっと待ってね」
と、ジュースを口に含み、喉を潤してから、遥は朗読を始めた。
「 もう二度と
森田 直人
僕にもかつて、とても大事な友達がいました。
しかし、僕はその友達の優しい気持ちに、ひどい裏切りでこたえました。許してもらえるはずはありませんが、あの日に戻れたらと、いつも願っています。
もしいつか、彼女に許してもらえることがあれば、僕は泣いて喜ぶことでしょう。そして、もう二度と彼女を裏切らないと必ず誓えます。
なぜなら、彼女の優しい気持ちより大切なものなど、この世にないからです」
恥ずかしさのあまり、直人はテーブルに突っ伏した。
「うわー……書いたな、そういえば書いた」
直人は自分の頬が熱を発しているのが分かり、当分、顔を上げたくなかった。
しかし、次の桜子の言葉に、直人は顔を上げざるをえなかった。
「森田くん、奈月が泣いてるよ」
直人が上半身を起こすと、奈月は我慢の限界だったのか、直人に抱きついて泣き出した。
「あーあ、奈月も二日連続大泣きかあ」
直人は、奈月の頭を撫でながら、笑った。
「けど、そんな作文忘れてたなあ」
「書いた本人は忘れてたんだ? ある程度すら覚えてなかったの?」
遥は聞いた。
「というより、なんで橘さんはそんな作文覚えてたの? 俺、自分の作文も他人の作文も、一切覚えてなさそうだけど。橘さん、自分の作文覚えてる?」
「自分のは覚えてないけど、森田くんの卒業文集とかそこそこ覚えてるよ。完全に全文覚えちゃったのは、さすがに今のだけだけど」
「え、飯田の作文は?」
「覚えてないよ。飯田くんの作文っていつも嫌々書いてる感じで、面白いのないもん。全く思い出せない。
森田くんの作文が載ってた小冊子の、他の三人の作文もそうだし。約束が守れて嬉しかったっていう、普通な内容と普通な長さの作文だったから全然覚えてない。
森田くんだけ、『もう二度と彼女を裏切らないと必ず誓えます』っていう、『もしこうなれたらこう約束する』って形の作文を書いてて。私じゃ絶対に書けないやつだと思って、一人で盛り上がってた。私って変な作文の方が好きなんだよね」
「なんかさあ、作文しっかり読んで、それを気に入って暗記しちゃうって、やっぱり理解出来ないんだけど」
「私、結構ヤバイやつだから。休みの日に自分の歌とか作れないかなとか考えながら、部屋でギタージャカジャカしちゃったりして。だけど全然良い歌詞作れないから、森田くんの作文尊敬しちゃう」
「いや、作文ってきれいごと並べるだけだから。自分がすごく機嫌が良かったらここでどう思うだろうかとか、それだけだよ。
歌詞もきれいごと並べれば形になるんじゃないの? こんなのオーバー過ぎるだろ聖人かよ、みたいな歌詞たくさんあるじゃん」
「それが出来ないんじゃん。一曲も完成しないんだけど」
「難しく考え過ぎなんじゃないかな。一曲目なんて一日で作るとか決めちゃって、簡単なフレーズを連発して、とりあえず完成させれば良いじゃん。
誰かミュージシャンがスランプになった時に、逆に言葉を小学生に分かるものだけに制限して、童謡みたいな感じにしたら、五時間で五曲作れたらしいよ」
「じゃあ一時間で作ってみてよ森田くん」
「なんでだよ! 嫌だよ面倒くさい!」
「えー、面白そうなのに」
「そういうのって、言われるとすごいプレッシャーになるじゃん。ずいぶん気軽に頼んだな、ビックリしたわ」
「別に気軽に頼んでるわけじゃないけど。森田くんの文章すごい好きだし、本当に出来そうって思って」
「なんでもない人の文章を、そこまで好きになる感覚が全然分からないよ。俺、橘さんが卒業アルバムに『これからもよろしくね』って書いてくれてたこと、わりとすぐに忘れてたよ?」
「私は森田くんの覚えてるよ。『あなたに会えて本当に良かったです。幸せになって下さい』だよね」
「それはなんで覚えてたの?」
「だって、中学でそこまで書く人なんていないもん。みんな、『元気でね』とかで、『幸せに』とは誰も書いてくれなかったよ」
「言わないだけでしょ。長友さんだって、橘さんに幸せになってほしいよね?」
聞かれた真は、少し困った顔をした。
「んー? まあそうだけど、『幸せになってほしい』とは書かないよ。恥ずかしいもん。言ったこともないし。もう片方の言葉、なんだっけ?」
「『あなたに会えて本当に良かったです』だね」
「そんなこと書けないよ。ラブレターじゃんもう」
「そうかなあ。俺、ここにいる全員に『あなたに会えて本当に良かった』って、思っているけど。
まず奈月は当然、会えて良かっただよね。
二宮さんと広瀬さんが昨日相談を聞いてくれたから、今日橘さんに会いに来れてる。二人に会えて良かっただよね。
長友さんがいたおかげで橘さんとスムーズに再会出来た。長友さんと会えて良かっただよね。
今日橘さんに会って話が聞けて、これも『あなたに会えて本当に良かった』だよね」
「俺はなんもないの?」
名前が出なかった飯田が、不満そうに聞いた。
「飯田はなんか、地味な所で一番助けてもらってると思うけど……。あ、飯田がバイトに誘ってくれなかったら、そもそも奈月に上手く話し掛けられなかったんじゃないかな?
バイト先で挨拶や会話に慣れて、奈月と学校ですれ違った時に会釈とか道をゆずるのとか、出来るようになった。
あと、親切や心配を、下心だと思わずに素直に受け取ってくれる女性の存在。そういう人も結構いるんだなって、バイトで実感した。それで奈月や橘さんに少し声を掛けやすくなったと思う」
「おー、確かにそれはありそう。今日聞いてて、もう俺より全然言うこと大人」
飯田は、直人の答えに満足した。
直人は改めてテーブルを見回した。
「まあそんなわけで、全員が俺にとって恩人なんだよね。一人でも足りてなかったら今こうしてなかったろうから、本当は俺がここのご飯おごりたいくらいなんだけど。俺多分二千円分くらい食べちゃったし」
「会いに来てもらったんだから、お金くらい出させてよ。それこそ、『会えて良かった』だよ」
遥がそう言うと、テーブルに笑い声がこだました。




