好きのその先
「おはよう!」
直人は、マンションの非常階段の前で待っていた奈月に、明るく挨拶をした。
「おはよ! 元気じゃん、なんかびっくり。どうしたの?」
奈月が聞くが、直人はそれに答える前に、周囲を見渡してから奈月を抱き締めた。
奈月は、キスでこたえた。
「――俺も、もう少し挨拶とか、頑張っていかないとダメかなと思って。挨拶の練習をしてみた」
一月十日。お好み焼きを食べに行って、それからたくさんのことがあった、その翌日の朝だ。
「私は、眠そうな直くんも好きだよ。
急にだと、疲れちゃうんじゃない?」
「一気にやるつもりは俺もないけど、二宮さんや広瀬さんへの昨日のお礼くらいは、ちゃんと言いたいからさ」
「そうだね。私もお礼言わなくちゃ」
「ありがたかったなあ。なんとなくで飯田もお好み焼き屋に連れて行っただけなのに、あんなことになるとは」
「本当にね。中学の話がたくさん聞けちゃった」
直人は少し迷ってから、
「森さんに会いに言った方が良いって言ってくれて、ありがとう」
と、笑った。
「その人のこと、森さんて呼んでたんだ?」
「んーまあ。飯田を飯田くんって呼んでたくらいだからさ」
言いながら直人は、優しく奈月の手を握った。
マンションから出ると、奈月は、
「今日だけはこのまま、手を繋ぎながら学校の近くまで行っても良い?」
と、聞いた。
「俺も、それ頼もうか迷ってた」
「やった」
奈月は、握った手を嬉しそうに振った。
「……今も、森さんに会いに行った方が良いって思ってる?」
「うん。やっぱり会いに行った方が良いよ。直くんはともかく、飯田くんは会うべき。もしまだ両想いのままだったら、早く会えた方が良いと思う」
「奈月は、優しいね」
「というより、私が悩んでたみたいに、森さんも悩んでるかもしれないと思うとさあ」
「仲直りしようかとか?」
「それもそうだけど、私の膀胱炎みたいに、何かの病気とかも。誰にも相談出来ずに、体調悪かったりしたのかなって」
「ああ、そうだね。よっぽどじゃないと、『バカじゃないの!?』なんて、言いそうな人じゃないからね」
奈月は、直人の横顔を見た。直人は遠い目をしていて、何を考えているのか、奈月には分からなかった。
「森さんのこと、すごく好きだったんだよね?」
奈月は、分かっていることをつい聞いてしまった。
「うん」
「今は?」
「分からない」
「私より好きかもしれない?」
「俺は、奈月の方が好きだって思ってる。けどなにしろ、見掛けただけで感動しちゃった相手だからね。会った時にどう思うかは、会ってみないと分からない」
「輝いて見えるかも?」
「それが怖い」
「会った時、私より好きになっちゃっても良いから、本当のことを言ってほしい」
「分かった」
「約束ね」
奈月は笑って見せた。
「でも、今こうして奈月を想ってる気持ちより大きな気持ちなんて、あるのかな」
「ないでしょ、ありえない。大丈夫」
不安でいっぱいなのに、奈月はわざとそう言い、気丈に振る舞った。
「ないと良いなあ。――お、メールきたかな?」
直人は、手を握っていない方の手で、取りにくそうに遠くのポケットからスマホを取り出して、操作を始めた。
「朝、森さんの友達にメールしたんだけど、今日の放課後に会って話をしたいって。やっぱり森さん、何かありそうだね」
「会うって、森さんも?」
「いや、とりあえずはその友達と話をすることが決まっただけ」
「一人で会いに行ける?」
「奈月も来てくれるの?
隣のあの高校だから、道的には大丈夫なんだけど」
「あそこなの!? 森さんも?」
「いや、森さんは女子高。だから、こっそりクラスで聞き耳立ててた時、残念に思った」
「あはは、かわいい。ねえねえ、私と高校同じって分かった時、嬉しかった?」
「ウチの親、勝手に奈月に朝の道案内を頼もうとしてたから、飯田に先に頼んであるからって言って、無理矢理飯田にしたわ。飯田文句言ってた」
「なんでそんなに私との登校避けたのよ」
奈月は、歩きながらわざと直人に軽く寄りかかった。
「だって、奈月が俺の部屋に来てくれなかったから。『いっしょに学校行こう』って言ってくれたら良かったのに」
「部屋はハードル高いよー。直くん野獣なんだもん、行けないよ」
「まあそっか。わりと本気で、もし来てくれたら謝ろうって思ってたんだけど」
「えー嘘くさい。だって、まだ森さんのことが大好きだったんでしょ」
「奈月のことも気にしてはいたんだよ?」
「けど、謝りには来なかったと」
「いや、二人きりじゃないとあんなこと謝れないし」
「エレベーターの中とか、たくさん二人きりになれた場面ありましたけど?」
「そうだね、ごめん」
「許してほしければ、このまま教室まで手を繋げ!
今日はもう、放課後まで私、好き勝手にする」
「分かった」
「……私、ワガママかな?」
「すごく、かわいいよ。愛してる」
「それ、森さんと会った後でまた言えたら、デートしてあげる」
「楽しみだなあ」
「言えなかったら、お詫びにデートして」
「いっしょじゃん」
「私のワガママ度が変わるかな」
「どっちもかわいいから、両方とデートしたいな」
「じゃあ、二回デートしよ」
「二回かあ。どこに行こう?」
「どこ行きたい?」
「うーん、頭の中まとまらないなあ」
「私も。色々考えちゃって」
「とりあえず、奈月の部屋で寝たいかも。あー疲れたって」
「私も、直くんの部屋で寝たい」
「じゃあ、ティッシュ片付けないといけないのか」
前日に奈月が掃除してくれたことを思いだしながら、直人は面倒くさそうに言った。
「あら? 森さんでティッシュをそんなに?」
「奈月だよ」
「本当は? 怒らないよ別に」
「奈月と二宮さんだよ」
「なんで亜紀?」
「昨日、泣いてる時に背中をさすってくれたのが嬉しかった」
「バレたら亜紀に嫌われるよ」
「えっ、そういうもん?」
「分からないけどさ。背中さすってもらえたら、そんな風に思うの?」
「うん。だから基本的に、男には触らない方が良い。性欲の塊。二宮さんと広瀬さんに言っておいてよ、今日からは俺に優しくしない方が良いって」
「えー言いたくない」
「なんで?」
「なんか私、直くんの友達が増えると嬉しくって」
「女友達でも?」
「うん。半分半分くらいだけど」
「奈月って変だよね」
「公園で一人で遊んでた直くん考えると、直くんが自分から友達に話そうとするの、すごく成長したなあって」
「目線おかしくない!? 幼馴染み目線じゃん」
「幼馴染みだし」
「付き合う前ならその目線もわりと分かるけど、付き合っても女友達増やして良いよって、理解力ありすぎて。珍しいんじゃないのそんな人」
「仲の良い女友達増えるのが嫌だったら、森さんに会いに行けって言ってないよ。亜紀と桜子のおかげで直くんの気持ち知れたし、ああいう関係なら良いかなって」
「もし嫌な時があったらすぐに言ってね」
「うん。多分、尊敬出来ない女の人とかだと、嫌に感じると思う」
「なるほど。……最近、奈月の新しいことが毎日分かる感じで嬉しいな」
「ちょっとダメ。そんなこと言われたら泣いちゃいそうだから」
「泣いても良いじゃん」
「やだ。今日は笑顔で放課後まで過ごすって決めたの。だから泣かせないで」
「そっか、分かった。……今日で多分、森さんのこと、片付けるからね」
「急がないでも良いよ」
「いや、昨日あの後、頭が痛くなってさ。早く解決しないと俺が体調を崩しかねない。
奈月の膀胱炎にはあんなに神経質になって、俺がこれじゃダメだよな」
「あ、私もちょっと頭痛くなって、風邪かと思ったんだけど他に症状がなくて」
「それ脱水症状かもよ。眠れなくて調べてたら、泣き過ぎると脱水症状になって、体力の消耗もあって頭痛になるって書いてあった。奈月にも送ろうか迷ったんだけど、もう五時半だったから、もし前みたいにスマホの音オフにし忘れてたりしたらと思って、送らなかった」
「めったにそんなことないから、送って良いのに」
「奈月も俺みたいに、基本的に完全無音でメール交換してる時だけバイブにしておけば良いのに」
「だって急用の電話とかチャットとかあるかもだし」
「奈月はそれがあるのかあ。俺と飯田はメールだからなあ」
「二人、メール好きだよね」
「というか、ネットって何年も前まで調べられるし、消しても残るじゃん。普通のメールじゃないと、将来危なくない?」
「あー、怖いよね」
「俺なんて、小学生の時に自由にチャットとかやれてたら、何書いてるか分からない。奈月に変な写真とか要求してそう」
「そしたら私、送ってそう。直接押し倒されるより怖くないだろうし、ネットの危険性ってよく分からなかったし」
「たしか、ゲーム機に付いてる簡易チャット使ってたよね。ショボいショボい言いながらチャットや交換日記してたけど、あの頃の俺たちには、あれくらいが一番ちょうど良かったかもな」
「うわ、懐かしい。また交換日記しない?」
「しようか。奈月がキスねだりまくってたはずだから、履歴見るの楽しみだな」
「えっ!? その頃だっけ?」
「『かぜが治ったらたくさんちゅうしようね』とか、ロックした記憶がある」
「うわ、書いた覚えあるわ……イラスト付きだよねそれ」
「あと、なんか音声を録音するやつみたいなのがあって、『おっきくなったら直くんと結婚します』って言わせた」
「あ! 直くんにものすごくたくさん録音させられたよね」
「なんで忘れてたんだろ。たまに思い出してたんだけど、付き合ってからは今まで忘れてたな」
「忘れてて良いよそんなの、恥ずかしい」
「今日からまた録音しないと。録音して良い?」
「やだ。直くん、私にばっかり恥ずかしいこと言わせて、自分は絶対に声を録音させてくれないんだもん」
「あ、俺の声も録音して良いよ」
「昔は嫌がってたのに、なんで?」
「当時は録音した自分の声が嫌いだったけど、今は奈月を抱きしめながら話すと、奈月が喜んでるのがすごく分かるからね。
俺が奈月の声を大好きなように、奈月も俺の声が大好きなんだなって自信が持てるようになった」
「くう、変な自信持ちやがって」
「俺の声、嫌い?」
「大好きに決まってるでしょ」
「良かった。たくさん言ってあげるからね」
「なんて言ってくれるの?」
「そうだなあ。今日なら『もう離さないよ』とかが良い?」
「なんで分かるんですか?」
「手を繋いだまま教室まで行きたがったから、そういうのかなと思って。……後でベッドで言ってあげるからね」
「ちょっ、変なこと言うなぁっ!」
耳元で囁かれた奈月は思わず離れようとしたが、直人に手をしっかり握られていて、離れることが出来なかった。
「誰もいなかったから言っても良いかと思って」
「まだどうなるか分からないのに、調子良いことばかり言ってさー……」
「いや俺、なんか話してて安心してきちゃった。奈月が好きだよ俺。間違いない」
「えー?」
「今話してて、声の話とか出て唐突に気付いたんだよね。
考えてみたら、付き合ってから、奈月の好きなところがもっと好きになってる。奈月の性格も好きだし、奈月の声も好きだし、目も好きだし、顔も好きだし。体つきはもちろん大好きだし。心も大好き。
こんなに人を好きになったことないよ。それがはっきり分かった。だから、これからも、ずっとずっとよろしくお願いします。奈月さんを、世界で一番愛してます」
「泣かさないでって……言ったのに……」
「ごめん」
「直くんのバカ……許すけど」
「ありがとう」
教室に入った時、奈月はもう笑顔だった。




