最後の恋にはまだ早い!
直人は、奈月がゴミ箱のティッシュの量を暴露したことを、笑顔で許した。
「そんなの良いよ、本当のことなんだから。そんなことバレるのを気にするなら、家に呼んでない」
「そうだよね。二人が驚かすから、怒られるかと心配しちゃった」
奈月は、安堵の胸を撫で下ろした。
「でも、もうちょっとでひどいセクハラになっちゃってたな。危なかった」
「そうだよもう。だから十五分だけ待ってって頼んだのに、待たせちゃ悪いとか言ってさあ」
「いや、でもそれ、ティッシュがセクハラだから片付けるとか、理由を話してくれたら俺もすぐに納得したのに」
「あの時点では分からないことが多かったから、前に好きだった人と夜に電話とかしたのかなとか思って、言いにくかったの!」
「奈月って、結構色々考えるよね」
「直くんがそれ言う? 好きじゃないはずとか一人で色々考えておいて」
「だって、分からなかったんだよ。男はさ、かわいい人にドキドキしても、性欲なのかなとか思っちゃうんだよ。奈月が勝手に背が低くなったから、その辺めちゃくちゃ紛らわしかったんだよ。なんだよこの小さな手」
と、直人は奈月の手を触った。
「直くんが勝手にでかくなったんでしょうが」
と言いながら、奈月は直人の顎に拳を二回押し付けた。
「いや、本当に分かりにくいんだよ。これ、俺だけじゃないと思うんだけど。飯田って今、誰が好きなのかはっきり分かる?」
「わかんねえ。好きな人いるのかな?」
飯田は答えた。
「今は誰も輝いて見えないの?」
「その、輝いて見えるってなんなの?」
「最近だと、正月に公園に行って初日の出を見てた時に、奈月が輝いて、心臓バクバクになった。そういうのないの?」
「うーん……最近はそこまでのはないな」
「好きだった人の顔写真見て、何か思う? 一切何も感じない?」
直人は卒業アルバムを開いて、飯田に渡した。
「んー……なんか、感じるような気もするし、しない気もするし。けど、好きならもっと思い出したりしてるんじゃねえかな? 当時より思い出すこと減ってる気がするんだけど」
「その人と再会するまでは俺もそんな感じに思ってたから、それだとちょっと、会ってみないと分からないかもな。会ったら輝く可能性もある」
「気持ちが分からないのに会うってのも、なんか怖いな」
「写真に向かって『好きじゃない』って何回も念じてみたら?
俺、その人と再会した次の日にさ、奈月を好きじゃないとしたら嫌われても良いはずだから、ちょっと奈月で実験してみようと思って。奈月と自然と目が合うまで待ってから、見つめ合って心の中で十回『好きじゃないからな』って言い続けてみようとしたんだよ。そしたら吸い込まれそうな感覚になって心臓が苦しくなって、『好きじゃないなんて思ってごめん』って気持ちになったよ」
「やってみる」
飯田は、直人の話を笑わずに聞いて、真剣に卒業アルバムを見つめた。そして、大きく息を吐きながら卒業アルバムをテーブルに置いて、
「……なんか、心臓が少し変な感じはする。ゾワゾワするってゆうか、妙な感覚になるけど、はっきり好きだとは断言出来ない」
と、なるべく素直な気持ちになろうとしながら説明した。
「飯田って、異性として好きかどうかは別にして、二宮さんと広瀬さんと友達になりたい気持ちはある?」
「もちろん。いい人たちだし」
「じゃあさ、二宮さんを十秒見つめて、広瀬さんを十秒見つめて、それから卒業アルバムを十秒見つめて、心臓の確認してみれば? 好きな人を忘れられてなければ、心臓の感じが違うと思う」
「それ二人に頼むの、相当恥ずかしくないか?」
「女友達を十秒見つめるくらいは出来ないと、この人に話しにいくなんて出来ないだろ」
と、卒業アルバムを叩きながら直人が言った。
「え、俺が話をしに行くの?」
「そうなるって言ったろ。家に来るときに約束したろ」
「いや待ってよ。俺、この人のことをまだ好きでいるか確信持てないんだって」
「お前の気持ちなんて、ある意味どうでも良いんだよ。
俺は、この人がもし飯田のことを忘れられてなくて、ちょっと前の俺みたいに、『二度と他の人を好きになれないかもしれない。最後の恋かもしれない』って悩んでたら、それはすごくかわいそうなことだよなって、最近になって思っただけ。
一人の人間の恋をストップさせてるってのは、すごく大きなことで、残酷で。ちゃんとぶつかり合っての失恋なら良いけど、もし何かのすれ違いでの失恋なら、それが最後の恋になったりしたらダメだろ。
今になって気付いたんだよ。奈月と付き合えるまでは、一度もそんなこと考えたことなかったけど、新しい恋が始まったり、止まってた恋がもう一度動き始めたりすることって、それはすごく幸せなことで。
だからお前が、彼氏出来たかこの人に聞けば良いんだよ。彼氏出来たって言われたら、それはそれでハッピーエンドなんだよ」
「それ俺が聞くの!?」
「ずっと後回しにしてた恋の宿題が出てきただけだろ。お前が一日恥ずかしい思いをするだけで、この人が幸せになれるかもしれないんだぞ?」
「それは、森田も来てくれるの? 俺一人でとか雰囲気やばいだろ」
「俺は絶対に行かない」
「なんでだよ」
「だって、もし会った時にまだ輝いて見えてたら、奈月にどんな顔したら良いか分からないし。行かないというか、行けない。会いに行くなら、奈月と付き合う前に会いに行かなくちゃいけなかったと思う。今はもう無理。悪いけど」
「あーそうだよな」
飯田は、直人の言い分に納得した。
しかし奈月は
「私は、直くんも行った方が良いと思う」
と、はっきり言った。
それは直人にとっては意外な意見だった。
「なんで?」
と直人は奈月に聞いた。
「さっき私、寄せ書き見ながら、もし直くんと同じ中学に通ってて、それで三年間過ごしても仲直り出来てなかったとしたら、なんて書いただろうって、考えてたんだけど。私も『これからもよろしくね』って、書いたかもしれないって思って。
だから、好き嫌いは別にしても、仲直りしたいのかもしれないよ?」
「けど、今は奈月と付き合ってるから、仲直りしたらかえってまずくないか?」
「じゃあ、せっかく『これからもよろしくね』って書いてくれたのに、同窓会にも行かないで成人式にも行かないの?
それでも、また、どこかで偶然会うかもしれないよね。その時にその人が輝いてたらどうするの?
たとえ会わずに済んでも、前みたいに夢の中で私に『バカじゃないの?』って言われるかもしれないよね。
そういうの、ずっと気にしながら生きていくの?
もしかしたら、相手もずっと気にして生きていくかもしれないよね。
それ、直くんにとってもその人にとっても、百点の人生じゃなくない?
かわいそうだと思うなら行くべき。かわいそうだとは思うけど俺は行かないよなんて、矛盾してる」
「でも、奈月は俺が会いに行ったら怖くないの?
俺、飯田が奈月にちょっと話し掛けただけで、後でたくさん一人占めしたいって思っちゃうんだけど」
「怖いけど、直くんだって、怖い時に勇気出して私に声を掛けてくれたでしょ? 私、何もしないでただ待ってただけだし。私も勇気出す」
「いや、奈月は俺に襲われかけたんだから、声を掛けられなくて当たり前っていうか、深刻さが違うだろ!」
「そんなのいつまで言ってるの!? 深刻さなんて私が決めることじゃん!」
「そんなこと言ったら、会いに行くことの深刻さだって、俺が決めることだろ!」
二人の声がだんだん大きくなり、言い方も荒っぽくなってきた。
飯田は、これはマズイ流れだと感じて焦った。森田は頑固な時があり、このまま放っておくと、最後には「もう良いよ!」と森田が声を荒らげそうな気がした。
飯田は慌てて、
「待て待て、落ち着けって森田。森田には近くにいてもらって、謝りたいことがあるってなった時だけ会ってもらうとか、何か方法あるだろ」
と、直人を止めた。
直人は飯田の顔が目に入ると、急に言い合うのが面倒くさくなって、
「あ、そもそもこの話、しても意味ないわ。もし飯田が話をしにいけたらどうするかってことだし。飯田、会いに行けるわけない。女子を十秒見つめる練習すら無理なわけで」
と、はきすてるように言った。
「分からないじゃん。飯田くんだって頑張れるよ」
奈月はまだ若干不機嫌そうに、飯田を援護した。
「飯田に十秒は無理。ヘタレ」
直人は、奈月が飯田の肩を持つのが面白くなかった。しかし、直人が飯田の悪口を言ってストレス発散するのを、飯田は内心、上手くいったと嬉しく聞いていた。
良かった。森田と押田さんがケンカになるより、俺がけなされていた方がずっとましだ。
奈月は納得がいってないので、
「飯田くん、やってみよ? 十秒だけだから!」
と応援した。
「ええ!? いや、十秒見つめるなんて、二人に悪いし」
しかし、ここで断る亜紀と桜子ではない。この二人も、奈月の性格を知っていて、ケンカになるのを防ごうと飯田が行動していることを、ちゃんと分かっているのだ。
「私は良いけど」
「私も大丈夫だよ」
「やったー。飯田くん勇気だよ。会いにいけると思うよ」
奈月は喜んで、飯田を誉める。
直人は、嫉妬しているのに平静を装って、
「じゃあ俺、スマホにタイマーあるからタイマー係やるわ」
と準備を始めた。
「なあ、絶対に十秒経っただろ!?」
飯田と亜紀が見つめ合ってから、しばらく経った。飯田は納得がいかず、直人に何度も時間の確認をした。
「十秒経ったらちゃんと振動するから。まだだよな?」
「うん、まだ八秒」
さっきまで険悪だったのに、直人と奈月はくっついてスマホを見ている。
「おかしいって! おかしいって! もうそれから三秒くらい余裕で経ってるって!」
その時、やっとスマホがブルブル震えだした。
飯田はその瞬間、
「ちょっとそれ貸せ!」
と、森田のスマホを奪い取った。そしてすぐに、
「なんだよこれ、一秒がすげえ長いじゃん!」
と文句を言った。
「ああー、バレたかあ」
直人は残念そうな顔をする。
「バレるに決まってるだろ! ぜってーおかしいもん」
「これ、ゲームのカウントに使うやつで、一カウントを何秒にするか決められるんだよね。ほら、ゲームだと四百カウントが百六十秒だったりするじゃん」
「するじゃんって、知らねえけど」
と、飯田。
桜子が話に食いついて、
「十コインブロックも十枚じゃないんだよね」
と直人に言った。
直人は桜子がゲームの情報を知っていたことが嬉しくて、
「そうそう。十コインブロックって名称はなんなんだよっていうね」
と、楽しそうに言った。
飯田は、ゲームの話に混ざれないのが少し悔しくなって、
「実際は何秒だったのこれ?」
と、話を変えた。
森田は悪びれもせず、
「三十秒」
と答えた。
「ふざけんなよお前! 普通に戻せ、三十秒はもう無理!」
「へー、二宮さんは三十秒見つめられたのに、広瀬さんは十秒しか見つめられないの? 変だなあ?」
奈月も、
「うん。なんか怪しいー」
とひやかす。
「怪しくないって! ただ、広瀬さんに悪いだろ!」
飯田は慌てて弁明した。
「桜子も、三十秒の方が良いよね?」
亜紀がわざと桜子に意地悪を言った。
「私に聞かないでよ!」
桜子は、顔を赤くして答えた。
「女の子の顔をたった三十秒見ることも出来ないんじゃ、会いに行かない方が良いかもな」
と、直人が飯田をバカにした。
「じゃあお前、出来るのかよ!? 俺が広瀬さんとも三十秒見つめ合ったら、お前も後で押田さんと三十秒見つめ合えよ! もし途中でお前が耐えられなくなったら学食おごりだからな。
よし! 広瀬さん、すみませんが三十秒でお願いします!」
飯田は、言いたいことを勝手に言ってから、深呼吸をして見つめ合う準備を始めた。
「えっそんな……」
飯田に思わぬ反撃をされた直人は、顔を赤くして奈月をチラっと見た。
直人の赤く染まった頬を見て、奈月は面白いことを考え付き、含み笑いで直人に近付き、
「二十秒くらい経ったかなと思った時に、愛情たくさん込めて、『大好き』って言ってあげるからね。昔の人のことなんて一発で忘れさせちゃうくらいのやつ」
と、耳打ちした。
直人は、飯田に学食を三回おごることになってしまったが、幸せでいっぱいになれた。
第三部【最後の恋にはまだ早い!】完




