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最後の恋かもしれない

「俺、その日、英語の検定を受けに行ったんだよ。

 そしたら会場の最寄り駅で、高校生の女子の団体が、陸上部っぽい服装で、学校の名前を掛け声で言いながらランニングしてたんだ。駅の中を通り抜けて、どこかマラソンコースにでも行く途中だったのかな? 陸上部に詳しくないからよく分からないんだけどさ。

 見たら、俺の好きだった人がいたんだ。その人だけ輝いて見えた。五人いたか、七人いたか、十人いたか、忘れたけど。一人だけ光ってた。視力良くないはずなのに、鮮明に見えた気がした。

 びっくりはしたんだけど、最初はわけがわからなくて。なんでいるの? 本物なの? っていう感じかな。

 で、そういえばこの駅、あの人がクラスで話してたのを盗み聞きした高校名と、同じ名前付いてるなって思って。次に、中学でも陸上部だったなって思って。じゃあ、本当に今のはあの人だった可能性がわりと高いんじゃないかなって、だんだん現実的に感じてきて、そこで急に(からだ)がブルッときた。

 もう全身が喜んじゃって、会えて良かったとか、こんなの運命だろとか、色々考えて。舞い上がるってやつ?

 けど俺、方向音痴だからさ。その時、検定試験に遅刻しないようにって、母親が無理矢理いっしょに来てて。本人かどうか、確認しに行けなかったんだよ。なんか、恥ずかしくて。それで、その時は、ふざけんな母親のせいだとか思って。

 で、家に帰って、見た顔の確認っていうか、卒業アルバム開いた。写真見て、やっぱり似てるよなあ、本人だとしたら、一目だけでも見れて良かったなあって、最後の思い出になったくらいのつもりでいたんだよ。けどさ、その後にこの、『これからもよろしくね』ってやつ読んで、駅でその人見付けた時と同じくらいびっくりして。これを覚えてたら多分、母親がいても全速力で聞きに行けたと思って、あーやっちゃったなあ、と。一年半経ってもまだ好きなくせに、こんな大切なことを忘れてたのかよって、その重なりがすごくショックだった。

 まず、まだそんなに好きだったってことがショックだった。普通、二度と会えないと思って過ごしていたら、少しくらい気持ちが落ち着いてるって思うじゃん? けど、好きな気持ちが全く減ってなかったんだよね。こんなに好きならもう、二度と他の人を好きになれないんじゃないか、もしかして最後の恋かもしれないって思って、五十年経っても好きだったらどうしようって、つらくなった。

 二つ目が、好きなら好きで、そんなに好きだったら声を掛けろよっていうショック。なにしろ、わざわざ『これからもよろしくね』って書いてくれてるから。もしかして、こういう機会を想定して、俺のために書いておいてくれたんじゃないかって思って。じゃあ書いてくれたことを忘れて声を掛けなかった俺って、もうバカ過ぎるだろって話じゃん。好きなら好きで、それを認めて素直に、しょっちゅう卒業アルバムを見返していれば、少なくとも書いてあることは忘れなかったわけで。好きなくせに中途半端なんだよね。

 それに気付くまでは、運が悪かったなって思ってたんだよ。けれど、運は良かったんだよね。会えるだけでものすごい幸運なわけで。母親がいて運が悪かったとか、卒業アルバムの文章忘れてて運が悪かったとか、そんなの些細なことだし。

 俺ってさ、嫌なことは忘れたフリして、逃げて逃げて生きてきて。『これからもよろしくね』って書いてもらってた上での再会っていう、本当に最後の大チャンスですら、母親のせいにして逃げて。そんな俺が、卒業アルバムをちょくちょく見てたら、本当に声が掛けられたのかなって、過去を振り返りながら考えてみたら、あの場で絶対に声が掛けられたとは言いきれないと思って。そう思ったら、本当に自分が情けなくって、涙がっ……涙が出てさあ……」

 直人は声を詰まらせ、瞳から大粒の涙が流れ落ちた。奈月の目からも我慢していた涙が一気に溢れだして、奈月は直人を思い切り抱きしめた。

 直人はむせび泣きながら、一番言いたかったことを一生懸命、口から絞り出した。

「だから……だからあの日。エレベーターで奈月といっしょになった、あの日にさ、これを運命だと思うことにしようって、決めて。今日もし奈月に声を掛けないと、一生声が掛けられない。俺はそういう奴なんだから、今日が奈月と仲直り出来る最後の日なんだって……そう思ってやっと……せめて奈月だけでも元気で幸せでいてほしいと思ったらやっと……やっと奈月に声が掛けられて。

 奈月……仲直りするの、遅くなってごめんね……」


「ううん、わたしだよ、わたしが悪いの! ごめんね、直くんごめんね……」


 二人が泣き止むまで、友人たちは優しく待った。桜子は、二人といっしょに泣きながら、手を繋いで奈月に声を掛け続けた。亜紀は、無言で直人の背中をさすり続けた。飯田は、心の中で二人の祝福をした。

 奈月と直人は、何度も何度も、みんなに「ありがとう」を繰り返した。




「――はあ、なんかすみませんでした」

 やっと泣き止んだ直人が、鼻水を詰まらせたまま、鼻声でつぶやいた。

「飯田に言えなかったことと、奈月に言えなかったこと、やっと言えたよ」


「言えて良かったじゃん。まあ俺のことはどうでも良いけど」

 飯田の本心だった。


「いや、俺が『これからもよろしくね』を忘れてなければ、飯田の話くらい出来たかなって。卒業アルバムの時と、その時と、両方ともあの人に話し掛けられなかったことは、ちょっと飯田に謝らないといけないかなと思って、今日は飯田をウチに呼んだ。今まで黙っててごめん。なんか分からないけど、どうしても言えなかった。自分の中で大切にしたい気持ちとか、情けなさとか、色々あったのかな」


 飯田は、とても怒る気にはならなかった。むしろ、それまでの自分のふがいなさが心のそこから恥ずかしくなって、

「いや、謝らなくて良いよ。俺が卒業式までにちゃんと話そうとすれば、ややこしいことにならなかったんだし。全体的に俺のせいだと思う」

 と、飯田は反省した。


「そうだよね。どちらかというと、森田くん被害者だよね。無理矢理飯田くんに告白させられて、気まずくなって。気まずくなってなかったら、その日も話し掛けられたかもしれないし」

 桜子も、飯田の意見に同意した。


「でも俺、今は飯田にすげえ感謝してるんだよね。飯田のおかげで、なんとか奈月に声を掛けられるようになったわけだから。経験は無駄じゃなかったんだなって」


 心当たりがない飯田は

「俺、なんかしたっけ?」

 と直人に聞いた。


「早退の日とか、卒業式の日とか、声を掛けられなくて後悔した経験が既にたくさんあって、極めつけにその大失敗をしたから、奈月にあの日、なんとか声を掛けられたんだよ。もしこれで奈月が入院したり不良になったりしたら、今度こそ心底、後悔するって思って。すごく緊張して本当にギリギリのところだったけど、嫌われても良いって覚悟して喋りにいけた。そのせいで、結果的に奈月を騙したみたいになっちゃったけど」


「騙したって何?」

 奈月はキョトンとした。


「つまりさ、昨日とか、この前とか、奈月は俺のこと優しいって言ってくれたけど、優しくないんだよ。実際、以前は好きな人が体調を崩した時に優しく出来なかったわけだから。何か一つ経験が足りなかったら、奈月の時も勇気が出なかったと思う。俺自身は冷たいんだよ」


「え? どゆこと?」

 奈月は再び聞き返した。他の人も、不思議そうな顔をしている。


「本当に優しい人って、後悔をした経験がなくても奈月を助けるはずじゃん。俺は、もう後悔したくないから奈月を助けただけで、なんか、自己満足っていうか、優しくないでしょ?」


「よく分からないけど、奈月の具合が悪くなった時、森田くんはちゃんと心配したんでしょ?」

 桜子が質問した。


「心配はしたけど、行動に移せたのは、あの人を久しぶりに見た時に、輝いて見えたからなんだよね。俺は好きな人を全く忘れられていないんだから、奈月のことは好きじゃないはずだって、思い込もうとして。じゃあ強引に声を掛けても良いよね、下心はないんだからって、自分に言い聞かせて。こんなに緊張してるのは奈月の顔がかわい過ぎるせいで、奈月のことは好きじゃないんだ、嫌われても大丈夫だって。色んな経験や偶然がたくさん重なって、なんとか奈月に声を掛けることが出来ただけなんだよね。自分の気持ち騙してただけかもしれないし、半分自棄(やけ)になってたかもしれなくて」


「けどそれって、逆に言うと、森田くんがちゃんと優しい人になれたってことなんじゃないの?」

 亜紀は言った。


「ものすごくたくさんの要素があってやっとギリギリ声を掛けられたのに? 奈月の具合が悪くなるのが数ヶ月遅かったら、また後悔の気持ちとかも薄れてて、奈月に声を掛けられなかったかもしれないんだよ?」


「だって、奈月のことを好きじゃないはずだって思ってるのに、嫌われても良いから奈月を助けてあげたいって、すごく優しい人ってことじゃん。もし前は優しい人じゃなかったとしても、今はもう優しい人になれてるよ。数ヶ月違っても、ちゃんと心配出来たと思う。成長したんだよ森田くん」


「成長かあ。そうだと良いけど。でもなんか、成長してやっと声を掛けられたって、情けなくないかな?」


 奈月は、

「情けなくなんかないよ。成長出来る人、格好良い」

 と、直人の腕に抱きついた。


「俺、奈月に幻滅されるかもしれないと思って、なかなか言えなかったんだけど。大丈夫だった?」


「幻滅なんてしないよ。優しいよ」


「それと、前の人を好きな気持ちがゼロになったか、まだ分からないんだけど。それでも良い?」


「良い。私のことも好きなら良い」


「好きだよ。大好きだよ」


「じゃあ良いよ。私、もっとすごいこと隠してるのかと思った。連絡取るようになって、何回も会ったとか」


「その一回だけだよ。会ったっていうか、もしあっちが気付いててわざと無視したとかじゃないなら、俺が一方的に見掛けただけだね。それに、本人かどうかは分からない。

 ただ、少なくともその日まではその人のことが好きだったはずなのに、それにしては奈月を好きになるスピードが異常だったから、俺がどういう状態だったのか、俺自身よく分からなくて。もしかしたら、奈月に対して下心があって、付き合ってほしくて優しくしただけなのかもしれないってことは、伝えておきたくて」


「良いよそんなの。そんなの下心があるって言わないよ」


「ありがとう。全部言えて良かった」


「言えてないことってもうないの?」


「多分ない。少なくとも、言えなくて気にしてるようなことは、もう一つもないはず。自分でも気付いてない隠し事とかは分からないけど、思い出したらすぐ言う」


 直人の言葉に、奈月はあることを思い出して、

「あ、私も謝らないといけないんだった!」

 と慌てた。


「なに?」


「私、ゴミ箱にティッシュがたくさん入ってたこと、みんなに言っちゃったの! ごめんなさい!」


「え、なにそれ?」

 直人が奈月の言葉に呆然(ぼうぜん)とすると、他の三人が吹き出した。

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