そんなんじゃないんだ
一月八日。奈月の体調も比較的落ち着いていて、直人と奈月は約束通り、百円ショップに買い物に行った。そのついでに、隣のショッピングモールにも立ち寄った。
直人がバイト先で、安くデート出来る場所について先輩たちに尋ねたところ、ショッピングモールを複数人にオススメされていた。それを奈月に話してみたら、奈月が乗り気になったというわけである。
「えーっと、どうすれば良いんだっけ?」
奈月は、ショッピングモールの入り口で、案内図を見ながら直人に聞いた。
「まず、期間限定を優先して、面白い映画やイベントがあったら行く。何もない時は、適当にお店を眺めるとか食事するとかだってさ。一度に全部見ないで、また来ると良いらしい」
「私達、子供の頃はよくデパートとか連れて行ってもらったけど、二人きりでこういう所に来るって初めてだよね」
「そうだよね。なんか、ドキドキしちゃってるよ」
「私もドキドキしてるかも。なんでだろ?」
「俺、数日ぶりに奈月と少し気楽に外を歩けるのが嬉しいみたい。インドア派なはずなのに。なんかちょっと、緊張してる」
奈月は、
「私、やっぱり機嫌が悪かった?」
と聞いてみた。
「いや、そんなことない。言われてなかったら分からない」
「良かった」
「でも、もう少しお姫様みたいに、あれこれ命令してくれても大丈夫だったよ?」
「ううん、眠れない時に電話に付き合ってくれたのとか、助かったし。あれ以上優しくされたら、何もすることなくて太っちゃうよ。今日、三日分くらい歩かないと」
「じゃあ、お店をたくさん見よう。どこから見ようか?」
「直くん、ゲーム屋と本屋は行くでしょ?」
「その辺は行っても良いよね」
「じゃあまずはゲーム!」
といい、奈月が歩きだした。
方向音痴の直人は、後ろからついていきながら、
「俺の行きたい店を優先して良いの?」
と聞いた。
「私は、百円ショップで買ってもらったもん」
奈月は一瞬振り向いて、嬉しそうに買い物袋を見せた。
「ありがとう」
直人は、奈月の後ろ姿を眺めながら、昔を振り返っていた。子供の頃に奈月の背中を見ながら、何度歩いたんだろう。きれいになったな、本当に。
移動中、直人は女性用の下着売り場が目に入ってしまって、下を向いた。
奈月がチラッと後ろを見ると、直人は、子供の頃にアニメがキスシーンになった時と同じように、耳まで赤くなっていた。奈月はすぐに前を向き直して、こっそり笑った。
直くんが逃げようとするから、そういうシーンになったらわざと手を繋いで、逃げられないようにしてたっけ。
帰りは手を繋いで、もっとあの近くを通ろうと、奈月は心の中で悪巧みをしていた。
ゲーム店でなんとなく買い取り金額のチラシを眺めていた直人は、
「俺が昔めちゃくちゃ欲しがって親に買ってもらった五百円のカード、三万円になってる」
と驚いた。
奈月も自分のことのように驚いて、
「えっ、どれ!?」
と食いつく。
「この、【エルフの森の使者】プレミアム版ってやつ。うちにもプレミアム版ある」
「本当にこれなの?」
「このカードはたしか再販売禁止カードだからこの名前のカードはこれ一種類しかないはず」
「後で見せて!」
テレビの鑑定番組が好きな奈月は、わくわくした。
「うん」
「なんかもう、帰るのが楽しみになってきちゃった」
「まあ百円ショップにはもう行ったんだし、他のお店はいつでも良いけど。もう帰ろうか?」
「えっ。なんか私たち、前にもこんなことなかった?」
「正月も、寝ちゃったり、全く予定になかったゲーセンに行くことになったり、わりと行き当たりばったりだったね。あとは、膀胱炎対策の時とかもそうだね。思いつきで呼んだりして」
「私も、直くんに会いたくなっちゃって、バイト先に迎えに行ったり」
「適当だなあ」
「私はこういう、何が起こるか分からないみたいなの、好きだけど」
「俺も好きだよ。予定組んだりするの、苦手だし」
「それじゃあ、本当にもう帰っちゃっても良いの?」
「うん。さっきも言ったけど、インドア派だしね。奈月が帰りたいなら俺は、楽しみはとっておきたい。また来れば良いし。何回もこうやって、少しずつお店を見ようよ」
「じゃあ、手を繋いで帰ろ」
直人の手を握って、奈月が言った。
彼女のたくらみなど、もちろん直人は気付かない。手を繋げたことをただ喜んでいた。
「もうすぐ、直くんが好きそうなのがあるよ」
奈月は面白がって、下着売り場が近付いた時に言ってみた。
「お、俺は別に」
「興味ない?」
「ないよ」
「じゃあ、今後、間違えて見せたりしないようにするね」
「いや、奈月のは別で」
「ん?」
「奈月のは、間違えて見えたら、嬉しいです」
「誰のでも嬉しいんじゃないのー?」
「そんなことは、多分ないかと」
ここで、自信なさげに、しかも「多分」と付けてしまうところが、直人の正直なところだ。
「じゃあ、浮気しないでね?」
「もちろん。もし浮気したらウチで飯抜きとバイト代没収になるらしいから、親に言って良いよ」
直人は、今度は自信をもって言った。奈月と繋いでいた手に、少し力を込めた。
奈月はその言葉を聞いて、直人がどんな下着が好きか、知りたくなった。
「三万円のカード、どこにあるの?」
奈月があまりに落ち着かないので、結局ショッピングモールにはまた行けば良いということになった。早めに切り上げて、今は直人の部屋である。
「このデッキに入れてるはず」
直人はカードの束を一枚一枚手早くチェックしていき、
「ほら」
と、一枚抜き出して奈月に渡した。
「本当に同じカードじゃん」
奈月は、専用の透明カバーで二重に保護されたカードを見つめながら言った。
「だから、そう言ったろ」
「なんでこのカード買ったの?」
「まず、光ってるカードが大好きだったし、当時からそれ、二千円くらいなはずだったんだよ」
そう言いながら直人が、ボロボロの雑誌を本棚から取り出して、
「ほら、ここだとプレミアム版で販売二千百円買取八百円になってるでしょ?」
「本当だ」
「五百円で売ってたのがそもそも変なんだよ。当時でも違う店に持っていけば七百円以上で買い取りだったはず」
「すごい得したね」
直人は他のカードも床に並べて、
「これ、五千円。これは二千円。この八枚も全部千円以上」
とピックアップしていく。
「これなんて、写真みたいにきれいだよね。これはいくら?」
「その森は百円とかじゃないかな?」
「光ってて、こんなにきれいなのに?」
「百枚十円レベルのものだと光っても安い」
「えー!? こんなの普通にイラストとして売れるレベルじゃん」
「良かったらあげるよ」
「良いの? カード足りなくなったら遊べないんじゃないの?」
「その森じゃないとダメってわけじゃないから。えーっと……ほら、ここに同じイラストの光ってないやつが何十枚かある」
「じゃあ本当にもらっちゃうよ? お守りにする」
「良いよ。実際、この人の絵は名刺屋さんでラミネート加工して折れないようにしてキーホルダーとかにする人がいるらしいよ。ポケットみたいにすれば定期入れみたいに出来る」
「それやりたい!」
「この人の絵、他にも何十種類も持ってるよ。これとかどう?」
「これも写真に見える。きれー……」
奈月は、カードを手に取って眺めた。
「奈月がこんなもの欲しがるなんて、思わなかったなあ。ゲーセンに行った時も思ったけど、奈月、ゲームが好きになったよね?」
「私、ゲームは元から好きだったよ?
けど、直くんに怒られるから直くんとはあんまりゲームやらなかったかもしれない。この前のゲームセンターは、直くん優しかったから、楽しかったし嬉しかった」
そう言われた直人は、思いあたることがあった。忙しい時などに、母親にゲームで何度も説明したことを聞かれると「前にも説明しただろ!」と、強めに言ってしまうことがあるからだ。
かつて奈月にも似たようなことを言っていたに違いない、と直人は思って、
「ごめんね。昔の俺は、奈月がいっしょにゲームで遊んでくれることがどんなに幸せか、全然分かってなかったんだなあ」
と、反省した。
「許してほしい?」
「許してくれるかな?」
「じゃあ、このカードとこのカードとこのカード、ちょうだい」
「良いよ」
「どれも百円?」
「そっちの二色のやつは二千円くらい」
「あ、じゃあ要らない!」
金額を聞いた奈月が、動揺してそのカードを返した。
直人はその慌て方に笑ってから、
「なんか、しばらく仲良くしてなかったから、最近の奈月のことまだよく分からないや。趣味とか、たくさん教えてよ」
と、聞いた。
「趣味? 趣味はねー、私の趣味……なんだろ?」
奈月は考えてから、
「直くんの趣味は?」
と聞き返した。
「俺は、ゲーム、漫画、小説」
「変わってないのかあ。漫画増えてるもんね」
「バイト始めてからは読む時間なくて、最近はほとんど買ってないけどね」
「結構古いの多いよね」
と、奈月が本棚を眺める。
直人も本棚に近寄り、
「これ、当時古本屋のワゴンで百円で買った五千円の漫画」
と本棚から漫画を一冊引き抜いた。
「これって、小学生の時に私が雑に読んじゃったやつじゃん! なんでそんなに高い物たくさん持ってるの?」
「わりと持ってるよ。このゲームも八千円とかするはず。奈月は、売れば高くなる物って持ってないの?」
「そんなものないよ。有名な漫画と有名なゲームしかない」
「そういえば奈月って、子供の頃から普通の物しか持ってないイメージあるよね。変なの嫌いなの?」
「変なの嫌いだったら直くんなんか好きになってないし」
「なんでだよ!」
「だって直くんみたいな人、一人もいなかったもん」
と奈月は笑った。
「小学校も中学校も、俺みたいなやつ三人はいたけど」
「そんなにいないでしょ」
「いや、本当」
「じゃあウチの高校は?」
「そういや、高校はいないな。だから飯田と学食ずっと食ってた」
「ほらー」
「そもそも俺って、どんな人? 普通だよね?」
「いい人!」
「いい人ではないだろ」
「私と仲が悪くなってたのに、膀胱炎を心配してくれた」
「だからそれは、奈月がお腹が痛いと嫌だから」
「それっていい人でしょ?」
「違うんだよ。そんなんじゃないんだ」
「何?」
「……あのさ。奈月は、俺が優しいから膀胱炎の心配したんじゃなかったら、どうする?」
「え? その後の他の優しさとか、生理痛の心配とかも全部嘘だったらってこと?」
「いや、膀胱炎だけ」
「だったら優しいじゃん」
「えっ。それで良いの?」
「うん」
「そっか」
それから、直人も奈月も、少しの間、何も言わなかった。
直人が何か、態度がおかしいのは奈月にも分かった。考え込んでいるのか、何かを言おうか迷っているのか。
しかし、直人は口を開かなかった。
奈月が、
「さっき、二千円のカードもくれようとしたしね」
とポツリと言った。
「そこ!?」
直人は吹き出した。
「いやこれ大事な情報でしょ」
「大事かなあ」
「悪い人は二千円くれないでしょ」
「それ、お菓子くれるおじさんについていく子供の理論じゃんか。誘拐されるぞ」
「直くんに誘拐されちゃう?」
「しかも二千円で?」
「やっす!」
「じゃあ三千円出すよ」
「それならまあ」
「良いのかよ!」
さっきまでの重苦しい空気が、あっという間に明るくなって、二人は笑い転げた。




